苦悩する人生と芸術
拙者は正真正銘の愚物ではありますが、毎日ニコニコ笑って暮らしたというくらいのささやかな願いはあります。
しかしながら、絶え間なく降りかかるストレスの相手をするために、
日々貴重な時間は食い破られていくばかりです。
とどのつまり、古来よりこんな私たち小人の陥るパターンとして、
人生の苦悩など知らず翼を得て空を自由に飛び回る鳥たちに
憧れてしまったりするわけなのでしょうね。
いっそあんな風に大空を自由に飛び回る彼らをとって
焼き鳥にして食ったらどんなにか旨いことでしょう。
こりゃあ憧れですね。
しかし、苦悩のない世界など想像できるでしょうか。
何故人は悩むのかなどと月並みな問いを発するよりもまず、
人は苦悩ゆえに、人生を考えるようになるともいえます。
毎日食って飲んでゲハゲハ笑って満足しきっていたら
敢えてややこしいことに踏み入ったりはしないでしょう。
苦悩ゆえに自分の来し方行く末、今立つ場所を考える。
また、人は苦悩するが故に他者を思いやることができ、
共感を抱くことができる。
苦悩あるが故に私たちは人として連帯できる。
芸術表現にしても多くの人々が感動し共鳴するのは
人間の根底に苦悩という共有物を抱えているから、とも言えます。
してみると、画家にせよ音楽家も作家も、芸術家なんて、
あるある探検隊の発展版でしかないとも言えるかも知れません。
つまり苦悩を共通項とする限り、あらゆる表現者は不幸から抜け出せない、
と言うことですかね。
んー、そういえば偉大な芸術家には不幸なヤツが多いような気もする。
三島、川端、ゴッホ、ベートーベン・・・
彼らの苦悩と不幸が、私たちに芸術の恵みとしてもたらされる。
・・・ええと、こういうのは何というのだっけ
「他人の不幸はカモの味」
「あなうれし となりの蔵が 売られゆく」
なんか違う気もするけど、ま、いいか。
世の中に不幸が無くなれば芸術もなくなるのですから、
芸人や芸術家の皆さんには思い切り不幸でいてもらうしかないのでしょう。
そういえば昔デビッド・ボウイがこんなことを言っていました。
「われわれは世の中の不幸の総和である」
いやーご苦労様と言いたいところですが、世の中じゃなくて一部ファンの、
が正しいでしょうね。
私はアンタのCD結構持ってるけど、別に不幸せを引き取ってもらった
覚えないしぃ。
(写真はD・ボウイの傑作「ロウ」。この作品以降、次第に作品の質は低下したといわれ、
後には「D.ボウイなんて、「ロウ」の後に交通事故で死ねばよかったのに。」と言われるまで
至ったけど、まだ生きてます。ま、生きてさえあれば、いいことも悪いこともあるよな。)
