風を切る
私の土日は徒歩か自転車で移動である。
私が人間でいるためには、頭と体の双方をバランスよく使う必要があるのだが、
普段本当に運動機会がないので、土日も車で移動などしたら人間廃業の危機が迫るのだ。
この季節、風呂場みたいな生ぬるい空気の中を泳ぐように
自転車をこいで行くのは、走っている限り気分がよい。
また、空気に粘性があるとしたら、私が走った後には粘土を掻いたような
大気の彫塑が出来あがるかもしれない。
粘る空気に私という人型の痕を引いていって
最後に残る形はどうフィニッシュするのだろう。
さしたる当てもなく走る私の前を、やはり自転車で走っていくきれいな女性の後を
ずっと走っていくのも悪くないかもしれない。
でも最後に女性が目的地に到達してしまったら、そのとき私がいるのはどこだろう。
目の前から自転車の女性の姿が消えて、
自分が一人で帰らなくてはならないことに気づいたら、
それこそ「芥川龍之介のトロッコ」の大人版というには、あまりに間抜けすぎて
空気彫塑の終点の顔が、目的に逃げられた準ストーカーの途方にくれた顔では
あまりに悲しい。
・・・などととりとめもないことを考えながらボーっと自転車をこいで回る。
行程が定まっていないためはっきりしないが、そろそろ帰路に入ってきたと思われる頃、
liuさんに教わった「スイカjinro」
を思い出す。
乾いた体に冷えた飲み物はさぞしみることだろうが、
スイカもjinroも冷えていないはずの我が家で、可能な代替品を
頭の中で探す。
・・・スイカの代わりはパイナップルの缶詰で、
・・・jinroの代わりはビールかあ・・?
パイナップルのシロップとビールのぞっとする混合物を想像すると
思わず口の中に渋みがわいて、残り行程は八百屋経由決定。
結局jinroは泡盛にはなってしまったけれど、
良く冷えたザクザクのスイカに冷えた酒を満たして、
何も考えない運動と風呂と酒で終わる一日もまた、悪くない。
ぷち・タイ旅行の受難
先日の私の喫酒考察は、なぜかすっかり口内炎の話に取って代わられてしまったが
今回こそは正しい飲み会である(はずだった)。
この木曜、どんなに勝手なヤツと思われようと、会社の職場延長の飲み会はぶっ飛ばして
いつものごとく、まったくの勝手な夕食会に出かけた。
それはともかく、当日は都内のタイ人によるタイ料理店。王宮料理がウリである。
もうすっかり口内炎の癒えた拙者もパワー全開、
王宮料理だけのことはあるきれいな盛り付けと、オッシャレーな装飾で盛り上がる。
気分は小さなタイ旅行。
ただ、この店は料理は素晴らしいのだが、酒はきれいな飾りの施されたカクテルがメインで、
他は通りいっぺんのビールやワインしかない。
いつかこれが少々残念だとスタッフに言ってあったので、予約の時に他の酒をリクエストしていたら
今回はアラック(バリの地酒)を用意してくれていた。
ありきたりの日本国内の焼酎なんか出さず、たまにしかこない客でも、その好みを良く押さえた
対応はさすがである。拙者も接客対応のきめ細かさに恐れ入ることしきり。
散々食って飲んでテンションも上がりきって、デザートが運ばれてきたら
拙者などは他人のデザートにまで手を出して、ゼッコーチョー。
「どれ、そのマンゴプリンも食わせてみろ、ほれほれ。」
ハイテンション高じての悪ノリは拙者の大欠点である。
「うわはははははー、(ぱくっ。)」
!ガリッ!・・同時にはしるプリンでない、いやな感触。
・・・あ・・、オレ、唇を噛んでしまった・・・。
「あー、やだー、血が出てる、それ口内炎になるよ。」
「なるよ」、「なるよー」、「なるよー」
---ここでムンクの叫びか梅図かずおの恐怖漫画を想像してください---
「黙れ、コーラス隊か、おまえらは! こんなの舐めとけば治る、ふん。」
虚勢を張ったそのわずか二日後の今日。
噛み傷は順調に口内炎に育って、飲み食いに支障をきたしている。
でも先日皆さんに教えてもらった、「丸い錠剤タイプでぴたっと貼る」薬を
買ってあったので、なんとかななっているのだが、
今回の場所が上唇の表と中との境目付近であったため何するにも邪魔である。
それにこの場所じゃ、薬貼ると、口閉じても外に出るんだよね、半分ばかし・・。
見た人みなぷっと吹き出す、なごみの人として今日を過ごしたが、
何やっても人目を引いてしまう男はつらいものである。
口内炎の受難は・・・つづく。
国際テロご一行様、ご案内
イラクに今もって軍隊が駐留する国で、テロを受けていないのは
日本だけなんですか。いや、これはもう避けがたいんですかね、テロ。やれやれ。
イギリスなんかよりずっと都市部も原発のような施設も、隙の多い日本は容易にテロの標的と
なることが懸念されますね。
そもそも、そんな懸念を抱えても何で、イラクに自衛隊が駐留しているのかといえば
ズバリ、イスラム原理主義のテロより、アメリカのテロのほうが確実に怖いから、
だったんですけどね。
どこもあんまり報道しないけど、世界一のテロ国家はアメリカで、攻撃対象の民間人・施設を
ソフトターゲットなんて呼んで、あちこちで普通にこれを行っていたくらいですからね。
でも、イスラムがらみのテロも避けがたいとすれば、有効なテロ防止策もなさそうな日本と
しては、この被害を最小限に留める対策を考えたほうがよさそうです。
避けられないのであれば、なるだけ被害の少なそうなところでテロが起きるようにする。
被害の少ないところ、テロを受けても国家的損耗の少ないところ、即ち、
霞ヶ関の官公庁庁舎なんかを意図的に警備を手薄にして、テロを誘導する。
テロのターゲットが官公庁ということで民間被害ゼロっていうんだったら、世論も
あーあ、まー、しょうがないかなーという調子であきらめもつくでしょうし、
テロリストの顔も立つ。
ついでにゴクツブシも始末できるかもしれないし、日本の損得勘定なんか結局プラスかもしれません。
小泉さん、テロ誘致は霞ヶ関へってことで、ひとつご検討よろしくおねがいしますね。
変わり果てた恩師と面会する
実は先週の土曜、山梨の山中に
恩師のM先生の面会に行ってきました。
M先生は3年前に、まだ元気な内にと、ご自身の身体を全て売却され
そのお金で、あの”ホーム・ラピュタ”に入っておられます。
主要な臓器はリサイクル(臓器移植供与)され、残りの身体はスライスされて
人体模型になっていますが、昨年の「人体の驚異展」にも出品されていたそうですので
ご覧になった方もいらっしゃることでしょう。
”ホーム・ラピュタ”では最後に残った
脳に栄養ポンプと快楽物質ポンプ・及び電極をつないで
長い寿命(脳の耐用年数が尽きるまで)まで果てしなき思索と快楽のうちに
安全に毎日を過ごすことができるのです。
私が面会に来たことは電気刺激により先生の脳へ伝えられ、
先生のお言葉は脳からの電気信号を合成音声に変換されて出てくるのですが、
まだ現在の技術では言語レベルにまで変換は困難なので
ピュー・ピー、と言う音声を、「脳媒士」と呼ばれる専門職員の方が
仲介をしてくださいます。
私 「先生、お久しぶりです、captain-jackです。」
先生「ピー、キュルルル」
脳媒「・・・おお、会えてうれしいぞ。元気にしておったか。」
私 「おかげさまで、何とかやっております。先生は何か不自由はございませんか?」
先生「ピヨー、キュー、ピピピピ」
脳媒「・・・快適そのものじゃ。酒はうまいし、ネイチャンはきれいだ・・・。」
こんな調子で会話は続いたのですが、先生は本当に快適そうで、最後は、
一般庶民がホームラピュタを利用し、「社会運営に真に必要な人」だけに臓器提供をすれば
人類に平和と安心がやってくるという演説で、その日の話は締めくくられました。
帰りがけには、ホームラピュタの臓器提供のパンフをたくさんもらってきました。
「脳内幸福システム産業 脳は人なり、体は部品」とか良いことがたくさん書いてあります。
ただ、「私も脳媒士になりたいのですが」と言いかけたら、ものすごい勢いで追い出された
気がするのですが、どうしたのでしょうね。
車に乗って遠ざかるホームは、なんだかショッカーの要塞みたいにかっこよくて、
またいつか、先生に会いに行くのが楽しみです。
『くるくるキレキレ人生』 叶てつこ -----お勧め爆笑?本
この書き込みはahahaさん
のご指名により、
人前で読むのがためらわれるほど面白い本をリストアップする企画に
参加するものです。
『くるくるキレキレ人生』 叶てつこ / 新潮社
著者は36歳実在の女性にして、
境界性人格障害で、うつ病で、アル中で、薬物(うつ治療薬)中毒で、
リストカット歴多数、フェイスカット、ヤクザでないのに小指もカット、
精神病院に入院歴もあるので、せっかくだから本にしようと思ったら、
元カレの家に放火して逮捕、再び措置入院で精神病棟行きという予定外の
出来事で、本書はようやく先月出版の運びに至ったとのことです。
紹介記事には「超特急暴走機関車人生」とあり、なんだか怖い本みたいですが
著者は美人で明るく、今のカレには印税でプロジェクターを買ってあげたいという
けなげな女性です。(あ、写真はヅラなんですか、実物は角刈り?)
ギャハハとギャーが交錯する明るい抱腹絶倒の闘病日記で、
私も電車の中で「な○×%$ッ!」と思わず口から出てしまいました。
カテゴリーがなんになるのかわかりませんが、他に類似した本では、
吾妻ひでおの『失踪日記』くらいしか思い浮かびません。
また、境界性人格障害は一説には日本に250万人もいて増加中という病気で
決して遠い世界のことではありません。
どんな病気かはネットで検索してもらうとして
程度の差こそあれ、私たちの内なる「叶てつこ的」なものを考えてみる機会になりました。
つまり、私自身にもどこか「叶てつこ的」な面があると思うのですが、叶てつこ的行動に至らないのは
単にワタクシがものぐさでいいかげんな性格だからだと思われます。
でも、人はいいかげんで思いつめて考えることをしないでいると、
気がつけば過労死一歩手前なんてこともあるんですよね(ワタクシのこと)。
ウツや障害は極端な事象でも何でもなく、人間とはきわどいバランスの上でなんとか
成り立っているもので、暴走するか過労死するかなんて正常と紙一重である、と思い至ったのが、
この本を読んだ収穫らしきモノでありました。
なお、著者のブログ
もあって、本書ではあんなに明るい(?)著者の日常は、
(やはり)結構辛そうでもあります。
この病気の重症者の自殺率の高さなんてハンパでないようです。
ネットを通じて、著者と、著者同様の重度の苦しみを抱える皆さんが
共に幸福な日々を過ごされることをお祈りいたします。
健康になる日
今日はカイシャで義務付けられた成人病健診の日
成人病は生活習慣病と呼び名が変わったのじゃなかったのかしらん、
まあ成人とか成年って響きも、なんか透明でないところが悪くない。
「青年」っていう空々しさより、「成年・成人」の胡散臭さが好ましい。
例えば、成人と成年を全面に出す言葉は、
成人向け 成年実業家 成人君主 成年の家 成年絵画協力隊・・・
などとバカなことを考えているうちに病院に着く。
とりあえず受付を済ませ、
パンツ一丁にガウンを着て検査を待つが、
いい年したオヤジや、ワカゾウ、雑多な野郎どもが病院ガウン着て
所在なく心細げに呼び出しを待つ姿は、いやーもう、悲しいくらい威厳もない。
かなりのゲテは平気であるはずの拙者も、
さすがに目のやり場に困って、スポーツ新聞に没頭するが
急逝したプロレスラー橋本信也氏の追悼記事に胸が痛くなる。
早すぎるよなー。
そこへ突然、
「captain-jackさん、血圧計ります」と呼び出しの声。
全く不意をつかれて「最高135最低80」
ちょ、ちょっと待て、これはプロレス者の血がたぎっていたのであって
計測値は正しくないのだ、とリターンマッチを要求し、
ふーっと一息吐いてすぐに再計測。
「最高112最低75」 ・・一瞬でここまで落ちる。
どうだー、これでだいたいいつも通りだーと見得を切るが、看護婦さんは
「どっちにしたって正常範囲ですよ」と極めてクールでそっけない。
次の腹部超音波検査は、検査士と狭い部屋にこもり
腹にゼリー状の薬液を塗ってあちこち機械でなでまわされる。
昔の便所の電灯のような薄暗いランプに照らされて、
得体の知れない機械を持った、干からびた宇宙人の死体みたいなジジイの検査士が、
寝台に横たわる半裸のヒーローに迫ってくるというのは、
ほとんどSFホラーの世界である。
その後の採血では、注射器四本!という採血量と、自分の血の醤油の如き黒さに驚く。
あとは、胸部レントゲン、心電図、眼底検査等々、一通りのアトラクションを回り
クライマックスは胃レントゲンである。
これがために、当日朝は言うに及ばず前夜9時からからの絶食を行なっていたのだ。
空腹に流し込むバリウムは拷問に等しく、検査台の上で回転しろとかあっちを向けとか
言われるのはどうにも苦痛である。
最後はトドメに(バリウム出すための)下剤を飲まされて検査は終了だが
これが終日後を引くのだ。
絶食・バリウム・下剤・・・健康診断によっていつもの生活リズムはすっかり狂って
極めて調子の悪い不健康な一日を過ごすことになる。
まあこれでなんかの病気が見付かる場合もあるかもしれないのではあるが、
健康診断の「健康収支」は、今日一日だけをとれば明らかにマイナスである。
本を手に入れた日
ほれほれ、そうむづがるんじゃない、
ワシが毎晩よーく可愛がってやるからな、ふぉ、ふぉ、ふぉっ・・・
実は本日、探していた本が思いもかけず(ネットで)手に入りました。
私はコレクターではなく、単純に読みたいだけの人ですが、
こんな戯言も出るくらい、入手し難くかった本が手に入るのはうれしいものです。
(その本)
『死亡した宇宙飛行士』/J.G.バラード
『ピーナッツバター作戦』/ロバート・F・ヤング
(探してる人の多い、名著・名訳らしいですな)
それとliuさん が入手していたのを見て、私もどうしても欲しくなった、
『東方奇譚』/ユルスナール
近年は書籍の出版寿命がどんどん短くなっていますので、
後で買おうと思っていた本はすでに絶版、などということもしばしば起きますから、
古書店の存在は頼もしい限りです。
それに古本屋で本を探すのも楽しいのですが、なにせ時間がかかるので、
目録から一気に目的物を検索できるネット古書店は重宝ですね。
ネット販売と古書の相性のよさを感じます。
もちろん、ネットにリストアップされるのは、どこも在庫のごく一部なので
出回ることの少ない本の探索には、こまめにあちこちの古本屋を回る
必要がありますが。
またネット上の古書店にも取扱い品目にいろいろと個性があるので、
探索本の種類に応じて探索依頼先も考慮する必要もあります。
私もあちこちの古書店の特性を知るため、方々にちょっかいを出しております。
ちなみに今回はこちらの古書店「香澄堂書店」 にお世話になりました。
ミステリーやファンタジー系のレア物に強みがあるようなので、
そちらの方面に興味のある方は、要注意の店です。
それにしても古本で入手して、新刊で入手するよりうれしいのは
どうしたことでしょう。手間と時間と金が余計にかかっているせいかな。
幾多の困難を乗り越えて結ばれた恋人みたいなモンでしょうかね。
信心深い日
またも街中で宗教キャッチセールスにつかまってしまいました。
なんだか勝手に始まった話には、六道輪廻とか、
因果応報だの転生とかが登場しておりましたが、
私に言わせれば、牛や馬への転生も、最後の審判も、
天国も地獄も煉獄もみんな、得体の知れない「死後を担保」に取った
インチキ産業の悪徳手口みたいなもんですな。
ただ、死後の生活を借金の片にとって、現世で納金させるという
宗教事業のシステムを考え出したヤツには、確かに感服しますです。
今週木曜日には、あの足裏判診断だかで有名な法の華の
初判決が出るなんてニュースが流れていました。
私も立派な本をもらったことがありますが、
素直に「最高です!」とはいきませんでした。
でもこれで人生破滅に至った人もいるわけで、程度の差はあれ、
商売の原理はどこの宗教も似たり寄ったりとすると、
宗教とは、人類「最悪の商売」かも知れませんね。
そこいくとまだ、人類「最古の商売」のほうが罪は軽そうなものです。
別に最古の商売を肯定するわけではありませぬが。
などということを話したら、まじめそうな勧誘員の方には、
「きっと来世は虫になる」とか言われそうな勢いではありました。
面倒なのでフンフンと話だけ聞いてあげましたが、私なんかに熱心に
ご苦労なことです。
そんなものにエネルギーを傾ける前に、見るべき事は目の前にたくさん
ありそうなものですが。
この世にし楽しくあらば来む世には
虫にも鳥にも我はなりなむ (by Ohtomono Tabito)
え、意味が違うって?
いいんです、健康と平和、楽しい酒を前にしては
世俗的な栄達も、来世の約束もどれほどの価値が有りましょうや。
さ、飲むか。
飲んだ日
昨晩のこと
会社帰りに飲みに出かけた。自慢ではないが、
仕事はヤルけど社内営業は大の苦手なので、
いつもの様に好き勝手な連中と飲みに出かける。
やるべき勤めは十二分に果たすが、
夜は、そう夜は会社生活では使わない自己の別の面を充足するためにあるのだ。
行きつけのイタメシ屋(リストランテと呼ばないと怒られるかもしれない)では
飲み食いを始めてから、重症の口内炎を煩っていることを思い出した。
ここ数日、うずき始めた口内炎の芽を、
大事に至らぬよういろいろ気を使っていたのだけれど、
前の日に思い切り患部を噛んでしまって、一挙に悪化してしまっていたのだ。
食前酒のカンパリはまだ良かったのだけれど、
酸味の強いワインや塩辛い生ハム・パスタソースが沁みるシミル!
飲んではうめき、食ってはうなり、しゃべっては舌がもつれて、
ひどい有様。
なんとかがんばって食事を終えるが口が良く回らない。
二件目のバーでは(それでもまだ飲むか!)、仕方がないので
ストローをもらって甘めのリキュールを吸い飲む。
――非常に間抜けの図。
飲みながら、話題は失恋の痛手の克服方法という非常に抽象的な話になり、
私が
「恋をしているときに恋を捨てるよりも、
恋をしていないときに恋を手に入れるほうがずっとたやすいのだ。」
というラ・ロシュフコー(だったかな)の言葉を引用して
別の相手を見つければいいのだと話して、場を白けさせる。
克服すべきは誰かの失恋よりも私の口内炎の痛みである。
それでも飲んでいるうちに調子が出てきて(アルコールで痛みが麻痺して、
ついでに理性も麻痺して)、どんどん飲みだす。
その上、飲めば食欲増進する口なので、どんどん食う。
モツの煮込み食いながら、メニューにはない店主の秘蔵の日本酒なんてのを
出してもらって盛り上がる。
最後はデザートというところでオレンジを口に含んだとたんに
口内炎が復活してのたうつ。
―――さらに間抜けの図。
仕方がないのでフルーツはあきらめサイドカーカクテルを頼む。
サイドカーはブランデーとコアントロー、レモンジュースなんかで作るので、
ぶどうとオレンジとレモンというフルーツ由来のカクテルだ、
と、実は講釈をたれるつもりだったのだが、
どうしたはずみか、サイドカーは済度カーで、
飲めば衆生が済度されて極楽にいける酒だと、
ワケのわからないクダを巻いて、大いに場を白けさせる。
だがいつものことなので誰も大して気にせず、
和気藹々の雰囲気のうちにお開きとなり
拙者も帰途に着く。
まっすぐ帰ればよいようなものの、
深夜営業の本屋に寄って本を物色する。
ノーアム・チョムスキーの『秘密と嘘と民主主義』
この秋映画化でキャンペーン中の三島由紀夫の『春の雪』
買った後で、すでに蔵書にあったような気もしたが、細かいことは気にしない。
翌朝起きると、口内炎がさらに悪化しており、ちょっとだけ前夜の行動を後悔する。
次はタイ料理に行く予定なので、それまで口内炎を直さないと。
・・・反省なんかしないのだ。
超越瞑想、でなくて呆悦瞑想
「瞑想は上から降りてくる」
哲学者の三木清の言葉です。
私たちは一生懸命仕事をしているとき、話しているとき、
話を聞いているとき、精神集中のさなかにあってさえ、
全く別の思考が頭の中を流れてゆくような体験をすることがよくあります。
このどこからか降りてきてどこかへ流れ去っていく思考は
発生と展開をコントロールできるものではなく、また、
理詰めの組み立てとは無縁です。
これこそが瞑想であると三木清は言っているのですが、
確かにこれが瞑想であるなら、瞑想とは始まりも終わりも定かでなく
結論を導く義務も、論理の束縛もなく、ひたすら気ままな精神の流れ
であるといえます。
「瞑想は甘美である」(三木清)
瞑想が何かを解決してくれるとは思いませんが、
一部の業者のインチキ金儲けの手段になる以外は、
一般には瞑想は瞑想それ自体が瞑想のゴリヤクであり、
それ以上でもそれ以下でもありません。
ああ、私も仕事など放り出して、甘美な瞑想をむさぼりたい。
え?いつもぼーっとしてるんじゃないかって?
とんでもない、あれは私が深い瞑想に身をゆだねる姿だったのでありますな。