秋の散歩道
日を受けて川面に映る街路樹の葉の色が、次第に淡くくすんできた。勢いの失せた木や草は、店じまいの仕度にとりかかるようにふくらんだたくさんの実を道の上にこぼれださせている。 そんなドングリを拾おうとして、真夏に遠くの歩道のそばで見た緑に白い斑の入った草のことを私は思い出した。
・・・あの時まだ青く小さかった実は今頃大きく熟しているかもしれない。
私は秋の風景に誘われるようにして、夏に見たあの草に会いに歩いて行くことにした・・・。
* *
私にとっては歩くことが瞑想の手段だ。
足の向くまま気の向くままに景色に流されるようにして歩いていくと、
様々な想念が浮かんでは消え、よどみに浮かぶ「あぶく」のように
消結を繰り返しては流れていく。
初めのうちは仕事や日常の課題の大きな「あぶく」が目立つが、
個々の「あぶく」は、しだいに過去や現在の迷いや悔恨、
焦りや不安・喜びとして漠然とその輪郭を失い抽象化して、
やがて消えていく。
後には風や光、映しこんだ風景と一体化した穏やかな水面が
時折さざなみを立てるだけだ。
落胆も高揚感もない、静謐な精神にいたって散歩と瞑想はひとつとなる。
* * *
きっと脚は丈夫なのだろう、どれほど歩いても苦にならないのだが
道々面白く調子に乗ってあるときは家から三十キロ以上も歩いてしまっていて
腹が減ったので飯屋に入ったら酒も入った上に食いすぎて
結局電車に乗って帰ってきたということもあった。
どこでやめるのか見極めがつかない、これではまるで子供だが
こういうのも童心に返ることと前向きに評価したい。。。(バカ->ワタクシ)
魍魎のはらわた
去年私の往訪したA国では「脳死は一般的な人の死」という国民的な合意があって、国内的には移植臓器の供給に大きな不足はありません。
臓器の提供を決めるのは本人ではなく、残された「家族の同意」なのですから、意思決定のプロセスを余計な感情論に左右されることなく、ポイントは勘定論だけ、と非常に明快です。
「・・心臓? いくら出す?」
一応表向きは当事者間で臓器は売買できませんが、グズる家族に対して提供を促すのも、患者側が臓器ドナーへの感謝の気持ちをどう表すのかも、ちゃんと病院が仲介してくれます。
私がおじゃました○○家では、半年前に脳死判定されたご主人がまだ日本でいうところの生命維持装置につながれて保存されておりました。奥さんが言うには、大きな事故や災害があると臓器相場が急上昇するので、提供するタイミングを見計らっているのだそうです。
「亭主の生命維持装置がはずれたら、私、世界一周旅行に行くのが夢なの」
脳死と臓器提供法案ができて以来、町中からホームレスがいなくなったり(入籍や養子縁組できた)、貧困家庭の中にはなぜか急に裕福になった家があったりしているのですが、マスコミから流れるのは「社会的な好循環現象」としての報道だけです。
もちろんこうした風潮に批判もあります。しかし臓器提供法案への批判の大部分は、「何で自分の体を提供した本人がいい思いできないのか?」と言う点に集中しています。意思表示ができなくなったというだけで、他人の臓器を切り売りするくせに、自分の体の始末を自分で決めて何が悪い?という議論は、家族とはいえ他人が体を切り売りする現行臓器提供法より確かにずっと健全です。
つまり、現行の臓器提供法をもう一段進めて存命中の本人の意思で何でも必要な臓器を供給できるようにするのがA国における今の臓器提供論議なのです。
すでに法案の成立を見越して、市中では「人生リバース・モーゲージ」という企業も営業活動を開始しています。これはつまり、将来の臓器提供の確約に対する対価の割引給付です。
例えば、自分の臓器の提供日が3年後と決まったら、契約日から提供実施日までの3年間は提供臓器に応じて生活費が支給されるようなものです。3年目の実施日には契約した臓器を提供しなくてはなりません。
事前支給の分、本来の対価を一定額割り引かれてしまうことや、対象臓器の多寡によっては普通の生活に支障もきたす不安もあるでしょうが、契約金の前渡しが魅力です。
今日も臓器仲介業者が営業にまわっています。
「そんな貧乏暮らしさっさとやめて、目ン玉売って、腎臓売って、肝臓売って、きれいなベベ着てうまいもん食って暮らしたらエエ。何も怖いことなんかないんじゃ。ちょっと目えつぶってるうちにすーぐ終わってるって、なあ。」
----金持ちに 臓器を売って借金返済、あとはわらってハイさようなら。
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この記事は去年upした『脳死 臓器提供先進国の健全な議論に学ぶ』を
ほとんどそのまま再録したものです。もちろんテーマカテゴリの通り「ホラ」で
登場人物や団体、事件はすべて架空のものですというか架空だったらいいかな、
きっと架空ですよね?
ムーミンパパを目指せ
このブログにも何度か書いたのだけれど、休日にはたまにベランダにテントを張ったりするのだが、張ったが最後人の出入りも多くにぎやかなベランダと化すので、隠れ家には決してならないし、そもそも私に秘密の隠れ家もなど不要であるので、このテントの向こうにイメージする憧れは里裾の居士を気取った草庵、もしくは手軽なサンデースナフキンである。
しかしながら、庭にテント張るのも汚れてめんどくさいと言うほどの忙しくも怠惰な私に問題はあるのだが、実態も心境も覚者はもちろんスナフキンにもほど遠いのは明らかで、近づく道すらわかりはしない。
あたり前のことだが、日常の営みの中にあって俗界を離れた覚者を目指して気取ったところで、塵の中にあって塵をはたいているようなものだし、社会から離れて放浪する憧れのスナフキンにだって、こうして大人になった今では到底なれやしないのもわかっている。
仕事も日々の生活も、いつか誰かにはめられたように、何かが違うとおもいつつも、古今東西の賢者・覚者にもなれず、かといってスナフキンにも近づけない私。 何かが違う、そもそも私の目指す方向とは環境も資質も背景も違うのだから、同じようにはできはしない。
白熊は砂漠に住めないし、サボテンは水槽で育たないのだ。
しかし、ムーミン谷にはスナフキンと同等憧れの手本になりそうな人物がまだいたのを思い出した。
ムーミンパパである。
かつての冒険家にして、今はいつまでも書きあがらない物語の小説家。退屈な日常に冒険を求め、あったかい家族と穏やかな生活を送りながらも常に遊び心を忘れない。なかなか魅力的な大人である。
新聞とリンゴと酒をもって木の上でくつろぐパパ。
意味もなく散歩に出かけるように洞窟生活を試したり、暗い夜中にヨットで沖に出たりしてみるパパ。
家庭も日常生活も大体において順調ながら、好奇心と自分のペースを忘れず、しかもいやみでない。
これはいい線いってるかも。こういう方向ならできそうだろうか。
十月のテーマは家庭でできるムーミンパパへの道、とするかな。
(いやとてもブログにはできませんが、個人的な日常テーマとして)
見たまえ、人間がゴミのようだ
表題の言葉は宮崎アニメの「天空の城 ラピュタ」のワン・シーンからもじったもの。
欲に駆られて右往左往したあげく、危機に瀕して慌てふためく人間たちを
見下して悪漢のムスカが口にする言葉だ。
もちろん誰しもモノやゴミのように扱われたくはないし、
人権だの命を大切にだの念仏のように散々聞かされて育った私たちには
憎むべき悪党のせりふだ。
しかし、とんでもない発言ではあるが、
宮崎アニメ悪役中、もっとも切れの良い
悪役に徹しきった、ある意味潔くもカッコイイせりふでもある。
なぜかとなど、わざわざ言ってはせっかくのこの名せりふが腐臭を放ってしまいそうだが、
ファッションや本、ドラマ、ニュース、時代の流れや流行を追っては動揺する人間たちが
人でなくゴミのように見えてしまうこと。
ムスカの発言に自分もまたゴミの側の一部かもしれないと感じも考えもしない人間たちのこと。。。
かつて「自己家畜化」という言葉があったが、使い捨てされ、用済み後排除される立場に
自らを仕立てることによって至るのは「自己ごみ化」なのかも知れない。
やはり、ムスカの発言はかっこいい。
ぜひ言うほうの側に回ってみたいものだ。
「見ろ、人がゴミのようだ」
人は誰もが、機会があったらこう言いたい衝動をきっと止められないだろう。
・・・さもなくば、人間が経済価値からでなく、「ただ人間だから」というだけで
尊重されねばならない理由を私たちは見つけなければならない。
壊れたモノ
なんとなくお気に入りの陶器の碗である。
体育会系で理系で管理主義的日常のがさつな私にはまったく不似合いなモノでもある。 はっきり言って私には、年こいて茶道具ボケのクソジジイにでもならんと似合わないだろう。もちろん、一生その方面には向かわないと思われるが。
これはただ、残雪というネーミングと、釉薬のむこうにかすかに見える陶器の地が、淡雪の下に透けて見える地面のようにも見えて当然発作的物欲に駆り立てられて衝動買いとなった次第であるが、それはお気に入りのポイントの半分で、もう半分は別にある。
この器は原材料の土に鉄分を含むため、表面に点々と黒い斑がうかび、独特の風合いがあるが、そのためにもろく、鉄分が劣化を進めるのか、使い込んでいるうちにあるときぼろりと崩れるように割れてしまうことがある。 つまり代々使い続けるものにはなり難い。この「遠からず壊れる」点こそ私のお気に入りのポイントかもしれない。
もちろん、モノの使い捨ては論外だし、丈夫な長く使えるモノも大切だけれども、こうして使い込んだモノがあるとき壊れてしまって、人と物事の何事かを思い出させるというのも、物の果たす大事な役目である。
たとえば、子供の頃の大事なおもちゃが壊れてしまった時のこと、
大切にしていた本がもう大きくなったからと言って捨てられてしまった時のこと。
なくした大切なものにはもう会えないと思ったときの衝撃と、それでもいやおうなく前に運ばれていくことの間で気持ちを整理するたびに私たちは少しだけ大きくなってきたものだ。
ところが大人になって、いつでも取替え置き換え可能な使い捨ての社会システムに組み入れられて、どこかに空しさと違和感を覚えながらも今日も明日も同じモノとして錯覚と妄信の日を私たちは過ごしてしまっているようだ。
たしかにまだ遠いと勝手に思い込んでいる死や定年退職が区切りだと錯覚すれば、毎日は均質で使い捨てとなる。私たちはそんな日を生きていることがある。
どんなに大切に使っていてもこの茶碗はいずれ壊れる。それは今夜かもしれない、
明日の朝かもしれない・・・。
在るものは壊れる。モノも、そして人もまた。それは今夜かもしれない、
明日の朝かもしれない。
溢れるダンディズムと「毛」の些細な関係
以前、嫁さんの電動眉毛シェーバーを鼻毛切りに使用して喧嘩となり、
自分専用の電動鼻毛バリカンを買うに至ったA君であるが(その一部始終はここをクリック )、
先日私もふと思い出して、その後の鼻毛バリカンの使い心地はいかなるものかと尋ねたところ、
なんともう使ってないのだと言う。
「え?もう捨てた? なにか欠陥でもあったか。鼻毛もろとも肉までそり落としたとか」
「いや、衛生上の問題だな」
「衛生問題?」
やはりそうか、この東京で鼻毛フィルターを除去するなどということは、浮遊するありとあらゆる塵芥を
直接肺に吸い込むことになる暴挙だったのだろうか、と思いきや、
原因は同居する嫁さんの親なのだという。
「かみさんの父親がさ、オレの鼻毛シェーバーを耳毛刈りに使ってたんだよ」
A君宅は簡便な二世帯住宅もどきで、洗面所や簡易キッチンが二階にも別にある。
それを父君はわざわざ二階のA君夫婦スペースにやってきて耳毛をカットしていたのだという。
「ジイさんの耳垢菌にまみれたシェーバーをデリケートな鼻の穴に突っ込むなんて、
おまえできるか?」
それこそお前が以前嫁さんの眉毛シェーバーにはたらいた狼藉と同じだろう、と思ったが
そこはそれ、普段から同居の気苦労の絶えないであろうA君の立場を思いやって
私は同情の姿勢を示してやったのだった。
なるほどー、言われて世の中の男性の耳毛に注目してみると、これは加齢現象なのか
年配男性にはいるわいるわ、直毛曲毛剛毛軟毛、白髪に赤毛の混じった三毛猫みたいなのもいる。
さらにまさか、と思って検索してみたら、男性の身だしなみ用品としての「耳毛カッター」
などというものがちゃんと存在していた。耳毛の是非にコメントする気は毛頭ないが、
鼻毛や耳毛にロマンやセクシュアリティを感じるという話は聞かないから、
手入れを必要とする層も世の中には少なからず存在するのだろう。
いやはや女性のオシャレならずとも男もダンディーへの道にも地道な努力が要求されるものだ。
ルーム・シェア
一体どこから入ってくるのか?
わが家を堂々とのし歩くヤモリ一家。。。
頼んだわけでも頼まれたわけでもないが、わが家の居住者として認知されている。たぶん向こうも同じだろう。
意思疎通ができればぜひ山海の珍味などを供しておもてなしでもしたいところだが、勝手に現れては勝手にどこかにいってしまう、向こうも、こちらも、あまり干渉しない、きわめてあっさりした間柄。
人の意識と社会では家も土地も人間様が所有するものと言うことになっているが、そもそも人間様が土地も空間も独占しているわけではないので、庭にはトカゲもミミズもダンゴムシもいれば、毛虫や芋虫も出現し、たまにカエルもヘビもやってくる。家も庭も小さな地球であると思えば様々な同居人が日々生きる営みを繰り広げるのは当たり前のことなのだが。
営々と続いてきた土地の上を切り崩して、人間の一家がやっかいになるのも数十年のわずかの間。
虫も草も動物も、害虫・雑草・邪魔なものとして排斥して金属とコンクリートの人工空間に仕立ててカイテキだおしゃれだと言う人間はきっと精神もプラスチック製なのだろう。
(・・・このブログ書く直前に蚊が飛んでいるといって大騒ぎしていたのだが、まあ、それはそれとして。。。)
大越冬宣言 パート2
【前編までのあらすじ】
ある晩のこと、訪ねてきた妙齢の美女が私を誘惑した。
もちろんのこと私はこれを断った。
「喝っ! 私は誓いを立てた修行の身ゆえ、めったなことはなならぬぞよ!」
しかし一度は誘惑をはねのけた私ではあったが、
夜な夜なやってくる美女の魅力の前にあるとき
ついにあえなく過ちを犯してしまったのだった。
すると次の晩から美女は仲間の友達の美女を伴って現れたのだが、
これがまたこの世のものとは思われない魅力に溢れた美女で、
一度禁を破った私にもはや抵抗する力などなかった。
さらに美女は美女を伴って現れたため、
私は夜な夜なおびただしい美女の群れと甘美な日々を過ごしたのだった。
だがやがて、呪いにとらわれたことに気づいた私は、
ひそかに東の山に住む聖人・ビョー・ケンシンの元を訪ねて
呪いの正体が「脂肪肝の証」であることを突き止めることに成功し、
ビール美女魔人軍団との苦難の戦いの日々に明け暮れるのであった。
そして今、二年目の決意も新たに私ことcaptain-jackの新たな戦いが始まる!
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・・・7月に受診した「成人病検診」の結果が届いたのですが、
なんと驚いたことに今年も脂肪肝傾向に変化がないとあるではありませんか!
これはそろそろ本気出して対策を考えねばと思ったのですが、
なにせ、夏場に手に食事制限して夏バテなどしたらやっかいだし、
私の体脂肪はせいぜい12%台で外身は太ってないし、
食うのはストレス解消でもあるので、なんとなく
ズルズルと秋まで来てしまったのでありました。
だが、正義のヒーローcaptain-jackたる者が「内臓でぶ」ではいかんのだ。
黒酢
アミノ酸
カプサイシン
アルファリポ酸
キトサン
カルニチン・・・
ははは、これだけそろえばビール魔人も、その友達の焼肉魔人も、
ギョーザ魔人も、みんなひとひねりなのだ。
ダイエットなどわけもない。ははははは。
そして行く末を想像するに・・・・
物語の結末は、、、
行き着く先は、、、
人類の未来は、、、
ヒーローの明日は、、、
・・・サプリメントでぶ。
やっぱりぃ?
ダイエット~サプリ買い込み腹はじけ~
痩せ行く財布の効果悲しき~
あーあ、やっておられん!
風かおる秋の夜の酒は
昨夜帰宅すると、門前にかすかに花の香りがした。
深夜のことでもあり、かすかな香りであったので、気のせいかも知れないと思い気にも留めずさっさと家に入ってしまったのだが、
今朝になってもしやと思い庭をみると、まだ九月だというのにもうキンモクセイの花がほころび始めていたのだった。
ずいぶん早い開花である。去年のブログを見ると十月の初旬に開花していたようだから十日ほども早いことになる。 キンモクセイを植えている家や公園はとても多いので、天気さえ良ければたちまちあたりは樹の花の圧倒的な香りに包まれることになるだろう。
だがやがて、鈴なりに咲いた小さな花が際限がないと思えるほど地上にこぼれだして、オレンジ色の花模様のカーペットをしいたような豪奢な眺めが現れると、私はそわそわと落ち着かない気分に襲われる。
キンモクセイの花期は短い。
オレンジ色の小さな花が秋の本番を知らせて回るように町中を駆けめぐっては、あっという間にどこかへ行ってしまう。
ようやくたどり着いたわくわくする秋が、味わう間もなくこぼれ落ちていくのを拾い集めようとしては果たせず、私はそわそわと浮き足立つことになるのだ。
秋色の多様さ、秋祭りのにぎやかさ、
秋の微光のやわらかさ、
かすかにけむるような
秋の空気はひたすら穏やかだ。
他の季節にもまして、秋は折々の名残を惜しむ衝動が大きく、
キンモクセイの花は秋の初めの転換点だ。
にぎやかな行事が終わって、空気が秋本来の落ち着きを取り戻すと、
秋はいよいよ深く静かに更けていく...。
*
本格的な秋の到来を告げる小さな花のお客をお迎えした
秋の晩には桂花酒で一杯。
キンモクセイの花を白ワインに漬け込んだ桂花酒は楊貴妃も
愛飲したと伝えられる華やいだ香りの酒だ。
これは甘いので食後酒が良い。
夕時の影踏み
暑さも一進一退をしながら中秋へと向うこの時期、
まだまだ夏を引きずった気分で油断して出かけていると
たちまちあたりが暮れ色を帯びてくるその早さに驚くことがある。
こうした秋の夕暮れ時というのは、地面に長く伸びた影が
帰り道を長く遠く錯覚させる不思議な時間帯だ。
まだ着かない家を思い、急に歩きつかれてべそをかいた子供のころの
心細い記憶がそこここに見え隠れしている。
かつては誰もが知っていた当たり前のことだが、
実は秋の夕暮れには魔物が潜んでいるのだ。
夕暮れの魔物が子供を夕闇にひきとめ家に帰すまいと魔力を放つと、
子供たちには、疲れと心細さと闇に引き込まれる不安が
ひたひたと迫ってくる。
それでも夕暮れの魔法を打ち払う方法はちゃんとあって
子供たちならみんなそれを知っている。
今日も足を引きずりため息をつく大人の前を、
子供たちが影踏みをしながら歓声をあげて駆けていった。
*****
仕事や生活に追われ多忙や煩わしさを引きずって、ただ歩くのも
もどかしい私たち大人は
いつのまにか帰り道に影踏みや石蹴りをしなくなって
暗がりと不安に取り込まれていたのかもしれないとふと思った。
でも、無心に軽やかに駆けていく子供たちの姿を見ると、
人が大人の時代の役割として暗がりや煩憂と戦うのもまた
意味のあることかもしれないとも思えてくる。






