酒とホラの日々。 -49ページ目

ふうせんかずら


風船蔓


緑のつるに白粉のような小さな花と大きな実。
風に揺れる風船のような実は
秋になると褐色にかわり、中から丸くて硬い種が
出てきます。


ふうせんかすらの実
ご覧のとおり、種はこげ茶色に白いハート型の模様が目を引き

種だけでも鑑賞できるくらいですね。

夏には涼しげな風情
秋には確かな実りの手ごたえ。


半日陰で充分に育つので、わが家では北庭から窓辺に這わせていますが
夏から秋の窓辺を彩るに欠かせない植物となっております。

(もっとも大きな栽培理由は、植えっぱなしのほったらかしで

済むから、、、ですけどね。


次から次へと植物に手を出して園芸作業に振り回されている人が

世の中には意外に多いと聞きましたが、

以前私もガーデニングにのめりこんで多大な時間と手間を投入して

へとへとになったことがあるので、この点は重要です(^^)


ふうせんかづら

或る自殺志願者の告白


実は高校のころ、一度だけ全部お終いにしようとしたことがある。そう、人生の全部をだ。


名門の進学校に進んだものの、学校にもなじめずその先の目標を見失って成績は最低、優等生の凋落に周りの失望と手のひらを返したようなあざけりにすべてどうでもいいように思えてしまったのだ。別に勉強が好きなわけではない、各地の優等生が集まる名門校でまた優等生でいられるかどうかなど誰にも分からないし、どれほどの意味があるのか分からなかったが、成績の序列だけで人間性まで決め付けられるような雰囲気にとことん追い込まれてしまったのだった。

まだインターネットなど普及する前のことだから、自殺志願サイトのようなものをネットで簡単に探すというわけには行かなかったが、僕は場末の薬屋の裏の仕事のことを聞いて知っていた。
噂では薬屋で中年の女主人にある符牒を言って金を出す。すると店主は奥へ案内して

「向こうの世界」へ行く薬を処方をしてくれるというのだった。あちこち聞きまわって符牒は分かった。代金は3万円だった。

その日、学校をサボって街中を見納めに一日ブラブラしていよいよ夜になると、僕は薬屋へ行って客足が途切れたのを見計らってレジに進み、3万円を置いて言った。
「・・・遠くに行きたいのでいい薬が欲しい。」
女主人は眉一つ動かさず、どうぞ、とレジの後ろのドアを示して、二階の部屋に行くように言った。


通された二階の部屋は六畳くらいの和室に布団が敷いてあり、枕元にはあんどんのようなランプが灯っていて、僕はその横に座ってしばらく待った。
ずいぶん待ったと思ったころ、戸が開いて厚化粧のゾウアザラシのような女が入ってきた。
「あら、ずいぶん若いのね」
年なんかどうでもいいだろうと思ったが、これでいよいよ薬がもらえるのだ。


ところが女は僕に横になるようにいうと服を脱いでのしかかってきた! 
なんだこれは!、「ちょっと、違う、違う!」と抵抗するが女はお構いなしに抱きついてくる。
「あら、緊張してるの?ぜんぜんだめじゃない」
だめも何も「違う」のだし、こんな時に、しかも相手がゾウアザラシでは反応するはずもない。


「僕は、違うんだー」といって女を振りほどいたのだが、
女は「なんだ、フン、分かったからちょっと待ってな」と言って出て行くと、すぐに今度はゴリラのようなオヤジが入ってきて言った。

兄さん、間違えちまってすまなかったなー、

ま、すぐにやるから楽にしてくんな・・・」
ゴリラオヤジとの、そのあとのことは話したくない。

薬屋の案内する「向こうの世界」は僕の期待する向こうとは違っていたことだけは分かった。

ただ、入り口を垣間見た「向こうの世界」とはとんでもないところだった。多少つらくてもまだ「こっちの世界」のほうにしがみついているほうがましだと思った。ともかく逃げ出した僕は、こんなことが今生の最後ではたまらない、まだ死んでたまるかと、裸足で暗い道をひたすら駆けてきたのだった。



人間をタダ同然に安くこき使う方法

金曜の夕方、オンライン書店BK1から携帯にメールが転送されて来たので見ると、なんと、

 「お前の書いた走り書きが今週のオススメ書評に選ばれたから
 
書評ポータル (←リンク) に載せてやるのでポイントをやる」、 というものだった。


  (書評?はル=グウィンの

   ゲド戦記第四巻の「帰還」 (←その書評リンク) で、シリーズ中最も読み難く、

   評価も分かれると云われているがなんでそれかって? そりゃワタシがへそ曲がりだから)


書評にポイントがつくのも知らなかったし、
もともとワタシが本を読むと書き留めておく読書メモの断片を
映画見に行ったよしみで、気まぐれにUPしただけなので、
これは単純にラッキーである。


本当にこんなささやかなものでも、こういうことに接すると人というものは、
「おおお、そういうことなら、もっともっとUPしてやろうではないか、フフフフ・・・」
などと思ってしまう欲深なものだが、
ここでふとある話を思い出した。


話とは、

 ・・・蒸気機関を動力に使った工場システムはすでに二千年以上前の
 ギリシャ時代にアイデアとモデルがあったのだが、
 人類史では長らく奴隷をこき使ったほうがはるかに安上がりだったため、
 蒸気機関-産業革命の登場は十八世紀まで待たねばならなかった・・・
というものである。


さらにいうと、私たちの子供の頃の未来図では、

二十一世紀にもなると様々な労働やちょっとした知的な営為のほとんどが

人工知能とロボットに取って代わられるはずではなかったろうか。

それを阻害するのは、安価な人間労働力である、ともいえる。

 

ポイントや簿謝、何かの応募券といったもので人をタダ同然で使うことは、
現在広く行われているのは知っての通りで、

このアメブロの広告やアフィリエイトだって同様のことだ。

 
人工知能に雑誌記事や書評や絵を書かせたりする研究もあるが、
目先の利益を追う企業のコストには人間をタダ同然にコキ使う方がずっと良い。

そしてタダ同然のお礼で喜んでモノを書いたり広告をしたりしてくれる人が
世の中には溢れかえっているのだ。

 

その結果、モノ書きやら広告に携わる本来のプロは極小に抑えることが
可能になるのだろう。

  

安いサービスを提供するためのコスト削減はけっこうなのだけれど、
みんな欲に駆られて、タダ働きで貢献した挙句、

結局のところ、肥え太るのは一部企業だけなんてことにならないのかな、

などと瞬時に妄想に走ってしまった。




あ、でも、もらったポイントはちょびっとだけでも、わ、ワシのもんじゃ、

Thanks(v^-')★。



アイ・ラブ・ミュージアム・ショップ

いつだったか、ミュージアムショップみやげでもらった

プリン型のペーパー・ウエイト


何ゆえにプリン??


・・・それは


プリン

文鎮プリン

ブンチンプリン・・・だったのだと私は解釈しておりますが

真相は、はて。。。


こうして逆さにおくと、ほら、チン! ???


***


美術館の展覧会や博物館になど行くと、

一番面白いのがミュージアムショップだったりするのは

よくあることだ。


アーティストと関係者の独善のような芸術よりも
キッチュな「モノ」がより身近な日常のアクセントとなることもある。


もちろんキッチュなもの俗悪なものをアートと平等に受け入れるのは

私たちの鑑賞姿勢の問題でもあるけれど。

九月のテーマは物欲 



所有は少なく心は自由に、とかなんとか言いながら、
凡人の私は何かを所有しようとすることが、日常を漕いでいく動力になっていたり
することもまた確かです。

俗人には所有と自由のバランスをとるというのは難しいことですが、
たくさん持ちすぎることによってかえって不自由を招くというのなら、
モノだけでなく、溢れるゴミのような情報や、

私の夢といいながら誰かの作った「既製品の夢」、
販売品としての知識や希望だって、所有欲を駆り立てて
人を社会機能の一部におとしめ不自由に追い込むことに
かわりはありません。

徹底してモノや社会地位を持たなかったことでも知られる良寛
粗末な庵で、日常生活にこと欠く以上にほとんど物も持たず
寺にも関係を持たず、檀家もなく、説法すらしないのに
その人、人となりだけで人々を訓化し、親しまれ、敬われたことは
皆さんもご存知の通りです。

でも私がこれマネをして、持たず、縛られず、日々修行などと
いったところで、たちまち生活の骨格を失って
自堕落な浮浪者に転落し野垂れ死にするだけでしょう。

自分で自分を厳しく律することのできない凡愚の私は
モノやヨクによって生活の骨子を支えてもらっている面を
否定することはできません。

九月は私のささやかな日常を支え、彩り、また悩ませるモノゴトたちと恥を
晒して物欲所有欲との付き合いを展望してみたいと思います。

もちろん、たいしたことを書くつもりはありませんが。

晩夏の色



ピークの短い日本の夏色が最も濃く現れるのは
八月の午後である。
さらに午後も夕暮れ時に近づくにつれて
その色は深みを増していく。

八月も終わりともなると
傾いて、長く大気の層を濾されてくるうちに日は赤みを帯びて、
地にあるものすべてをクレヨンで塗りつぶしたような
濃い晩夏の色に染めていくのだ。

これは飽和点の高い夏の大気が抱え込んだ様々な物質やダストが、
他の季節と比べても特に光を赤く散らすためなのだが、
同時に、舞い上がった微粒子が人の活動の派生物でもあるとしたら
光を赤く晩夏の色に染めるのは、夏の思い出のカケラだともいえる。

濃くなりきった緑の木立、
勢いの失せた草、地面の蝉
赤く染まった電柱の影、
日焼けした友達の顔、・・・

熟した色に浮かび上がる光景には、
夏に一杯浸った満腹感と、ちょっぴりさびしさとが同居している。


悪夢散布器       (ホラーファイル№012)


常に不安に突き動かされている人々に、ちょっとしたきっかけを与えて

一斉行動を誘うことは簡単なものだ。

だから、人々に充分な食事がいきわたるようになったら、

支配者は絶え間ない不安と焦燥の種を用意してやらねばならない。


                             A.ヒトラー



怪しい灰色の車が時たま走り回っているのを見かけることはありませんか?

人間の神経系に作用する不安物質を放散する特殊車なのですが、

抑うつ、怒り、不眠、無気力、焦燥感などをを招く薬剤を定期的に

日本中に散布しているのだそうです。


こうして人々が連帯して、為政者に異議申し立てをしたりすることは

避けられているというのですが。。。


・・・このところずっとイライラして酒量が増えて金遣いも荒いと思ったら、

そんな国家的陰謀のせいだったのですね、

私は悪くなかったんじゃないか---!!


着信アリ ファイナル    (ホラーファイル№011)



閉店後の居酒屋で、ヒトケのない一角から携帯の着信音が響いた。


どうせ酔客が携帯を忘れて行ったのだろうと、後片付け中の従業員が音のしたあたりをを調べてみると、店の隅のつい立の陰で、両手両足を縛られた男が白目を剥いてうめき声をあげていた

悲鳴があがり、警察を呼ぼうと騒ぎ出した従業員を、店長はひとまず制して男をよく眺めてみた。開店前には何もなかったはずだし、営業中も特に事件性のあるような不審なことはなかったからだ。

男を縛った紐や衣服を解いて聞けるものなら事情を聞いてみようとしたのだが、そこへ不意に、男の集団がなだれ込んで来た。
閉店後のドアから断りもなく部外者が押し入ってくるとはただ事ではない。

店長とにらみ合った男たちの中で特に人相の悪い体の太い短髪で色眼鏡をかけた男が言った。
「ああっ、先輩!」

情けない声だった。

実はこの男たちはこの店で閉店間際まで飲んでいた客だった。
全員学生時代のサークルの仲間で、青年の部Bになっても年に一度集まって飲み歩くことがあるのだが、この日は何年も顔を見せることのなかった、当時の代表がやってきた。
元代表は温厚な人柄で当時からメンバーに慕われること篤かったので久々の対面で会合は大いに盛り上がったのだった。

ところが元代表が途中で、今日は早めに帰ると言ったところ、再開のうれしさと先輩への親しみと甘えのあまり、元代表を帰してなるものか、と学生の時分のノリで先輩を適当に衣服で縛ってしまったのだが、このときは皆泥酔状態に近く、縛られた元代表はそのまま寝入ってしまい、皆も千鳥足で店を出てから元代表がいないことに気がついたというわけなのだった。

なお、白目を剥いてうめいていたというのも、元代表は薄目を開けて寝るのと、歯軋りをする癖があっただけのことだったのだが、店員が間違えたのもあの状況ではやむを得まい。

学生のときの仲間が集う会合は、幾つになってもつい分別を失い学生の時分まで気分が退行してしまうので注意が必要だ。


なお、私は一足先に三次会の会場で飲んでいたので詳細な事の顛末や、もう二度とあの居酒屋へいけなくなったという大恥地獄の現場を知らない。 学生ノリのおふざけはこれでファイナルとしたい。。。



センチメンタル強盗 


八月最後の日曜日、都内に住む自称芸術家の男が迷惑条例違反で捕まりました。
男は都内の路上で浴衣を着た女性に突然抱きついたところを、駆けつけた
警察官に取り押さえられたもので、近隣では同様の抱きつき魔による被害が
頻発していたため、この日も警察が警戒にあたっていました。

男は調べに対し、
 「もう夏が終わってしまうのに耐えられらなかった。
 浴衣や夏服の女性が、去り行く夏を惜しんでセンチメンタルな
 気分で一杯になっているのが見て取れたので、
 同じ感傷に耐える人たちを、君も一人じゃないんだと励ましたかった。」
などと供述しているそうです。

被害にあった女性たちの談話
 「夏の最後の思い出に浴衣着て友人たちと川原へ花火に出かける途中だったんだけど、
 突然毛むくじゃらの汗臭い男に抱きつかれて、夏を惜しむ気分も吹っ飛んで
 しまった。さっさと家に帰ってシャワーを浴びたい」
 「ひと夏の思い出の最終仕上げに、感傷的な気分に浸りきったところで
 彼を押し倒そうと思っていたのに、せっかくの気分が台無しだ」
などと口々に、夏の終わりの切ない気分が失せてしまったのを
どうしてくれるとしきりに訴えておりました。

なお、これに対し男は
 「心ならずも女性たちの感傷的な気分を奪ってしまったとしたら申し訳ない。
 私からひとりずつロマンチックな気分を返して差し上げたいので
 ぜひ、私と付き合って欲しい」
などと勝手なことを話している様子で、
当局は今後の取調べは税金の無駄と判断、薬殺駆除を検討している模様です。


・・・あの夏の日は帰らない。
感傷的な気分もまた。  さらば夏の日、また来年。




             (夏も終わりかけの気配漂う八月最後の日曜日)

ちょっと目を放したすきに・・・


先日、都内の公園のベンチで男性がひとりで死亡しているのが見つかりました。
男性は都内に住む会社員Aさん35歳で、
長時間炎天下にいた上に、空腹に耐えかねてタバコの吸殻を
誤飲したために、熱中症と飲み込んだタバコの中毒症で死亡したと見られ、
警察では司法解剖を行って詳しい死因を調べています。

男性が亡くなる前に一緒にいた5歳の長男は、
「ちょっと遊んでくるからお父さんここで待ってて」と言って
父親にタバコを持たせたまま公園のベンチに放置したとみられ、
こちらもあわせて警察で詳しい事情を聞いてます。

この5歳の長男に対しては、すでに各方面から、
  「大人を夏の日向に何時間も放置したら
  どうなるのかわからなかったのか?」、

  「大人の手の届くところにタバコなどをおいたらどうなるか
  考えもしなかったのか?」

あるいは
  「大人の安全は誰かが守ってくれるという、甘えがあったのではないか?」
などと厳しい非難が相次いでいます。

これに対して長男は弁護士を通じて、
 「熱中症は、日のあたるところにベンチを作った都の公園管理課が悪いのだし、
 食中毒は、食ったら毒性のあるタバコを販売したタバコ会社の責任なので、
 都とタバコ会社を提訴したい」
というコメントを発表しました。

いずれにしても死亡した大人に対する長男の監督責任が問われるのは
避けられないものと見られていますが、
金儲け以外は誰かに依存した行動・思考しかできない大人
不慮の事故から守るのは想像力に富む子供の責任であることは言うまでもありません。

もっとも、想像力というものは子供から大人に近づくにつれ
減少する(させられる)ものなので、
人を死に至らしめるほどの「想像力の欠如」の状態には
いったい何歳で至るのか、
果たして5歳の長男には責任を問えるだけの想像力がまだあったのか、
当局は慎重に調査を進めています。