魍魎のはらわた
去年私の往訪したA国では「脳死は一般的な人の死」という国民的な合意があって、国内的には移植臓器の供給に大きな不足はありません。
臓器の提供を決めるのは本人ではなく、残された「家族の同意」なのですから、意思決定のプロセスを余計な感情論に左右されることなく、ポイントは勘定論だけ、と非常に明快です。
「・・心臓? いくら出す?」
一応表向きは当事者間で臓器は売買できませんが、グズる家族に対して提供を促すのも、患者側が臓器ドナーへの感謝の気持ちをどう表すのかも、ちゃんと病院が仲介してくれます。
私がおじゃました○○家では、半年前に脳死判定されたご主人がまだ日本でいうところの生命維持装置につながれて保存されておりました。奥さんが言うには、大きな事故や災害があると臓器相場が急上昇するので、提供するタイミングを見計らっているのだそうです。
「亭主の生命維持装置がはずれたら、私、世界一周旅行に行くのが夢なの」
脳死と臓器提供法案ができて以来、町中からホームレスがいなくなったり(入籍や養子縁組できた)、貧困家庭の中にはなぜか急に裕福になった家があったりしているのですが、マスコミから流れるのは「社会的な好循環現象」としての報道だけです。
もちろんこうした風潮に批判もあります。しかし臓器提供法案への批判の大部分は、「何で自分の体を提供した本人がいい思いできないのか?」と言う点に集中しています。意思表示ができなくなったというだけで、他人の臓器を切り売りするくせに、自分の体の始末を自分で決めて何が悪い?という議論は、家族とはいえ他人が体を切り売りする現行臓器提供法より確かにずっと健全です。
つまり、現行の臓器提供法をもう一段進めて存命中の本人の意思で何でも必要な臓器を供給できるようにするのがA国における今の臓器提供論議なのです。
すでに法案の成立を見越して、市中では「人生リバース・モーゲージ」という企業も営業活動を開始しています。これはつまり、将来の臓器提供の確約に対する対価の割引給付です。
例えば、自分の臓器の提供日が3年後と決まったら、契約日から提供実施日までの3年間は提供臓器に応じて生活費が支給されるようなものです。3年目の実施日には契約した臓器を提供しなくてはなりません。
事前支給の分、本来の対価を一定額割り引かれてしまうことや、対象臓器の多寡によっては普通の生活に支障もきたす不安もあるでしょうが、契約金の前渡しが魅力です。
今日も臓器仲介業者が営業にまわっています。
「そんな貧乏暮らしさっさとやめて、目ン玉売って、腎臓売って、肝臓売って、きれいなベベ着てうまいもん食って暮らしたらエエ。何も怖いことなんかないんじゃ。ちょっと目えつぶってるうちにすーぐ終わってるって、なあ。」
----金持ちに 臓器を売って借金返済、あとはわらってハイさようなら。
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この記事は去年upした『脳死 臓器提供先進国の健全な議論に学ぶ』を
ほとんどそのまま再録したものです。もちろんテーマカテゴリの通り「ホラ」で
登場人物や団体、事件はすべて架空のものですというか架空だったらいいかな、
きっと架空ですよね?