木更津市にある”きみさらずタワー”。塔の先端にいるのはヤマトタケルとオトタチバナヒメです。
君さらず 袖しが浦に 立つ波の
その面影を みるぞ悲しき
ヤマトタケルがオトタチバナヒメを偲んで歌った”君さらず”が、”木更津”由来になったといいます。
自分のブログを”オトタチバナヒメ”で検索したら、千葉県内で13記事出てきました。ヤマトタケルも含めるともっと書いてますね~。
ちょこっとリンク張っておきますね。
まだ行っていない所もあるので、まだまだ増える予定です。
ここに来たのは、 ”木更津市郷土博物館金のすず”で開催されている「流山新市街地地区の遺跡展~大地より出でし先人の足跡~」を見るためです。
千葉県教育振興財団が出土遺物公開事業として、毎年3カ所の博物館を巡回展示しています。
流山新市街地地区は、つくばエクスプレスと東武アーバンパークライン「流山おおたかの森駅」を中心に約275ヘクタールの規模で計画された土地区画整理事業です。
駅名の由来となったオオタカの営巣地である「市野谷の森」付近を中心に17遺跡が所在します。
当財団では、平成9年度から平成30年度にかけて発掘調査を行ってきました。
今回はその調査成果として、各時代を代表する考古資料を公開します。
流山市街地地区から出土した縄文土器
旧石器時代から近世まで展示があります(弥生時代は無し)が、いつもの通り縄文と古墳時代をメインに見学しました。
集落の変遷
黒浜式(前期中葉・西初石5丁目遺跡)
加曽利EⅣ式(市野谷向山遺跡・中期後葉~末葉)
底部を抜いた加曽利EⅣ式が斜位に埋没した炉が見つかっている
堀之内1式(市野谷向山遺跡・後期前葉)
姥山Ⅲ式(市野谷向山遺跡・晩期前葉)
有撮石器(大久保遺跡)
撮みつきの諸刃石匙
縄文前期後葉の山形県押出遺跡で大量に出土している
春香200kmを超えて大久保遺跡にもたらされたと考えられる
有撮石器(上ノ山遺跡)
古墳時代前期
遠隔地との交流
古墳時代前期は、全国的に地域間交流が活発な時期です。流山新市街地地区もその流れの中にあり、北陸や近江、畿内、尾張、伊勢湾、三河、遠江、駿河といった遠隔地からもたらされたかあるいは影響を受けた外来系土器が多く出土しています。
外来系土器の器種は甕・壺・高杯・器台にとどまらず、装飾器台や手焙形土器など祭祀に使用されるような特殊な遺物まで広範囲に及んでいます。
このことは、日常使いの土器のみならず、祭祀も受け入れていたことを意味します。
布留式(畿内系)
大廓式(駿河系)
北陸系
古墳時代中期
古墳時代の展示はまだ続きます・・・