吾妻神社の杜が見えます。たんぼに囲まれて、こんもりと目立ちますね。
今回の神社も田んぼに囲まれています。吾妻神社から歩いていきました。
ホトケノザ
天神社の杜
裏の方から入っていきました。
社はありません。石が建っているだけです。「元〇 天神」と書かれています。
横の石には「南無天満大自在天神宮」と書かれています。
「天満大自在天」は菅原道真のこと。神仏習合で、仏教の「大自在天」と同一とされました。
狛犬
摩耗して顔がよくわかりません。
下へ下りてみました。きっと昔は社が建っていたんでしょうね。
野良着姿のおじさんがやってきました。なにかこの神社のことを知っているんじゃないかと、声をかけてみました。
「昔は鳥居もあったんだよ。寂れていくのが忍びなくてね。落ち葉掃いたり、草刈ったりしてるよ」
このおじさん、退職してからずっとこの神社のお掃除をしているんですって!この日も枯れ葉一つありませんでした。
「館山道が見えるだろ。前にあの辺で発掘調査をしていたよ。芝野遺跡っていうんだけど・・・」
お、おじさん!!!あなたの口から「遺跡」の言葉が出てくるなんて!しかも「芝野遺跡」って、名前まで!!
地元の方って、そういうの興味ない人が多くて。「○○古墳はどこですか?」と聞いても、「こふんがあるの?」って逆に聞き返されちゃうこともあります。
芝野遺跡
約1900年前の弥生時代後期の水田跡
大小さまざまな区画の水田が地形に合わせて扇形に広がり、畦道や水路、水ぜめなどが見つかった。
水田のそばには、壺や瓶など当時の生活用具が1列に並んで出土。 豊作を祈る祭祀用具?
周辺にも水田が広がっており、すでに弥生時代のこの地域では水田耕作を行っていた。
東京湾に面していることから、、西方の稲作文化をいち早く取り入れたと思われる。
菅生遺跡は、ここから小櫃川下流約3kmのところにあります。
「この辺りは郡本といって、昔の役所があって・・・」おじさんは色々とお話をしてくれました。字なんかは知らないことだらけで、面白かったです。
でもね、おじさん知らないでしょ?ここは「郡本天神古墳」なんだよ。円墳なんだって。私もこの記事を書くまで知らなかったんだけどね(笑)