木更津八劔八幡神社 | 古墳んぽ~古墳と野の草を観察しながら散歩

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八劔八幡神社

 

 

 

 

 

 

祖神社

 

屋船久久能知神 

屋船豊受姫神
手置帆負神

彦狭知神

 

 

 

 

 

三社神社

 

三峰之大神

御嶽之大神

稲荷之大神

 

 

 

 

御神水

 

昔、神社の境内に「上総堀」で掘られた井戸がありました。

しかし、近年周辺の開発により残念ながら昔の井戸は、枯れてしまいました。


新たに同じ水脈から井戸を掘り、地下110mから汲み上げているのが、現在の「御神水」です。

 

 

 

 

拝殿

 

 

誉田別命   (應神天皇)
息長足姫命   (神功皇后)
足仲彦命   (仲哀天皇)
素盞嗚命    
日本武尊

 

 

 

狛犬

 

 

 

 

狛犬

 

 

 

 

狛犬

 

 

 

 

狛犬

 

 

 

 

 

本殿

 

 

当社の社伝によると往昔このあたり一帯の地を八剱の里と呼び、この里の神を八剱の神と称え、この神に仕えるはふりを八剱と申した。

人皇第12代景行天皇の40年、日本武尊御東征の折り、相模国(神奈川県)より此の地に渡らんとするとき、浦賀沖で暴風雨に遭遇し御船が転覆寸前となった。

 

そのとき妃橘姫が、「これ尊の相模の地より此の海を望み給ひて、これ小海なり、立跳りにも渡りつべし、とあさみ給ひしに依りて渡津海の神の怒り給ふなり」と海の神の怒りを静めようとして、尊の身代わりとなって御入水あそばれた。

 

そのことにより、尊は無事に此の地にお着きになりましたが、姫の死を悼んでしばらく当社にご滞留になり、此の地を去ることをなさらなかったので、「君去らず」と呼ぶようになり、なまって現在の「木更津」になったと伝えられる。



源頼朝鎌倉幕府開幕に当たり、神領を寄進して社殿を造営する。

~以下 略 ~

 

 

 

 

 

 

 

狛犬

 

 

 

 

 

 

狛犬

 

 

 

 

 

 

 

頼朝お手植えのソテツ

 

源頼朝は1180年安房国平北郡猟島(現在の鋸南町)に渡り、房総で兵を募った。

ここ木更津を通過の折り、八剣八幡神社に戦勝祈願に訪れその後、神領を奉納したと伝えられる。



頼朝は森家の前で休憩し北上する際に、御礼として蘇鉄を植えたと言われてる。

 

そのソテツを森家から譲り受けた当時の木更津銀行頭取が、大正15年に奉納した。


 

 

 

神輿殿

 

 

 

 

参集殿

 

 

 

 

 

 

鬼瓦をよく見ると・・・

 

 

 

 

鬼ではなく、ヤマトタケルとオトタチバナヒメでした!!

 

 

 

 

 

大和橘も植えられていますね。