チエでつながる, ワザでつながる、ココロでつながる、価値を生みだす           ~ 物語思考が世界をかえる -3ページ目

チエでつながる, ワザでつながる、ココロでつながる、価値を生みだす           ~ 物語思考が世界をかえる

この世に生まれて間もなく、人は「ものがたり」と出会い、そこで広い世界とのつながりを作ります。このblogでは、「ものがたり」と共にある人の可能性を探求していきます。

 

 

e-ラーニング型の研修を始めるべく準備を進めています。

 

動画を使ったオンデマンド型の研修なので、

ずっと縁が無かったのですが、

あえて、この領域に入っていくことにしました。

 

3つ、動機があります。

 

1つ目は、コンテンツを徹底して「個人」向けに出来ること。

さらに言えば、1時間、2時間、4時間半、等、

時間の枠も自由に決められることです。

 

一般に研修は企業の人事部に買って頂く、

特に私の場合は、8割以上研修会社を通して買って頂いているので、

当然ながら企業側のニーズや要望に適った内容とならざるをえません。

 

e-ラーニングであれば、これを完全な「個人」向けとして

公開していくことが可能であり、会社のニーズとか

人事部の要望等も特に意識しないで作っていくことが可能です。

時間が自由であれば、テーマに応じて自由に尺も決められます。

 

「個人」に向けての研修は、元々強い関心があり、

以前“仕事知セミナー”という形で

私的な場を開いていたことがありました。(2015-2017頃)

 

このセミナーは楽しく充実した場ではあったのですが、

集客を含めて運営が中々大変で、一旦休止したままとなっています。

(また復活したいとは、思っています)

 

2つ目は、ユーザーと直接つながりが出来ることです。

 

オンデマンド型なので、コンテンツの配信自体は一方通行ですが、

添削や質問対応などでユーザーと直接やり取りする場は確保されており、

その点では(特に研修会社経由の)企業向け研修よりはるかに、

ユーザーとの自由なコミュニケーションが可能です。

 

そして3つ目は、自分自身の学習チャレンジです。

 

場を共有してのリアルなやり取りや、

瞬間瞬間の気づきが魅力の対面型研修と違って、

e-ラーニングは“伝える“部分に重心があって、

その分“伝え方”の工夫が重要になってきます。

 

今日の動画、とりわけAIの援用を含めた画像処理のインパクトは

“伝え方”の可能性を画期的に変えてきており、

この流れにCatch-upしていきたい、との思いがあります。

 

そしてその流れは、

研修という場の概念を、今後大きく変えていく予感がしています。

 

研修をメシの種とするものとして、というのもありますが、

 

曲がりなりにもコミュニケーションを専門に学んだ者として、

今起きつつある大きな変化を、

自分の“発信”を通じて実感していきたい、と思っています。

 

という訳で、現在動画編集とかAIイメージ生成とか勉強中です。

楽しいけれど、中々大変です。

 

 

昨日は『ものがたり手帳』の発刊に向けた、

梅本龍夫さん(立教大学客員教授)と

大熊玄さん(立教大学教授)の

ウェビナー対話の会に参加しました。

 

梅本さんはスターバクスジャパン立ち上げ時の

日本側総責任者で、

当時のエピソードなどを「日本スターバクス物語」

という著書にまとめられています。

 

その後は「物語マトリクス理論」というフレームを

自ら考案され、それを使って組織開発や

企業研修などを実践されています。

 

私が梅本さんとご一緒したのは、立教で教えていた

2015-2020の間でしたが、

実はそこで同氏の物語論に出会い、

物語の持つ「力」に大きな可能性を感じて、

自分の研修やワークショップに積極的に物語を

とり入れる様になったのでした。

 

ホープワーク協会で普及を進めている

『未来への道を灯すワークショップ』も

同氏の物語マトリクスからヒントを頂いたものです。

 

といった経緯があったので、

『ものがたり手帳』のお話は、聞いた時から

胸が高鳴るような感覚を持って、楽しみにしていたのでした。

 

昨日の解説を自分なりに解釈したところでは、

自分の体験を“物語的視点”で日々振り返っていくことで、

様々な(普段見落としがちな)事柄のつながりが見えてきて、

 

その結果、思考の幅が広がったり、本質を洞察出来たリ、

仕事の質を高めていけたりする。

 

そして何より、人生自体を充実させることが出来る、と

そんな期待が持てるツールになってくる様です。

 

“なってくるようです”と、ここに書いたのは実は、

現時点で手帳の構想は出来ているものの、

開発資金が不足していて、出版の目途はたっていない由。

 

そこで昨日立ち上げたのが、

この開発資金集めのクラファンで、ウェビナー対話は

クラファン立ち上げのお知らせの意味合いを帯びたもの、

ということの様でした。

 

私も早速、一口乗せて頂きましたが、

ご興味があれば、関連のサイト

https://camp-fire.jp/projects/842714/view?utm_campaign=842714&utm_medium=stepmail&utm_source=patron

に詳細があるので、是非一度チェックしてみてください。

(手帳のサンプル写真が入っていて、内容の一部を見ることが出来ます。)

 

個人的には大いに興味があり、

とても可能性を秘めているプロジェクトだと思うので、

是非、実現してもらいたいと思っております。

 

ご興味を持たれた方は、応援に加わって頂ければ嬉しいです。

 

 

 

 

 

ライフ・トランジッション・インタビュー二回目は、跡見学園女子大、等で教鞭をとる一方、日本でコオウンド・ビジネスの普及を進めている細川あつしさん。元々は、誰もが知る有名ブランドをいくつも立ち上げた強面のビジネスマンだったそうですが、40を過ぎたあたりに転機が訪れ、長いスランプを経て今に至ったというお話。その間にどんな物語があったのか、じっくり聞かせて頂きました。

 

■いまのお仕事について教えてください。

 

4足の草鞋と答えています。2足が2大学での教育研究分野。あとの2足が実業。非営利組織(社団法人)と会社とで、コンサルティングの仕事をしています。 仕事の説明は場に応じて変わります。

 

コーオウンド・ビジネス(社員が自分たちの会社の重要な株主になるビジネス・モデル)とエシカル・ビジネス(社会課題解決と事業性のバランスをとるビジネス・モデル)が専門ですが、授業はその領域に加えてマーケティング、起業論、ソーシャルビジネス、コーポレートガバナンスなど、経営学全般を教えています。

 

■前のお仕事からのトランジッションはどんな風に進んだのですか?

 

前職ではラグジュアリーブランドのプロデュースや統括をしていました。新しくブランドを海外から引っ張ってきたり、再生させたり。’80年代後半~2000年代前半の頃は深夜まで働いて、帰ってシャワーを浴びてすぐまた出ていく、といった生活でした。当時は怖い顔していたんです。その頃の自分は“正義”を振りかざしていたんですね。米欧の交渉相手に対して国を守るとか組織を守るっていう。今思えば“正義”ほどタチの悪いものはない。

 

ところが40代前半に、いきなりスランプに陥ってしまいました。燃え尽きてしまった。当時のニュースで“援交”をやっている女の子が「そのお金で何を買う?」と聞かれて「シャネルを買う」と答えていた。自分が必死にやってきたことは人の欲望を煽っただけだった。絶望しました。それまで戦う男だったから、刀が折れた途端にぼろぼろになった。

 

周りからは変に思われていたと思います。半年で10キロ痩せました。そんな自分を見て、手のひらを返す人がいる一方、じっと話を聴いてくれる人もいました。落ち込んでいる自分を見て、「男は65-75歳が一番いい仕事が出来る。気力、体力、知力、人脈とも最高潮に達する」と言ってくれた人がいた。「だったら俺、まだ人生の小5じゃないか」と、一筋の光が刺した気がしたものです。

 

メンターから「親父の話を聞け」というアドバイスも受けた。そんなの嫌ですよ、と断ったのだけれど、しつこく言われたので根負けして実家に行き、話を聞いたんです。緊張したけど「高校時代ってどうだった?」と訊いたら、親父からドドーっと色んな話が出てきた。いろんなものが解けた感じで、随分救われました。

 

75まで働くにしても、ブランド・ビジネスはやりたくない、やっぱり人の役に立つ仕事をしたいなあと漠然と考えていたんですが、そこに、超大型ブランドのNo.2にならないか、という話が入ってきました。話がトントン拍子に進んで、あわや行きそうなところまでなった。ですがそこで唐突に恐怖感に襲われた。説明しようもない、どうしょうもない恐怖感。哲学者の内山節先生に拠れば“魂が拒否していた”らしいですが、それで結局そのNo.2の話は断りました。

 

一方前後して、あるブランドを再上陸させるシナリオを書いてくれないか、と頼まれて、適当に作って投げ返したら、これが惚れられちゃって、結局(再上陸の為の)合弁会社を立ち上げて、そこの社長にさせられちゃった。シナリオを書いた立場なので逃げるに逃げられない。ああ、これでこの仕事から足を洗うのが10年遅れたなあ、とその時は思いました。結局8年で卒業は出来たのですけれど。

 

その社長業を始める前、まだスランプどん底の頃、カトリックの神父さんから2冊の本を勧められたんです。一つがニール・ドナルド・ウオルシュの「神との対話」、もう一つがエリザベス・キュブラー・ロスの「死ぬ瞬間」。それまでの経済一辺倒と変わって、人生とは…、といった内容。それから「エンデの遺言」にも出会った。時間と貨幣が人間をダメにした、という話ですが、凄く感動して、その辺りから“人の役に立つ仕事したい”という発想になってきたんだと思います。

 

同じころ、ある友人からは「素手でトイレ掃除」っていうのも勧められました。ええーー、そりゃあ無理ですよ、って。で、たわしで半年くらいやっていたのだけれど、ある日ポチャッと手を入れてみたんです。それからは一日も欠かさず毎日続けています。不思議なもので、素手で掃除していると何故か感謝の念が湧いてくるんです。そして運も向いてきた。これはデカかったですね。

 

その辺りから人との付き合いがガラッと変わりました。ある晩に閃いて、世間に良いことする団体を作ろうと『よいコトnet』という団体を立ち上げ、そこで自己啓発系のセミナーをやったら、結構広がったんですね。そんな関係で知り合った友人から勧められて、立教大学21世紀社会デザイン研究科に進学し、修士学位、博士学位をいただきました。

 

立教での学びの最中に合弁の社長を辞めました。この時は経営コンサルタントをやろうというだけで、何の計画もあても無いままにとりあえず会社を作っちゃった。なのになんだか夢いっぱい。 一つだけ決めていたことは、今までの人脈は一切使わない、ということ。だってそれまでの人脈を使えば欲望ビジネスに戻っちゃう。前職で得た経営の知識もあったので、ソーシャルビジネスの経営コンサルタントが出来ればいいなあ、とは思っていたけど、徒手空拳でした。

 

そんな時、妻と娘二人が手紙をくれて、娘たちはまだ学校に行っていたんだけど、パパを見ていると夢いっぱい、ニコニコで私も嬉しくなりました…、みたいなことを書いてくれて、これは、本当にうれしくて泣いちゃいましたね。

 

もう一つ大きな出来事は東日本大震災です。国際赤十字のボランティア経験を通じて『初めてのボランティアセミナー』を始めた。更に南三陸のおばちゃんコミュニティーの支援も行っていく中で、営利も非営利も関係ない、そういう発想が出来る様にならせてもらえたし、生活スタイルもそうなってきたんです。

 

■以前とは随分違った動きをしたということですね

 

体がそう動いた。やっぱり体が言っているのが一番正しいんです。これはスランプのおかげ。人間関係も全然違うものになった。

 

コオウンド・ビジネスも、たまたまコンサルをやっていた顧客から、従業員が自分で発案して動いてくれる様な「みんなの会社」にしたい、という話があった。で、イギリスの「ジョンルイス」という会社は社員がオーナーなんだという事は知っていた。はじめはそれをちょっと参考にしようか、くらいに思っていたのが、調べていくとメチャメチャ深い。それで米英に出かけて、コーオウンドの会社に“話を聞かせてください”って。それがまた、いきなり社長が出てきてくれて、色々と教えてくれる。他に行っても、コーオウンドの会社って暖かい会社ばかりですっかり惚れこんじゃったんです。きっかけは軽いノリだけど、それでこんなものを掘り当てちゃった。

 

■これから人生の新たな方向を開拓したい、と思っている方にアドバイスがあれば。

 

どん詰まりに来ちゃった人には、夜明け頃の散歩がお勧めです。フィトンチッドが大量に出る時間帯なので心身ともに癒されます。たとえ5分の散歩でもブレイクスルーの窓が開けられます。

 

あと僕は仕事の後、街を無作為に彷徨っていました。歩いてへとへとに疲れる。そしたら眠れるじゃないですか。眠れなくなったら歩き倒して、体を疲れさせる、というのは良かったと思います。

 

そして素手のトイレ掃除。そういう時は頭で考えてもダメで、体を動かすのが一番いいですね。特にどん底の人は体に何かいいことをする、ということに尽きると思います。

 

あと、ちょっと癒え始めたら、ありがとうを言いまくる。これも、考えずに兎に角言いまくる。それと、挨拶しまくる。それだけでいいんです。どん底の次のステップとしてお勧めです。

 

本との出会いも心と頭を転換してくれます。例の神父さんに勧められた本にも癒されたけど、彷徨って行きついた本屋で見つけたレオ・バスカリヤの本にも癒されました。本との出合いは人それぞれですから、でかい本屋に彷徨い入るっていうのもお勧めです。

 

更に、できればメンターを作る。メンターに甘える。メンターに恩返しは出来ないので、元気になったらメンティーを作って恩送りする。映画「ペイフォワード」はまさに恩送りをテーマにしています。お勧めです。

 

そのあとは、“頼まれごとは試されごと”。これは更に次の段階です。私が大学教員になったのは、この一言から。自分が“頼まれごとは…”と方々で言っていたら、授業をやる先生がいない、7科目やってくれ、と無茶苦茶を持ってこられた。エエッという感じだったけれども、ともあれ受けて、ガタガタだった授業を全部成立させちゃった。それで正教授になってくれ、という話になった。元々大学の先生なんて考えたことも無かったけれど、実際にやってみたら、これこそ恩送りの格好の場だと思いました。

 

■思いがけない形で、人生が方向づけられた。

 

コンサルタントをやっている自分が言うのも変ですが、ミッションとかパーパスとか、ああいうのはいかがなものか。西欧的だとどうしてもゴールを設定して、それに向かって行け、という直線の思考。それができない奴は脱落者。アジアはやっぱり違う。ただ、その場に居る、営みを続ける、という円環がいい。コーオウンドの発想は、労働者が資本家になって、その逆も起こる、社長は株主である従業員にお伺いを立てないといけない、そういう点で円環的な世界。僕はそっちの世界に住みたい。

 

 

 

インタビューを終えての所感

 

10年ほど前、ある場で細川さんの博士論文の発表を聞きました。従業員が大株主で会社のオーナーになっている、というユニークな会社経営の仕組み。労働者=資本家、という、資本主義なのか社会主義なのか、よく分らない。ですが、欧米には既に沢山の実践例があり、大部分が好業績を上げているそうなのです。そして更に、従業員の満足度が飛びぬけて高いらしい。細川さんは“コオウンドビジネス“と呼ばれるこの仕組みの日本における第一人者であり、それを推進するコンサルタントだけれど、基盤にある価値観とか、ものの考え方は目的志向とは程遠い、遠いどころか真逆に近い、という所が今回聞き取って分かってきた意外な発見でした。”何かいいことしたい“と、目前に現れた課題にエネルギーを注ぐうちに、次々に道が開けてきた。Steve Jobsの言う”Connecting the dots” にも通じる、運命の導きを感じた物語を聞かせて頂きました。

 

 

 

 

目的別「物語」メッセージの作り方。

4つ目です。

 

今回は“営業トーク“がテーマです。

商品やサービスの紹介にあたって、

性能やコストは敢えて焦点から外し、

創業者ストーリーを前面に出したアプローチの例です。

 

“正攻法”でない様に見えるかもしれませんが、

企業活動のパーパスへの注目度が高まっている昨今の

流れを鑑みると、今後はむしろ、

こうしたアプローチこそが

注目されるようになるのでは、と私には思えます。

 

今回も、

https://ameblo.jp/c-b-collaboration/entry-12848082621.html

の“五段展開”に切り分けられますが、

“いつ”、“どこで”、“どんなキャラクターの誰が”

を含む<Context>を、

レトリックの視点から分割した形になっています。

(以下では<Context1>,<Context2>としています。)

 

順に見ていきましょう。

 

(導入)

社会のバリアフリー化に取り組んでおられる貴社の取り組みの数々を、ホームページで拝見いたしました。実は是非ともご紹介したい人物がおり、今日はその人物の物語をお伝えすべくやってまいりました。

 

<Context1>

今から23年前、加藤というエンジニアの男が大阪の機械メーカーで働いておりました。

 

<Before>

彼は視覚障がい者だった自分の妹が就職差別にあったことをきっかけに、

 

<GONG>

会社を辞めて自ら機械加工の会社を興し、そこに妹や妹と同じ盲学校の卒業生らを雇って事業を進めていきました。事業は順調に拡大し、12年前にはアメリカの空調機メーカーを買収して、業務用機器の生産も手掛ける様になったのです。

 

<After>

現在岐阜にあるその会社の工場は、高い障がい者雇用率で厚労省からも表彰され、従業員の丁寧な仕事ぶりは、業界でも評判になっているものです。

 

<Context2>

工夫すれば個性が活かせる。皆で工夫すれば共に働く社会を創造できる。加藤が目指しているのは、まさにバリアフリーの職場です。

既にお気づきの通り、加藤は弊社の創業者であり、現在の会長です。そして今、貴社にご提案している店舗用の空調機器は、すべてこの岐阜工場にて製造されている機種です。

 

<Message>

先般カタログでご案内しましたが、この機種は消費電力が少ない、騒音も小さい等の特徴を持っております。とはいえ正直申せば、市場が飽和しているこの種の機種はどの製品も似たり寄ったりで、機能的に弊社が特別優れていると申し上げるつもりはありません。

 

従業員の丁寧な仕事ぶり、そこからくる安定した品質は、誰にも負けない自負がございます。そして貴社とは何より、ご一緒にバリアフリー社会を実現していくパートナー的関係でありたい、というのが、私たちの望んでいるものです。貴社向けの仕事と聞けば、工場の連中は大いに張り切っていい仕事をしてくれると思います。

貴社と一緒に未来を開いていきたい、という私たちの思い。受け止めて頂けたら嬉しいです。

 

Stp

 

四要素 https://ameblo.jp/c-b-collaboration/entry-12848660453.html

ですが、

 

①   このケースでは、創業者である「加藤」のキャラクターが、

とても重要になります。

“当社の創業者である加藤は…”と、オーソドックスに

始める手は勿論ありますが、ここでは

「貴社の取り組みとつながるある人物」という形でまず紹介し、

ストーリーを語った後に“種明かし”という演出を

入れています。

 

②   文中に「加藤」の感情を示す表現は無いのですが、

“妹が受けた就職差別がきっかけで起業”し、

 事業を拡大させた現在は、

“高い障がい者雇用率で厚労省からも表彰され…”という

展開の中に「加藤」の思いを滲ませています。

聞き手の共感を引き出すカギとなる部分です。

 

③   この事例は、営業マンがお客さんに向かって、

“一緒にやりましょう”と、迫る場面の描写であり、

その場の“語り手”の存在が、お客さんにとって

最重要の意味を持ちます。なので、最後の

“私たちの思い。受け止めて頂けたら嬉しい”と語る

局面の「語り手の姿、声」を焼きつけられるかどうか、

がキーです。

 

④   以下の様な本音で語る姿勢が、心理的な距離を縮めて

くれるものと思います。

“正直申せば、市場が飽和しているこの種の機種はどの

製品も似たり寄ったりで、機能的に弊社が特別優れて

いると申し上げるつもりはありません。

従業員の丁寧な仕事ぶり、そこからくる安定した品質は、

誰にも負けない自負がございます。“

 

働く意味が重視されてきている昨今、

企業のパーパスや理念、グローバルイシュー等が現実の

意思決定場面で重視される傾向は、高まっています。

 

差別化が難しい商品・サービスなどの選定の際に、

“誰から買うか”、“誰と組むか”が、重みを増してくる為、

自社や自分自身を印象付けるストーリーの

意義は膨らんできていると心得ておくべきでしょう。

 

創業者のストーリーをはじめとして、組織内にある

様々なストーリーは、企業の目に見えない資産であり、

外部と新しい関係を構築する上でも、

しばしば武器として機能しうるものです。

 

「物語」の持つ力を十二分に理解し、

社内、社外の様々な場面で“活用”できる力を養うことは、

今後益々、必要になってくると感じています。

 

 

今回は実践を経て得た教訓を部下や後輩に伝える

ケースの紹介です。

 

画期的な低燃費を実現したマツダのエンジンSKYACTIVE。 

その開発を主導した人見光夫氏の話は、

NHKプロジェクトXでも取り上げられました。

 

以下は同氏の著書、『答えは必ずある』からの引用です。

エンジニアである人見氏が、技術開発の現場実践を通じて

得た発見を語っている一節を引いて、事例化してみました。

 

書籍内に現れる文章も、

https://ameblo.jp/c-b-collaboration/entry-12848082621.html

の“五段展開”に切り分けてみることが出来ます。

 

ですが

同書の先行するパートで<Context>が共有されているので、

以下はBefore 以降の部分と、解釈頂くのがいいと思います。

 

引用した部分は、

高性能のエンジンを開発しようと奮闘する人見氏らが、

理論上解決困難なトルク問題に直面しているシーンです。

 

<Before>

ここで考えたのは、圧縮比を上げれば上げるほどどんどんトルクが下がるといっても、まさか反対に回るようにはならないだろう、どこかで止まるはずだ、その時のトルクはどの程度になるかやってみよう、ということだった。

そこで担当者を呼んで「圧縮比15でどれくらい性能が出るかテストしてみてくれ」と頼んだ。そんなことをしたら激しいノッキングが出て壊れると思ったのか、かなり不可解な顔をされたのを覚えている。

 

<GONG>

準備の時間がかかったが、テスト結果を見て想像したどおりであったことがわかった。それまで言われていた程にトルクは落ちていなかった。落ち方が少なかったのだ。これで、これを次世代の技術の中心に据えられるという手応えを得ることができた。うれしかった。一人でワクワクして家に帰り、とても美味しいビールを飲んだと記憶している。  

 

<After>

当時から一緒に仕事をしていたY氏たちが、その後トルクの低下が抑えられた要因を調べてくれて、点火前に低温酸化反応という本格的燃焼の前の予備反応のようなものが起きたことが理由だとわかった。 いずれにしてもトルクの低下率が低かったので、これはいけるなという感触を得た瞬間であり、そう何度も味わえない喜びを感じたものである。

 

<Message>

ここで圧縮比をこれまでどおり1づつあげるというやり方をしていたら、SKYACTIVは決して成功しなかっただろうと思う。1づつあげれば圧縮比13ぐらいまでは確実に大きくトルクが低下する。だから14や15と上げれば、もう手に負えないほど低下してしまうと容易に予想できるため誰もやろうとしなかったのだ。

そうではなく思い切って誰もやったことがないと思われる高圧縮比からテストしたからこそ発見できた現象だ。みんなと同じやり方で少しずつ変化させていたのでは、他人より早く新しい発見をすることはできない。誰もまた見ていない世界にいち早く踏み込むことである。大きく振ってみる―これは今も教訓として身についていることだ。

 

Stp

 

四要素 https://ameblo.jp/c-b-collaboration/entry-12848660453.html

ですが、

 

①   キャラクターはコンテキストと同様、先行部分で

語られており、上記には記述はありません。とはいえ、

エンジニアとして思案を巡らしている姿は、

“反対に回るようにはならないだろう、どこかで

止まるはずだ、その時のトルクはどの程度になるか

やってみよう“

の表現に現れています。

 

②   GONG前後の感情の動きは、

“激しいノッキングが出て壊れると思ったのか、かなり

不可解な顔をされたのを…“ の場面と、

“一人でワクワクして家に帰り、とても美味しいビールを…”

のコントラストに、よく表れていますね。

 

③   エンジニアらしい淡々とした記述ですが、

“言われていた程にトルクは落ちていなかった。落ち方が

少なかったのだ。これで、これを次世代の技術の中心に

据えられるという手応えを得ることができた。”

という記述には、壁を乗り越えた爽快感を感じます。

 

④   “担当者を呼んで「圧縮比15でどれくらい性能が出るか

テストしてみてくれ…激しいノッキングが出て壊れると

思ったのか、かなり不可解な顔をされたのを…“という

やり取りは、緊迫感の伴ったリアリティーが感じられます。

 

この「物語」のメッセージは勿論、末尾で述べられている、

“大きく振ってみよ”という「姿勢」、「考え方」です。

その考え方が単に概念として語られるのでなく、生身の人の

体験から語られるところに、強烈な説得力が出ている訳です。

 

実践から得た教訓や、実践内容そのものを部下や後輩に

“伝承”するケースは、当然ながら“聞き手”によって

語られる量や中身が変化します。 

このケースでも、実際の後輩エンジニアに向けたメッセージで

あれば、より詳細な段取りや作業手順が同時に語られても、

不思議はないでしょう。

 

 

実践的なアドバイスも、単にマニュアルや作業書で伝わるのと、

緊張や歓喜の伴う物語で伝えられるのでは、

伝わるものがまるで違って来ます。

 

まして、良く知る先輩や上司の思いや苦悩、試行錯誤の跡、

組織内で受けた支援や避難、感情のアップダウンなどと

共に伝わってくるならば、

 

情報は単なる伝聞情報の域を出て、

記憶に深く刻まれることは、容易に想像できるでしょう。

 

そしてそういう情報こそ、現代の組織が必要としている、

最も伝承価値の高いものだと、私は思います。