久々に、ブロンプトンでレールトレイルを行く・シリーズ。つくばりんりんロードに行ってきた。

(旧・常陸藤沢駅にて)

 

サイクリストの皆さんには、改めてりんりんロードの説明は不要と思うが、一応『ブロンプトンでレールトレイル』シリーズのフォーマットに則って、解説いたします。(「レールトレイル」とは廃線となった鉄道軌道を自転車道等として整備して再活用する取り組み。以下をご参照ください。)

 

オーストラリアがゴールドラッシュに沸いた19世紀後半、ビクトリア州では鉄道ブームが起きた。ゴールドラッシュ後の経済成長による金余りの影響もあって鉄道バブルといってもよいほどの建設ラッシュであったようだ。
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 時は流れ、1960年代のモータリゼーション到来とともに、鉄道事業の経営は困難な時代を迎えた。地方路線を中心に廃線が相次ぎ、主要幹線でさえも徹底した合理化と政府・自治体の補助で辛うじて存続するような状況であった。鉄道の時代は終わったのだ。廃線となり荒れ放題だった鉄道軌道跡が、車の入ってこない遊歩道・サイクリング道・乗馬道として整備されつつある。それが『レールトレイル』である。

 

 

 

つくばりんりんロードは、旧筑波鉄道の軌道跡を自転車道として供用している全長40kmの自転車専用道である。

 

筑波鉄道は1918年(大正7年)に開業した、土浦駅(JR常磐線)から筑波駅(現・筑波山口(つくばさんぐち)バスターミナル)を経て岩瀬駅(JR水戸線)までの40.1kmを結ぶ非電化路線であった。さらに岩瀬から真岡を経て宇都宮へ延伸する計画(宇岩線)も存在したらしいが実現しなかった。最盛期の1960年頃には土浦駅から筑波山観光の拠点となっていた筑波駅まで急行列車が走り、行楽シーズンには上野駅(常磐線土浦駅経由「筑波」)や日立駅(水戸線岩瀬駅経由「筑波山」)から国鉄の客車列車が筑波駅まで乗り入れていた。しかし、1970年代に入るとモータリゼーションの進行などにより乗客が激減、様々な合理化を行ったが経営は好転せず、1987年(昭和62年)4月1日に廃止された。

 

日本ではめずらしく、廃止された軌道全線を対象に自転車道としての整備が開始され、2002年に自転車道として全線開通した。正式名称は茨城県道501号桜川土浦自転車道線、通称名はりんりんロード又は筑波自転車道である。その後、つくばりんりんロード40kmは、霞ヶ浦湖岸道路140kmと一体化、全長約180kmにも及ぶ日本最大の長さを誇るサイクリングロード「つくば霞ヶ浦りんりんロード」として、日本で3カ所しかないナショナルサイクルロードに指定されることになった。

 

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土浦駅からスタートした。

 

[走行データ]

ルート JR土浦駅→平沢官衙遺跡(C:北条~A:岩瀬駅は今回未走行にて次回)

距離 16.95 km
タイム 56:38
平均速度 18.0 km/h
総上昇量 24 m

 

筑波鉄道当時の各駅のプラットホームが残されているのは良いのだが、駅名表示がない。あとで調べると、ここは『常陸藤沢駅』だ。折角なので、できれば各駅跡に駅名表示などを再現して、往時の雰囲気を再現するなどしてはどうだろうか。産業遺産という考え方もあろうし、また、オーストラリアのように往時の鉄道の繁栄を後世に伝えるためのレールトレイルとしての保存というアプローチもよいと思う。

 

全長40キロのうち、本日は半分弱を行ってみることにしている。

 

ススキ越しの筑波山。秋らしい景色だ。

 

小田城址を通過。旧・筑波鉄道は小田城址の中央をぶった切って(破壊して)軌道を建設していたのだが、りんりんロードは小田城址の遺構復元にあわせて迂回ルートとなっている。

 

筑波山が目の前に迫ってきた。

 

本日は北条のあたりで切り上げて、平沢官衙遺跡のところで小休憩することにした。

 

このあと、サイクリストの間で有名な不動峠へ向けて筑波山ヒルクライムするのだ。

 

(続く)

 

 

 

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