渦中の前川喜平・前文科事務次官が口を開いた(その2) | KHのアメーバブログ

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テキトーなタイミングで、テキトーにコメントします。

このエントリーは、渦中の前川喜平・前文科事務次官が口を開いた(その1)の続きです。

 

 

AERA2017年6月5日増大号に「渦中の前川喜平・前文科事務次官が口を開いた 前川喜平はウソつきか」という見出しの記事が掲載されました。

 

 

前半は、前川前文科事務次官の4期先輩の寺脇研・京都造形芸術大教授と、前川氏自身が語る、出会い系バー通いの「実態」とその報道について、それぞれインタビュー内容が掲載されていました。

 

 

このエントリーではAERA 2017年6月5日掲載記事の後半部分について取りあげます。

 

 

AERA誌記者のインタビューに答える前川喜平・前文科事務次官

https://dot.asahi.com/print_image/index.html?photo=2017052600095_1

 

 

 

官邸が人事権を掌握

  

 

菅義偉官房長官が「怪文書みたいな文書」とする文書について、「報道に出た文書の出どころはわからない」と前置きした上で、前川さんはこう話した。

 

「私が現職時代に担当課の職員から受け取った文書と、朝日新聞が報じた文書は同じもの。日付や名前が入っていないことなどから怪文書呼ばわりされたが、あれは部下が上司に説明するためのレク用の資料です。部下が目の前の幹部に見せながら説明する、その場限りの資料。名前や日付が入ることはない。霞ヶ関で働く人であれば、あれを怪文書と言う人はいない。加計学園の獣医学部新設に関する文書は、非常に歪められた行政の実態を示す文書だ」

 

森友学園の国有地売却問題、加計学園の獣医学部新設などで、官僚の忖度が注目されて久しい。歪められた行政の実態とは、一体どういうことなのか。

 

「獣医学部新設の設置認可は文科大臣に与えられた権限だが、新設を認めてこなかったのだから国民に新たなニーズを説明しなければならない(#1)。しかし、獣医学部新設が必要という新たな根拠を示すよう再三、内閣府に求めたが、それを示すこともなく(#2)、ただ2018年4月開学が大前提でスケジュールを作れという無理難題。内閣府の性急さ、強硬さは尋常ではなかった」

 

 

 

 

(#1) これは事実と異なります。2年前の平成27年6月8日、「国際水準の獣医学教育特区(愛媛県・今治市)」をテーマとしておこなわれた国家戦略特区WGヒアリングの議事要旨が以下のURLで公開されています。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc_wg/hearing_s/150608_gijiyoushi_02.pdf

 

このヒアリングの席上、文科省の高等教育局専門教育課長も新たな獣医師ニーズは不明である旨を述べるなど同じ理屈を述べています。しかし、本間正義WG委員・東京大学大学院農学生命科学研究科教授から「動物由来新興感染症やバイオテロの危険が非常に高まっている現在、これらの新しい分野で活躍すべき獣医師が必要であるので、獣医師の供給を拡大するのが望ましいのではないか」と、新たなニーズがあるのではないかと問われています。八代尚宏WG委員・国際基督教大学教養学部客員教授兼昭和女子大学グローバルビジネス学部特命教授も、この新たなニーズを肯定しています。

 

これに対し、文科省の担当課長は、WG委員らが「あるのではないか」と考える新たなニーズの問題については直接答えず、獣医師の供給量を拡大する必要があるか否かについては、文科省ではなく、獣医師を所管する農水省の見通しを踏まえなくてはいけないと答えています。すなわち、文科省側から新たなニーズが不明である旨述べ、これについて反論されながら、それ以上この問題に触れようとはせず、これは獣医師数の量的な需給についての問題であり、そしてそれは文科省の所管外であると主張しています。

 

このやり取りを受け、農水省の消費・安全局畜水産安全管理課長は結局、次のように答えています。農水省としては獣医師の需給の現状については所管しているが、獣医師養成系大学・学部の新設などについては農水省の所管外。(仮に獣医学部が増えて1年当たりの卒業者数が増えても)農水省が所管する獣医師国家試験で一定水準の技術力ある者を合格させるのが農水省の仕事。

 

つまり、この2年前の国家戦略特区WGヒアリングの席上、WG委員から新たな獣医師ニーズがあることが明言された。それについて文科省自体は反論できず、農水省に助けを求めたが、農水省は「所管外」と答えた。

 

これが2年前の国家戦略特区WGで議論された事実です。前川氏がAERA誌のインタビューで述べた「新たな(獣医師)ニーズ」は存在しています。それを文科省側が適当に肉付けして、新たな獣医師ニーズとして国民に説明すれば良いだけの話です。

 

したがって、「国民に新たなニーズを説明しなければならなかったのに、それをせずに獣医学部新設を強行した」というのは詭弁です。

 

#よろしければ、本ブログの以前のエントリーもご覧ください。

 

http://ameblo.jp/brendy6m/entry-12284111409.html

 

 

 

 

 

 

(#2) 文科省が内閣府に新たな獣医学部が必要な根拠を示すよう求めたというのは事実です。しかし、2年前の国家戦略特区WGヒアリング、http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc_wg/hearing_s/150608_gijiyoushi_02.pdf、では、WG委員たちから、逆に、なぜ50年間も獣医学部新設を文科省告示(#3)で規制してきたのか、その根拠について文科省が問われています。

 

文科省側は獣医師の供給量が増えると質が低下し国民の損失になるから、獣医学部の新設を規制することによって供給量を調整することが必要と答えています。

 

しかし八代委員や本間委員などWG委員たちに、獣医師の質は農水省の獣医師国家試験で一定水準以上を担保すればよく、また獣医師試験に合格した一定水準以上の技術力を持つ獣医師の数は多ければ多いほど国民のためになると反論され、文科省側は答えられません。

 

ヒアリングの最後の方で、過日、文科省側は愛媛県側に、ライフサイエンスなど獣医師が新たに対応すべき分野における具体的な需要というのを明らかにせよと宿題を出したことを述べています。また文科省側は既存の獣医師養成系大学・学部でもライフサイエンスなどの教育を始めているので、その分野の獣医師を養成するために新たな獣医学部を作る必要があるのか疑問を呈しています。

 

これに関して、原英史WG委員・株式会社政策工房代表取締役社長が、ライフサイエンスや越境感染症などの新たな分野において、現在、その分野で教育を受けて卒業している人数が実際にどのくらいいるのか文科省に問いますが、文科省側はその数を把握していないことが露呈します。岩盤規制側の文科省としては、自分たちの不利になるような情報は端から出すつもりはなかったということでしょう。

 

結局、2年前の国家戦略特区WGヒアリングの席上、50年間続いてきた獣医学部新設規制こそに明確な根拠がないことが明らかにされています。 

 

 

#もしよろしければ、本ブログの以前のエントリー

http://ameblo.jp/brendy6m/entry-12283553086.html

http://ameblo.jp/brendy6m/entry-12284136272.html

もご覧ください。

 

 

 

 

(#3) (文科大臣が決定できる「必要な事項を公示する行為」のこと。文科大臣が決定できるということは実質的には文科省官僚がその決定に強い影響発揮できるということ)

 

 

 

 

そのため、「何らかの政治的な判断が裏にあるとしか考えられなかった」と前川さんは言う。

 

「役人は普通『官邸の最高レベルが言っている』『総理のご意向だと聞いている』なんて言葉は使わない(#4)。安倍首相が本当に言ったのか。それとも、虎の威を借る狐なのか。いずれにせよ、そうした言葉があると、意識せざるを得ない。さらには、加計学園の理事長は安倍首相の親友。そこは想像しちゃいますよね。忖度というか暗黙のプレッシャーはありました」

 

 

 

(#4) 「役人は普通『官邸の最高レベルが言っている』『総理のご意向だと聞いている』なんて言葉は使わない」という前川氏。他の官僚OBらの主張と異なっています。

 

例えば、前川・前事務次官の文部省時代の上司だった加戸守行・前愛媛県知事は産経新聞のインタビューで「『総理の意向』という言葉は事務方レベルでは使います。私なんか文部省の現役時代は『大臣の意向だ』とか、『事務次官がこう言っているぞ』とかハッタリをかましました。虎の威を借りないと役人は動かないんですよ」とコメントしています。

http://ameblo.jp/brendy6m/entry-12284272788.html

 

また、元通産(現経産)官僚の岸博幸・慶応大大学院教授も直接的表現ではありませんが、実際の行政を進めるうえでは「総理の意向」がある場合もあり、それをふつうに官僚達は認識して働いていることを認めています。

http://ameblo.jp/brendy6m/entry-12285274587.html

 

また一時期ではありますが、ブログ主も以前、中央省庁で働いていた経験があり、その際には、しばしば「総理のご意向」「大臣のお考え」「〇〇党の△△議員のご意見」なるキーワードが職場で飛び交っていたことを覚えています。当時、役所の仕事というのはこんなふうなのかと思いました。ですから、ブログ主の考えでは、役人は普通『官邸の最高レベルが言っている』『総理のご意向だと聞いている』なんて言葉は使わない」という前川氏の言葉はほとんどウソをついていると言わざるを得ません。

 

 

 

おかしいと思っても、口には出せない空気が広がっている。安定した高い支持率を誇る安倍政権が、内閣人事局を通じて、省庁幹部600人の人事権を握っている。民主党政権時代に政治主導で具体化が進み、安倍政権発足後の14年に設置された組織だ。それこそが「官邸の強さ」だと前川さんが言う。

 

「役所の人事は事務次官が原案を作り、それを大臣に了解をもらう。だけど、今は審議官以上の幹部人事は大臣の一存では決められない。官邸の了解が必要になる。大臣が決めたことでも、官邸から評価されない人物なら、人事が覆ることも多い」

 

さらには、役所の幹部官僚のみならず、審議会の委員の人事にまで官邸の目が及ぶ。

 

「かつては大臣が了解といえば大丈夫だったのですが、今は非常に細かく審査されます。たとえば昨年のある審議会の委員を決めたとき、官邸からはね返された。理由を聞くと、安保保安に反対する学者の会に入っていたというのが理由だった」

 

人事権を官邸が握っている以上、忖度が働く。冒頭の寺脇さんは「安倍総理が直接指令を出しているとは考えられない」とし、こう続ける。

 

「問題は指令を受けていないのに、評価してもらおうと勝手に動く官僚がいることだ。幹部官僚人事を官邸が握り、各省庁の幹部官僚が忖度し、内閣府の下請け状態になっている(#5)今、内閣制度は崩壊していると言える。各省の担当大臣が強いリーダーシップを持たなければいけない(#6)

 

前川さんはこうした政府内の行政に加え 、メディアに強い危機感を持つ。昨秋、警察庁出身の杉田和博官房副長官から、突然、こう言われた。

 

「君は新宿の女性のいる店に行っているじゃないか。注意したまえ」

 

なぜ、そんなことを知っているのか(#7)。だから今回の読売新聞の報道には再び驚いた。

 

「今、一番恐れているのは、マスコミも官邸側に遠慮し、報じられるべきことを報じないことだ。これは国民の知る権利の大きな危機と考えます」

 

 

 

 

(#5) そんなことはありません。あくまでも岩盤規制を巡って、規制側の利権官庁が規制緩和側の内閣府に議論で負けているだけの話です。岩盤規制改革以外の省庁固有の施策については未だに自省が主導しているはずです。

 

 

  

(#6) 内閣制度が崩壊なんて大げさです。「各省の担当大臣が強いリーダーシップを持たなければいけない」は、内閣人事局が各省の審議官/局長以上の人事権を握る現状を良しとせず、既得権益を維持したい岩盤規制側のセリフでしょう。内閣人事局での承認どころか、各省の高級官僚人事を政治任用している国なんて、米国、ドイツほかの民主主義国家においていくつもあります。

 

 

 

(#7) 政権としての危機管理上、事務次官の地位にある人間に国家公務員に相応しい行動を求めるのは当然のことでしょう。なぜそんな簡単なこともわからないのか。わからない振りをしているだけでしょうか。

 

  

 

松野大臣も可哀相

  

 

25日、菅官房長官は記者会見で、前川さんが文書の存在を認めたとする朝日新聞の報道に、「文科省がおこなった調査結果では、存在は確認できなかった」と改めて文書の存在を否定した。

 

さらに、引責辞任した前川さんに対し、「責任者として自ら辞める意向をまったく示さず、地位に恋々としがみついていた」(#8)と強く非難した。前川さんは本紙の取材に、「天下りの問題で、単に処分を受けるだけではダメだと考え、今年の1月5日、私から大臣に辞職をお願いした。官邸からクビにされたわけでもなく、逆恨みなどない」(#8)と話している。官邸は人格攻撃をすることで、辞任させられた逆恨みから怪文書を作り、官邸に打撃を与えようとしたというストーリーを作りたいのだろうか。

 

現在、前川さんがボランティアとして関わる地方の民間教育団体が取材に応じた。職員は、「新幹線に乗って、毎週来てくれます。夜間中学で高齢者の方が新聞を読む手伝いをしたり、連休にもかかわらず憲法記念日には、資料を準備して憲法のお話をしてくれたりしました」

 

感謝の気持ちを伝えた際、前川さんはこう言ったという。

 

「本当に人の役に立つ活動だから、参加できて本当にうれしい」

 

26日、前日の菅官房長官の記者会見を受け、前川さんは本紙に語った。

 

あるものをないと言え、と文科省に迫るのはやめてほしい。松野大臣も関係する職員も可哀相だ(#9)

 

(編集部 澤田晃宏)

  

 

 

 

(#8) これは菅官房長官と前川前文科次官のどちらの言い分が正しいのか。

 

 

 

(#9) そもそも、なぜ文科省職員の個人の備忘録としてまとめ、関係者にも共有した個人メモが外部へ流出するのか。民間企業でも、時々、こんな怪文書流失が起こりますが、だいたいは社内の権力闘争の一環として起きるのが常識です。そして、権力闘争で屋台骨まで揺らいでしまった場合の組織の末路がどうなるか。古今東西の事例を紐解くまでもなく明らかでしょう。現在も散発的に続く内部文書の流出犯人は、自分たちの利益と国民の利益のどちらが大事だと思っているのでしょうか。

  

こんなことが将来もまかり通るならば、ようやく現状レベルまで到達した政治主導から以前の官僚主導への回帰を望む反民主主義的・利己主義的な官僚ならば、容易に政権にダメージを与えることが可能になります。(国民投票によって選ばれた国会議員から内閣が構成される)議員内閣制、間接民主主義の自殺行為と表現してもいいかもしれません。

 

「一般論としては、非公知の行政運営上のプロセスを上司の許可なく外部に流出させることは、国家公務員法(違反)になる可能性がある」という6月13日の文科副大臣の参院農林水産委員会での発言も当然です。

 

それに、「松野大臣も関係する職員も可哀相」とはよく言ったもんだと思います。今回の一連の内部文書を流出させた当事者は、おそらく前川氏の親派「喜平隊」のメンバなのかもしれませんが、その当事者を除く、他の大勢の文科省職員が目下の厳しい状況に晒されている責任は果たして誰が負うべきなのでしょうか。