加戸守行前愛媛県知事「定員規制を外すことは行政をゆがめたことにはならない」 | KHのアメーバブログ

KHのアメーバブログ

テキトーなタイミングで、テキトーにコメントします。

昨日 2017年6月16日 1時、産経ニュースに、

『加戸守行前愛媛県知事「虎の威を借りないと役人は動かない」「国会は何を議論しているんだ、このバカ野郎と…」』

http://www.sankei.com/premium/news/170616/prm1706160009-n1.html

というタイトルの記事が掲載されました。

 

 

産経ニュースに掲載された前愛媛県知事の加戸守行氏のインタビュー記事から抜粋します。

 

 

 

前愛媛県知事の加戸守之氏 http://www.sankei.com/politics/photos/170615/plt1706150007-p1.html

 

 

 

慢性的な愛媛県の獣医師不足  

 

 

平成22年に宮崎県で口蹄疫が発生した際には、愛媛県の港に検疫態勢を取り、入県する車と人は全部消毒し、四国への上陸を阻止した。全員が不眠不休でやったが、獣医師が足りないから(民間の)ペットの獣医師まで動員して助けてもらった。あのときほど獣医師が欲しかったことはなかった。もう一回、口蹄疫が来たら、みんなぶっ倒れますね。

 

獣医学部が去年できていれば、誰も何も言わなかった話だ。それなのに、やれ「安倍晋三さんの友達だ」「テロ等準備罪は通さない」となって、マスコミがたたきまくっている。事柄の本質は愛媛でどれだけ獣医師がいなくて困っているかということだが、そんなことは知ったことではないということなのか? 安倍首相が加計学園と絶縁したら認めてくれるのか? (国会は)何を議論しているんだ、このバカ野郎と思う。

 

 

 

役人の矜持  

 

  

前川は私の部下でした。非常に有能だし、気骨のある男で、今回のことは非常に残念だ。彼は大学の実情を知らないし、四国が公務員獣医師不足で苦しんでいるということは、耳に入っていなかっただろう。

 

役人をやっていると、無理無体はある。私のときだと、昭和57年の歴史教科書検定事件(教科書誤報事件)(#1) だ。あれこそ、行政の筋を政治が曲げた。役人は全員我慢した。しかし、あのときに「行政の筋を曲げた官邸はけしからん」と言ってマスコミに出た役人はいなかった。政権を倒すことにつながるからだ。

 

無理無体であっても、政治が優位であって行政は下なんですよ(#2)。大臣の下に事務屋がいる。どんなに無理なことでも、大臣が言うことは従うべきだ。教科書騒動のときも悔し涙を流しましたよ。政治の思惑なんて見え見えだったが、行政の筋が曲げられたと思っても言いませんでした。それが役人の矜持ですよ。

 

 

 

「総理の意向」という言葉  

 

 

「総理の意向」という言葉は事務方レベルでは使います。私なんか文部省の現役時代は「大臣の意向だ」とか、「事務次官がこう言っているぞ」とかハッタリをかましました。虎の威を借りないと役人は動かないんですよ。

 

 安倍政権は加計学園について粛々と胸を張って進めてもらいたい。問題になっているのは友達というところだけでしょ? 友達がだめなら、友達をやめてもらえばいい(#3)。それ以外の理由がない。

 

  

 

(#1) 昭和57年の教科書検定で「侵略」が「進出」に書き換えられたとマスコミが一斉に誤報。中韓両国が抗議し、宮沢喜一官房長官(当時)が「政府の責任において是正する」との談話を発表した。これを受け検定基準に「近隣諸国条項」が加わった経緯がある。(産経ニュース記事より)

 

(#2) 「役人は大臣、政治に仕えるべきだ。(前川氏は)則(のり)を超えてしまったのか。岩盤規制を取っ払って、定員規制を外すことは行政をゆがめたことにはならない」と指摘。

http://www.sankei.com/politics/news/170615/plt1706150007-n2.html

 

(#3) 友達が行政施策に関わる時は、友達関係を解消すればいいとおしゃってます笑。公私がぶつかる時は私を捨てよ、というのはいかにも戦前生まれの世代の発想ですね。でも、たぶん、そうでなければ、世の中うまくいかないんでしょうね、きっと。

  

 

最後に、Wikipediaから人物歴を抜粋します。

 

旧関東州大連市生まれ。愛媛県立八幡浜高等学校を経て1957年に東京大学法学部を卒業後、旧文部省(現文部科学省)に入省。

1970年代前半に文化庁著作権課長として著作権法施行令を制定。1983年6月、文化庁文化部長。1983年10月、文化庁次長として著作権法一部改正など5本の法案を担当・成立させた。著作権の権威。1988年に文部省大臣官房長。1989年4月12日、リクルート事件に連座して辞職。その後、日本芸術文化振興会理事長、日本音楽著作権協会(JASRAC)理事長などを歴任。

 

1999年に愛媛県知事選に出馬。現職の伊賀貞雪知事を破り、初当選。2010年まで3期12年務めた。2010年5月26日に任期満了前の勇退を表明。同年9月14日の県議会で任期満了前に退任することを正式に表明。任期を2ヶ月残して退任することは「正月明けの選挙を避け、来年度予算や人事を新知事に委ねるため」。2010年11月30日に退任。退任会見では、自分だからこそできた施策として愛媛県武道館の建設、後悔の残ることとして義務教育費国庫負担の国の負担率引き下げを挙げた。

2011年度より大阪国際大学客員教授。2013年1月より教育再生実行会議の委員。

(Wikipedia、https://ja.wikipedia.org/wiki/加戸守行より抜粋)