宮島右近
本日はインターネット・ラジオ「ブラジル日和」 の日。
ゲストは宮島右近さん。
3年前まではアマゾンにお住まいでした。
どうして、アマゾン方面からお越しになる人はみんな楽しい人が多いんだろう?
荒くれ者の多いとされる金の採掘現場でコップ酒を売ってみたり・・・
レモンを売って、ふと道端で眠ってしまったら、路上生活のホームレスと間違われて、お金をもらって喜んでみたり・・・
そのくせ、作家のように文筆活動に浸っていたりして、本当にユニークな方でした。
O本君到着
朝、呼び鈴が鳴った。
弓場農場で知り合った旅行者のO本君がやって来た。
5年ぶりに日本へ帰るため、サンパウロへやって来たのだ。
かつて、彼はバイクで世界を一周し、最後に南米へ移住する決意をした。
O本君は日本行きの飛行機に乗るまで、我が家の居候君となっているのだー。
ちなみに加曾利隆さんはO本さんのお知り合い。
バイクの海外ツーリングの世界では神様のような存在の方のご本らしいです。
- 50ccバイクで島の温泉日本一周
- \619
- 株式会社 ビーケーワン
-
Seで出会い
今日のリベルダーデは
のち
。22℃。
とっても可愛い子にあったの。
ねっ!
彼女はこんな所にいる広告で、モデルだから可愛いのは当たり前。
分かる?
ブラジルに住んでいる人は分かるよね。
答えはメトロのSe駅の構内。
Se駅は南北線と東西線のクロスした駅で、一応、サンパウロの「旧」は付くけど中心地!
我がリベルダーデからも歩いていけちゃう所です。
そして、いつかはお伝えしたかった!
Se駅の広さ。
3階吹き抜けのドデカイ構造で、その吹き抜けスペースの真ん中にはいつも大きな広告がど~んとある。
東京で言うと、池袋サンシャインの吹き抜けスペース見たいな感じ。
それがメトロ内にあるんだよ。
ねっ。
斬新でしょ。
でっかいでしょ。
すごいでしょ。
めちゃくちゃ治安は悪いんだけど、私の好きなスペースです。
そして、今日、そこで、すげーハンサムさんがジッーと私を見ているから、「おっー、こんなハンサムに見られて、うれしいな」と思って、よ~く見たら、知り合いだった!
でも私が知っていた彼はまだ、小学校5年生ぐらいのちっちゃな男の子だったんだけど、すでに18歳になっていて、背も高くなって、ハーフだからカッコよくなっていたのよね。
小学校5年生までは日本で育ったから、出会った当時は日本語しかしゃべれなくて、私と一緒にポルトガル語で苦労していたんだけど、アッという間に彼はポルトガル語の方が強くなって、私は相変わらずポ語がしゃべれないまま。
でも、気分は一緒にポ語に苦しんだ同期の桜であり、その後、ちょっとだけ私は彼の日本語の先生になり、彼は無事、中学校を卒業していったのでした。
出会ってすぐに「ポルトガル語、勉強してる?」と、チェックされてしまった。
くやしいから「日本語、忘れていない?」と、チェックしておいた。
う~ん、意味ない。
そして、彼は今、プロのサッカー選手になりたいらしくて、日本でプロテストを受けたいらしい。
ハンサムさんなので、タレントでもいけるのではないか!と思っているが、彼の夢が叶うことを願うばかり!
帰りにほっぺにチュッしてもらって、ルンルンのぶらこでした~!
貧乏人は作れ!つくれ!
今日も寒いぜ!この前まで来ていた夏はどこへ行ったんだ。でも、昼間はまあまあ。
のち
のち
。
それでさ、昨日作ったあんこはどうなったか!と言うと・・・。
こうなって・・・。
さらに・・・。
これが作られ・・・。
そして
こうなって・・・。
もう、何が出来るか、分かったでしょ。
オーブンに入れて・・・。
こうなって・・・。
こうなったの!
すごいでしょ。
焼き饅頭作ったんだ。
前の大家のK野さんと母と3人で!
K野さんと私は以前にも作ったことがあるので、驚きは少なかったんだけど、焼き饅頭つくり初体験の母は「こんなに簡単に作れるなんて~!」と、あんこ以上に喜んでおりました。
いや~、我が人生で饅頭を作るなんて、日本にいる時は考えもしなかったよ。
まんじゅうは温泉に行った時のお土産で、ちょっと食べたい時はコンビ二のレジの前にバラで売っていて、基本的に年寄りの食べるチョコだから、縁の無い時はまったく縁の無い食べ物だった。
でも、ブラジルへ来て、「こりゃあ、今どき日本じゃお目にかかれないお菓子でしょう」みたいな素朴な味に出会ってから、考え方が変わりました。
やっぱ、人生素朴がいちばん。
買うよりはるかに作る方が安いブラジルは、ある意味、正しい価値経済です。
いや、正直言えば、貧乏なだけです。
そして私の労働賃金が低いだけです。
そして・・・貧乏ついでにこんなものも作ってみました。
何だと思う?
答えはヨーグルト。
わずかなヨーグルトが増量され、とても得した気分。
あっ、でも、私・・・ヨーグルト嫌いでした。
豆
ちょっと何なのよ~。この寒さ。
のち
。22℃。
日本は暑いそうじゃない。
ほんと、まるっきり逆なんだから~。
ということで、天気とはまったく関係ありませんが、下の写真をご覧下さい。
何だか分かるでしょうか?
知っている奴は確実に2人はいる。
一緒に写真を撮った奴と母である。
答えは12時方向が「黒大豆」。
3時がいわゆる普通の「大豆」。
そして6時がブラジルでは毎日食べられているという有名な「フェジョン」。
9時方向が「小豆」でした。
そして、みなさんに「フェジョン」を比べてお見せするために写真を撮りましたが、本来は・・・
そう、あんこを作るために小豆を取り出したのです。
圧力鍋で炊いて、ジューサーでガガッーって潰したら、あっという間にこの状態になり、昔ながらの濾して~、潰して~、という作業しか知らなかった母は感動!の一言のようでした。
ふっふ~ん。
我が家にもそのぐらいの文明の機器はあったのさ。
あっ、でもどっちももらい物だった。
ブラジルで沖縄!
寒くて
なんかも降っちゃう中、ラジオ終了後にビラ・カロン地区という沖縄からの移民の方が結構多く住まれる地域で行われた「第4回オキナワ祭り」へ行ってきました。
見よ!この曇天。
ちなみに、ビラ・カロンは「Vila Carrao」と書きます。
「ビラ」じゃなくて「ヴィラ」、「カロン」じゃなくて「カホン」と書く人もいるけどね。
そして、なぜかブラジルでは日本人を象徴するモノとして欠かせなくなりつつある赤い鳥居。
ここでも入り口になぜか、即席鳥居が出来ていました。
「神社が無いのに・・・」とか、うるさいことを言う人がいますが、私は全然気にしません。
いーじゃないですか。
手軽で分かりやすい。
鳥居って、たしかに外国の人から見た日本っぽいよね。
友だちのT美ちゃんも一緒に行きました~!
屋台が並ぶのは、7月の日本祭りと一緒だけど、ここでは「沖縄食」に限られているのが、なぜか、とてもうれしい!のだ。
そして、とーぜん、喰いましたよ。
まずはラフティ(豚の角煮)。
でも、これはT美ちゃん夫が購入したのを脇からつまませて頂きました。
ラフティは大学時代、沖縄の友人から教わってハマったなぁ。
正直言うと、この後、色々食べたけど、これが1番、美味かった。
でも・・・写真、撮り忘れました。
次も、取り忘れの沖縄そば。
そして、皆が沖縄そばを啜る中、私は一人元気にヒージャー汁(山羊汁)を買いに走りました。
高校時代の友人で20歳の時、初めて沖縄へ一緒に行った女友だちは、その後沖縄にハマり、かなりのリピーターとなり、今もたしか沖縄に行っているはず。
そんな彼女ですら、まだ食べていないと恐れている臭い食べ物。
そして、日本で育った親族全員沖縄出身という4世すら「臭い」とのたまるヒージャー汁。
さらに一緒に行ったお母さんが沖縄2世で、琉大で院をあわせて7年も沖縄に住んでいた人間までが「山羊喰うんかよ」とのたまったヒージャー汁。
み~んな~!
可哀想じゃないか!ヒージャーちゃんが・・・!
そりゃ、多少は臭いけど、美味いじゃないか!
めったに喰えないお味。
何ともいえない獣臭。
ジャングルに置いてきぼりにされた時、この程度が喰えなくてどうする!
上にのっている葉っぱが蓬であることすらも知らぬまま、ずるずると喰い続けたのは、私とアホ殿のみだった。
でも、腹持ちよかったよ。
晩御飯、食べないで済んだもの。
13レアル(約650円)で夕食抜きなら、お買い得。
さて、お次はアシティビチ。
「アシ」ティビチは豚の「足」から作るから、「足ティビチ」なの?
誰か教えて?
喰うことはできても、無知な私。
コラーゲンたっぷりそうで、タレ気味なお肌がぷるんプルンしそうな気もするんだけど、実は、正直言って、あまり、好きじゃありません。
「モコト」と呼ばれるブラジルの料理で、牛の足の筋スープは好きなんだけど・・・。
まっ、喰えなくはないけどね。
食意地はっているから。
そして、最後。
ちゃんとサーターアンダギー(さとう天ぷら)で〆ました。
そうそう、忘れていたけど、ステージではちゃんと可愛いブラジルの沖縄2世、3世、4世、5世(あたりまでいるかな?)と思われる子供たちが琉球の踊りを披露してくださいました。
ブラジル全土の7つの地域から、200人以上の子供たちが集まりました。
その他、沖縄古武道とかも披露してくれたみたい。
でも、食い気だけで生きている我々は、寒さに負けて、速攻帰宅。
とても夜10時の花火までは居られませんでした。
この祭りでも分かるように、ブラジルには日本全国から移民が来ております。
そして、特に多い移民大県が「沖縄」。
色々な理由や歴史があるのですよ。
学べ、アメリカ人。
知れ、日本人。
そして、私も来てから知りました。
さらに沖縄のみならず、ブラジルへ来てから知った、日本の各地の文化や食べものが結構あります。
そりゃあ、ちょっと古くさかったり、間違っちゃっていたり、不味かったり、本格的じゃなかったりすることも多々あります。
でも、この国に居るだけで日本全国をまわったような、世界各国を旅しているような気分になれる。
そんな、ちょっとお得なブラジルです。
ケッ作ラジオ
今日のリベルダーデは
ときどき
。寒かったの~!昨日までの暑さは何だったの~。24℃。
いやはや、今日の「ブラジル日和 」はぜひともお聞き頂きたい!
ゲストは坂尾英矩さんというブラジル音楽界ではかなりの巨匠をお迎えしたのですが~。。。
75歳になられるという坂尾さんのお肌はなぜか艶々(つやつや)。
音楽もさることながら、そのライフワークは「ケツ学」。
そう、「お尻」を追求し続けて、70年。
素敵なお尻に出会ったら、本来、降りるべき駅で降りずに、メトロの終点まで着いて行ってしまったりする。
エスカレーターでは必ずその中で良いと思われるお尻の後ろに乗るなど、一見チカンのようなのだが、なぜか捕まったことはないという。
たしかに、普通なら「やばいでしょ」と思うようなことが、なぜか坂尾さんの口から語られると、イヤらしさよりも「学術的な高尚な」雰囲気まで漂わせてしまうから・・・・・・不思議だ。
何かを追求し、求めるすごさだろうか?
ただ、タマタマ、それが・・・お尻?!だった!
な~んか、絶対、聞かなきゃ、ソンをする話である。
笑いたい人
学びたい人
スケベな人
男の人
女の人
み~んな必聴の放送である。
Vol.047「尻がモノを言う!」
弓場農場
今日もリベルダーデは
。もうねぇ、めっちゃくっちゃ暑いの。昨日なんか39℃。今日だって、もう夜なのに27℃もあるんだよ。
さて、そろそろ弓場農場のことを書こうかなって思います。
弓場農場はサンパウロ市から西方向へ約600キロのところにあって、バスで約7時間ぐらいかかります。
簡単に言っちゃうと、日本人・日系人の集団農場なんだけど、ホームページ もあるので、そちらをご覧になってもらった方がいいかな。
まぁ、弓場勇さんという人が「祈ること、耕すこと、芸術すること」をモットーに作った生活共同体で、現在は70人から80人、20世帯ぐらいが生活しているかな。
といっても、宗教色は弱く、キリスト教だけど、食べる前に「黙祷」があるぐらいで、キリスト教信者ない人も受け入れてくれる心の広~い所です。
で、私は弓場がとっても好きで、たまに行かないと落ち着きません。
特にお風呂がよくってさぁ~、食事もおいしくってさぁ~、人もよくってさぁ~、何か、人間の原点というか、そんなものを感じますよ。
今回はサンパウロを夜10時15分に出発し、朝6時過ぎにミランド・ポリスという町に到着。
そこから第一アリアンサ行きのバスに乗って、弓場農場の入り口で途中下車。
農場への入り口には「COMUNIDADE YUBA(弓場農場)」の看板があります。
そこでいきなり、トラクターと下のような馬車を見ました。
サンパウロ市内からちょっと外れただけで、たまに馬は走っていますが、田舎へ行けば行くほど、それは風景とマッチします。
私的にはブラジルはガソリン車、アルコール車、ガス車が走っている上に馬も走っているところに、その底力を感じちゃうのです。
だってさぁ、日本なんて、ガソリンが値上がっただけで、もう大騒ぎ。
余力がないから大変でしょう。
さて、それはさておき、弓場ではお風呂と食事はみんな一緒なの。
しかもほとんど自給自足。
買わなければいけないのは、それこそトイレットペーパーと砂糖(サトウキビは作っているけれど)とサラダ油、小麦粉ぐらいじゃないかしら。
あっ、あとビールとお酒!
皆さん、結構、お強いです!
もちろん、ガスもあるけれど薪で炊く庫裏から炭火の煉瓦のオーブンまであります。
この大きな庫裏では薪で大きな鍋にお湯を沸かしたりしています。
朝は手作りのパンと絞りたての牛乳、コーヒーで6時に朝食。
私たちがおじゃました9月7日は、ブラジルは独立記念日で祝日。
その日に、近くに日系人移住地「第一アリアンサ」で入植82周年記念式典と運動会がありました。
弓場の皆さん、働き者ですから、その前にトウモロコシを出荷する!ということで、私と母も猫の手よりは・・・と、ちょっとだけお手伝い。
そして、運動会へは何十人かが、トラック2台に乗り込み、大人も子供も山積みになり、おにぎりに鳥のからあげのお弁当を持って会場へ。
もちろん、ビールも!
そこで皆さん、走るわ、走るわ。
運動会って、日本人特有のものらしく、日本人集団地で日本人が始めたもののようです。
私はモジ・ダス・クルーゼスの日の出植民地というところでも運動会を見に行ったのですが、どこも同じ感じでした。
つまり、日本みたいに練習をするわけじゃなく、いきなり、「はーい!次は青年男子のビン釣り競争。出たい人はグランドに来て下さい」みたいにアナウンスをして、出たい人がやってくるって感じなの。
一応、家長とか13歳以下とか、女性とかカテゴリーがあってね。
人数が足りないと、見学席まで来て「ほら、出なさい!」と対象者を誘うの。
入賞者の旗を持つ人、手伝う人も首尾よくボランティアで代わる代わるみんながやるんだよね。
「お見事!」の一言よ。
私も酔った勢いで、「ビン釣り競争」と「暗算競争」に出たんだけど、やっぱりビリでした。
運動神経無いんだよね~。
昔から、運動会もかけっこもマラソンもすべてビリだったもんな~。
暗算ぐらいイケルかと思いきや、ビール飲んでいていたせいか、はたまた、やっぱりバカなのか、「+」だと思って全部足したら「-」もあって、何度も間違え、ダメでしたー。
この写真は「酔っ払い競争」。
野球のバットに額を付けて、4周するの。
そうすると、ビールを飲みながら参加している人なんて、ほんとに目が回っちゃって、まっすぐ歩けなくなる。
グループ分けもその場で適当にやるんだけど、みんなちゃんと分かれてさ。
ほんと、大したもんだよ。
参加者は全員、1等からビリまで、ボールペンや洗剤、砂糖やコカコーラなど何かしらの景品がもらえるのです。
弓場農場では文字通り「稼ぎどき!」
農作物集荷箱2つも3つもいっぱいに商品を貯めて、みんなで喜び合います。
翌日は早速、景品でもらったオリーブとスパゲッティーを使った昼食が振舞われました。
で、翌8日は、9日の晩に同じく第一アリアンサで盆踊り大会があるというので、会場を作る人、ゴヤバ(果物)を収穫する人、そして盆踊り大会で売る弓場製品を作る人とさまざまに働きます。
この写真は小学生のあかねちゃんがカリントウ作りを手伝っているところ。
本当に弓場では、何でも上手に作ってしまう。
私も子供たちと一緒につまみ食いをしながら、袋詰めなどを手伝いました。
これはシュークリームを作っている所。
いやはや、ほんとにすごいよ!
また、おいしいんだな。これが!
一応、レシピを教わってきたので、コージーコーナーのビッグシューが大好きだった私としては、難しいとされるシュークリームをダメもとで作ってみよう。
ありがとう!レシピを教えてくれたケイコさん!
そして、農場内をウロウロしながら、豚さんを見て来ました。
今、子豚がバンバン生まれている時期だそうで、たくさんいました。
普段は弓場で食べるぐらいということですが、今回は少し出荷も考えているとか。
弓場には鶏、豚、牛、馬と何でもいます。
もともと鶏卵に関しては、「ベージャ」と呼ばれる日本で言う「週間朝日」のような雑誌に、「卵王」として紹介されたぐらいの隆盛を誇ります。
弓場勇氏が存命の頃で、卵に埋もれた弓場氏の顔が表紙でした。
今は鶏も豚も牛も自分たちの分ぐらいを飼育し、食用にしています。
屠殺もしちゃえるし、ホント強いなぁと思う。
そして、肉をさばくのはもとより、ソーセージも作っちゃうし、脂からは石鹸も作っちゃいます。
私はこの弓場石鹸の大ファンで、必ずこれを買って帰って、我が家の食器はこれで洗っております。
自然環境にも手にも優しい!
ほんと、ここだけは、食糧危機が訪れようが、戦争が起ころうが、何か、変わらず生きていけそうな気がしちゃいます。
豚さんの餌もちゃんと残飯にトウモロコシなどを混ぜて、現場で作って、与えております。
これが結構、おいしそうだったりして・・・。
リサイクルが徹底しているよね。
食器洗いもシステマチックで見事!
今回は、食器洗いもずいぶんお手伝いいたしました。
そうそう、弓場は結構、「うるるん滞在記(佐藤江梨子が訪問)」やさまざまなテレビ番組、雑誌などに取り上げられ、有名なんですが、ちょうど私たちが行っている間もNHKが来年放送予定の「家族の肖像」の取材でスタッフ4人が来ておりました。
いつも取材ばかりされている人たちをパチリ。
この写真の音声さんも「自分の子供の頃のばあちゃんの家を思い出す」と言っておりました。
そうそう、弓場はバレエで有名です。
かつては日本でも2度ほど公演を行っています。
バイオリンやフルート、クラリネットから和太鼓まで、バレエ以外に音楽もたしなみ、クリスマスには皆でお芝居もしてしまいます。
以前、忘れられないセリフの1つで、ある駐在員夫人が「ココの人たちはみんな頭がいいのよね。農業なんかやっているけど、ほんとうに優秀」と言っていました。
私から言わせてもらうと、農業ほど難しい業種はなく、気象学、地質学、科学、化学、植物学、経済学、経営学、マーケティング、為替、国際相場、政治、世情すべてに通じていないと儲からないこれほど難しいものはないのですが、たしかに日本の農業に対するイメージはそんなもんでしょう。
そんな難しい農業をやっている弓場の皆さんですが、おもしろいなぁと思うのは、弓場の人がみずからを「うちらは農業が下手なんだよなぁ」って、言っちゃうところ。
なんか、笑えちゃいます。
たしかに弓場農場の創設者の弓場勇氏は兵庫県の名塩村の村長さんの家系で、弓場農場に集まった人たちも決して、根っからの百姓だったという人は少ないそうです。
さて、最後に我々はもうサンパウロへ帰る時間となってしまったのですが、雨が降りそうな天気でしたが、何とか盆踊り開始です。
第一アリアンサの周辺移住地からおそろいのハッピを着た人たちが三々五々集まり、踊り始めました。
「炭坑節」や「東京音頭」など、お馴染みの曲を弓場の皆さんが生演奏で演奏。
生バンドで盆踊りなんて、ある意味、ぜいたく?!
その他の弓場の方々は、浴衣姿でヤキソバ、たこ焼き、シューマイなどを売っていました。
我らもたこ焼きだけは作れるので、お手伝いし、2泊3日の弓場を後にしました。
う~ん、弓場農場。
うまく言えないんだけど、一度は行かれることをお勧めします。

































