今日のパレスチナ混迷の大きな原因はキリスト教シオニズムにありますが、それに至るまでの経緯を順を追って見てみます。面倒くさい人は「キリスト教シオニズム」に跳んでください。
なおうちの奥さんの信仰には旧約聖書などいうものは無く、「きよしこの夜」の家畜小屋から始まります。「キリスト教は・・・」とか「イスラム教は・・・」などと大上段に切り捨てる人は、もっと宗教を勉強してください。
■波乱万丈のユダヤ人
昨日は‟ディアスポラ”まで書きましたが、現代社会においてユダヤ人という民族はありません。
‟ディアスポラ” 以降、世界各地で共同体を形成し、固有の宗教や歴史を有する集団として定着してきましたので、民族という性格ではなく、はっきりした定義はありませんが、ユダヤ教を信仰する事と母親がユダヤ人であることが条件のように言われます。しかし必ずしもそうでもなく、ユダヤ教徒以外の者もいますので、ユダヤ人ではなくユダヤ系○○人というべきではないかと思います。
ユダヤ人の歴史
‟旧約聖書”には民族史的な性格がありますが、‟旧約聖書”によれば、パレスチナで牧畜に従事していたユダヤ人(これは後の名称で、自らはイスラエル人と称し、エジプトではヘブライ人と言われた)が、飢饉に遭遇し、豊かなエジプトに移動して、農耕生活を営むようになりました。
しかし新たなエジプトの王(ファラオ)がイスラエル人の豊かな生活をねたみ、奴隷として都の造営などに使役することになった。ファラオはイスラエル人の反発を恐れ、男の子を皆殺しにすることを命じたが、一人の男の子だけは葦船に乗せられて助けられました。
この男の子が‟モーセ”(物語調に書かれていますのでご一読を)で、BC13世紀ごろ、‟モーセ”はヘブライ人を引き連れて「約束の地カナン」を目指します。そしてイスラエル王国が生まれました。
しかしソロモン王の死後、BC930年頃、北のイスラエル王国と南のユダ王国に分裂します。
BC597~598ごろ、 ‟新バビロニア”の王 ネブカドネザルはユダ王国の首都エルサレムを攻略し、ユダ王国を征服し、生き残った人々の大半をバビロンに強制移住(‟バビロン捕囚”)させました。
そして‟バビロン捕囚”後はユダヤ人と呼ばれるようになりました。
この後さらにBC538年、‟バビロン捕囚”はペルシャによって解放され、エルサレムに神殿が再建され、さらにBC37年からのローマ・ヘロデ朝によりAD6年パレスチナはローマ属州となりました。
そしてイエスの誕生、エルサレム入城そして宮清め、処刑・復活、ユダヤ戦争、‟ディアスポラ”となりました。
- 蛇足ですが、 BCはBefore Christの略ですが、非キリスト教との関係から「BC」から 「BCE」(Before Common Eraの略) への切り替えが広がっているそうです。
- A.D.またADはラテン語の「アンノドミニ (Anno Domini)」の略で「主(イエス・キリスト)の年に」という意味で西暦紀元、キリスト紀元 ですが、これも 非キリスト教徒との関係から、ADの代わりにCommon Era(略:CE、「共通紀元」の意)へ切り替えが進んでいるそうです。
■中世ヨーロッパとユダヤ人
‟ディアスポラ”で各地に散ったユダヤ人ですが、中世ヨーロッパはキリスト教社会。
イエスを処刑させたユダヤ人は迫害を受けます。
土地の所有は許されず、就ける職業も制約されたとされます。
そして迫害されるユダヤ人が就けた職業のひとつがゴールドスミス(金細工師)でした。
- ゴールドスミスは金庫を持ち金を預かり預かり預かり証を渡していましたが、やがて金の代わりに金の預かり証が取引に使われるようになり、紙幣が生まれます。
- 当時キリスト教はお金を貸して利息を取る事を禁じられていましたが、ユダヤ教は他教徒に対しては禁じられておらず、貸金業も始まります。
世界各地に散ったユダヤ人は貿易はじめ為替、保険、株式会社など現在の経済の基礎を作ったといわれます。
そしてロスチャイルド伝説に見られるように、世界の金融の支配者となります。
- 18世紀後半、フランクフルトのゲットー(ユダヤ人隔離居住区)出身のマイアー・アムシェル・ロートシルトは銀行家として成功し宮廷ユダヤ人となりました。
- 彼の五人の息子はフランクフルト(長男アムシェル)、ウィーン(二男ザロモン)、ロンドン(三男ネイサン)、ナポリ(四男カール)、パリ(五男ジェームス)の五か所に分かれて銀行業を拡大させました。
- 伝説の始まりは三男のネイサンからです。
- 1798年、21歳で英国に渡った彼は1815年のワーテルローの戦いにより歴史的な莫大な利益をあげます。
- 以下「ネイサン・メイアー・ロスチャイルド」より引用
1815年のワーテルローの戦いは、ナポレオンが勝てばイギリスのコンソル公債は暴落し、イギリスが勝てば逆に高騰するだろうと言われていた。
- ネイサンはロスチャイルド家の素早い情報伝達体制を駆使して、いち早くイギリス勝利の情報を掴んだ。
- ロスチャイルド家の優れた情報収集体制は金融界に知れ渡っていたから、みなネイサンの動向を注視していた。
- そこでネイサンはまず公債を売った。
- それを見た他の投資家たちはイギリスの敗戦を確信し、一斉に売りに入った。
- 公債が暴落したところでネイサンは急遽莫大な量の買いに入った。
- イギリスの勝利の報告が入ると公債は急騰し、ネイサンは莫大な利益を上げることに成功した。
- これは「ネイサンの逆売り」として伝説化した[7][8](ただしこの伝説は後世の創作とする説もある)。
こういうユダヤ人の経済力が反ユダヤ主義や後にナチス台頭に繋がったと思います。
それがシオニズムに繋がったというのが一般的な見方かもしれませんが、しかしシオニズムは19世紀末から20世紀。
対してキリスト教のプロテスタント原理主義者からは、17世紀にすでに狂信的なキリスト教シオニズムが始まっています。
■シオニズム
19世紀末、ヨーロッパでは激しい反ユダヤ主義が吹き荒れていました。
そして‟ドレフュス事件”を取材していたオーストリア人記者テオドール・ヘルツルは、ユダヤ人自ら国家を建設し諸外国に承認させることを訴えました。
- 1897年バーゼルで第1回シオニスト会議を主宰。後にヘルツルは建国の父といわれる。
- 1917年にイギリス外相が「パレスチナにおけるユダヤ人居住地の建設とその支援」を約束したバルフォア宣言が出され、1922年に国際連盟はバルフォア宣言の条文を使った委任統治領パレスチナの決議案を採択した。有名なイギリスの三枚舌外交です。
- 1947年に国際連合によるパレスチナ分割決議を経て、1948年にイスラエルが建国され、ユダヤ国家が誕生した。
この辺の経緯を見ると、アラブが気の毒になります。
■キリスト教シオニズム
ヘルツルによるシオニズムは20世紀からですが、キリスト教の一部には、17世紀からシオニズムが始まっていました。
15世紀半ば~16世紀、グーテンベルクの活版印刷がキリスト教を変えました。
それまで手書きで複写されていた聖書は、ごく一部の者にしか手に入らないものでした。
- グーテンベルクは聖書を印刷し、1455年、グーテンベルク聖書が発行されました。
- 16世紀前半、ルターは聖書をドイツ語に翻訳し、聖書が庶民のものとなります。
それまでのキリスト教は殆どがカトリックでしたが、聖書が普及し、ルターやカルヴァンの宗教改革により聖書を唯一の権威とするプロテスタントが生まれ、キリスト教は2分されます。
そしてプロテスタントのごく一部、特に聖書の言葉を全て正しいとする、プロテスタント原理主義者の中に、キリスト教シオニズムが生まれ、17世紀半ば、 「ユダヤ教徒は全てヨーロッパを離れてパレスチナへ帰るべきだ」 と主張するプロテスタントが出現し始めました。
イギリスの護国卿となったピューリタンのオリヴァー・クロムウェル(1599年~1658年)は 「パレスチナにユダヤ教徒が帰還すれば、それはキリスト再降臨の序曲になる」 と明言しました。
ここんとこ大事です。
これが今日の混迷の原因ですが、始まりは6人の妻と結婚し、うち 2人の妻に加えて多くの貴族、役人、友人、聖職者らを処刑した残忍なヘンリー8世。
英国国教会はカトリックでしたが、カトリックは離婚できません。
ヘンリー8世はキャサリン王妃と別れるためにヴァチカンに婚姻無効を認めるよう求めますが、認められず、英国国教会は“ローマ教皇庁”から離れ、プロテスタントとなります。
やがて英国国教会の中にガチガチの原理主義、 純粋なプロテスタントの信仰を求めるピューリタン が生まれ、その一部がアメリカ建国の始祖ピルグリム・ファーザーズとしてアメリカに渡ります。
完全小選挙区制のアメリカにおいて、プロテスタント原理主義者は共和党の大票田。
一選挙区当選者は1人のみの完全小選挙区の選挙制度の中で、世界は7日間で作られ、6日目に家畜獣と人間が作られたと信じ、進化論も地動説も地球が丸い事も信じないような人たちが大票田の国がアメリカともいえます。
■なぜにキリスト教シオニズム
それにはキリストの再降臨とハルマゲドンという事が大きいように思います。
“キリスト再降臨”とは天に昇ったとされるイエス・キリストが世界の終わりの時に、キリスト教徒を天へ導き入れるため、また、世界を義をもってさばくために、再び地上に降りてくることであるとされますが、その前提条件はユダヤ人が約束の地カナンに帰ること。
そして反キリストとの戦い、ハルマゲドン(イスラエルのメギドの丘の意味)でイエスが降臨し、ユダヤ教徒もキリスト教に改宗し、異教徒は滅び、至福の千年となるのです。
つまりキリスト教の最終勝利、シオニズムはそのための条件づくりなのです。
以下“イエス・キリストの再臨”より引用
イエス・キリストが再び地上に来られるときには,次のことを行われます。
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地球を清める。イエスが再び来られるときには,力と大いなる栄光に包まれておいでになります。そのとき,悪人は減ぼされます。朽ちるものはすべて焼き尽くされ,地球は火によって清められます(教義と聖約101:24-25参照)。
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主の民を裁く。再び来られるときに,イエスはすべての国民を裁き,義人と悪人を分けられるでしょう(マタイ25:31-46参照。本書第46章も参照)。黙示者ヨハネはこの裁きについて次のように記しています。「見ていると,かず多くの座があり,その上に人々がすわっていた。そして,彼らにさばきの権が与えられていた。また,イエスのあかしをし神の
言 を伝えたために首を切られた人々の霊がそこにおり,……彼らは生きかえって,キリストと共に千年の間,支配した。」また悪人は,「千年の期間が終 るまで生きかえらなかった。」(黙示20:4-5。教義と聖約88:95-98も参照) -
福千年の始まりを告げる。福千年とは,イエスが地上で統治される1,000年の期間を指します。義にかなった人は引き上げられ,おいでになるイエスにまみえます(教義と聖約88:96参照)。イエスの再臨は福千年の統治の幕開けとなります(本書第45章参照)。)
ハルマゲドン、反キリストとの最終戦争でイスラエルが滅びそうになったとき、イエス・キリストが再びこの世に現れれ、かつてイエスを信じず十字架にかけさせたユダヤ人は、今やイエスを救世主と認めてキリスト教に改宗し、信者にならなかった異教徒は焼き殺される。その後、1000年間の至福の時代が来る・・・・という狂信的なストーリーがキリスト教シオニズム。
歴史的に政治的にも複雑なパレスチナですが、宗教的に見るとプロテスタント原理主義者たちがイスラエルを利用してイエス・キリストの再降臨を目論見、もってキリスト教の最終勝利を目指すものといえます。
※政治的にはイスラエルを支援する事によって米国内のキリスト教原理主義者の支持を得る。
但しオバマ大統領までは国際世論にも配慮し、在イスラエル大使館の移設などはしなかった。
もちろんイスラエルもこのようなことは承知しており、互いに利用しあう関係であろうと思います。
アメリカ国内の社会の成功者であるユダヤ人は、シオニズムには否定的です。
しかし、ビジネスになれば利用すると思います。