保立さんの「現代語訳 老子」を少しずつ読んでいる。
※本の概略についてはこちらを参照
■第3部 王と平和と世直しと
第三課 平和主義と「やむを得ざる」戦争
第三課は、老子にとって戦争がいかなるものであったかという説明から始まる。
保立さんは、老子が生きた時代は戦国時代の後期であったことを踏まえてこう述べている。
老子は中国史上ではじめて起きた大量戦争死を経験するなかで、人間の生死について考えざるをえなかったのであろう。そしてそれが老子の思想が前代の孔子ともっとも異なる点であった。
※保立道久「現代語訳 老子」ちくま新書p380
戦争を目の当たりにした老子の指摘は鋭い。
原典46章を挙げる。
【現代語訳】
天下に道理があれば、軍用の早馬(はやうま)も田園に戻って耕作を助ける。天下に道理がないと、雌馬までが徴発されて、首都近郊の戦陣で子馬を産む。戦争の罪悪は大きすぎる欲に原因があり、その咎は欲得ずくでことにあたることにあり、その禍(うれい)は実は不足などないことを認知しようとしないことにある。それだから、実は足りていることを知っているという余裕こそ、もっとも大事な安息なのだ。
【書き下し文】
天下に道有れば、走馬を却(しりぞ)けられて以て糞(たづく)りし、天下に道無なければ、戎馬(じゅうば)の郊(こう)に生ず。罪は欲すべきより大なるは莫(な)く、咎は得るを欲するより大なるは莫く、禍(うれい)は足るを知らざるより大なるは莫し。故に足るを知るの足るは、恒に足る。
※保立道久「現代語訳 老子」ちくま新書p383-384
保立さんは、書き下し文の前半部分に相当する箇所は帛書成立までの間に書き足されたものであり、最初は後半部分のみの「知足」の人生訓を述べたものであったとしている。
そして前半部分が加えられたことにより、「天下に必要な諸物資は本来足りているのだという社会認識が示された」(p385)ことの重要性を指摘している。
世界には全人口分の食糧が有り、無いのは合意だというガンジーの言葉が思い出される。
戦争の原因を大きすぎる欲だとしている点も含めて良い訳であると思う。
次に原典31章を挙げる。
【現代語訳】
兵器は不吉な道具であり、その物の気配はつねに禍々(まがまが)しい。有道の士はその境にいないようにしたい。だから君子は平時には左の上席にいるが、兵器を用いるときはその席を離れて右側の下席に移るのだ。兵器は不吉な物であって、本来、君子が用いるべきものではない。やむを得ず用いる場合は淡々と薄暗い気持ちで、勝っても上手くいったとも感じない。上手くやったなどという者がいれば、それは殺人を楽しんだということである。殺人を楽しむような者は、世の中で自分の志を得ることはできない。そもそも吉事には左側の席をあて、凶事には右側の席をあてる。副将軍が左にいて、正規の上将軍が右にいるのであるが、これは葬礼の規則と同じように席を決めているのである。敵を多く殺せば悲嘆の気が場に満ち、戦勝はまさに葬礼の場となる。
【書き下し文】
夫(そ)れ兵は不祥の器(うつわ)にして、物或(つね)に之悪し。故に有道者は処(お)らず。君子、居らば則ち左を貴(とうと)び、兵を用うれば則ち右を貴ぶ。兵は不祥の器にして、君子の器に非ず。已(や)むを得ずして之を用うれば、恬惔(てんたん)なるを上(じょう)と為し、勝ちても美しとせず。もしこれを美しとする者あらば、是れ人を殺すを楽しむなり。夫れ人を殺すを楽しむ者は、則ち以て志を天下に得べからず。吉事には左を尚(たつと)び、凶事には右を尚ぶ。偏将軍(へんしょうぐん)は左に居り、上将軍(じょうしょうぐん)は右に居る。喪礼を以て之に処(お)るを言うなり。人を殺すことの衆(おお)きには、悲哀を以て之に臨み、戦い勝てば、喪礼を以って之に処る。
※保立道久「現代語訳 老子」ちくま新書p389-390
長い章であるが全文を引用した。
端的に言えば、戦争とは「勝っても上手くいったとも感じない」ものであり、「戦勝はまさに葬礼の場となる」ということであるが、その説明と心理描写も挙げておきたかった。
保立さんの、老子は戦闘を指揮する立場に立ったことがあるのではないかという指摘はもっともであると思う。
老子は実際に戦闘を指揮する立場に立ったことがあるのではないか。敵を多く殺せば悲嘆の気が場に満ち、戦勝はまさに葬礼の場となるなどという言葉は、そうでなくてはなかなか吐けるものではないと思う。
※保立道久「現代語訳 老子」ちくま新書p393
さて、話は具体的な権謀術数の中身へと進んでいくので、次の記事とする。
▼保立道久「現代語訳 老子」ちくま新書2018
【目次】
序 老子と『老子』について
第1部 「運・鈍・根」で生きる第一課 じょうぶな頭とかしこい体になるために
第二課 「善」と「信」の哲学
第三課 女と男が身体を知り、身体を守る
第四課 老年と人生の諦観
第2部 星空と神話と「士」の実践哲学第一課 宇宙の生成と「道」
第二課 女神と鬼神の神話、その行方
第三課 「士」の矜持と道と徳の哲学
第四課 「士」と民衆、その周辺
第3部 王と平和と世直しと第一課 王権を補佐する
第二課 「世直し」の思想
第三課 平和主義と「やむを得ざる」戦争
第四課 帝国と連邦制の理想