日々是本日

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bookudakoji の本ブログ

 ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の「日本の面影」関連の記事を書いてきたが、多数の記事に分かれてしまっているので、リンクのまとめ記事を作っておくことにした。

 

100分de名著:小泉八雲「日本の面影」

 

番組の各回の概要とNHKの小泉八雲関連番組の紹介

 

番組の各回についての感想

・ 100分de名著:小泉八雲「日本の面影」(2015年7月)※アンコール放送 第一回

・ 100分de名著:小泉八雲「日本の面影」(2015年7月)※アンコール放送 第二回

・ 100分de名著:小泉八雲「日本の面影」(2015年7月)※アンコール放送 第三回

・ 100分de名著:小泉八雲「日本の面影」(2015年7月)※アンコール放送 第四回

 

小泉八雲「怪談」の感想記事一覧

 過去の小泉八雲「怪談」の感想記事については、下記の記事末尾の一覧を参照されたい。

 

 

 

ラフカディオ・ハーン「新編 日本の面影」角川ソフィア文庫

 

角川ソフィア文庫版の概要

 角川ソフィア文庫版の概要、全体の構成、完訳版との対応などについては下記の記事を参照されたい。

 

 

ラフカディオ・ハーン「新編 日本の面影」角川ソフィア文庫2000

新編 日本の面影 (角川ソフィア文庫)

 

【目次】と記事へのリンク ※[]は完訳版の対応する章

 

はじめに
東洋の第一日目 [第1章]
盆踊り [第6章]
神々の国の首都 [第7章]

 

杵築──日本最古の神社 [第8章]
子供たちの死霊の岩屋で──加賀の潜戸 [第9章]
日本海に沿って [第21章]

 

▼ ラフカディオ・ハーン「新編 日本の面影」角川ソフィア文庫2000(その4)

日本の庭にて [第16章]

 

▼ ラフカディオ・ハーン「新編 日本の面影」角川ソフィア文庫2000(その5)

英語教師の日記から [第19章]
日本人の微笑 [第22章]
さようなら [第27章]

 

ラフカディオ・ハーン「新編 日本の面影 II」角川ソフィア文庫2015

新編 日本の面影 II (角川ソフィア文庫)

 

【目次】と記事へのリンク ※[]は完訳版の対応する章

 

▼ ラフカディオ・ハーン「新編 日本の面影 II」角川ソフィア文庫2015(その1)

弘法大師の書 [第2章]
鎌倉・江ノ島詣で [第4章]

 

▼ ラフカディオ・ハーン「新編 日本の面影 II」角川ソフィア文庫2015(その2)

盆市 [第5章]
美保関にて [第10章]
日御碕にて [第12章]
八重垣神社 [第14章]
狐 [第15章]
二つの珍しい祭日 [第20章]
伯耆から隠岐へ [第23章]


▼ ラフカディオ・ハーン「新編 日本の面影 II」角川ソフィア文庫2015(その3)

幽霊とお化け [第25章]

思い出の記  小泉節子

 

おまけ

 この機会に小泉八雲さんの生涯と人となりをもう少し知っておこうと思って、こんな本も読んでみた。

 

▼ 歴史の謎を探る会 (編集)

 「小泉八雲と『怪談』の世界がわかる本」

 KAWADE夢文庫2025

 

小泉八雲と「怪談」の世界がわかる本 (KAWADE夢文庫 K 1211)

【目次】

 

1 出生から青春期、渡米するまで
  ―「異界」への扉はいつ、開かれたのか?

2 最初の結婚から、日本行きを決意するまで
  ―挫折を乗り越え、日本文化に恋する

3 来日からセツとの出会い、松江での暮らしまで
  ―生徒たちに慕われる「ヘルン先生」誕生

4 熊本・神戸・東京での日々から、晩年まで
  ―日本に帰化し、変わりゆく国に生きる

5 「好き嫌い」から、遺言状の中身まで
  ―もっと知りたい!八雲という人間

6 講義の内容から、後世の評価まで
  ―もっと知りたい!八雲が残した功績

7 代表作品の概要から、著作紹介まで
  ―八雲が深く愛した「怪談」を味わう

 

 章のタイトルの観点からそれぞれ幾つかの情報が簡単に紹介されていて、小泉八雲さんの生涯とその背景を肉付けすることができた。

 

 折角なので、以下に二点ほど内容を紹介して終わりたい。

 

 

ニューヨークを出発する時の後ろ姿

 角川ソフィア文庫版のカバー右下にある両手に鞄を持って歩いている人の絵は小泉八雲さんの後ろ姿である。契約していた出版社の挿絵画家・ウェルドンがニューヨークを出発する時に描いたそうである。思ったよりも小柄な印象であった。

 

 哀愁を感じるのは感情移入しすぎだろうか。

 

新編 日本の面影 (角川ソフィア文庫)

 

新編 日本の面影 II (角川ソフィア文庫)

 

 

東京帝大での講義録より

 小泉八雲さんは熊本での教師生活の後、神戸での出版社の仕事をしてから、東京帝大の英文科講師の職に就いている。

 

 東京帝大での講義は好評だったようで、学生によって一語一語記録された講義内容が、後日講義録としてアメリカで出版されたそうである。

 

 その講義録からはこんな内容が引用されていた。

 

「文学者は自分の苦悩を忘れるために書くべきだ、などと言っているのではない。それは駆け出しにとって、少年じみた努力にとっては大変結構なことだろう。だが

強い人間はそうした方法で忘れようとすべきではない。反対に、自分の嘆きについ

て大いに考え、 それはこの世の苦海に落ちたわずか一滴の水にすぎぬと思い、勇気をもって嘆きに思いをめぐらせ、それを美しい非個人的な形式に翻訳しようと考え

るべきである」

 苦海を知り尽くした人の言葉は重い。さらに八雲はこう続けた。

「いかなる人であっても、自分の特別な嘆きや、個人的な損失、自身の痛みを、一瞬にせよ、文学的に何か価値あるものだなどと想像してはいけない。それは人間の生活が背負っている巨大な痛みを本当に象徴しないかぎり、価値ある文学とはなりえないのである」(p116-117)

 

 小泉八雲さんの苦労が窺えるだけでなく、自分の作品にもこの価値を追求していたのではないかと思われた。