本にアレンジがあってもいいと思う/【新釈】走れメロス
森見登美彦
- 新釈 走れメロス 他四篇/森見 登美彦
- ¥1,470
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限られた範囲で人気のある森見登美彦の作品を初めて読みました。
森見が気に入った作品を自分流に書き直した短編集です。
思っていたよりもくどくなく、軽くもなく、面白く読めました。
登場人物が関連した連作となっているのも、なかなか面白かったです。
山月記
あの中島敦の名作をアレンジしたものです。
トラになる進士を京大の学生にしたもので、主人公の救われない尊大さと目指す方向の正しさに心打たれます。
藪の中
芥川龍之介の作品ですが、原作は未読です。でも大体はしっているつもりです。
内容は大きく変わっていて「視点によって物語は大きく変わる」という部分だけ同じです。
うまいことつくってありますが、こういう構造で読ませるような小説は中身が薄くなりがちなのであまり好きではありません。本編もそうでした。
走れメロス
三島由紀夫の青春物語を完全にナンセンスパロディ化。
もちろん中身はないですが、ここまでナンセンスに徹すれば面白い。
頭を空っぽにして楽しめました。
桜の森の満開の下
坂口安吾の有名作品の雰囲気を借りたある作家の出世物語ですが、森美登美彦と重ねてみることができ、なかなか興味深くあります。山月記にもうまく絡み、自分の意志ではどうにもならない自分の感じが桜の様子と合わせ静かによく冷えて書かれています。
百物語
森鴎外の原書を未読のため、よくわかりませんが夏の暑さの不快感が他の何かと結びつく感じがよかったですが、無内容といえば無内容でした。
それぞれ雰囲気もあり、なかなか楽しく読むことができました。
モリミーファンは、山月記と桜の森の満開の下は必見でしょう。
作者のわなかもしれませんが、それでもモリミー本人の一部が垣間見れるような気がします。
うまいなーと思いつつ、深さや内容に疑問がもたれました。
アレンジもここまで主題を自分のものにできたら、原典と比べてどちらがいいというのも無意味なものでしょう。
森見登美彦のチャレンジ精神に拍手を送りたいと思います。
ほかの作品も読みたくなりましたが、これを読んでイメージとあまり違わなかった分、新しい本に出会えるという感じではなくなってしまい、読みたいような読みたくないような。
いつもの、ハードで不器用で、だけど愛があるやつ下さい/ダーティ・ワーク
ダーティーワーク
絲山 秋子
- ダーティ・ワーク/絲山 秋子
- ¥1,365
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ロックをガンガン聞きながら静かに飲むウィスキーに似た雰囲気のある作品でした。
絲山 秋子の得意技である、「結局、不器用な生き方しかできないんだよ、私」といういつものです。
短編集であり、かつ登場人物がリンクしているので、各短編ごとに人物を紹介してみました。
worried about you
熊井望 主人公。ギタリスト。ぶっきらぼうで男っぽい。
坂井 ベーシスト。熊井と仕事がよくいっしょになる。
稲本 手配師。熊井は稲本からほとんどの仕事を受ける。
TT 熊井の学生時代の友人。熊井はTTに恋心あり。
塩垣 普通の会社員。坂井からの紹介でつきあってみる。
TT弟 兄弟仲悪し。なんとなく熊井は弟とできてしまう。
不器用な熊井の日常と熊井が健康診断に行く話
sympathy for the devil
津山貴子 主人公。輸入車販売会社の広報。かまってくれない彼氏に不満。
辰也 貴子の彼。郵便局員。
津山兄 議員秘書。多弁。M
津山麻子 兄嫁。旧姓鴨志田。海外のNGO勤務。優秀。刺青。S
貴子の日常と、義姉と初めて温泉旅行に行く話
moonlight mile
遠井 元新聞記者。今はカメを飼っている。神原にふられた経験あり。
神原美雪 悪性リンパ腫。男っぽい。痛みのため安楽死を望んでいる。
旧友の神原から突然遠井にメールが届き、病状と会いたい旨が伝えられる。そして病院で再会
before they make me run
遠井弟 無職。パチスロ通い。会社を辞めた兄を心配している。
辰也 貴子以外に3人の女性M,K,Sと付き合っている。
高田 熊井友人。外食チェーン勤務。
遠井弟のパチスロ的日常。辰也の4股的日常。高田の一般人的日常。3つの話がランダムに語られている。
miss you
持田 歯科助手。辰也と付き合っている。姉にブーケを作っている。
辻森 花屋。持田のブーケ作成を手伝う。ぶっきらぼうだがやさしい。
持田姉 東大出。優秀。なにをやっても長続きしない。できちゃった婚。
義一郎 持田姉夫。家具などの通販が仕事。マッチョ。
持田が姉へのブーケを辻森に教わりながら、日常を回想
back to zero
遠井 カメがいなくなった。ひきこもる。辻森の写真で熊井に再会。
辻森慶一 遠井とは病院で知り合う。写真展をやる。麻子の元夫。
辻森に呼び出され遠井は写真展を見て、飯を食う。熊井との再会のため再就職を決意。
beast of burden
熊井と遠井の再会。同棲後妊娠。神原の電話で喧嘩。高田に会う。
と大体こんな感じ(一部間違いはあるかもしれないですが)。
登場人物はみんな不器用で、でもなんとか自分を曲げずに生きていこうともがいている様子が淡々と書かれています。
短編になった分、ぐっと密度があがり、においの強いシングルモルトをゆっくりと味わって、喉を焼くような、そんな小説です。
無駄が少なく、一番絲山 秋子らしい作品になったのではないでしょうか。
絶妙な場所と目立たないけど怖い人/真鶴
真鶴
川上弘美
- 川上 弘美
- 真鶴
歩いていると、ついてくるものがあった。
と始まる「真鶴」
夫の失踪後、母と娘と3人で同居しながら、妻子ある男性と関係を持ち、失踪した夫を思う話です。
夫とのかつての関係を思い、今の不倫相手との関係を思い、娘に親としての好悪感を感じ、その逆の思いを母にも感じる。
そういった日常を過ごしていきながら、愛した夫が失踪したということが信じられない。そしていつまでも夫のことを思っているうちに異界にいた、そこが真鶴でした。
異界に入ってでも夫に会いたい、何をやっても10年以上もたったいまでも日常生活で夫のことを忘れられない。
そういった日々を、川上弘美独特の、論理的な思考でも積極的なマイナスの行動でもない、日常の延長のままの感情で描き出していきます。
私自身、川上弘美の作品については、「こういう変わった人、でも誰かに似ている人は、どんな風に世界をみているんだろうか」という興味で読んでいます。
しかし怖いですよ。
設定は、夫の謎の失踪。親も子もいる。「すべて夫が悪く、私には家族がいる」ということで世間上は決着がつけられる状況で、そんなことは思いもつかないように、ずっと失踪した夫を思っている。
その、夫を思う気持ちは、異界を出現させ、何かがついてくることも許してしまうほどです。
その思いがあるきっかけでほどけていくのですが、それがなければいったいほどけたりしていたのか。
こういう自分の中の感情を基本にして生きていくことの上手くいったときの愛に包まれた状態と、上手くいかなかったときの先の見えない絶望感をいったりきたりする行き方は、私とは大分離れているのですが、逆にそういう人もいるということの認識に役立ちます。
こういう感情が基本の作品は、書き方を間違えると見るも無残なエゴ小説になってしまいますが、上手に自分を突き放して、感情に流されず論理的になりすぎず、うまくその状況を言葉であらわす技は、さすがは川上弘美ですね。この「真鶴」ではストーリーを見失わない程度に論理的でありながら、ずっぽりと異世界に漂っています。いよいよ川上弘美の世界が極まってきた感があります。
ただ洗練とは言い換えれば先細ることで、このままこの世界を完成していくのか、別の現実世界とのコミットを物語りにしていくのか、見守りたいところです。
クオンツ(プログラマ(物理学者))
- 物理学者、ウォール街を往く。―クオンツへの転進/
- エマニュエル ダーマン
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証券会社がデリバティブ(金融派生商品)を作る際に、その商品を構成する数式を作成する人のことです。
たとえばアメリカの国債と日本の国債とEUの国債を組み合わせ、「このぐらいのリスクを考えればこのぐらいの幅で値が動いてこのぐらいマージンを乗せれば商品になる」というのを数式にしてあらわせる人たちです。
数式として表せることで、債券市場が動いても即座に商品の値を出せるわけですね。
この分野、金融工学というのですが、金融の知識と確率微分方程式の知識が必要で、非常に特殊な職なのですが、この職についてその名をはせた人の自伝です。
といってもほぼ半分は物理学者やプログラマとしての生活を書いていて、残りの半分が「クオンツ」としての生活です。
個人的には物理学者の部分を非常に興味深く読みました。
南アフリカからアメリカに、当時一番活気のあった素粒子の研究のために留学しにきたのですが、そのキラ星のごとく輝くアインシュタイン、ファインマンなどの話から、実際に物理の素粒子の世界で研究者としてやってく大変さ。
つまり、博士課程終了後は、いきなり研究内容で助手や研究員としての就職が決まり、その競争は注目されている分野ということで数倍から数十倍の募集があるようです。
そういった分野で就職を得るために、独力で研究テーマを見つけ、面白い結果を出し、学会で認められ、やっと人事担当にこいつなら自分の下においてもいいなと思わせて、就職後は短期間のうちに成果を出して長期計画に結びつける、という非常に厳しい生存競争を、行わなくてはなりません。
この本の著者、ダーマンはけっして優秀でないわけではありません。
ただ、特に優秀、というわけではなかっただけです。
非常に難しい博士課程を終了後、あるアイディアを得てある研究職で2-3年その研究にうちこんで研究発表を行いました。
それなりの成果を得たようですが、その研究職はそこで終わり、地方の大学に就職。知的刺激が少なくアイディアも得られず、家族とも離れ私生活もイマイチ。このあたりで物理学者として生活していくことに見切りをつけます。
それは、この本を執筆している時点でも後ろ髪を引かれる思いのようですが、生活のためには仕方がありません。
あふれるアイディアとそれを実現していく力がないと物理学者を続けられないんですね。厳しい世界です。
次に技術者(プログラマ)としてAT&Tに就職。言語開発に携わります。
言語開発の初期のころにあたり、それなりに楽しんでいたようですが、大会社の官僚的な雰囲気と、言語開発者としての才能も優秀ではあるが特に優秀ではないところもあり、転職を考えます。
それがクオンツでした。
証券会社になにをやるかよくわからずに就職。
当時デリバティブが始まったころで、金融工学もできていないころ。
手探りで営業の求めている使い安く正確な数式を作成していきます。
理論物理学で養った現象を数式に落とし込む力とそれを誰もが使いこなせるかタイにするプログラマとしての力。
その二つを併せ持っていたことで、ダーマンはクオンツとして成功を収めていったようです。
本人も金融という現象を解明していくという仕事(もちろんそれだけでないですが)に非常にやりがいを感じているようでこの分野で有名な理論も打ち立てているようです。
デリバティブ、なんていうと胡散臭い儲け話、というイメージしかありませんでしたが、それぞれの分野で一生懸命やっていくうちに当初考えている場所とは違うところで成功を収める話として、とても参考になりました。
デリバティブ自体にはある程度その内容がわかるようになり、その商品構成によって銀行預金のようなものから小豆相場の二乗みたいなものまで存在しうることがわかり、ま、一概に怖いものという感じもしなくなりました。
本自体は1度も数式を出さずグラフで説明していましたが、数式を1つ出すたびにウン万読者が減るという言い伝えがアメリカの出版社にはあるらしいく、そのせいでしょうか。
わかりやすいようなわかりにくいような。
デリバティブの儲け話以外の部分や物理学者の裏話に興味のある方には、なかなか面白くよめるのではないかと思います。
村上春樹の原型/グレート・ギャツビー
グレート・ギャツビー
スコット・フィッツジェラルド
- スコット フィッツジェラルド, Francis Scott Fitzgerald, 村上 春樹, 村上春樹
- グレート・ギャツビー
さてこの本、村上春樹が「僕にとって“The Novel“といえばこの本になる」とまでいわせた本、ということでかつてチャレンジしましたが、途中挫折した本です。
数多の読書を超えて再挑戦です。
村上春樹による満を持しての新訳です。
あとがきにも
「僕は要所要所で、小説家としての想像力を活用して翻訳を行った」
「そういう作業なしには、フィッツジェラルドの文章は本来の力を発揮できないようなに思えたからだ。」
「まずひとつは、これを「現代の物語」にすることだった」
とあるように、今回村上春樹はけっこう突っ込んで訳しています。
本人もいうようにこの本の翻訳は意訳、もしくは「個人的レベルでなされたもの」といってもいいぐらいかもしれません。
では当然あるであろう批判を省みずなぜそんなことをやったのか。
村上春樹の周りでさえ、「グレート・ギャツビー」にたいする評価は低く、それに対して
「『グレート・ギャツビー』はすべての情景がきわめて繊細に鮮やかに描写され、すべての情念や感情がきわめて精緻に、そして多義的に言語化された文学作品であり、英語で一行一行丁寧に読んでいかないことには、その素晴らしさが十全に理解できない、というところも結局はあるからだ」
といっています。
そこで読者により正しく読んでもらうためにより踏み込んだ翻訳を行った、ということです。
で結局その結果はどうだったのかということですが、途中投げ出すこともなく最後まで読め「なるほどそういう小説だったのか」と思ってしまいました。
あらすじはネタバレになりますが
アメリカのかつての恐慌前のバブルの時代、NYで証券会社の社員として勤めている主人公。
バブルの浮かれた騒ぎの中で違和感を感じながら日々を暮らしています。
ある日、古い知り合いから自分の隣に住んでいるギャツビーという青年の話を聞きます。
大邸宅での浮かれた、バブルの象徴のような毎夜のパーティー。
ある日主人公がそのパーティーに誘われ、知り合いの一人を連れてそのパーティーに参加したところ、なぜそんなパーティーをやっていたかが分かります。
それは、主人公の遠い親戚で、すぐ近くに住んでいる女性、ディジーと戦争前に結婚の約束までしていたものの、戦争から戻ってくるとディジーは、他の人と結婚していて、そのディジーと自然に再会するためにパーティーに主人公を誘った、というものでした。
そしていよいよ再会。再び恋に落ちます。
そしていよいよディジー夫婦とギャツビー、主人公と古い知り合いの前で、そのことを打ち明けるのです。
しかし、時は流れ日々は移ろいやすく、あれだけギャツビーのことを愛していたディジーも、今の夫から今まで一緒に過ごした時間のことやギャッツビーの怪しい素性のことなどを言われると、恋以外のもろもろのことを考え本当に自分にとって必要な人物が、ギャツビーなのか、自分の夫なのか、分からなくなってしまいます。
そしてその現場からギャツビーとディジーはディジーの運転で帰宅。その途中、ディジーの夫が不倫している相手を轢いてしまいます。
そしてそのことを知ったディジーの夫は、自分の不倫相手の夫にあることを打ち明け、その夫はギャツビーを撃ち殺し、自分も自殺してしまいます。
プロットとしてはよくできていますが、あまりにご都合な展開。
そしてなにより金持ちの恋だの不倫だの浮ついた無内容な出来事。
かつて途中で投げ出したのもよく分かります。
小説の筋だけ読んでいたら、あまりにも軽薄すぎます。
しかし、村上春樹の訳だからでしょうか。
一文一文が心情に沿い、その言わんとしていることが分かるようになってくると、鼻についていた軽薄さが、時代や個人についているものではなく、人一人に宿命的についている悲しさのように感じられ、そう思えるとすべてが拓情的に感じられるようになります。
すべての文章からそういった濃厚な情感が感じられるようになると、一文一文が強い匂いを放つようになり、容易に読み進むことができません。
そしてこの文章があのプロットに合わさることで、なるほどこの作品が一種の傑作であることが分かるようになります。
そういった本筋とは別に、読み始めて思ったのは、なんて村上春樹に似ているんだ、ということです。
最初の父親からのアドバイスについて語るところは、『風の歌を聴け』の冒頭に(口調が)
人の話をよく聞く話は『回転木馬のデッドヒート』の冒頭に
ギャッツビーの金その他は持っているけど最愛の人とうまくいかないところは、
『ダンスダンスダンス』の五反田君や
『国境の南、太陽の西』のハジメ君
ディジーの内面とは関係のないイノセントな美しさは
『1973年のピンボール』の双子
『ダンスダンスダンス』のユキ
『スプートニクの恋人』のカスミ
まぁ、村上春樹が訳したからというよりも、こんなに「グレート・ギャツビー」に影響を受けていたんだな、ということに驚きました。
機会があれば旧訳を読んで、また新訳を読んでみたいです。
そういえば、映画もありましたね。
- フィツジェラルド, 野崎 孝
- グレート・ギャツビー
- パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン
- 華麗なるギャツビー
そこにいた人、全部/史上最大の作戦
史上最大の作戦
コーネリアス・ライアン
- コーネリアス ライアン, Cornelius Ryan, 広瀬 順弘
- 史上最大の作戦
- 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
- 史上最大の作戦
Dデイと名づけられた、1944年6月6日。
この日は、ドイツに侵略されたフランスに、連合軍が上陸作戦を開始した日です。
そしてこの日のみを詳細に取り上げたのが、この本「史上最大の作戦 The Longest Day」です。
関係者1000人に対するアンケート、700人に対するインタビューを行い、将軍から一般市民までその日をどのように過ごしたかをくまなく書いています。
驚いたのは、様々な要素にこの作戦が左右されていたことです。
・海岸を守るドイツ陸軍元帥ロンメルが、唯一その日のみ休暇をとっていた
・海岸を守る多くの幕僚たちが、ある将軍の誕生日を祝うために、現場を離れ将軍の家に集まっていた
偶然とはいえないものでも
・嵐の多いこの時期に上陸作戦があるとは、ほとんどのドイツ人が考えていなかった
・上陸作戦開始の暗号が漏れていたのに、「よくあるデマ」と誰も真に受けなかった
・ヒトラーとその周辺の命令系統の硬直化により、海岸付近の戦闘機の内陸への移動
・上陸後を確実に確認できるまで、内陸の大戦車部隊が動かなかった
などの要因がありました。
連合軍側も
・パラシュート部隊のほとんどが、予定していた地域に降下できなかった
・兵士や武器、戦車を乗せたグライダーを運転していたのは、飛行士ではなかった
・作戦の始動を天候不順で1日ずらしていた
・上陸日が漏れた
と失敗する要因はいくつもありました。
そして不思議なことに
・上陸数日前に「レンゴウグンノフランスジョウリクヲハッピョウ」という通信社の至急電報を受ける
・新聞のクロスワードに上陸作戦に関連のある語が頻繁にでていた
というようなこともありました。
上記のような、どちらに転ぶか分からない状況のなか、上陸作戦は始まりました。
ロンメル元帥が海岸を守る部隊に就任後、さらに増強した「大西洋の壁」といわれる要塞は十分な効力を発揮し、上陸部隊を苦しめましたが増援がなく、上陸作戦は成功します。
しかし、生存率が10-20%と考えられている海岸に突入するというのはどういう気分なのでしょうか。
国のために命を投げ出す、人のために命を投げ出す、というのはどうも種の保存の法則から遠く離れているようにおもえます。だって絶対死んでしまうんですよ。数時間後には。
かといって長期的にはドイツの侵略は目に見えていますし。
そういう状況で20万人以上がこの作戦に参加していた、というのは分かる部分もありますし、やっぱり分からない部分もあります。
ほかにも
・ロンメル元帥が自宅からノルマンディーに急行しているときに「私が連合軍なら2週間で戦争が終わる」とつぶやいてみたり
・連合軍兵士が上陸前夜、賭けで大勝した後、気になってその金をあえて負けてすってみたり
・ドイツ側に参加していたポーランド兵は、当然すぐに降伏したり
・パラシュートが協会屋根にひっかかり、しばらく死んだフリをしていたり
と細かい描写には事欠きません。
戦略戦術を詳細に書く、というよりそういったものを書きながら、現場の人は何を感じ何を考えていたのか、というところに力点を置かれた作品なので、非常に興味深く読めました。
いやぁ、しかし戦争では簡単に人が死んでしまいます。
いやなもんです。
映画化もしていましたね。
巨樹ブーム/樹木詣で
樹木詣で
牧野和治 監修
平凡社の別冊太陽です。
ムック本ですね。
全国各地の巨樹を、風土や歴史と合わせてカラー写真で紹介しています。
いやぁ、なかなかいいです。
一気に読むと飽きるんですが、日にちょっとづつ読んでいると、なかなか飽きません。
しかしどの樹もほとんどいわれがあり、空海が植えたとか、日蓮上人の杖を挿したら樹になったとか、まぁにわかには信じがたいんですが、逆にいわれがあるからこそ生き残ったともいえるのかな、と思いました。
最近にお気に入りの樹は若葉の黄緑が美しいカツラなんですが
・福井県大野市の白山神社のカツラ(白山信仰の祖、泰澄大師お手植え)
・山梨県上野原町の軍刀利神社のカツラ
・岩手県盛岡市の瀧源寺のシダレカツラ
と出ていました。
シダレカツラなんていいですね。
いつか見にいってみたいものです。
樹の種類は、クスとスギが多かったです。
長寿の樹の種類なんでしょうか。
全体は4章ぐらいに分かれていて、小文が最初に出ているのですが、これは知識があっても文が書けない見本みたいなもので、読みにくいことこの上なかったです。
短文だと読めるので、写真とそのいわれだけを興味深く読んでいました。
ブームになると人が多く集まるのは残念ですが、でもこんな本もでるので嬉しく、ブームも善悪しですね。
第一次世界大戦といってもイタリア/武器よさらば
武器よさらば
ヘミングウェイ
- E. ヘミングウェイ, E. Hemingway, 小泉 龍雄
- 武器よさらば
写真がないのもさびしいので、リスニング素材から。
そうかぁ、これがヘミングウェイかぁ。
と考えていいか疑問符が残りました。
あらすじは
第一次世界大戦にイタリアで参加した米国人が主人公。
はじめは戦火もたいしたこともなく、女と酒の日々の中、イギリス人看護婦に恋。
そして戦火が激しくなり負傷。ここで看護婦と激しく恋に落ち、妊娠。そして前線へ戻ります。
しかし前線は崩壊し、敗走。途中イタリア憲兵に殺されそうになりますが、辛くも逃げ出します。
ドイツ人とイタリア人を避け、イギリス人看護婦と嵐のなかスイスに手漕ぎボートで逃げ出します。
そしてスイスで甘い日々を送った後、出産。が、出産がうまくいかず母子ともに死去。
主人公は途方にくれてしまいます。
と、そんな感じです。
ヘミングウェイ流の心理描写の少ないハードボイルドタッチは理解しながらも、戦争の細かい書き込みが足りず、恋については枝葉末節が冗長(特に会話)に感じました。
確かに敗走の際の理不尽さは特筆すべきものがありますが、戦争の悲惨さを伝えるには、他にも色々な作品があります(「本当の戦争の話をしよう」とかベトナムモノにはそういったものが多いですね)。
第一次世界大戦ですでに戦争の悲惨さを日常レベルで書いていたのが素晴らしいのかもしれませんが、同じ戦争を描いた「西部戦線異常なし」のほうがよりリアルに感じたように思います(昔読んだ話ですが)。
恋の話も、苦手なせいか、もしくは主人公とタイプが違うせいか、いまいち入り込めませんでした。
好き嫌いの会話があまりに無意味でありながらも熱っぽく(いやそういう部分こそ恋なのかもしれませんが)かの地がイタリアだから、とも考えてしまいました。
それともあまりに現実離れした戦争のリアルのため、「お話」として読んでしまったからかもしれません。
あらすじだけみると恋に戦争にというわけで映画向きの作品なのかもしれませんね。
と、色々文句はいっても最後まで読み通せたのは、リーダビリティもあるということだからでしょう。
うーん悪くはないのですが個人的には、「老人と海」ぐらいは読み返したいですが、他の長編は、何かフックがないとしばらくは読まないかも、というのが正直なところです。
ローカル便利屋エンターテイメント/三浦しをん
まほろ駅前多田便利軒
三浦しをん
- 三浦 しをん
- まほろ駅前多田便利軒
たまには最近のエンターテイメント小説を、と思い読んだ本です。
あらすじは、
なにやらワケアリな陰のある青年が営む便利屋に、こちらもワケアリな元級友が転がり込みます。
なんとなく追い出せずいると、旧友は便利屋を気ままに手伝いはじめ、そしてなぜか毎日が過ぎていきます。
そしてワケアリな理由が、だんだんと分かってきて・・・。
という感じです。
設定を東京の町田市?あたりにおき、ちぐはぐな二人の関係を巧妙な会話楽しみ、探偵家業のように次々と問題が向こうからやってくるといった便利な構成と登場人物のスタンス(文体)で読ませる小説でした。
各仕事ごとに短編になっており、その扉に「女性が書いたかっこいい男性像」みたいな絵が書かれていて、「や0い?」と一瞬引いてしまいましたが、話が地味な分主人公の二人をかっこよく設定しておかないと、さえない人のさえない話、になってしまうのでじつはそれなりに効果のある扉絵でした。
奇妙な仲の二人の会話や便利屋なのに犯罪に巻き込まれたりする部分は割と楽しめたのですが、「ワケアリ」な理由がいただけません。
ネタバレになりますが
主人公のワケアリは、相思相愛と思っていた夫婦生活だったのに妻が不倫。発覚後よりを戻すが直後に妊娠。出産して子供のDNA鑑定を受けずにいたところ、夜、夫が子供を見ていて、ふと寝てしまった間に子供が突然死。妻に「あなたのせい」「ごめんなさい」を繰り返され、離婚。
というワケアリですが、なんだか小説に深みを与えるためだけの設定のような気がしてしょうがないですね。
こういう問題を正面から扱うならそれはよしですが、その書かれた割合からも、読ませどころからしても、正面から取り上げたいわけでもなさそうです。
もちろんうまく書いているので、あからさまなそういった部分の傷はありませんが、だからこそ、それだけの技量をもっているからこそ、そういう誠意のない書き方はして欲しくなかったですね。
馬鹿話ならそれをそのまま続ければいいし、ワケアリを問題にしたいのなら、そういったアプローチをとればいいのに。
相方のワケアリもおおむね設定、といった感じをうけます。
ま、それも含めてエンタメ、と受け取ればいいんですが、記号化したワケアリの本なんてやっぱり私は楽しめません。
読んでいる間は楽しかったのに、読み終わればなんだかいろいろ文句が言いたくなってしまいました。
でも、ブログに書かなきゃここまで考えなかったかな、とも思いますが。
とここまで書いておきながら、直木賞受賞作なことが判明。
そうか、もうここまでワケアリはアリなんですね。
水深3000mの餌取り/マッコウクジラの自然誌
マッコウクジラの自然誌
加藤秀弘
- 加藤 秀弘
- マッコウクジラの自然誌
船の上から鯨のフルークス(尾びれ)を見ていると、その大きさになんだか癒されるような気がします・・・
というような環境クジライメージ本かと思いきや、バリバリのクジラ研究者の書いたリアルな本です。
前半の章は、「大マッコウとの出会い」「博物館づくり」と鯨と海の科学館 ができるまでのエピソード。
1987年、岩手県山田町にある捕鯨会社が、捕鯨禁止の世界的情勢が進む中、きっと最後になるであろう大マッコウクジラを捕まえました。それを会社のある人物が標本として村に寄贈しようと考え、研究者に協力を仰いだのですが、このあたりはすべてボランティアベースなのでしょう。筆者である研究者のいやいや岩手まで出かけ、実際実物を見ると研究者の血が騒ぎ現場に入り測量を行い、地中に埋めて脂ヌキまでを行います。
その後会社の担当者が志半ばで亡くなりながら、村では博物館を建設することを決定。
博物館の企画に立ち会いながら、3年後の1990年、骨の掘り出しを開始します。
そして専業者に成型や実物大の模型を作らせていきます。
後半の章は、「マッコウクジラの形態と進化」「マッコウクジラの生活史」「分布と回遊」とクジラの博物学です。
これが結構専門的ですが、書き方が口語なので内容は図鑑的でも一応読みやすくなっています。
興味深かったことをいくつかあげていくと
・マッコウクジラの特徴はなんといっても深海での摂餌。1000-3000mも潜り深海にいるイカや魚類を食べるそうです。
マッコウクジラの胃の中からしか発見されていないイカの種類もいるそうです。
・捕鯨禁止の科学的根拠となる生息数については、「いそうな場所を船で探し目視で観察。数年かけて地球上をカバーする」
というもので、しかもマッコウクジラの場合、その潜水能力のため、全体の生息数については正確には把握できないそうです。
・天敵はシャチのみ。シャチは食物連鎖の頂点にいるようです。ただし繁殖は5年に一回、一頭という繁殖力の弱さです。
・ストランディングといわれる、クジラが浅瀬に行ってしまう不思議な現象があり、色々な理由が挙がっています。
そのなかでも興味深かったのが、クジラは磁場により高低差がわかり、等高線にそって同じ高さで移動し、等高線が海岸線と直行してしまっている部分にストランディング(座礁?)してしまう、という説明です。
・頭に脳油といわれるものが満ちていて、定説ではないものの、潜る前には外気を鼻から入れて脳油を冷やして固形化しその比重で潜り、浮かび上がるときは毛細血管により脳油を暖め液状にもどして浮かび上がってくるのに利用される、というものです
実は後半の章は、本当は鯨と海の科学館 で展示される予定のないようだったのですが、予算縮小の(湾岸戦争による建築材料費の向上)あおりを受け、実現できなかったものを本にしたものです。
なるほど、奇妙な構成になっていると思ったらそんな理由があったんですね。
しかし、この本では触れられていませんが、捕鯨の是非、地方での博物館建設の意味とその運営の難しさ、クジラ学の方向性なども考えさせられます。
写真や図も豊富で、常に口語なので読みやすいですね。
全長17.6mはマッコウクジラの中でも最大級。
人との対比でその大きさに驚いてしまいます。
また解体写真もたくさん出てきていて、表紙のようなすばらしい癒し系の写真はほとんどありませんのでお気をつけて。
その代わり、胃の中にあった半解のイカや、イカの吸盤や雄同士の争いでつけられた頭の傷のアップはあったります。
極端に言ってしまえば血も涙もないクジラ本ですが、図鑑調にせず、ノンフィクション調にしたりと研究者なりのクジラへの愛がそこはかとなく感じられ、それなりに好印象でした。
しかし、あらためてマッコウクジラのことなんか何も知らなかったことを思い知らされました。
