村上春樹の原型/グレート・ギャツビー | できれば本に埋もれて眠りたい

村上春樹の原型/グレート・ギャツビー

グレート・ギャツビー

スコット・フィッツジェラルド


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グレート・ギャツビー

さてこの本、村上春樹が「僕にとって“The Novel“といえばこの本になる」とまでいわせた本、ということでかつてチャレンジしましたが、途中挫折した本です。

数多の読書を超えて再挑戦です。


村上春樹による満を持しての新訳です。

あとがきにも

「僕は要所要所で、小説家としての想像力を活用して翻訳を行った」

「そういう作業なしには、フィッツジェラルドの文章は本来の力を発揮できないようなに思えたからだ。」

「まずひとつは、これを「現代の物語」にすることだった」

とあるように、今回村上春樹はけっこう突っ込んで訳しています。

本人もいうようにこの本の翻訳は意訳、もしくは「個人的レベルでなされたもの」といってもいいぐらいかもしれません。

では当然あるであろう批判を省みずなぜそんなことをやったのか。


村上春樹の周りでさえ、「グレート・ギャツビー」にたいする評価は低く、それに対して

「『グレート・ギャツビー』はすべての情景がきわめて繊細に鮮やかに描写され、すべての情念や感情がきわめて精緻に、そして多義的に言語化された文学作品であり、英語で一行一行丁寧に読んでいかないことには、その素晴らしさが十全に理解できない、というところも結局はあるからだ」

といっています。


そこで読者により正しく読んでもらうためにより踏み込んだ翻訳を行った、ということです。



で結局その結果はどうだったのかということですが、途中投げ出すこともなく最後まで読め「なるほどそういう小説だったのか」と思ってしまいました。



あらすじはネタバレになりますが


アメリカのかつての恐慌前のバブルの時代、NYで証券会社の社員として勤めている主人公。

バブルの浮かれた騒ぎの中で違和感を感じながら日々を暮らしています。

ある日、古い知り合いから自分の隣に住んでいるギャツビーという青年の話を聞きます。

大邸宅での浮かれた、バブルの象徴のような毎夜のパーティー。

ある日主人公がそのパーティーに誘われ、知り合いの一人を連れてそのパーティーに参加したところ、なぜそんなパーティーをやっていたかが分かります。

それは、主人公の遠い親戚で、すぐ近くに住んでいる女性、ディジーと戦争前に結婚の約束までしていたものの、戦争から戻ってくるとディジーは、他の人と結婚していて、そのディジーと自然に再会するためにパーティーに主人公を誘った、というものでした。

そしていよいよ再会。再び恋に落ちます。

そしていよいよディジー夫婦とギャツビー、主人公と古い知り合いの前で、そのことを打ち明けるのです。

しかし、時は流れ日々は移ろいやすく、あれだけギャツビーのことを愛していたディジーも、今の夫から今まで一緒に過ごした時間のことやギャッツビーの怪しい素性のことなどを言われると、恋以外のもろもろのことを考え本当に自分にとって必要な人物が、ギャツビーなのか、自分の夫なのか、分からなくなってしまいます。

そしてその現場からギャツビーとディジーはディジーの運転で帰宅。その途中、ディジーの夫が不倫している相手を轢いてしまいます。

そしてそのことを知ったディジーの夫は、自分の不倫相手の夫にあることを打ち明け、その夫はギャツビーを撃ち殺し、自分も自殺してしまいます。



プロットとしてはよくできていますが、あまりにご都合な展開。

そしてなにより金持ちの恋だの不倫だの浮ついた無内容な出来事。

かつて途中で投げ出したのもよく分かります。

小説の筋だけ読んでいたら、あまりにも軽薄すぎます。



しかし、村上春樹の訳だからでしょうか。

一文一文が心情に沿い、その言わんとしていることが分かるようになってくると、鼻についていた軽薄さが、時代や個人についているものではなく、人一人に宿命的についている悲しさのように感じられ、そう思えるとすべてが拓情的に感じられるようになります。


すべての文章からそういった濃厚な情感が感じられるようになると、一文一文が強い匂いを放つようになり、容易に読み進むことができません。


そしてこの文章があのプロットに合わさることで、なるほどこの作品が一種の傑作であることが分かるようになります。



そういった本筋とは別に、読み始めて思ったのは、なんて村上春樹に似ているんだ、ということです。


最初の父親からのアドバイスについて語るところは、『風の歌を聴け』の冒頭に(口調が)

人の話をよく聞く話は『回転木馬のデッドヒート』の冒頭に

ギャッツビーの金その他は持っているけど最愛の人とうまくいかないところは、

  『ダンスダンスダンス』の五反田君や

  『国境の南、太陽の西』のハジメ君

ディジーの内面とは関係のないイノセントな美しさは

  『1973年のピンボール』の双子

  『ダンスダンスダンス』のユキ

  『スプートニクの恋人』のカスミ


まぁ、村上春樹が訳したからというよりも、こんなに「グレート・ギャツビー」に影響を受けていたんだな、ということに驚きました。



機会があれば旧訳を読んで、また新訳を読んでみたいです。


そういえば、映画もありましたね。


フィツジェラルド, 野崎 孝
グレート・ギャツビー
パラマウント・ホーム・エンタテインメント・ジャパン
華麗なるギャツビー