板橋の自然健康ヨーガ教室 -222ページ目

1977年 インド旅行記(カルカッタ編)

今回は、私のヨーガの師、成瀬貴良氏が初めてインドに行った

1977年の半年間に渡るインド旅行記のカルカッタ編をご紹介いたします。

私自身カルカッタには行ったことはありませんが、

この30年前の文章はまるで小説の一部のような話でもあります。

現在は分かりませんが、これが現実だったようです。

とても興味深い旅日記です。

是非お読み下さい。






わたしの初めてのインド・12

ハリオーム! 成瀬です。
カルカッタはベナレスやブッダ・ガヤとは違った意味で刺激的な町でした。
カルカッタは現在ではコルカタと言いますが、わたしが最初にインドに行ったときはカルカッタと呼んでいましたので、この手記もカルカッタで統一したいと思います。


●カルカッタ
満員列車から開放され、カルカッタのハウラー駅に着いたのは朝でした。ハウラー駅はイギリス建築風の大きな駅です。カルカッタは、イギリス統治時代は首都だったということもあり、市内には駅舎のようなイギリス建築風の建物がいくつも残っています。
寝不足でまだ少しボーっとしている頭で、ツーリスト・オフィスに行ったのですが、朝早すぎたのかまだ開いていませんでした。
列車の中では飲まず食わず状態だったせいか、気が付くと急にお腹がすいてしまいました。近くの立ち食いスタンドのようなところでトーストとゆで卵を食べていると、物乞いの子どもが弱々しい声で「バクシーシ」と言って側によってきました。聞こえない振りをしてゆで卵を食べていたら黄身のかけらが下に落ちてしまいました。すると、その子が慌てて床に屈みこみ、その小さな黄身のかけらを一生懸命につまもうとします。しかし、黄身はボソボソしていて、みんな指先から落ちてしまいます。インドに来ていままで、物乞いには何もあげたことはないのですが、あまりにもひどいので、50パイサをあげました。というより、早くどこかに行って欲しかったというのが正直な気持ちでした。誰でも、お腹のすかせた子どもにじっと見ていられたのでは、ゆっくりと食事などできません。

最初、カルカッタでは「サルベーション・アーミー」、つまりキリスト教の救世軍の宿泊施設を利用するつもりでいました。ドミトリー(大部屋でベッド単位で借りる)ならばとても安いからです。しかも、ここは貧乏旅行者が集まる場としても有名で、こういうところでは旅行者たちが情報交換をすることができます。
しかし、ガヤからの満員の夜行列車で疲れきってしまったので、予定を変更して少し良いホテルに泊まることにしました。「フェアローン・ホテル」という博物館の近くにある西洋風の小ぢんまりとしたホテルです。たしか、女主人は西洋人だったと思います。インドでは珍しく三食付で一泊100ルピーと、わたしにとってはちょっと高めでしたが、とても雰囲気のあるホテルでした。
しかも、このホテルの食事はとても美味しく、西洋人も大勢利用するせいか、夕食にはステーキを選ぶことも出来たと記憶しています。小さな庭にはテーブルが出ていて、庭先で食事を摂ることも出来るのです。
三食付というのは便利なようですが、旅行の形態によっては不便な場合もあります。三食付いていても、昼間は観光に出ているので昼食は外で食べることになり、結局は朝食と夕食しか食べませんでした。そうかと言って、昼食代を返してくれるはずもありません。


●カルカッタのリキシャ
今まで、デリーやベナレスで乗ったリキシャは、自転車で引っ張る「サイクル・リキシャ」やエンジンの付いた「オート・リキシャ」でしたが、カルカッタのリキシャは日本の「人力車」と同じ、人が歩いたり駆け出したりして引っ張るのです。
インドのリキシャは、明治時代に当時の日本の交通手段であった人力車がインドに伝わったと聞いています。日本では、観光地以外はとっくの昔になくなってしまった乗り物が、インドには残っていたのです。ただ、今日ではカルカッタ市内の交通渋滞の原因になるとかで、リキシャの走れる範囲が限られているといいます。
日本から伝わったリキシャではありますが、どうもその性能や作りには開きがあるように見えます。インドのリキシャは、日本の人力車のように軽快そうには見えず、頑丈な作りになっていて相当重量もありそうです。その重たそうなリキシャにわたしのような重い荷物を持ったお客が乗るのですから、それを引くリキシャ・ワーラー(リキシャを引くおじさん)は重労働だと思います。重労働を課してしまうのはわたしのような荷物を持った旅行者だけではありません。インドの人たちもリキシャのあの狭い座席に、三人も四人も乗れるだけ乗っています。ときにはそれを年老いて痩せたおじいさんが引っ張るのですから、見ていてかわいそうになることがあります。
それでなくても、スモッグやら排気ガスで空気が汚いカルカッタ市内を歩くのですから、きっとリキシャ・ワーラーたちは長生きなんかできないのではないでしょうか。

カルカッタのあるリキシャ・ワーラー一家の話が、ドミニク・ラピエールの大ベストセラー『歓喜の街 カルカッタ』(長谷泰訳・河出文庫)の中に詳しく書かれています。カルカッタのスラム街での生活や人間模様がくわしく描かれている、とても面白い本です。興味のある方はぜひお読みになってください。




●カルカッタ
カルカッタに住んでいる人に叱られてしまいそうですが、カルカッタは「宇宙一、汚いところ」という話を何かの本で読んだことがあります。
宇宙で一番かどうかは別にしても、実際のカルカッタは噂どおりとても汚く、裏道などを歩いているとそれだけで喉が痛くなってしまいます。どこの街角もちょっとしたゴミの山になっていて、そのゴミの山の中を裸足の子どもたちが何かを探したり拾い集めたりしています。きっと、少しでもお金になるようなものを見つけているのでしょう。
オールド・デリーやベナレスも騒然とした町でしたが、カルカッタのそれはまた少し違っていました。

あまりの汚さに観光に行く気も失せ、近くの博物館に行くことにしたのですが、それが大当たりでした。とても大きな博物館で、入場料は30パイサ。10円です。ここにはインド紙幣の肖像にもなった、あの有名な「アショーカ王の石柱」があります。大きな博物館には膨大な数の展示物が飾られ、古い仏像もたくさん展示してあります。ボンベイの「プリンス・オブ・ウェールズ博物館」やデリーの「国立博物館」よりも大規模で、とても面白い博物館でした。ゆっくりと観て回ったら、おそらくそれだけで数日間必要となるでしょう。

インドでは、歩いているだけですぐに喉が乾いてしまいます。町で飲んだパイン・ジュースがとても美味しかったのを覚えています。ボンベイで飲んだサトウキビ・ジュースに匹敵する美味しさでした。インドにはどこの町でも屋台のジュース屋さんがあります。ちょっと衛生的にどうかと思うお店もあり、今はインドに行ってもほとんど飲まなくなってしまいましたが、まだペット・ボトルの水を売っていなかった当時は平気でジュースを飲んでいました。

夕方、ビールが飲みたくなり酒屋に行ったのですが、閉まっていたのでリキシャでお酒を売っているところに連れて行ってもらうことに。リキシャのおじさんは狭くて暗い道をドンドン進み、やがてある民家の前で止まると外階段を上がって行きました。どう見ても酒屋なんかありそうに見えません。汚い普通の民家です。
すると、二階の部屋から男の人が出てきて、最初にリキシャのおじさんから聞いていた値段とは違う、べらぼうに高い値段を言ってきました。わたしは腹が立ったので、そのままその家を出て来てしまいました。腹が立ったのも事実ですが、ほんとうは怪しげな家で怪しげな男からビールを買うことが恐くなったのです。
あの家は一体何だったのか、未だに分かりません。単に、リキシャのおじさんの知り合いの家だったのでしょうか。
結局、「オベロイ・グランド・ホテル」という高級ホテルのバーでビールを飲むことにしました。ビール二本にナッツ類のようなものが付いて25ルピーでした。最初からここに来ればよかったのに、酒屋で買えば少しでも安上がりだと思ったのが裏目に出てしまいました。

わたしがカルカッタで泊まった「フェアローン・ホテル」は決して安宿ではないのですが、それでもホテルを一歩出ると、リキシャのおじさんや怪しげな男が、「ハッシッシ」とか「ジキジギ」と小さい声で言い寄ってきます。ジキジギという言葉が何語なのか、どういう意味なのか今も分からないのですが、「ジギジギ、スクール・ガール、チャイニーズ」と言っていたところをみると、そういう仕事をする女性のことのようです。つまり、リキシャのおじさんはわたしに「兄さん、女はどうだい」と聞いてきたのです。あからさまにこういう類の声を掛けられたのは、このインド旅行ではカルカッタだけでした。

後に前田先生にお聞きしたところ、やはりカルカッタは気持ちが荒んだ人が多く、インドでも特別にひどいところということでした。たしかに、町はゴミの山、物乞いも多く、空はスモッグや排気ガスでどんよりしています。前田先生がおっしゃるには、カルカッタで胸の病気を患ったら治らないということでした。

話は変わりますが、お恥ずかしいことに当時のわたしはマザー・テレサという人のことをまったく知りませんでした。ずっと後になって、マザー・テレサがあの地獄のようなカルカッタで、あのような活動をされているのを知って、驚いたと同時にたいへん感動を受けました。カルカッタのあのような環境の中で、街角に置き去りにされた病人や老人、あるいは捨てられた人たちに対してどうしてあんなに優しくなれるのでしょうか。ほんとうに聖女としか言いようがありません。
マザー・テレサと比べること自体失礼な話かもしれませんが、わたしなんかカルカッタと耳にするだけで嫌な思い出と文句しかないのに…。


●カルカッタでの出来事


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2007年インド旅行記 第4回

私がヨーガを学び始めて2年3ヶ月、

前回初めてインドに行ってから2年の月日が経ちました。

2回目のインドの旅。

この2年で自分がどれだけ変わり、どれだけ感じるものが違ってきているのか?

それとも変わっていないのか?

前回同様、2007年10/21(日)~10/28(日)の一週間を何回かに分けて掲載していきます。

今回は第4回、22日の後半です。






疲れ切ったところで、今回の旅の食事では一番の目玉、デラックス・ランチ。

一人$25。インドではかなり贅沢な食事だ。

食事の場所は‘ムガール・ホテル’。

昨夜宿泊したホテルと比べると雲泥の差だ。

とてもきれいで立派。

ここに宿泊するとなると、恐らく日本の良いホテルと差ほど変わらない金額を取られるであろう。

食事はバイキングだが、器もぴかぴかしていて気持ちがいい。

どれも美味しい。ここでお腹一杯食べておこうと思ったのだが、

一緒に来ていたガイドさんはバスの中で待っている。

ガイドさんはお昼、何を食べるのだろう?

それを考えると少々気が引けてしまったが、美味しくいただいた。

日本では食べたい物を食べられる環境がある。

日本の普通の食レベルは、インドで見るとかなり贅沢である。

何も質を落とす必要はないが、普通の当たり前の食生活を満足しなければならないと思った。

そう、アーグラ城を出たところで、四足で歩いている人を見た。

手足は同じくらい細くなり、背中が盛上っていて、

どこか高台を登るのも猫みたいにひょいと登るのだ。

動きは人間というよりも四足動物に近い。

それでも同じ人なのだ。

自分はいかに恵まれているかが身に染みる。

仕事が上手くいかない、プライベートが上手くいかない、

そんなのは贅沢な悩みなのだ。

生まれつきスタートラインが違う人もいるのだ。

上を目指す向上心は持っていたいが、

自分の置かれた状況に不平、不満の愚痴をいう人間にはならないよう気を付けようと誓った。

今の境遇を常に前向きに見なくてはいけないのだ。

素晴らしいランチの後は、デリーのホテルへ。

バスで67時間。

土埃と排気ガスで喉を少々やられてしまった。

夕食はデリーの地元の人ご用達のお店でテイク・アウト。

そのお店の前の立派なレストランとどちらがいいかとガイドさんに聞かれたのだが、こっちに決めた。

1食350円程度。

部屋で食事をしたが、地元の向けの食事はどこでもそこの癖があるので、

昨夜のレストランの食事の方が美味しく感じた。

けれども地元の味も体験出来たのでそれはそれで良かった。

PM11:00就寝。


(続く)


2007年インド旅行記 第3回




私がヨーガを学び始めて2年3ヶ月、

前回初めてインドに行ってから2年の月日が経ちました。

2回目のインドの旅。

この2年で自分がどれだけ変わり、どれだけ感じるものが違ってきているのか?

それとも変わっていないのか?

前回同様、2007年10/21(日)~10/28(日)の一週間を何回かに分けて掲載していきます。

今回は第3回、22日の前半です。



10/22(月)

AM3:45起床。

一時間程、スムーズ流れるようにヨーガを行った。

常日頃、アーサナをやるペースを変えて試している。

ゆっくりやるのが良い日もあるが、

身体がまだ眠い時などは、

あまりゆっくりやり過ぎると逆に身体がいつまでたっても起きないことがある。

そんな時はある程度のテンポをつけて流れるようにアーサナを行うと、

終わった後は嘘のようにすっきりするのだ。

短時間の睡眠とスムーズなアーサナ、プラーナ・ヤーマを行ったおかげで

すっかり眠気が覚め、身体も脳もすっきりした。

515にホテルを出て、ニューデリー駅へ。

まだ外は暗い。しかし街に出ると意外と人は既に活動しているのだ。

インドの人達は日本人より早起きが多いと思った。

今日はアーグラ観光。タジ・マハールやアーグラ城を見学しにいくのだ。

ニューデリー駅に着くと地べたで寝ている家族、仕事をしている人、観光の人、

とにかく早朝でも人、人、人。

露店でチャーイを飲む。今日初めての飲み物。

グラスはあまりきれいとは思えなかったが、甘くてとても美味しかった。

これまで飲んだチャーイの中でもここのチャーイは一番美味しいと感じた。

駅のホームに入る。

事前に旅行会社の方で予約しておいてくれた電車の指定席。

きちんと予約されているか、ホームの壁に貼ってある予約表で確認。

自分の名前も綴りが間違えていたが、しっかり書かれてあった。

日本から遠く離れたインドの地で自分の名前が書かれていることに

ちょっと不思議な気がした。

AM6:15定刻通り出発。

インドで初の電車の旅。

これはこれでまた楽しい。2時間の旅。

景色がすぐに野原に。野原になると人があちこちでしゃがんでいる。

農作業をしているようには思えない。

何をしているのかなとボーと頭の中で思っていた時に

一人の男の人がやかんみたいな容器を持って歩いている姿を見かけた。

‘そうか、みんな用足しをしているんだ’

インドでは紙が貴重な為、用足しの処理は左手で行うことが多い。

左手は不浄の手、右手は神聖な手。

だから右手だけで食事をするのだ。

それが分かった後から急にしゃがんでいる人の姿がもっと鮮明に目に映ってきた。

そして遂に排泄している瞬間も見てしまった。

日本では大変なことだが、インドでは当たり前のことなので恥ずかしいこともないのだろう。

インドではやたらに野原は歩けないなとその時強く思った。

朝食は車中で。

コロッケ二つ、フライドポテト、野菜、食パン、ジュース、チャーイ。

まあこんなものかなという感じで特に感動する食事ではない。

8:20アーグラ駅。

タジ=王冠、マハール=宮殿。

タジ・マハールの入り口。入り口からはまだほんの一部しか見えないのだが、

入り口を抜けたとたんにあの世界遺産の全貌が目に入るように計算されて設計されているのだ。

細かい演出がとてもにくい。

壮観、優美、優雅な素晴らしい建造物だった。

建物の中に入ろうとしたところで、現地の人がいきなり建物の説明をしてくれた。

案内してやるといわんばかりに、付いて来いと誘導する。

英語も早いので正直よく分からなかったが、親切な人だと思って、

5分くらいガイドを受けてもとの入り口に戻ると、いきなり手を出してきた。

ガイド料をよこせと言うのだ。

頼んでもいないのに勝手に向こうからしてきたことなのだが、

これもインドの風潮かと思いガイド料を渡した。

いくらか覚えていないが、大した金額ではないのでそれもそれで旅の一つの出来事として良いとしよう。

その後、アーグラ城へ。

アーグラ城の建物見学は、タジ・マハールより楽しいかもしれない。

構造上、建物の中を結構歩くからだ。

最初は楽しかったが、次第に疲れてしまって、早くバスに戻りたいと思ってしまった。


(続く)


2007年インド旅行記(第2回)



私がヨーガを学び始めて2年3ヶ月、

前回初めてインドに行ってから2年の月日が経ちました。

2回目のインドの旅。

この2年で自分がどれだけ変わり、どれだけ感じるものが違ってきているのか?

それとも変わっていないのか?

前回同様、2007年10/21(日)~10/28(日)の一週間を何回かに分けて掲載していきます。

今回は第2回です。




AM7:20には、家を出て成田空港へ。

集合時間は930。そう今回はヨーガの仲間7人の団体で行くのだ。

930ピッタリに集合場所に着くとまだ二人着ていなかった。

荷物を預けまずは空港内で食事。

今日はほとんど何も食べていない為、お腹が空いていた。

レストラン内で今回の参加者皆と色々と話しをする。

ちょっとした遠足気分だ。

その中の一人が最近ヨーガ・スタジオを開いたという。

写真を見せてもらったが、とても綺麗なスタジオだ。

仲間の活動話を聞くのは良い刺激になる。

この旅の間に皆の話を沢山聞いておこうと思う。

正午出発予定なのだが、予定が1時間半も遅れ13時半出発になった。

インドの旅ではこの位の遅れは想定内としていなければならないらしい。

特にデリーから成田に戻る時には、ひどい時は丸一日遅れることもあるのだとか。

それも日頃の行いによるのか?

気にしてもしょうがないから、これについては神様任せだ。

飛行機内は少々席が空いていたので横になって寝かせてもらったが、

あまり熟睡は出来ない。

結局、隣の人と話をしたり、本を読んだりで9時間、ほとんど寝なかった。

今回の旅は、特に拘束はない。

リシケーシののんびりした雰囲気を味わいに行くのだから、

寝たい時には寝て、食べたい時には食べてと思うまま自然体で生活しようと思う。

空港に着いてからは割りとスムーズ。

以前はもっと時間がかかったような気がしたが気のせいか?

空港でガイドさんと会う。名前はサンカールさん。

25年のベテランガイドさんとのこと。

前のガイドさんだったパンカジさんもそうだったが、

インドの人は何か面倒くさい事をお願いしても嫌な顔はしない。

日本人のように効率良く行動しないと嫌がられるということはない。

きっと地味な単調な仕事をやらせたら、

日本人よりインドの人の方が持久力があるだろう。

日本は豊かなので仕事に就いても、

‘この労働力にこの賃金は割に合わない’

などとすぐに考えがちだが、

インドの人は、職に就けるだけ有難いようで、

労働そのものに対して文句は言わないようである。

ホテルに着く前にインド料理レストラン(MOTZ MAHL DELI)へ行った。

人の気が少ない場所にあるのだが、割かし立派なレストランだ。

この旅で恐らく一番豪華なディナーになるだろう。

あとはディナーという言葉も合わない食事だと思う。

みんな無事に着きほっとしたのか、

まずはキングス・ビールで乾杯。

よく冷えていて、疲れた身体にとても染みる。美味しかった。

それからガイドさんが予め頼んでおいてくれたコース一式が次々と出てきた。

隣はアメリカ人か西洋の人かが食事をしていたりと、

外国の方が割りと多いレストランなので、

味付けもインド一般大衆というよりも、外国向けの癖のない味付けでどれも美味しかった。

インド料理の楽しさ、雰囲気、こんなお店を日本で持てたらいいなと思ってしまった。

前回のインドの旅とはまた違った食の楽しみを味わった。

楽しい食事の後はホテルへ。ROYAL RESIDE HOTEL

エントランス、部屋は予想以上に良かったが、

なんとシャワーのお湯が出ない。

旅行会社の人にせめてデリーではお湯の出るホテルを頼んでおいたのだが、

今となっては仕方がない。

ホテル全体のお湯が出ないのではなく、時間帯で出ないようである。

またお湯の出ない時間帯も決まっていないらしい。

ロシアン・ルーレット状態だ。

ただ蛇口からはお湯が出たので、しゃがんで頭、身体を洗った。

快適な綺麗なバスルームでないと疲れがとれない等の贅沢を言っていては

この一週間は疲れが溜まる一方だ。ここは割り切るしかない。

この旅で一番良い宿と思われる所でいきなりインドの洗礼を受けた。

インド慣れした人からすれば、そんなのは洗礼のうちに入らないと言われそうだが。

ざっと身体を洗い、すぐにベットにつく。

時間は11時前。

電気を消すと真っ暗で何も見えない、そして空調を着けると音が非常にうるさい。

しかし部屋の中は割りと暑い。電気を着けるか、空調を着けるか悩んだが、

結局は空調を止めて、電気を消して寝た。

夜中に2度目が覚めたが熟睡は出来た。


(続く)


2007年インド旅行記 第1回



私がヨーガを学び始めて2年3ヶ月、

前回初めてインドに行ってから2年の月日が経ちました。

2回目のインドの旅。

この2年で自分がどれだけ変わり、どれだけ感じるものが違ってきているのか?

それとも変わっていないのか?

前回同様、2007年10/21(日)~10/28(日)の一週間を何回かに分けて掲載していきます。



10月21日(日)晴れ

AM445起床。1時間少々ヨーガ。

前夜0時前には、床に就いたが中々寝つかれなかった。

熟睡したのは2時位か。

この1週間、仕事関係の来客も多く、最後まで気が抜けなかった為に、

その疲れが少々出て、数日前から鼻がつまり、身体が少々だるい。

しかし‘病は気から’、

日本に初めてヨーガを伝えられた人物とされている中村天風先生のおっしゃる通り、

‘自分の身体は生きる為の道具、自分自身ではない’

そこまで偉い人の様にはまだ思えないが、

それに気を捕われてしまうと、余計体調が悪くなってしまうので気にしないようにする。

もっと他の事に意識を向けよう。

そうでないと普段、中村先生の言葉を生徒さんに紹介しているのが嘘になる。

今回のインドの旅の準備として気をつけたのが荷物の量だ。

出来るだけ小さな荷物。

以前から自分の荷物の大きさと比べて、他の方の小さい荷物を見ると気になるものだった。

‘バック・パッカー’、

いわゆるコンパクトにまとめられた小さな荷物で旅する人に憧れていた。

どうしても小さな荷物にする勇気がなかった。

これがないと不安、そんな事ばかり考えて荷物をまとめると自然に立派な量になってしまう。

パタゴニアの創始者、‘イヴォン・シュイナード氏’が言っていた、

‘バック・パックに何を入れるかではなく、何を減らしていくかだ。’

小さなバック・パックを片手に2週間の旅に挑む彼を見て、

ある人が‘あれ、着替えは?’と聞いたら、

‘もう着ているよ’と。汚れたら夜洗い、翌朝には乾いている。

無駄を省いたシンプルなアプローチ、それが自分の求めているスタイルなのだ。

何も荷物だけに関して言っているのではない、自分自身の生き方にの理想なのだ。

日常生活の持ち物を見ても随分とコレクション化してしまい、押入れの奥に沢山のものがねむっている。

所持品の量、それはその人の人格、生き方も表しているように最近は思っていた。

同じものを繰り返し使用する工夫、知恵、そして忍耐。

今回の荷物は、お土産も含めて、リュック一つにまとめた。

それがインド一週間の旅の荷物全てだ。

そう、汚れたら洗えばいいのだ。

ヨーガも無駄なものを一つ一つ剥がしていく事に本質がある。

些細なことだが、そのことを事前に考えて挑めただけでも、

この旅の意義は大きいと感じる。


(続く)