自分に都合のいい生き方

自分に都合のいい生き方

自分が心地よく生きること

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『握りしめないようにしよう』


と意識すると


『握りしめないこと』を握りしめてしまう。




握りしめないように・・

握りしめないように・・





そうではなく




『ふわっと握ろう』




***


今日の一言


優しく優しく



頭で理由を考えることはないだろうか。


◉行っておいたら次につながるかもしれないしな

◉みんな行くって言ってるしな

◉行っておいた方がいんだろうな

(「行く」=「やる」など)



これをしている時
たいてい、本音は

「行きたくないなー」
「やりたくないなぁ」

だと思うのだ。


理由を考えるということは
自分を納得させようとしているということ。



本音は別であることが多い。


これをすることがいけない、という話ではない。

様々なことを並べた上で
フラットに考えるのは大事なことでもあるからね。


ただし。

自分の『want』

・行きたくないな
・やりたくないな
・行きたいな
・やりたいな

これをごまかして
理由で塗り固めて行動するのは
苦しくなる一つじゃないかなって思うんだ。



頭で理由を考えて
それを第一優先で動くことを
当たり前にしているうちに

自分が本当はどう思っているのかを
無視してしまう癖がついてしまう。


自分の
「行きたい、行きたくない」
どちらも、立派な理由だよ。

第一優先するのは、それだ。
自分の欲求。

それをトップに置いて
その下に選択肢を並べて
考えてみるのはどうだろう?


いつもと同じ選択をしたとしても
自分の中が変わっていくのを感じるんじゃないかな。


〜〜〜

今日の一言

いつだって大事にするのはまず自分の感情

何が好きなのか
何が心地いのか

そういうことは捉えやすいと思う。


同じだけ大事なのは

心地悪い
なんか違う

こういうこと。


どちらも
ポジティブもネガティブもない
自分からの大事なサイン。



それらを無視しないで
自分を曲げないで

「じゃぁどうしたら心地いい気分になれるかな」

と自分と付き合っていくこと。



その「気分がいい方法」は
誰とも同じじゃないかもしれない。

大事にするのは「自分」。

周りの声は気にしないで。



都合のいい生き方

とは。



自分で自分を幸せにしようよ

だ。




自分を幸せにできるのは自分しかいない。



え?

そんなことない?
外側にたくさんあるって?


うん。
あるよ。

素材がね。



それを受け取って
「幸せだなぁ」
って思うのは自分。


どんなに美味しいカレーも
気分じゃない時には感じ方が違うかもしれない。

辛い時にかけてもらった励ましの言葉が
かえって落ち込む言葉になってしまうことも
あるかもしれない。

誰かには嬉しい出来事も
自分に合うかはわからない。


人には
人の数だけ
正解がある。

どんな些細なことも

誰かと何かを同時に体験して一緒に興奮しても
まったく同じ興奮じゃない。





自分の心が

「しあわせだな」
と感じることは

なぁに?どれかな?


自分にしてあげること。



都合いい生き方って

そういうことなんだ。




自分を曲げるのではなくってね。

〜〜〜

今日の一言

自分を幸せにしよう

『コントロールできるのは自分だけ』
『変えることができるのは自分だけ』

という言葉がある。


これを聞いて

「あぁそうか」
と思える人もいるかもしれないし

なんだかモヤモヤっとする人もいるかもしれない。




確かに
コントロールできるのは自分のことだけだし
自分のことしか変えることはできない。



ここで大事なのは
『自分の性格を変える、という話じゃないよ』
ということ。




例えばこのブログに書いている
「自分が落ち着ける考え方を選ぼうよ」


・他人が正しい
・常に他人に合わせることを無意識レベルでやってきた

という人の場合

「自分を変えるって、やっぱり自分が間違っているから何かを変えなきゃいけないっていうことなのか
。そのままでいい、という考え方との矛盾をどうしたらいいんだろう」

みたいになってしまうことがあるみたいなんだけど

そうじゃない。


自分は自分。
そのまんま。

自分から出てくる感情を捻じ曲げるなんて
そんなことはしなくていい。

というか、するもんじゃない。



そうじゃなくて

自分の気持ちを
変えていくことができる

だ。



何かが起こる。
責められる理由もないのに
誰かに責められる。

だんだん
自分が悪いのかなという気にまでなってくる。

そんな時。

その流れに飲み込まれていくのか。

それとも。

いったんこの環境から離れよう、なのか
誰かに相談してみよう、なのか
ふんふんと話は聞くけど帰りにケーキでも買って忘れよう、なのか

いっそ
いい機会だ、この関係を解消しよう
なのか

自由に選べるし
自由に考えていい。



自分が楽に
自分が心地よく
そういられるように

その考え方を自由に選べるよ
そうやって自分の気持ちを変えていかれるのは
自分でしかできないよ


ということだよ。


〜〜〜

今日の一言

自分で勝手に作った自分に苦しまなくって大丈夫


このブログは
「自分に都合よく生きる」
だ。


これを言い換えると


「その瞬間」「自分が」
「一番落ち着く考え方を選ぶ」

というようなことだと思う。



その
「一番落ち着く考え方」
というのは

『人ぞれぞれ違うし
 瞬間ごと、出来事によっても変わる』

ということがとても大事なポイント。



辛い気持ちになったときに
外へ出て気分転換するのが心地いい場合もあれば
一人で映画を観るのがいい
コーヒーを飲む
本を読む

明るい方に切り替えるのがいい時もあれば
まずはどっぷり落ち込んでしまえ、の方が
いいこともあるだろう。


その選択肢と選択は
その人本人がやるしかないものなのだ。



大事なことは
「ほっとする、落ち着く考え方を選ぶ」
だ。


「なんでもかんでも明るくしないといけない」
ではない。


そして最終的には
元気よく笑ってる
となるのが理想系だ。



何度も書くけれど

コーヒーをこぼして
一瞬どっひゃぁー、となるけれど
『掃除しろってことだ!オッケー!』
と明るく捉えてしまうのは
僕の性格というのか、都合のいいところだと思うけど

その人それぞれの
「都合良い」を探すこと。

その選択肢に
僕の考え方を取り入れてやってみて
「合ってるな」と思ったら
やってみたらいい。



〜〜〜

今日の一言

落ち着こう

いい気分でいよう。



小さな出来事、、


コーヒーをこぼしたとか

予定の電車に一本遅れたとか

楽しみにしていた予定が変わったとか

欲しかったものが売り切れてしまっていたとか


そういうことは

「おぉそうか、何か意味があるんだな」

と、都合よく切り替えよう。




・コーヒーこぼした

 「掃除しろってことだな」

・電車に乗り遅れた

 「なんかあって乗るなってことだな」

・予定が変った

 「よりベストな日があるってことだ」

・売り切れていた

 「もっといいものがあるって言われてるんだな」



例えばこれらは僕の考え方だけど

自分にとって楽になったりほっとしたり

気楽になれることを考えればいい。





で、もしもそこで発生した出来事があるならば、、


電車に遅れたことで待ち合わせしている人を待たせることになってしまった、とか

コーヒーが大切な資料にかかってしまって迷惑をかけた、とか


そういうことが起きてしまった場合は

きちんと謝ろう。対処しよう。



起きた出来事と、そこで発生した問題を誤魔化さないこと。

そして自分の気持ちを自分で追い込まないこと。



なんの約束もなく一人で出掛けて

電車に遅れたのであれば

イライラするよりも

「あっはっはー」

と笑っている方がいいじゃない。


コーヒーがこぼれて床を拭くだけで済んだなら

「おぉラッキー、しかも床掃除もできたイエーイ」

くらい思っている方がいい。



自分自身に

気楽に、都合よく。



〜〜〜


今日の一言


今日も機嫌よく


無条件に周囲に合わせることを要求された環境で


それは家族間
主に親子でも起こることだけど



頑張って合わせることを自分に覚えさせてきた人は


無意識に、自動的に
自分を下に置くことをするようになっている。



それで慣れてしまっているから
自分ではそうしていることに気がつかないし

それがその場ではうまくいく方法となっているから
「環境が変わればそれは必要がない」
のだけれど
その状態に自らを置くことが心地よいことにもなってしまっている。



それは仕方のないこと。

それがこどもの頃に起こったことだとしたら
選択肢を知らないうちに身につけたことになる。

他の方法の経験をしていなければ
本人には「ない世界」だ。



そういう人の特徴は

単なる会話であっても
自分に向けられた話になると

「はい」と返事をし
「ごめんなさい」とすぐに謝る。



自分がどうしたかったとか
どう考えたかということは
「いらない」とされてきた世界で生きてきているから

・全てを聞かなければいけない
・自分は間違っているから合わせること

というルールに則って
自分の感情を
自動的にすっとしまいこんでしまうように
自分で訓練してきているために

会話、対話、カンバセーション、すり合わせ

という概念がない。



「はい」
「ごめんなさい」

その世界では成り立つやり方だったと思うけれど

それは
会話を終わらせるための言葉だと思うんだ。



それが心地いいとされる人たちの中では
うまくやっていける方法の一つかもしれない。


でも
どこかで自分が苦しかったり
なにかの違和感を感じることがあったり

「自分がない感覚」
というのに少しでも気がつくようなことがあるなら


ちょっとだけ気にしてみるのはどうだろう?って思うんだ。



〜〜〜

今日の一言

誰も上じゃないし下じゃないよ





まず感情を感じる
自分の感覚に集中するって

思考をメインにしてきた人には
最初はわかりにくいのかもしれない。



自分の感覚は自分だけのものなので
自分で見つけていくしかないのだけど

「体に広がる感覚」

を意識してみるのは、一つに方法かもしれないね。



なんかいい感じがする
なんか不安な感じがする

なんか固く感覚がある
なんだか広がっていく緩んでいく感覚がある


そんなふうに。



不安や悲しみや怒りのモヤモヤは
無理に見ないようにすると
そのまんまの鮮度でずっといることになる。

それを原動力にしてきた人は
それがなくなってしまうことが怖くて

変えたいのに変えたくない

という意識になることがあるのだけど。


「そこにいていいよ」
「そこにいるんだね」

と認めてあげる。

ただそれだけをする。


そうすると
居場所を作ってあげたそれらは安心して
全意識を支配しなくなる。

そんな感じ。



感覚は、感情は
言葉で伝えてこない。

言葉を使わないで自分を感じてみて。


頭を使うのは
次の段階だからね。


心と頭の順番シリーズ↓




〜〜〜

今日の一言

そこにいていいって、嬉しいものね


今できることはなんだろう。



なにかを想像して

わくわくして

そうしたら
具体的なことが次々に想像されてきて

重くなって気持ちがそこでストップしてしまう。




ありがちなパターンだと思うんだけど




こんなことができたらいいな。

あれもやろう、これもやろう。
こんなこともできたら楽しいね。

そうだ。
あの人やこの人たちに声をかけてみよう。

ちょっとまてよ
予算はどうする?

その規模になると人も多くなるぞ。

まとめきれるのか?

全部なんてできる自信ないぞ。


ふぅ〜〜〜
疲れちゃったな。



↑ ↑ ↑
ないだろうか。
あとは寝るしかなくなっちゃう。




大事なことは

そこから紐解いて

今できる小さな一歩だけをやることに集中する。



『イメージしたものとどんなにかけ離れていても』





わははははは
こうなったら楽しいな

よーし

今できる一歩目はなんだろう

たった1人でできることってなんだろう



大きなプロジェクトだったら
1人プロジェクトを開催すればいい

ごっこあそびみたいに手作りで


テーマパークが作りたかったら
まず家でやればいいんだ
こどものあそびみたいに

家にあるもので足りないってなったら
段ボールをもらってくるとか
紙に絵を描くとか
具体的な一歩が出てくるだろう

そこに友だち呼んで
遊んでいるうちに
大きくなっていくかもよ?



こどもの頃の想像力は
こどもだけのものじゃない



心と頭・思考の使い方の順番を
いつでも思い出そう。


心のわくわくを実現させるために
頭を使おう。


頭・思考で消してしまわないように。



〜〜〜

今日の一言

イメージしたものとどんなにかけ離れていても
今できる小さな一歩だけをやることに集中する