思考というもの・・・・・・
ええ~おはようございます。 このブログはす ぅが書いております。
思考というものについて前回の私の書いた所で終わっておりましたので続きと言いますか書こうと思います。
さて、一言で思考と言っておりますが、この言葉には2つ意味があります。
それは・・・・
「思う」 と 「考える」 と言う事です。
あなたは思う と言う事と 考える の違いは分かりますか??
自分の中でちゃんと区別出来ていますか?
具体的な例をあげてみたいと思います。
生活の中で
「ああ~何か今日はカレーを食べたいナァ~」 って事がありますよね? これは思うです。
あと、「ああ~あの娘可愛いなぁ~」 って思ったり 「アノ人カッコイイ~」っていうのも思うの世界です。
では考えるとは?
例にあげたカレーを食べたいなぁ~と思った時に・・・・ 何処で食べようかナァ~ あの店にするか?あっちにするか? ココ壱番にするか? インドカレー屋で食べるかナァ~?
こういう具体的な内容を詰めて行く事やその実際に行う過程を追って行く事が考えるという事です。
人は普通に過ごしているとこの思うと考えるを分けて行う事はしていませんので連続して脳内では行われています。少しだけ思うと考えるを分けてみると自分を見つめる事や分析する事の手助けになり、自分の欠点なども
見つけやすくなると思います。
一瞬に行ってしまうものなので、行ってから振り返ってみる事になる事が多いと思いますが・・・・・
特にこういった方法を行うと自分の中で悩みとなっているモノを分析出来て上手く行けば悩み解決の糸口となる
かもしれませんよ。
ちょっと訳の分からない話ですかね???(笑)
失礼しました。(すぅでした)
極意之事
(やまもと)
世の中に「極意」や「秘伝」と言う言葉があります。
こう聞くと、なにやら凄そうな、なにやら大層な、そんな感じがしますね。
確かに、こういうものはあります。
秘伝と言うのは、秘密裏に伝える技のことだと思います。
なぜ秘密か?
秘密にしないと困るからです。
困る理由はいくつかあるかと思います。
僕も人には教えない技があります。
僕の場合の理由は・・・
一つは、手品の種がばれたら困るのと同じような理由です。
一つは、悪用されると困るからです。
他にもありますが大体こんな感じでしょうか。
昔の人は、弟子を見て伝えるかどうかを慎重に見極めたといいます。
「他人にみだりに伝えるな」という事です。
その気持ちはよくわかります。
あと一つ、大切な理由があると、最近の僕は考えています。
それは・・・そのレベルにない人には、教えても理解されないから教えようがないと言うことです。
人は目に見えた部分から先ず判断します。
しかし、本当のところと言うのは、その裏にあるもの。
目に見えた現象を追いかけさせては、学ぶ人を遠回りさせる、いや明後日の方向に行かせてしまう可能性があります。
だから、みだりに教え伝えることが出来なくなってきます。
しかし、そうも言ってられへん都合ってもんがあるので、最近は小さな教室を初めました。
まぁ、まだ殆ど生徒はいないのですが、数人がやってきてくれます。
後、今後は冒険航路舎としてもワークショップなどをやっていく予定です。
さてさて。
前にも書いた、僕の憧れた中国の武術家の話をまたしてみます。
その人は「半歩崩拳遍く天下を打つ」と称されました。
つまり、「半歩踏み込む崩拳が得意技だ!」と、中国全土の武術家が知っていました。
そうして、みんな傾向と対策を練ってから、その人に挑みました。
しかし、みんなことごとく敗れたと言います。
僕の考えですが、技は技です。
今の流行ですが、物理的な原理で解明できます。
「遠心力だ、てこの原理だ、作用反作用だなんだかんだ」
僕も、それは色々と分析して研究しています。
これはあります。
この物理的世界に生きているのだから、あって当たり前の話です。
しかし、うちの師と稽古をしていると、そういう次元ではない領域を思い知らされます。
傾向も対策も、何一つ通用しない。
「こうされる」と解っていても、そうされてしまう悔しさ。
延々とこんな体験をさせられると、いわゆる「技」というもので言い尽くせない世界があると痛感します。
「ほんと、何もやってないのよね」
と、師は毎回言います。
実際そうなんだと、最近僕も感じてきました。
でも、これを文字通り捉えるとダメです。
言葉では説明しきれない原理があって、それは守っているんやと思います。
しかしこれは、目には見えません。
だから、教えても教えられることではないし、学ぼうと思っても学べるものではない!
そう感じます。
自分の身体と心でそれを体感し、その感覚を自分で盗み、自分のものにしない限りは、絶対にわからない領域があります。
本を読もうが、ネット検索しようが、データ分析しようが、その段階にいない人には絶対に理解できないもの。
どうやら、そういう世界があるという事だけは、最近ようやく感じてきました。
もちろん僕は、まだその世界の入り口さえ見つけてはいませんが、「ある」と言うのだけは解ります。
ある人が、こんな事を言っていました。
「きつねうどんを見たことも食べたことのないアフリカ人に、どれだけきつねうどんの旨さを語っても絶対に理解はされない。」
そう、まさにこれですね。
こういう領域になってくると「極意」などと言う言葉が出てくるかも知れません。
技がただの技を越えた領域。
そんな技を極めるにも「極意」があるわけです。
ほんで、極意なんて書くと、これまた大層に思えてきます。
何か凄いものがあるんちゃうか?と勝手に妄想を膨らませるわけです。
でもね、多分そんなもんはありませんね。
うちの師が「うん、何もないし、何もしていない」と平然と言います。
こっちが、必死こいて、師の腕をへし折りにいっても、涼しい顔で言われてヒョイと技を返されるのです。
初めは、そこに何かがあるかと思っていましたが、やっぱりないんですよ。
じゃぁ、それらは特殊な事なのか?と言えば、多分これも違うと感じてきました。
ただ気づいてないだけで、実はもう既に自分の、いやみんなの手の中にあるものなんですよ。
それに自分で気がついてからが、本当の修行が始まるのかも知れません。
そこに「技」が乗っかるから、えらい威力が出るんやと思います。
技は単なる技ですからね。
幕末に隆盛した剣術流派に「北辰一刀流」があります。
坂本龍馬も修行したって事で、知っている方も多いかと思います。
その北辰一刀流の「道歌」にこんなものがあります。
『極意とは 己が睫毛のごとくにて 近くあれどもみえざりにけり』
他の流派にも色々あります。
『極意とは 表の内にあるものを 心尽しに奥な尋ねそ』
田宮流
『極意とて 別にきわまる事もなし たえぬ心のたしなみをいう』
天道流
『兵法に 勝たんと思ふ心こそ 仕合に負くるはじめなりけり』
柳生流
大切なものは、遠くにあるのではなく案外近くにあるものです。
後は、それに気づくかどうか・・・まさに、灯台下暗しですね。
Warmed sake and autumn leaves: 高尾山の紅葉を見ながら燗酒
執筆:いちべー








Now that it is November, high atmospheric pressures are coming in series from the Asian Continent to Japan to cover the archipelago, and we are being favored by good weather lately. So, on November 5, I went on a hiking to Mt. Takao in Hachioji City, Tokyo.
11月になり、大陸の方から次々と高気圧がやって来る、いわゆる帯状高気圧のおかげで、天気が安定して晴天が続くようになってきた。そこで、11月5日は、高尾山にハイキングに出かけた。
This time, I took a ride of the chair lift to quickly gain elevation, and then reached the summit via the No. 2 and 3 trails of the Takao Nature Study Trails. Then, I walked farther westwards to the point called Icchodaira, which is located within about a 30-minute walking distance from the summit.
今回は、リフトに乗っていきなり高度をかせぎ、その後、高尾自然研究路2号線、3号線を経由して頂上に至り、さらに、そこから西へ30分程度のところにある一丁平まで歩く。
It seemed that the culmination of autumn leaves of Mt. Takao was yet to come, but along the ridge trails connecting the summit of Mt. Takao and Icchodaira, leaves of cherry trees and some other trees were turning into yellowish and reddish colors. In the spring, these cherry trees charmed us with beautiful sakura blossoms, and now in turn they were entertaining our eyes with autumn leaves.
高尾山の紅葉は、まだ、少し時季が早いようだが、高尾山頂から一丁平あたりの尾根道は、桜の木やその他の木の紅葉が、そろそろいい具合だ。春、美しい花を見せてくれた桜の木々たちは、今度は紅葉で再び我々の目を楽しませてくれる。
Well, this time, I enjoyed drinking warmed sake over these beautiful autumn leaves. I had brought some snacks to eat with sake and put them on a table placed at Icchodaira. Then, I boiled water and put sake cartons in the hot water to warm them. In a few minutes, the sake was warmed nicely.
さて、今回は、この紅葉を見ながらの酒盛りと洒落込もう。一丁平に設置されている休憩用のテーブルにおつまみの柿ピー、うるめイワシ、すっぱムーチョなどを広げ、それから湯を沸かして、持参した紙パックの酒をその中にしばらく浸けておけば、いいあんばいに燗酒が出来上がる。
Incidentally, I prefer futsushu (regular sake) to high-end sake such as junmai or ginjo sake for warmed sake in a case like this since futsushu can be drunk more casually than high-end sake.
ちなみに私は、こういうときの燗酒は、高級な純米酒や、吟醸酒ではなく、気軽に飲める普通酒が一番だと思っている。
DIE RITTERLICHE KUNST DES BOGENSCHIESSENS
(やまもと)
おはようござます、やまもとです。
昨夜、風呂に入る際にふと持って行った本があります。
たまに、こうして風呂で読書をします。
で、たまにそのまま寝てしまい、本が湯船に沈むこともありました。
結構凹みます。
『日本の弓術 オイゲン・へリゲル述 柴田治三郎訳』
これが昨日のお供です。
岩波文庫から出ている薄い文庫本で、定価は400円。
『DIE RITTERLICHE KUNST DES BOGENSCHIESSENS Eugen Herrigel』
これが原題で、1936年に書かれたもののようですね。
昔から何度も読んだ本ですが・・・
「400円でこの内容か!!!」
と、改めて驚きました。
「多読より精読すべし」
と言う教えがあります。
自分の理解度が深まってくると、何度も読んだと思った本でもまだまだ学ぶべき箇所があるんやな~と思い知らされます。
これが精読の効果でしょうか。
多読は、脳の処理項目を広めてくれるように思います。
精読は、そこに果てのない深みを与えてくれるように思います。
それぞれにデメリット部分もあるでしょう。
例えば多読は、情報に酔って溺れる危険があります。
精読は、世界を狭め鎖国状態になる危険があります。
両者に共通して必要なのは「体験」「体得」です。
僕はそう思っています。
日本人でありながら、西洋文化に染まった現代人。
これを、両者の視点から読み取れる訳です。
日本人は、やっぱり日本人です。
精神文化というのか、感覚文化というのか、体得文化というのか・・・何気ない自分の言動なども、西洋人からすれば難解です。
これは、僕も海外に行って痛感してきました。
そうして、今の日本人の感覚で希薄になっているもの。
それにも改めて気がつくでしょう。
これは、他人に指導するようになってから痛感しています。
ちょっと抜粋してみます。
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考えていることを言い表し、伝えようとする時、日本人には簡単な暗示だけで申し分なく事が足りるように思われる。
それは、日本人は禅のもっとも深い本質の中に成長していて、身についたものを頼りにして考えるからである。
日本人にとっては、言葉はただ意味に至る道を示すだけで、意味そのものは、いわば行間にひそんでいて、一度ではっきり理解されるようには決して語られず考えられもせず、結局はただ経験したことのある人間によって経験されうるだけである。
あなたは無心になろうと努めている。
つまりあなたは故意に無心なのである。
それではこれ以上進むはずはない。
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僕自身、師について「禅」を中心とした東洋哲理を学んでいます。
はじめは、自分自身がヘリゲルさんのような気分でした。
日本人なので、言われることは理解できます。
しかし、脳の中の何かが邪魔をするんですよね。
それは知識であったり体験です。
これらが悪いわけでも、不要なわけでもありません。
しかし、時としてこれらは「常識」と言う狭い囲いを作ってしまいます。
そうして、僕らは知らずにその中をさ迷っているんです。
やがて、頭にある余計なものを捨て、体得してくると今までの過ちに気がつきます。
「なんて余計なことをしとったんや!!」と。
「必要なものは、既に手の中にあったと言うのに!!」と。
でも、これは身体で理解しなければ、永遠に解らずじまいだったでしょう。
西洋人であろうと、東洋人であろうと、入り口は同じでも目的地が違えば道が変わります。
逆に、目的地が同じなら、入り口は違っても、その過程が違うだけで到達地点は同じです。
分かり合えないのではなく、わかりあう努力も必要です。
それは「お互いさん」という精神ではないでしょうか。
近々、僕の朋友のイギリス人が書く記事も載せていきます。
当然英語です。
彼は、イギリスで鍼灸の資格を得、今は日本で鍼灸の修行をしています。
初めての日本で、彼はまさにヘリゲルさんが受けたかのような、異質な洗礼を受けています。
彼の悩みを何度か聞きましたが、僕は彼の気持ちも、指導者の気持ちもよくわかります。
階段と言うものは、上にあがった人だけが降りられます。
上にあがると、更にあがるのも、ちょっと下に降りるのも自在です。
当たり前の話ですが・・・
これは「優劣」では決してありません。
自然界の理です。
先に行ったものだけが、そこにあるものを知るのです。
本当にそこを目指すのなら、まず体験をさせるしかないのです。
そうして、それが何かを考え、日々工夫し、身体で覚えこむのです。
体験を生かすか殺すかは、ここにかかってきます。
そんな彼の視点から、日本での生活が語られるでしょう。
お楽しみに!!
12人間-WINTER-
(やまもと)
こんばんは、やまもとです。
え~、ひょんな事でパフォーマンスイベントに出演致します。
12月11日(土曜)と12日(日曜)です。
場所は大阪の中崎町です。
僕は、いわゆるパフォーマーでは無いのですが、これも良い勉強だと思い出演させて頂きます。
12人の人間が、それぞれ持ち時間5分の中で、己を爆発させるそうです。
僕は・・・いつもの稽古でやっている「探手(自発動功」をやります。
これは、その瞬間瞬間、自分自身で生み出す動きなので、イベントの趣旨にも合うだろうと・・・
舞台や映画をはじめ、ストリートアクションショーなんかもやって来ましたが、こういうのは初めてです。
ちょっとドキドキ・・・
詳しくは以下サイトにて!!
恋愛の為に必要だと思う事・・・・
こんにちは、すぅです。
今回のタイトルは「良い恋愛の為に必要だと思う事」という事なんですけども、実は恋愛に限らなく生きて行く上で必要にもなる事だと思います。
何故、このタイトルなのか? この話は私の師匠で日本人では最高レベルにいると思われる施術師であり拝み屋であり社長であり経営コンサルタントのS師匠から私が言われた事から始まります。
(師匠のクライアントには芸能人が結構おられて、有名な歌手のAさんの自宅へ私も呼ばれた事がある知る人ぞ知る能力者の方です。だから何だよ!!って言われるかも知れませんけどね。(笑))
師匠「なぁ~君は恋愛についてどう考えてる?」
すぅ「恋愛は一時の病の様なものですかね。」
師匠「君の認識レベルなんてそんなもんかい、君は恋愛を正しく理解していないよ!!」
すぅ「はぁ~」
師匠「いいか、恋愛とは2つの事が入っている・・・・」
という感じに話が始まって数時間その話を師匠としました。
恋愛をしたい!! と思っている方は考えなければならない事があります。
それは・・・・・・ あなたにとって恋愛とは何? 何故恋愛をしたいのか? という事をよく知る事が大切です。
何のためにしたいのか? 寂しいとかって言うのは単純な感情の世界なんです。それなら恋だけをして恋に恋していれば良いし、芸能人に妄想しているだけでも良いのです。
恋愛はそこから先が大事なんです。 だから恋愛するには・・・・常にお互いがお互いの為に最良の事を考え合える事がなければならないのです。
見た目が可愛いとかカッコイイとかお金持ちが良いとか・・・・それは恋愛ではなくて都合なんです。
それは見た感じが好み、いわゆる容姿が好みであるのももちろん必要な要素かもしれませんが、それだけを追ってしまうと・・・・・
失敗となる可能性が高くなるのです。 (付き合いを始めてから「こんな人だとは思わなかった・・・ とかも都合です。)
だから恋愛するのに恋愛の傾向だとか、運勢だとか、イメージだとか、ポジティブな言葉とかをやるのも良いですけども、その前に自分の本当の部分をまずは知って整理する事が最も近道だという事ですね。
それは恋愛に限らず仕事や人生においても同じ事で、そこで大事な事が・・・・・・
それは・・・・・
思考です。
話はかなり短くしてますけども・・・・・
簡単に言うとまずは感情を走らせる前に自分の本当の所を整理してみましょう!!って事です。
と言う事で今回はここまでとします。
失礼しました。(すぅでした)
人生には転機がたくさん訪れる。
初めまして。
うすゆきと申しますo(_ _*)o
冒険航路舎・裏方担当、名前からして男性に間違えられますが一応女です。
自己紹介をさせていただきますo(_ _*)o
福岡県出身、埼玉県在住、生年月日…不明(笑
文房具やに勤務していた父の影響で文具店でアルバイト、文具大好きです(笑
某地図会社の手描き地図のアルバイト後、PCでの地図作成に携わり地方情報誌や求人誌などの製作(DTP)に進む。
その後缶詰の検品(ビールや缶コーヒー)、交通調査、某サーカスでのアルバイトなど、色んな会社で働く。
上京後も情報誌の製作やDTPの仕事を経て、現在なぜか経理の仕事に(笑
知人アーティストのCDジャケットや、イベントチラシ、名刺などの作成もたまに請負中。
一時期スピリチュアルの世界にどっぷりはまりましたが世界が狭くなっていることに気づき、
自分の中で現実とスピリチュアルの美味しいとこ取りができればと思っています。
(すぅさんの目に見えないもののお話がめちゃくちゃためになります~~!!)
これまでの引越し回数11回、その都度何かしらの大なり小なりの事件ありっ!
引越しをする度に人生の転機が訪れました(笑
事情を話すと波乱万丈だと言われますが、その時は大変でも今となっては良きネタです(笑
人見知りが激しく引込み思案でしたが、とある映画に出逢い一気に人生が加速。
最悪の場合を考えなければ行動できなかったはずなのに、今では何も考えず「行きたい!」「食べたい!」「やってみたい!」の感情だけで行動(汗
冒険航路舎では「幹事長」となぜか呼ばれるようになりました(^-^;
毎年恒例のお花見がきっかけでしょうか?
ホントに自由人の集まりで、メンバーそれぞれが自由気ままです(笑
なので皆揃うのが難しい時もありますが、皆が楽しそうに語らい、手合わせ(この辺が何かおかしい)している姿を見るのが何よりも嬉しく、
基本的に黒子をしています(笑
「宴会部長」ではなく「幹事長」なのは黒子故かもしれません(='m') ウププ
今後冒険航路舎での講演会やワークショップの開催などもやっていく予定なので、その際は会場スタッフなどさせていただきますのでよろしくお願いしますo(_ _*)o
追記
とんでもないほど猫好きです(笑
いちべーです
え~、はじめまして。いちべーです。
日本酒と、着物と、旅が好きです。ゆえに、着物を着て旅に出掛け、旅先で日本酒を飲んでいるととても幸せな男です
。この冒険航路舎のブログでは、日本酒に絡むテーマで、記事を投稿して行こうと思います。
名刺代わりと言っては何ですが~、次の動画を見ていただければ、いちべーという男がどんな奴なのか、おおよそのところは、ご理解いただけるのではないでしょうか、えへへへ

Sake warmer: 燗銅壺が欲しいぞ!
執筆:いちべー
Hi, I am Ichibay. I will write articles about sake (nihonshu) in this blog. This is my first post for the Bokecoro blog except for my self-introduction article of the【仲間紹介】theme. I will be pleased if you enjoy my articles.
いちべーです。このブログでは、日本酒をテーマとして投稿をしていこうと思います。今回が、【仲間紹介】での自己紹介を別にすれば、初投稿となります。皆さま、どうぞ、よろしくお願いします。








As the autumn advances and it gets colder, delight of warmed sake increases. I like drinking warmed sake while grilling dried fish on a shichirin (small desk-top charcoal brazier) and nibbling it.
寒くなってくると、燗酒の楽しみも増して来る。特に干物などを七輪などで炙りながら、チビリチビリとやりながら飲みたい。
However, it is bothersome and spoils the pleasure to bring back an empty sake flask to your kitchen to make another helping. So, you need something that allows you to continuously enjoy your drinking without leaving your seat, or some device with which you can prepare warmed sake at the table. More specifically, it can be a douko (sake warmer used in a nagahibachi) and nagahibachi (brazier used indoors for heating). Otherwise, it can be a household-purpose small-sized sake warmer. Incidentally, a commodity called mini-kansuke uses just hot water to warm up sake and does not have a heating system, so it may be useful if you do not drink sake very much and you don't need to make many helpings of warmed sake. However, it is not very useful for heavy drinkers since the water in the mini-kansuke soon cools down.
しかし、空になった徳利をキッチンまで持って行き、そこで燗酒を作ってまたテーブルに戻って来るのは、興醒めなので、テーブルの上で燗酒を作る仕組みが欲しいところだ。具体的に言うと、銅壺(どうこ)とか長火鉢であろうか?あるいは、家庭用の小型酒燗器などもよい。ちなみに、ミニかんすけというのも少し飲む人にはよさそうだが、たくさん飲む人の場合は、飲んでいるうちにお湯が冷めてしまいそうだ。
Of all types of such sake warming devices, what I want to get is a copper kandouko (sake warmer) sold by Daikokuya. The kandouko holds some amount of water in it, warms the water with heat of charcoal fire also burning inside this device, and warms sake with the warmed water. While warming sake, you can also cook some foods such as dried fish on the grill placed over the charcoal fire. It seems perfect for my requirements, doesn't it? However, it is priced at 126,000 yen, and I am hesitating about whether to purchase it.
今、自分が一番欲しいのは、大黒屋というところで販売している銅製の燗銅壺だ。これは、内部に入れた水を火つぼの炭で温め、その水に燗徳利を入れて燗をしつつ、その一方で、火つぼの上には、焼き網を乗せて、この上で、干物などを炙ったりすることができるという物だ。完璧ではないですか?しかし、お値段が126,000円なので、ちょっと迷ってしまう。
Mechanism of a kandouko (燗銅壺の仕組み)
The combination of a nagahibachi and douko also seems a cool setting for enjoying warmed sake. They function by the same principles as Daikokuya's kandouko mentioned above. The douko is placed on the burning charcoal in the nagahibachi so that the water contained in the douko can be warmed and, subsequently, the sake in a flask sunk in the water can be warmed up. Maybe, I can buy them through an Internet auction less expensively than Daikokuya's kandouko. However, a nagahibachi is big and heavy and it is not very convenient to use it on a table.
長火鉢と銅壺という組み合わせもなかなか渋いと思う。こちらは、上記大黒屋の燗銅壺と原理は同じで、長火鉢に火を熾してその中に銅壺を設置して使用するようになる。こちらは、ネットオークションで探せば、大黒屋の燗銅壺よりも費用を抑えられそうだ。しかし、長火鉢はサイズも重量もあるので、テーブルの上に乗せて使用するには無理があるな。
Combination of a nagahibachi and douko (長火鉢と銅壺)
For now, I use a small electric pot to warm up sake. Although it is not so elegant as a douko, nagahibachi, etc., but it is anyway useful.
それで、私の現状の燗酒のやり方であるが、もっぱら小型の電気湯沸かしポットを使っている。風情にかけるが、けっこう便利だ(ちなみに、動画では、海外の方でも理解してもらえるように、拙い英語で説明)。
Recently, I used this electric pot to warm up a sake carton as shown in the movie below. I jut put the sake carton in whole and drank it. This is maybe a rude and wild way for preparing warmed sake, though.
そして、先日は、紙パック入りキクマサピンをそのまま、この湯沸かしポットに放りこむという、さらに風情のないことをやってしまった。
僕の普段の稽古
(やまもと)
こんにちは、やまちゃんです。
仲間の記事も増え、段々にぎやかになってきました。
近々、「酒」にうるさい男の記事が載るでしょう。
乞うご期待!!
今日は、普段僕がやっている稽古について書いてみたいと思います。
僕は、ある流派の道場に通っています。
しかし、鍼灸師の道を志し、その世界に入ってから中々行けてません。
ましてや今は、小さいとは言え鍼灸院を経営する身。
軌道に乗るまでは、自分の仕事に力を注ごうと思っています。
ではその期間、何もしてへんのか?と言えば違います。
一人で、身体と心を練って鍛える稽古をしています。
うちの流派の宗家にも、「道場で稽古をすんな!稽古は普段やっとけ!」と言われた事があります。
そんな言葉もあって、僕は「日常こそ稽古」と考え、一人で稽古をする方法を模索しました。
そんな時に、東京の知人から「立禅」と言うものを学び、その知人の紹介で千葉の師などを紹介してもらえました。
もう6年ほど前の話になるでしょうかね。
そうして「立禅」を中心として、坐禅や滝行などの修行が始まったのです。
そんな稽古の一つを書いてみます。
仙道の中では「自発拳法」と呼ばれたり、ある気功法では「自発動功」とも呼ばれるものです。
自分の中から無意識に沸き起こってくる「動き」があります。
それを引き出し、コントロールするものです。
しかし、無理にコントロールしようとするものではなく、あくまでも無意識に、自発的に動かなければなりません。
こういう事は、言葉や文字では表現しきれないのですが、雰囲気を掴んでもらえたら嬉しいです。
今日は、木刀を手にとってみました。
(基本は素手で行います)
ポイントは、刀のことは考えず、まず足をゆっくり動かすこと。
それにつられて、腰や肩、手が連動していく。
その身体の動きの中で、刀の動きも変化をしていく。
そんな感じでしょうか。
身体と言う「車」を運転するんだと想像しておいて下さい。
「急加速、急ブレーキ、急ハンドル」をせず、「丁寧」さを心がけます。
ゆっくりゆっくり、動きが途切れることが無いように。
足の動きが、滑らかに手に伝わるように。
手の動きが、滑らかに足に伝わるように。
心は静かに。
波を立てず、静かにします。
手にした刀でどうこうする事は考えません。
ただ身体から生まれる動きを、静かに滑らかに途切れることなく繋げていくだけです。
動きは無意識の中から生まれるに任せれば良く、あとは、それを意識でコントロールしていくだけ。
だから「武術」である必要さえありません。
車を運転する時に、一々考えながら運転しないのと同じように。
自分がすることは、身体に感じるスピード感や距離感、そういうものを意識で統制するだけ。
丁寧に丁寧に、しかし自由自在に運転をする。
時には気持ちよく加速し、時には景色を眺めながら、時には峠を攻め、時には路肩に停める。
そんな感じで、自分の動きを眺め、コントロールしていきます。
武術の素養の無い人の場合、それこそ刀の動きさえ気にする必要はありません。
ただ、長年積み重ねていくと、その動作は洗練され、武術の要訣を満たすようになります。
こうして基本が出来れば、後は「技」と言う応用をインプットすれば良いのです。
刀を振ろうとすると、そこに意識が奪われて、身体が崩れる場合があります。
すると、心も崩れたり、硬く居着いたりしあす。
しかも、自分で気がつかないから性質が悪い。
これは、コントロールしようとしすぎるからだと思います。
やはり「ああしてやろう」「こうしなきゃ」と言う思い込みが強いと、意識はそこに取られます。
「早く行かなきゃ!」
とあせるほどに、運転は荒くなって事故にあいやすくなります。
「こうしたい」「ああしたい」「こうしてやる」
そういう思いから、一度離れてみる。
誰に気を使うことも無く、自分自身に目を向け問いかけて下さい。
ここに「成功」も「失敗」も無い。
あるのは「閃き」と「発見」。
強さも、柔らかさも、健康も、開運も、能力開発も、全て自分の中にある。
こんなことしかやりませんが、自分の中から何かが変わっていくかも知れません。
心を定めると、精神が落ち着き集中してきます。
すると、心は静かに穏やかに安定してきます。
そうなると、何かを為そうとすることも無くなり、気が巡るようになります。
そうして、気が巡ると身体が動きだします。
これは、重要な秘訣です。
きちんと学んでみたい人は、気軽に書き込みやメッセージを下さい。
遠方の場合は、短期講習会と言う形で相談に乗らせて頂きます。
追々と、講習会や教室の紹介もしていきます。


