僕の普段の稽古 | 冒険航路舎

僕の普段の稽古

(やまもと)


こんにちは、やまちゃんです。

仲間の記事も増え、段々にぎやかになってきました。


近々、「酒」にうるさい男の記事が載るでしょう。

乞うご期待!!



今日は、普段僕がやっている稽古について書いてみたいと思います。


僕は、ある流派の道場に通っています。

しかし、鍼灸師の道を志し、その世界に入ってから中々行けてません。

ましてや今は、小さいとは言え鍼灸院を経営する身。

軌道に乗るまでは、自分の仕事に力を注ごうと思っています。



ではその期間、何もしてへんのか?と言えば違います。

一人で、身体と心を練って鍛える稽古をしています。


うちの流派の宗家にも、「道場で稽古をすんな!稽古は普段やっとけ!」と言われた事があります。

そんな言葉もあって、僕は「日常こそ稽古」と考え、一人で稽古をする方法を模索しました。


そんな時に、東京の知人から「立禅」と言うものを学び、その知人の紹介で千葉の師などを紹介してもらえました。

もう6年ほど前の話になるでしょうかね。


そうして「立禅」を中心として、坐禅や滝行などの修行が始まったのです。



そんな稽古の一つを書いてみます。

仙道の中では「自発拳法」と呼ばれたり、ある気功法では「自発動功」とも呼ばれるものです。


自分の中から無意識に沸き起こってくる「動き」があります。

それを引き出し、コントロールするものです。

しかし、無理にコントロールしようとするものではなく、あくまでも無意識に、自発的に動かなければなりません。


こういう事は、言葉や文字では表現しきれないのですが、雰囲気を掴んでもらえたら嬉しいです。



今日は、木刀を手にとってみました。

(基本は素手で行います)


ポイントは、刀のことは考えず、まず足をゆっくり動かすこと。
それにつられて、腰や肩、手が連動していく。
その身体の動きの中で、刀の動きも変化をしていく。

そんな感じでしょうか。

身体と言う「車」を運転するんだと想像しておいて下さい。


「急加速、急ブレーキ、急ハンドル」をせず、「丁寧」さを心がけます。

ゆっくりゆっくり、動きが途切れることが無いように。
足の動きが、滑らかに手に伝わるように。
手の動きが、滑らかに足に伝わるように。

心は静かに。
波を立てず、静かにします。



手にした刀でどうこうする事は考えません。
ただ身体から生まれる動きを、静かに滑らかに途切れることなく繋げていくだけです。
動きは無意識の中から生まれるに任せれば良く、あとは、それを意識でコントロールしていくだけ。
だから「武術」である必要さえありません。


車を運転する時に、一々考えながら運転しないのと同じように。
自分がすることは、身体に感じるスピード感や距離感、そういうものを意識で統制するだけ。


丁寧に丁寧に、しかし自由自在に運転をする。
時には気持ちよく加速し、時には景色を眺めながら、時には峠を攻め、時には路肩に停める。
そんな感じで、自分の動きを眺め、コントロールしていきます。


武術の素養の無い人の場合、それこそ刀の動きさえ気にする必要はありません。

ただ、長年積み重ねていくと、その動作は洗練され、武術の要訣を満たすようになります。

こうして基本が出来れば、後は「技」と言う応用をインプットすれば良いのです。


刀を振ろうとすると、そこに意識が奪われて、身体が崩れる場合があります。

すると、心も崩れたり、硬く居着いたりしあす。
しかも、自分で気がつかないから性質が悪い。
これは、コントロールしようとしすぎるからだと思います。


やはり「ああしてやろう」「こうしなきゃ」と言う思い込みが強いと、意識はそこに取られます。
「早く行かなきゃ!」
とあせるほどに、運転は荒くなって事故にあいやすくなります。



「こうしたい」「ああしたい」「こうしてやる」
そういう思いから、一度離れてみる。
誰に気を使うことも無く、自分自身に目を向け問いかけて下さい。

ここに「成功」も「失敗」も無い。
あるのは「閃き」と「発見」。

強さも、柔らかさも、健康も、開運も、能力開発も、全て自分の中にある。
こんなことしかやりませんが、自分の中から何かが変わっていくかも知れません。



心を定めると、精神が落ち着き集中してきます。

すると、心は静かに穏やかに安定してきます。

そうなると、何かを為そうとすることも無くなり、気が巡るようになります。

そうして、気が巡ると身体が動きだします。


これは、重要な秘訣です。




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追々と、講習会や教室の紹介もしていきます。