極意之事 | 冒険航路舎

極意之事

(やまもと)



世の中に「極意」や「秘伝」と言う言葉があります。

こう聞くと、なにやら凄そうな、なにやら大層な、そんな感じがしますね。

確かに、こういうものはあります。


秘伝と言うのは、秘密裏に伝える技のことだと思います。

なぜ秘密か?

秘密にしないと困るからです。

困る理由はいくつかあるかと思います。


僕も人には教えない技があります。

僕の場合の理由は・・・

一つは、手品の種がばれたら困るのと同じような理由です。

一つは、悪用されると困るからです。

他にもありますが大体こんな感じでしょうか。


昔の人は、弟子を見て伝えるかどうかを慎重に見極めたといいます。

「他人にみだりに伝えるな」という事です。

その気持ちはよくわかります。



あと一つ、大切な理由があると、最近の僕は考えています。

それは・・・そのレベルにない人には、教えても理解されないから教えようがないと言うことです。


人は目に見えた部分から先ず判断します。

しかし、本当のところと言うのは、その裏にあるもの。

目に見えた現象を追いかけさせては、学ぶ人を遠回りさせる、いや明後日の方向に行かせてしまう可能性があります。

だから、みだりに教え伝えることが出来なくなってきます。


しかし、そうも言ってられへん都合ってもんがあるので、最近は小さな教室を初めました。

まぁ、まだ殆ど生徒はいないのですが、数人がやってきてくれます。

後、今後は冒険航路舎としてもワークショップなどをやっていく予定です。




さてさて。

前にも書いた、僕の憧れた中国の武術家の話をまたしてみます。

その人は「半歩崩拳遍く天下を打つ」と称されました。

つまり、「半歩踏み込む崩拳が得意技だ!」と、中国全土の武術家が知っていました。

そうして、みんな傾向と対策を練ってから、その人に挑みました。

しかし、みんなことごとく敗れたと言います。



僕の考えですが、技は技です。

今の流行ですが、物理的な原理で解明できます。

「遠心力だ、てこの原理だ、作用反作用だなんだかんだ」

僕も、それは色々と分析して研究しています。

これはあります。

この物理的世界に生きているのだから、あって当たり前の話です。

しかし、うちの師と稽古をしていると、そういう次元ではない領域を思い知らされます。

傾向も対策も、何一つ通用しない。

「こうされる」と解っていても、そうされてしまう悔しさ。

延々とこんな体験をさせられると、いわゆる「技」というもので言い尽くせない世界があると痛感します。



「ほんと、何もやってないのよね」

と、師は毎回言います。

実際そうなんだと、最近僕も感じてきました。

でも、これを文字通り捉えるとダメです。

言葉では説明しきれない原理があって、それは守っているんやと思います。


しかしこれは、目には見えません。

だから、教えても教えられることではないし、学ぼうと思っても学べるものではない!

そう感じます。


自分の身体と心でそれを体感し、その感覚を自分で盗み、自分のものにしない限りは、絶対にわからない領域があります。

本を読もうが、ネット検索しようが、データ分析しようが、その段階にいない人には絶対に理解できないもの。


どうやら、そういう世界があるという事だけは、最近ようやく感じてきました。

もちろん僕は、まだその世界の入り口さえ見つけてはいませんが、「ある」と言うのだけは解ります。


ある人が、こんな事を言っていました。

「きつねうどんを見たことも食べたことのないアフリカ人に、どれだけきつねうどんの旨さを語っても絶対に理解はされない。」

そう、まさにこれですね。



こういう領域になってくると「極意」などと言う言葉が出てくるかも知れません。

技がただの技を越えた領域。

そんな技を極めるにも「極意」があるわけです。


ほんで、極意なんて書くと、これまた大層に思えてきます。

何か凄いものがあるんちゃうか?と勝手に妄想を膨らませるわけです。

でもね、多分そんなもんはありませんね。


うちの師が「うん、何もないし、何もしていない」と平然と言います。

こっちが、必死こいて、師の腕をへし折りにいっても、涼しい顔で言われてヒョイと技を返されるのです。


初めは、そこに何かがあるかと思っていましたが、やっぱりないんですよ。

じゃぁ、それらは特殊な事なのか?と言えば、多分これも違うと感じてきました。

ただ気づいてないだけで、実はもう既に自分の、いやみんなの手の中にあるものなんですよ。

それに自分で気がついてからが、本当の修行が始まるのかも知れません。


そこに「技」が乗っかるから、えらい威力が出るんやと思います。

技は単なる技ですからね。



幕末に隆盛した剣術流派に「北辰一刀流」があります。

坂本龍馬も修行したって事で、知っている方も多いかと思います。

その北辰一刀流の「道歌」にこんなものがあります。


『極意とは 己が睫毛のごとくにて 近くあれどもみえざりにけり』



他の流派にも色々あります。

『極意とは 表の内にあるものを 心尽しに奥な尋ねそ』
田宮流


『極意とて 別にきわまる事もなし たえぬ心のたしなみをいう』
天道流


『兵法に 勝たんと思ふ心こそ 仕合に負くるはじめなりけり』

柳生流




大切なものは、遠くにあるのではなく案外近くにあるものです。

後は、それに気づくかどうか・・・まさに、灯台下暗しですね。