掴み取る
(やまもと)
おはようございます、やまもとです。
Good morning.
鍼術と言うのは、一つの技術です。
The acupuncture is technology.
形があります。
There is form in it.
色々と名称もあります。
There are a lot of name and theories.
武術も同じです。
The martial arts are the same, too.
技の名前や、型の名前があり、それぞれには順番もあります。
There is a name for a model and the skill, and there is a turn of the movement.
そうして、それらを覚えることから始まります。
At first we learn it.
しかし、それで終わりではありません。
But, it is not the end.
本当に大切な部分は、その中に隠れています。
The really important point is covered in the depths.
そこは自分で掴み取るしかありません。
We must catch it by oneself.
今の時代は「見て盗む」と言う感覚がありません。
There is teaching style "look and to steal" it in Japan.
However, it is slightly different now.
誰かが教えてくれる、誰かが与えてくれる、そういう教育なんだと思います。
Somebody teaches it, and somebody gives it. I think that it is such an education.
それでは、表面的なことは見えても、その中にある本質を掴むことが出来ません。
Then we cannot catch the essence that there is in that even if we can see the superficial thing.
どれだけ言葉で聞いても、どれだけ動きで見ても、どれだけ本やネットで情報が拾えても、それを知ったことにも、理解した事にもなりません。
You cannot understand it how long even if you hear only anything by words ,even if you can pick up information in a book and a net , even if you watch it by movement.
自分で、考えて考えて考えつくす。
We feel it by oneself, and it is important to think.
失敗も成功も考えず、とにかく考えたままを試してみる。
Anyway, we try to try that we thought.
そうして「その感覚を自ら掴み取る」事で、それを知ることが出来ます。
We can know essence in the backside of things by getting the sense by oneself.
大切なことは、経験したことを、それだけで終わらせないことです。
The important thing does not end experience by experience.
何を感じたのか?何を思ったのか?何を考えたのか?
What did you feel? What did you think of? What did you think about?
誰かに作られた世界観、情報を鵜呑みにするのではなく、まず自分の身体で感じてみること。
We do not believe it blindly by common sense and the information that somebody made.
At first what we feel and ask with one's body.
そこが大切なんだと思います。
I think that there is important.
そこには、人の都合で作られた正義も善悪もなく、ただ理があるだけに思えます。
There are not justice and the right and wrong made by the circumstances of the person.
As there is a law of nature of the space there, I think.
Hiroshi Yamamoto
理解するという事
(やまもと)
おはよ~ございます、やまもとです。
「GyaOで「鋼の錬金術師」の1話~60話が、今なら無料で見れるよ!」
と朋友からメールをもらって、5話くらいまで見たところで期間終了してしまった・・・
うぎゃ~全部見たかった~~~!!
改めて1話から見ていると、何だか自分のやっている事とかぶって見えてきました(笑)
もちろん、あんなハチャメチャな錬金術は不可能ですが・・・
昔「孔雀王」と言う漫画があり、僕はあれが大好きでした。
「オレも印と真言であんなことが出来るようになりて~!」
と、真剣に考えてました(笑)
でね、このハガレンを見ていて、色々思うことがありました。
「機械で測定出来たり、数値で現われることが科学ではないな」
と。
「それらは結果の極一部であり、それらを理解した事にはならんよな」
と。
いや、研究した人は理解しているのでしょう。
知らないこと、見えないこと、解からないこと。
これらを、知ろう、見よう、解かろうとする事こそが科学であり、データってのは研究者の人生を物語るドラマであり、ある意味では食い散らかされた残骸みたいなもんじゃないか!と。
本当のデータってのは、恐らく凄まじく巨大なんです。
我々理解を遥かに超えたもの。
人はそれを「体験」することで認識し、何らかの類似体験をした者が、これらの数値を見ることには意義があるが、何の体験もせずに数値で見たところで、それを知ったことにはならないのではないかと。
そうして、それら体験とデータとを結びつけるだけの洞察力と、認識力が大切なのではないかと。
それがあれば、行ったことの無い世界を見ることが出来る気がするのです。
「顕微鏡を覗くと宇宙が見える」
と言うそうですね。
そこまで覗ける人がどれだけいるのか!?
そこまで深く世界を認識する人がどれだけいるのか!?
これはつまり瞑想力とも言えるじゃないか!
瞑想と妄想は違います。
理解した気分になることと、本当に理解することも違います。
そう考えると、鋼の錬金術師と言う世界観は、空想の世界ではあるがただの空想ではない気がします。
あそこには、確かにこの世界の法則があるように思えます。
東洋医学ってものは、なかなか不可解が事が多いです。
ムチウチやぎっくり腰が、手首のツボで治ることもよくあります。
こんな事は、普通の理屈で考えると有り得ません。
しかし、体験したものだけがその世界を知ることが出来ます。
それが何か?を考え、分析するのが科学に思えます。
不可解であり、有り得ない世界ではありますが、あることに気がつくとそれは当たり前に変わります。
そこには「法則」があるんです。
法則やから、とうぜん「例外」というやつも存在します。
その例外だけをとって、是非を問うても意味がありません。
もちろん、意味がある場合もありますが、大抵が人の都合で見られているだけです。
天動説が常識の時代に、地動説を唱えるとただ変人です。
幕藩体制時代に、大政奉還すると言うことがどれだけ有り得ないことだったのか。
逆に今の常識から見れば、これらは非常識でしかありません。
かつては悪霊の仕業と恐れられた感染症も、今では細菌やウイルスの仕業とわかっています。
ただ、未来においてそれさえも覆す常識が生まれるかも知れません。
人体において、小腸と言うのは大した役目が無いと思われてきました。
しかし今では、物事を記憶し、免疫の中枢であるという事がわかってきました。
大切なのは「今、自分が何を感じたのか?」です。
世の常識や、データや数値そのものではなく、その中に隠れて見えない世界をどう捉えるか?
それこそが科学なんじゃないかな?なんて思うのです。
東洋医学では「治病必求於本」と言う言葉があります。
「病を治すには、必ず本質を求めなければならない」
と言う意味です。
起きた象(現象)から、その裏にある働き(本質)を知り、理解することが大切になります。
僕の目指す鍼術は、最早ただの鍼術と言う範疇には収まりそうもありません。
当然、伝えたいことも、いわゆる「鍼灸学問」の中にはありません。
その中にあるデータ(技術や理論や言語、臨床データなど)は活用しますが、そこが全てでも絶対でもありません。
なぜなら、この世の中全ての現象の裏にある働き、本質を理解したいと思っているからです。
医術が医術だけでは、「本質を求める」ことには到達出来ないと、僕は考えています。
多分僕は(ここにいる仲間も)、ちょっと違う世界を見ようとしているのかも知れません。
ただ、そこには僕が昔から知りたかった、見てみたかった世界が広がっているんです。
この世界を知り、理解すること。
それによってしか、僕の目指してきた武術と医術は手に入りそうもありません。
今朝、サイフォンにて珈琲を点てながら、そんな事を思ってみました。
あぁ、今日も平和だ(笑)
風邪や咳の予防に
(やまもと)
こんばんは、くまです。
最近、とにかくまぁ「くま」「くま」と呼ばれるので、もうネタみたいになってきた「やまもと」です。
寒くなり、風邪や風邪症状の人も増えてきたかも知れませんね。
うちのオカンも風邪を引いたようで、妙な咳をしています。
熱がでりゃいいのに、熱が出ず、ダラダラ長引いています。
これは、体力不足によって外邪(細菌やウイルス)と闘う力が弱いためと考えられます。
体力があれば、パッと熱が出て外敵をやっつけてくれるのですが、疲れがたまっているとこんな具合になるようです。
昨日の夜中2時過ぎ、えらい咳込む音が聞こえて眼が覚めました。
オカンは、お茶を飲みに起きたところのようでした。
首の付け根に「大椎穴(だいつい)」と言うツボがります。
下を向くと、首の付け根で飛出る骨がありますね?
その直下が「大椎穴」です。
別名を「百労」と言います。
主に、肩や首のこり、鼻血、咽頭痛、扁桃腺炎、頭痛、脳溢血、精神疲労などに効くとされています。
背部の五行配当で見れば「肺金」に辺り、臓器で見ると、やはり「呼吸器系」に効果のあるツボです。
余りに咳が酷いようなので、その辺を中心に、服の上から「手刀」でゴシゴシ摩擦しました。
皮膚が赤くなるくらい摩擦します。
その後、腰も同じく摩擦しました。
腰は「腎水」をつかさどっています。
腎は「陰」の作用があります。
陰は「モノを引き締める」作用があります。
これが弱ると、熱気を引き締めておくことが出来ず、熱は上に昇っていきます。
その熱が、肺や気管支に留まると「咳や炎症」を起こしやすくなります。
心臓に昇れば、高血圧や心肥大、心筋梗塞など。
脳に昇ると、脳溢血やら脳梗塞やら、神経障害やらが出る可能性が高まります。
また「腎」は元気をつかさどっています。
このような理由から、腰に力が入るようにガシガシ摩擦して、熱を与えます。
腎を強くし元気を高め、「上に浮いた熱を下げよう」と言う意図ですね。
3分くらいですかね。
が~っと摩擦して、そのまま寝ました。
ほんで今朝。
「あのまま、気がついたら朝まで爆睡で、危うく寝坊するとこやったわ」
との事。
昔、京都の某舞台現場で、仕事直前に熱が出て震えていました。
その時に、先輩であり鍼灸師でもある人に、「ストーブで腰と首の付け根をガンガン暖めろ!」と言われ実行しました。
いや~、見事に熱が引いて、元気に舞台に立つことが出来ました。
まぁ、家に帰ってまた熱が出てバッタリ倒れましたけどね(笑)
とにかくまぁ、これからの季節の養生法として、この「大椎穴付近と腰」を摩擦することはオススメです。
パフォーマー栄養講座終了!!
(やまもと)
おはようございます、やまちゃんです。
え~、昨夜、AManTo天然芸術研究所での「パフォーマー栄養講座」
は、無事に終えることができました。
結局ですね、24名の方が参加して下さいました。
「誰も来なかったら寂しいなぁ・・・」と思っていたので、めちゃくちゃ驚きました。
ほんで、めちゃくちゃありがたいな~って思いましたよホンマ。
「姿勢によって自己内面の思考や感情がどう変化するのか?」から始めました。
次に、師より直伝の「六挙動法」に始まり、「意守丹田功」「スワイショウ」をみんなでやりました。
後は、とにかく「自分が何を感じているのか?」としっかり向き合うこと。
そこから「外の世界(空間や他人)をどう感じているのか?」などを体験してもらいました。
こういう事は、自分で体験して掴むしか方法は無いんですよね。
そのほかとしては、希望者を前に呼んでの体験ですね。
「力での突き」と「意気を含ませた突き」の違い。
「相手の気配を察知するという事」や「意によって力が貫通する」事。
「鍼を使わない鍼治療」と、僕がよく使う技法を色々体験してもらいました。
あやうく「パフォーマー栄養講座」という趣旨を抜かすとこに気がついたので、「表現」とは何か?を僕なりの経験から導いたものを見せました。
これには、演劇集団よろずや座長の寺田夢酔氏の演劇メソッドも少しパクらせてもろてます。
これらが「1つ2つの簡単な原理から成り立っている」と言うことを理解してもらうために、僕の20年積み重ねたもの、それを一気にだ~~~っと見せました。
ホンマはね、こういうものは少しずつゆっくりゆっくり練り上げて積み上げていくものなんです。
でもまぁ単発のワークショップなので、色々な事を一気に畳み掛けてしまいました(苦笑)
で、終わったあとで反省するわけです。
「やりすぎた~~」と(笑)
で、ちょっと不安になるんです。
「あんなんで、来た人は納得出来たのだろうか・・・」と。
で、気がつくわけです。
「しもた!!あれとこれをやり忘れてた~~~~!!」と。
お金を出して、時間を割いて、わざわざ来てくれはるわけですやん。
それに見合うものは提示したいし、持って帰ってもらいたいやないですか?
そうするとね、ついつい色々やってしまうわけですよ(苦笑)
良いんか悪いんかは知らんけど、僕はこういう性格なんでしょう。
そんな僕の20年近い研究が、それに見合ってくれれば良いなぁ。
あんなものではありますが、一応僕の血と汗の結晶ですからね(笑)
嬉しいことに、終わったあとに一杯拍手をしてくれました。
ほんで、声をかけてくれたり、質問してくれたりしてくれる人も沢山いました。
プロデューサーも納得してくれたみたいで、
「ぜひ第二弾の相談をさせて下さい」
と言ってくれはりました。
嬉しく、ありがたい思いで一杯です。
その後、数人の参加者達と、隣の建物にある「天人カフェ・バー 朱夏」
にいってビールとご飯をご馳走になりました。
グリーンカレーおいしかった!!!
終電ギリギリまで、バーでも質疑応答&体験をしてもらって帰ってきました。
昨日はとても楽しく、有意義な時間が過ごせました。
みなさん、本当にありがとうございました!!
山本浩士拝
頭上安頭
【とぉせん】
御無沙汰してます、とぉせんです。
ここ数日、世間から離れておりましたが、戻ってきたら何だか隣国がきな臭いことになっているようで驚きました。
ちょっとした浦島太郎気分です。
今月の上旬に仕事でインドに出張してきました。
自分にとって初めてのインド行きであり、事前に色々と情報は仕入れていたのですが、聞くのと実際に見るのは感覚に訴える迫力が全く違います。
道路に溢れる牛と犬。
クラクションの喧騒、信号のない十字路を互いの感性と都合だけで切り抜けるドライバー達。
鮮やかな色彩と柄のサリー。
どう見ても定員オーバーのバイク、バス、トラック。
信号待ちの車にすり寄ってくる、物乞いの少女。
車窓から街をちょっと見渡しただけで、この衝撃です。
これまで抱いてきた「常識」というものが、日本と言う狭い国でしか通用しない、いかにちっぽけなものでしかないかということを、骨の髄まで思い知らされた気分でした。
滞在中、旦那さんらしき人が運転するバイクの荷台に、奥さんらしきサリー姿の女性が横座りしている光景をよく目にしました。
日本で見かける二人乗りの後ろの方は、たいてい前の方にしがみついていますが、驚いたことに、そのうちのほとんどの奥さんが、運転中、どこにも掴まったいませんでした。
バイクを特段ゆっくり運転している、というわけではなく、信号が少ないのと、交通マナーがよろしくないせいもあり、方向転換もしょちゅうの中で、です。
インド人もびっくり、ならぬ、インド人にびっくり、でした。
そんな中で個人的に印象に残った光景があります。
女性が重い荷物を運ぶ際、手で持ったり、背負うのではなく、頭の上に載せて運ぶ姿です。
インドだけでなく、東南アジア等でも見られる光景だと思います。
かなりの量の、柴の束のようなものを載せて、車がびゅんびゅん行きかう道路を悠々と横断しているご婦人もいたりして、そうしたご婦人は例外なく、身体の軸線がすっと通り、見ているこちらが思わず気持ち良くなるような、ある種の気品がありました。
なぜ、その姿が印象に残ったのか、と言いますと、1年近く前に読んだある本に理由があります。
樺島勝徳という禅僧が書かれた本で、その中に
「頭上安頭(ずじょうあんず)」
という、ある種の坐禅法が紹介されていました。
ごくごく簡単に言ってしまうと、
「頭の上の重りを載せること」
になります。
何となく興味を持った私は、試しに実践してみることにしました。
本では、椅子に座り、壁に背をつけて、頭に砂袋を載せるとのことでしたが、面倒くさがりなものですから、生活の中で、生活の道具だけを使うことにしました。
ということで、私流の「頭上安頭」のやり方は、このようにしました。
・入浴中、腰・背中が丸まらないように注意しながら、胡坐をかく。
・頭にシャンプー、リンス等、適当なボトルを頭の上に載せる。
・載せたものを落とさないようにキープながら、自分の背骨の状態や呼吸の状態をゆっくり観察する。
頭に載せるものは、別にボトルでなくて石鹸などでも構いませんが、あまりに軽いと載せていない時との違いがよく分からず、逆に余りに重いと首の付け根などの弱い部分に負担がかかりやすくなったり、強張ったりしやすいようです。
それと、余りに滑り落ちやすいものを載せてしまうと、落とさないこと自体が目的化してしまい、身体の形を崩してしまうことがあります。
油断すると落としてしまう緊張感と、背骨にじんわりと重みが浸透する安定感の両方が感じられる状態が良い状態です。
自分で色々と試し、最適な「重り」を見つけてください。
効用としては、普段、私たちが意識しづらい「背骨」というものを、重りという負荷をかけることで意識しやすくなる、ということがあります。
意識しやすくなる、ということは、崩れたり、歪んだりした際に、違和感として検知しやすくなる、ということにも繋がります。
凛と立ったインドの女性を頭に浮かべながら、試してみてください。
慈眼視衆生
(やまもと)
おはようございます、やまもとです。
昨日、琉球に伝わる「手(ティ)」 と言う武術のセミナーに参加してきました。
前々から興味があった武術であり、前々から注目していた琉煌會の城間啓史郎先生 のセミナーです。
中々参加するキッカケがなかったのですが、先月ひょんな事でそのキッカケを得、昨日参加する事を決めました。
長年色んな武術をやってきましたが、実はこういうセミナーは初参加でした。
「参加して良かった~」と思いました。
基本の一部ではありますが、手を学べたことの喜び。
僕が今まとめて、今後誰かに伝えようと考えていることとの共通点を見出せた事。
それらが得られて、とても楽しく、とても嬉しい時間が過ごせました。
何よりも、先生の人柄に改めて惹かれました。
先生が語る自分の過去や失敗、今に至るまでの葛藤などは、自分自身のものを聞くかのようで、とても親近感を抱きました。
セミナーから帰り、学んだ事と、自分のものとを整理していて、ふっと思い出した事があります。
忘れていた訳では無いのですが、改めて思い出し、感じさせられたことです。
僕は、色んな葛藤から、1年間、鍼灸の学校を休学したことがあります。
色んな想いが湧き上がっていて、それらを抑えるのが耐えられなくなったんですよね。
大人気の無い、情けない話です(苦笑)
そうして、東京に出ました。
そこでも葛藤の日々でしたが、多くの人と出会い、皆に支えられて過ごす一年でした。
人の優しさが嬉しくて、一人で部屋で涙を流すことも何度もありました。
家族や仲間の想いから、自分の過去に対する執着から解放され、「よし!復学をして鍼灸師になろう!」と思い復学し、こうして国家資格を得るに至りました。
今では、あの葛藤の日々も、今の僕の肥やしになっているのがわかります。
もちろん、今も夢はありますし、葛藤もあります。
だからこそ、「鍼灸師になってよかった!」って今は心から思っています。
復学してしばらくした頃、鍼の師から荷物が送られてきました。
その中に、色紙が2枚入っていました。
師と縁のある山川宗玄老師の書かれた書でした。
うちの師から言われていることがあります。
「上虚下実、内剛外柔が基本だ。武で内を剛に鍛え、外は医で柔にしろ。医だけでは弱く、武だけでは硬い。だから『医武』であれ。」
簡単に書くとこういうものです。
そうして送られて来た書の一枚には「慈眼視衆生」とあります。
僕は詳しく無いのですが、これは観音経の言葉らしいですね。
「慈愛の眼で、全てを視なさい」と言うものです。
忘れていた訳でも無いのですが、昨日のセミナーでそれを学んだ気がしました。
色々稽古と実験を通して、「何も想わず、何も考えず動く」と言うことは何となく掴めてきました。
これはある意味「無為」と呼べるもので、自分自身への集中と言えるかも知れません。
それによって、相手の意識や感情の働き、言葉の訴えにはない症状などを掴む感覚はできてきました。
ただ、それとも違うものを昨日学べました。
「どんな時でも、どんな相手でも、自分の心は常に穏やかに。相手に技をかける時も、常に相手を思いやって」
昨日のセミナーで、先生は言いながらとても柔らかく自在に「手」を見せて下さいました。
確かに技のキレは恐ろしいほどです。
しかし、技をかけられても嫌な後味はなく、とても爽やかな気持ちになれました。
「こらおもろい!!」
それはまさに、僕が目指している武術と医術のあり方かも知れない!と思えました。
「僕の中の武術と医術が、共に仲良く共存する為に必要な道はやっぱし「慈眼視衆生」なんや!!」
と、今朝ふと思いました。
僕は、特に赤ちゃんに「小児鍼」をする時の心持がこんな感じです。
僕の内面の状態は、必ず外に現われます(みんな同じだと思います)。
子供っちゅうのは、それを感じ取るようです。
例えば心の荒れた僕に触れられたくはないでしょうし、そんな治療を受けたい患者さんがいるはずもありません。
ましてや、そんな危ない治療は人様にして良い訳がありません。
これらは「眼には見えない」部分ですが、人は無意識に感じています。
師とは、そういう稽古を散々するので、その辺はよくわかるようになりました。
師の師は「自分が薬師如来になった心で」とか「この命(相手)光り輝け!と思いながらなでろ」と言うような事を言うてはったようです。
手に小児鍼を持つ気持ちで、今でのものに昨日学んだことを加味して、自己鍛錬法をやりました。
内面の動きがガラリと変わる感じがしました。
「穏やかで暖かなお陽さんのように。涼しく心地よい風のように。」
そんな感覚が、僕には実感覚として意識しやすいようです。
僕の感覚ですが、これは「穏やかでいなくちゃ!」「穏やかになってやろう!」と言うものでは無いです。
そうすると、多分気持ちが硬く居着く気がします。
そうではなくて、日常も武も医も全て分け隔てなく「ただそうある」「ただ穏やかである」だけでよいのでしょう。
まぁ、だから難しいのですが・・・
これは、ある種の瞑想法と呼べるのかも知れませんが、是非実践していこうと思いました。
己の内は武で剛に養い、心は常に柔らかく仏のような柔であり続ける。
そこに、僕が生涯をかけて追求していく「医武」の道があるような気がしました。
とは言え、中々難しいですけどね(苦笑)
毎日浮いたり沈んだりを続けていますが、それでもちゃんと前に進んでいきますよ。
Selecting right cup for sake: 酒に合う酒器選び
執筆:いちべー








Recently, I bought four sake vessels at the pottery market in Mashiko Town, Tochigi Prefecture.
(Play list of movies regarding the Mashiko Pottery Market)
最近、益子の陶器市でいくつか酒器を購入した。
(益子陶器市関係の動画の再生リスト)
I know that drinking a specific type of sake with a right drinking vessel enhances good characteristics of the sake. So, I tried choosing vessels according to several types of sake, and drank the sake. However, I may have been dogmatic in deciding on these combinations of sake and vessels described below, and some people may have different ways of combining sake and these vessels.
各タイプの酒の特性に適した酒器を使用すると、より効果的に酒の特性を引き出して楽しめる。そこで、これらの酒器に合わせて酒を選び飲んでみた。ただし、酒と器の組み合わせは、あくまでも私の直感で選んでいるわけで、違う意見の方もいるかも知れない。

Vessel (1)
酒器(1)
(携帯で見ている方、上の画像をクリックすると動画再生画面に飛びます)
The first vessel is a tall one, which can hold as much as about 140 ml of sake. When I filled about 60% of this cup with ginjo sake, the aroma rose up from the inside of the cup. I set the thin brim of the cup to the lip and tilted the cup. The sake flew into the mouth from the cup smoothly, and I felt a pleasant touch of sweetness first. It seems that this cup accentuates the clear taste and fragrant aroma of ginjo sake.
最初の酒器は、背の高いもので8勺程度酒が入る。これの6割程度を吟醸酒で満たすと、内側から吟醸香が立ち上ってきた。薄い酒器の縁を唇に押し当てて酒器を傾けると、酒が滑らかに口に流れ込み、微かで好ましい甘みを感じた。この器は、吟醸酒のすっきりした味と芳香を引き立ててくれるようだ。
Vessel (2)
酒器(2)
(携帯で見ている方、上の画像をクリックすると動画再生画面に飛びます)
The next vessel is also tall (this time, I bought three tall vessels). The capacity is about 90 ml. The marks on the cup look like hieroglyphic characters. They also look like dancing people with horny headgears on their heads. I also noticed that one of the marks looked like a kanji character of "笑," which means a laugh. The general mood of this cup is that of an unearthed ancient item. So, the idea that hit me was "Let's fill this cup with long-aged sake."
次の酒器も背が高い(今回は、背の高い酒器を三つ買った)。半合ほど入るものだが、表面の模様は象形文字のようだ。何か角のある仮面のようなものを被って踊っている人々のようでもある。さらに、よく見ると、そのマークの一つが感じの「笑」という文字に見えてくる。全体的に古代の出土品のような雰囲気を醸し出している。そこで、ひらめいたのは、「よし、ひとつこいつに長期熟成酒を注いでみようか」ということだった。
Vessel (3)
酒器(3)
(携帯で見ている方、上の画像をクリックすると動画再生画面に飛びます)
This tall cup has a white outer surface, on which line drawings have been scratched. The brownish color of the foundation mud is exposed as a result of the scratched lines. So, I am sure that two types of mud are used to make this cup (brownish mud is used for the foundation with white mud coated on it). The outside surface of the cup does not seem to have been glazed, while the inside surface has been glazed and has a layer of thin glass. I drank fresh chilled namazake with this cup.
この表面の白いスラリとして感じの器には、引っ掻くようにして線画が施されている。表面の白い粘土を引っ掻くことで、下地の褐色系の粘土を露出させて線画が描かれている。というわけで、下地の褐色系粘土と表面の白い粘土の二種類の粘土が使われているのが判る。器の外側には釉薬は掛っていないようだが、内側には釉薬で薄いガラス質の層が出来ている。フレッシュな生酒を冷で飲んでみた。
By the way, the line drawing shows giant robots, or Mobile Suites (Gundam). So, this is a very unique sake vessel and I liked it at first glance.
ところで線画であるが、巨大ロボットのようなものが描かれている。いや、これはガンダムのモビルスーツではないか?!ということで、このユニークな酒器、一目見て気に入ってしまった。
Icho bari
(やまもと)
今朝、通りすがりのお母さんに「子供のオネショは治りますか?」と尋ねられました。
This morning, I was asked by a mother, who was a passing visitor, whether the bed-wetting of a child can be cured.
「小児鍼」の看板を見たからでしょう。
I guess she found the notation of "Shoni shin ( Pediatrics Acupuncture)" on my signboard, and asked the above question of me.
これは、子供に行う鍼法のことです。
The pediatrics acupuncture is acupuncture technique to be applied to infants and children.
僕は過去に2例だけ、小学生のオネショ治療をした事があります。
I treated primary schoolchildren for bed-wetting in only two cases in the past.
多分、半年くらい治療を続けたと思います(週に一回程度)。
In one of these cases, I think, I probably continued the treatment for half a year at a frequency of about once a week.
小児鍼が効いたのかは解りませんが、確かにオネショは止まったそうです。
After the above treatment, I was told that the symptom of bed-wetting had surely stopped although I am not sure how greatly my infant acupuncture treatment contributed toward the cure.
その時に使った道具がこれです。
The photo below shows the tool I used for the treatment.
「イチョウ鍼」と言います。
This is a tool called icho-bari (ginkgo-leaf needle).
イチョウの形をした道具で、銅で出来ています。
It has the shape of a ginkgo leaf, and is made of copper.
広い方で、皮膚を優しく撫でます。細いほうは、特定のツボに軽く当てます。
I stroke skin softly with the wide side of this tool, and I use the narrow side to touch a specific acupuncture point lightly.
大体5分くらいの治療になると思います。
The treatment usually lasts for about five minutes.
子供だけでなく、皮膚の弱い大人や、刺激に過敏な人にもこれを使います。
The icho-bari is used not only for children but also for adults who have weak skin or sensitive to stimulation.
この他にも、色々と面白い道具がありますが、それはまた後日紹介します。
In addition to this icho-bari, there are various interesting tools, which I would like to introduce in future opportunities.
Hiroshi Yamamoto
We are [Boken Coro Sha]
[Boken Coro Sha] was established in response to the call from Hiroshi Yamamoto.
The group consists of traditional martial artists (specialized in kenjutsu, iai, jujutsu, etc.), a tea ceremony learner, Qigong therapists, an acupuncture and moxibution therapist, a translator, and other talented members.
Hiroshi Yamamoto
An action actor and acupuncture therapist from Kobe city in Japan.
After graduating from the high school, he joined to an action team based in Osaka city, and acted in costume as an action hero like one from the power ranger series, appearing in films, TV programs, and CMs.
In addition to his career of an action actor, he has been practicing traditional Japanese martial arts, "Zen" meditation, and "Takigyo" (ascetic training in a winter waterfall).
He also works as a healer by using acupuncture and moxibution.
In January of 2007, he established Boken Coro Sha with
his company.
-[Boken Coro Sha] Introduces Japan to the World.-
We don't intend to favor Japan, but dare to say Japan is an interesting country.
Even for Japanese people, there are many inexplicable or mysterious things, which somehow drive people curious.
Japan continued modernization since Meiji Restoration, while old culture and tradition have survived generations until now.
Some practice traditional martial arts, others learn tea ceremony, while there are musicians who play traditional tunes.
And the purposes of these activities are to increase humanity and to evolve human souls.
Mountains and seas, and rivers and woods -- endowed natural features of Japan have been allowing its decorous streetscapes to be built, various words and dialects to be developed, and unique religious belief and customs to be established.
People in Japan share a worldview created during the interchange between Mother Earth and and human beings.
In this worldview, people communicate and have interchange with each other from the soul.
Old things and new things coexist, are mixed, and root deeply in the ground of Japan.
We, born in the present day, can learn from the wisdom of forerunners and listen attentively to their voices.
Boken Coro Sha uses the way of thinking of modern people to receive idea, teaching, and other traditional concepts from those in the past, and convey what is thus acquired to people in every corner of the world.
If we compare ourselves to the crews of a ship, [Boken Coro Sha] is a ship that voyages a sea route of adventure."
Drinking "Tenranzan" on Mt. Tenranzan: 天覧山で天覧山
執筆:いちべー








Last week, I went for a hike in the vicinity of Han-no City, Saitama Prefecture. I walked along the following course:
先週、平日にちょっと時間があったので、軽く飯能の方面へ散歩に出かけ、以下のコースを歩いた。
Higashi-han-no Station on JR Hachiko Line -- Igarashi Shuzo Sake Brewery -- Mt. Tenranzan -- -- Koma Pass -- Kinchakuda Paddy -- Koma Station on Seibu Line
JR八高線東飯能駅~五十嵐酒造(試飲)~天嵐山~高麗峠~巾着田~西武線高麗駅
I started walking at around 10 o'clock at Higashi-han-no Station, and ended the walking of this day at Koma Station at about 2:30. If I had not taken the detour for visiting Igarashi Shuzo for sake, my walk would have been shorter by about one hour. However, in that case, I can't write an article for this blog, which deals with sake, so I walked the longer way.
東飯能駅を歩き始めたのが10時頃で、高麗駅に着いたのが2時30分頃だった。五十嵐酒造によって酒を買うという回り道をしなければ、1時間くらい時間を短縮できるが、その場合は酒をテーマとした当ブログが成立しないので、頑張って歩いたのであった。
An easier way to get to Igarashi Shuzo is to walk from Han-no Station on Seibu Line, but the map showed me that walking from JR Higashi-han-no Station to the brewery did not make a big difference in terms of distance, so I decided to walk from Higashi-han-no Station. However, I was not very sure whether I was on a right track, and I walked approximately southward by making a guess. And, finally I reached the street that runs along the Koma River. I was sure that the Igarashi Shuzo was located on this street. Actually, I have a good sense of geography, and I can usually manage to find a right way to the destination in such a case. However, it was a bit long way.
五十嵐酒造までの道は、西武線の飯能駅から歩いた方が判りやすいのだが、地図を見るとJRの東飯能駅から歩いても大差がなさそうなので、東飯能から歩くことにした。道がよく判らないので、およその見当で南の方向に歩き、高麗川沿いの通りまでたどり着いた。たしか、この通り沿いに五十嵐酒造があるはずだ。実際、私はけっこう地理感があるので、こういう場合は、あまり迷わずに目的地に到達するのだが、しかし、今回はけっこう長い道のりだ。
Igarashi Syuzo (arrival at 11:20)
五十嵐酒造(11:20頃)
Anyway, I could get to Igarashi Shuzo, and the shop there was selling their sake. When I entered the shop, the salesclerk was busy with some paperwork at her desk. She confirmed that I was not driving, took out some bottles of sake from the refrigerator, arranged them on the table, offered me sample sips of sake, and then went back to her desk to resume her work.
とにかく、無事に五十嵐酒造に到着すると、お店ではお酒が売られている。店番のかたわら事務仕事をしていた女性は、私が車で運転して来なかったことを確認すると試飲用の酒をテーブルに並べて試飲を薦めた。そして、一通りの説明をすると中断していた事務仕事を再開するために、デスクへ戻って行った。


After sampling all types of the presented sake, I purchased a bottle of aged sake Koten and a 300-ml bottle of namazake and put them in my rucksack. According to the salesclerk, it takes about 20 minute on foot to Han-no Station, and the starting point of the trail to Mt. Tenranzan is farter beyond the station. Well, I had known that since I looked the map, and I thought she told me roughly correct time to the station. However, I don't like a 30-minute or longer walk on a paved road very much. I hoped that I could walk on unpaved trails soon and I tended to be at a trot.
さて、私は、一通り試飲を終え、古天という熟成酒と、300ml瓶の生酒を購入し、リュックに詰めた。店番の女性によれば、飯能の駅まで徒歩20分くらいで、天覧山の登り口は、さらにもっと歩くようだ。いや、だいたい地図を見て判っているので、そんなもんだろうとは思いつつも、やはり舗装道路を30分もダラダラ歩くのは、あまり楽しくない。はやく、山道を歩きたいものだと思うと、早足になりがちだ。
The starting point to climb Mt. Tenranzan was near the Noninji Temple, and I walked the trail that passes beside the temple. It was a very short way to the summit, and actually it took only about 10 minutes for me to reach the summit. The part of the trail just below the summit was somewhat steep, but I think even kindergarten children can walk to get to the summit.
さて、天覧山であるが、登山口は能仁寺というお寺の脇を入って行くのである。登山口から山頂までは、10分くらいで登れてしまうあっけなさである。山頂直下が少々急だが、幼稚園の遠足でも軽く行けるお手軽散歩道といった感じだ。
Tenranzan summit (arrival at 12:30)
天覧山頂上(12:30頃)
Mt. Tenranzan stands 195 meters high. There is a robust concrete structure on the summit. This is a viewing platform, from which you can look down the town of Han-no City. Also, you can have a panoramic view of Okutama mountain area. In the past, Emperor Meiji watched his warriors hold military exercises from this point ("Tenranzan" means "a mountain from which Emperor watched something").
天覧山は、標高195m。頂上には、コンクリート造りのしっかりした展望台がある。ここから、奥多摩方面の山々がよく見える。かつて、明治天皇が近衛兵の演習を、この山からご覧になったそうだ。

(携帯で見ている方、上の画像をクリックすると動画再生画面に飛びます)
I drank some of Tenranzan namazake on the summit as I planned, had lunch there, and then started walking again for Koma Pass. I took about one hour to the pass, and the trail was broad and comfortable.
頂上で、予定どおり天覧山の生酒を飲み、昼食を食べてから、高麗峠へ歩き出す。高麗峠までは、一時間くらいであり、広くて歩きやすい快適な道である。
Koma Pass (arrival at 1:40)
高麗峠(13:40頃)
It was somewhat dim on Koma Pass. I could not have a good view from there. From this point, I walked for about 30 minutes to reach the Kinchakuda Paddy.
高麗峠は、ちょっと薄暗い峠。展望もあまりよくない。ここから30分も歩けば巾着田に到着する。

Do-re-mi-fa Bridge (arrival at 2:00)
ドレミファ橋(14:00頃)
The Do-re-mi-fa Bridge is a small submerging bridge spanning the Koma River that runs meanderingly around the Kinchaku Paddy. I walked across this bridge and reached the Kinchakuda Paddy.
ドレミファ橋は、巾着田を囲むように流れる高麗川にかかっている冠水橋(雨で増水すると水没して渡れなくなる橋)で、これを渡ると巾着田。


The photo above on the right was taken from the Do-re-mi-fa Bridge. I tried to take picture of swimming fish in the water, but can you see them?
上の右の写真は、ドレミファ橋から撮影。泳いでいる魚を写真に撮ろうとしたのだが、見えますか?
Kinchakuda Paddy (arrival at 2:10)
巾着田(14:10頃)
I think the best season to visit the Kinchakuda Paddy is late Sempember, when flowers of the cluster-amaryllis are in full bloom. The photo below on the right was taken in late September, 2008.
巾着田は、本当は曼珠沙華の花の時季に来るといいのだ。下の右側の写真は、2008年の9月下旬ごろの様子。


Views from the Shikanodai Bridge
鹿台橋(しかのだいばし)からの眺め
I left the Kinchakuda Paddy for Koma Station. On the way to the station, I walked across the Shikanodai Bridge over the Koma River. The photos below were taken from this bridge.
巾着田から、高麗駅に向かうのだが、途中にあるこの鹿台橋からの高麗川の眺めがなかなかよい。


