理解するという事 | 冒険航路舎

理解するという事

(やまもと)


おはよ~ございます、やまもとです。




「GyaOで「鋼の錬金術師」の1話~60話が、今なら無料で見れるよ!」
と朋友からメールをもらって、5話くらいまで見たところで期間終了してしまった・・・


うぎゃ~全部見たかった~~~!!


改めて1話から見ていると、何だか自分のやっている事とかぶって見えてきました(笑)
もちろん、あんなハチャメチャな錬金術は不可能ですが・・・


昔「孔雀王」と言う漫画があり、僕はあれが大好きでした。
「オレも印と真言であんなことが出来るようになりて~!」
と、真剣に考えてました(笑)



でね、このハガレンを見ていて、色々思うことがありました。
「機械で測定出来たり、数値で現われることが科学ではないな」
と。
「それらは結果の極一部であり、それらを理解した事にはならんよな」
と。
いや、研究した人は理解しているのでしょう。


知らないこと、見えないこと、解からないこと。
これらを、知ろう、見よう、解かろうとする事こそが科学であり、データってのは研究者の人生を物語るドラマであり、ある意味では食い散らかされた残骸みたいなもんじゃないか!と。


本当のデータってのは、恐らく凄まじく巨大なんです。

我々理解を遥かに超えたもの。

人はそれを「体験」することで認識し、何らかの類似体験をした者が、これらの数値を見ることには意義があるが、何の体験もせずに数値で見たところで、それを知ったことにはならないのではないかと。


そうして、それら体験とデータとを結びつけるだけの洞察力と、認識力が大切なのではないかと。
それがあれば、行ったことの無い世界を見ることが出来る気がするのです。


「顕微鏡を覗くと宇宙が見える」
と言うそうですね。
そこまで覗ける人がどれだけいるのか!?
そこまで深く世界を認識する人がどれだけいるのか!?
これはつまり瞑想力とも言えるじゃないか!


瞑想と妄想は違います。
理解した気分になることと、本当に理解することも違います。


そう考えると、鋼の錬金術師と言う世界観は、空想の世界ではあるがただの空想ではない気がします。
あそこには、確かにこの世界の法則があるように思えます。


東洋医学ってものは、なかなか不可解が事が多いです。
ムチウチやぎっくり腰が、手首のツボで治ることもよくあります。
こんな事は、普通の理屈で考えると有り得ません。

しかし、体験したものだけがその世界を知ることが出来ます。

それが何か?を考え、分析するのが科学に思えます。

不可解であり、有り得ない世界ではありますが、あることに気がつくとそれは当たり前に変わります。
そこには「法則」があるんです。
法則やから、とうぜん「例外」というやつも存在します。


その例外だけをとって、是非を問うても意味がありません。

もちろん、意味がある場合もありますが、大抵が人の都合で見られているだけです。


天動説が常識の時代に、地動説を唱えるとただ変人です。

幕藩体制時代に、大政奉還すると言うことがどれだけ有り得ないことだったのか。

逆に今の常識から見れば、これらは非常識でしかありません。


かつては悪霊の仕業と恐れられた感染症も、今では細菌やウイルスの仕業とわかっています。

ただ、未来においてそれさえも覆す常識が生まれるかも知れません。


人体において、小腸と言うのは大した役目が無いと思われてきました。

しかし今では、物事を記憶し、免疫の中枢であるという事がわかってきました。


大切なのは「今、自分が何を感じたのか?」です。

世の常識や、データや数値そのものではなく、その中に隠れて見えない世界をどう捉えるか?

それこそが科学なんじゃないかな?なんて思うのです。



東洋医学では「治病必求於本」と言う言葉があります。

「病を治すには、必ず本質を求めなければならない」

と言う意味です。

起きた象(現象)から、その裏にある働き(本質)を知り、理解することが大切になります。



僕の目指す鍼術は、最早ただの鍼術と言う範疇には収まりそうもありません。
当然、伝えたいことも、いわゆる「鍼灸学問」の中にはありません。

その中にあるデータ(技術や理論や言語、臨床データなど)は活用しますが、そこが全てでも絶対でもありません。


なぜなら、この世の中全ての現象の裏にある働き、本質を理解したいと思っているからです。

医術が医術だけでは、「本質を求める」ことには到達出来ないと、僕は考えています。


多分僕は(ここにいる仲間も)、ちょっと違う世界を見ようとしているのかも知れません。

ただ、そこには僕が昔から知りたかった、見てみたかった世界が広がっているんです。


この世界を知り、理解すること。
それによってしか、僕の目指してきた武術と医術は手に入りそうもありません。


今朝、サイフォンにて珈琲を点てながら、そんな事を思ってみました。
あぁ、今日も平和だ(笑)