慈眼視衆生 | 冒険航路舎

慈眼視衆生

(やまもと)



おはようございます、やまもとです。



昨日、琉球に伝わる「手(ティ)」 と言う武術のセミナーに参加してきました。

前々から興味があった武術であり、前々から注目していた琉煌會の城間啓史郎先生 のセミナーです。


中々参加するキッカケがなかったのですが、先月ひょんな事でそのキッカケを得、昨日参加する事を決めました。

長年色んな武術をやってきましたが、実はこういうセミナーは初参加でした。

「参加して良かった~」と思いました。


基本の一部ではありますが、を学べたことの喜び。

僕が今まとめて、今後誰かに伝えようと考えていることとの共通点を見出せた事。

それらが得られて、とても楽しく、とても嬉しい時間が過ごせました。


何よりも、先生の人柄に改めて惹かれました。

先生が語る自分の過去や失敗、今に至るまでの葛藤などは、自分自身のものを聞くかのようで、とても親近感を抱きました。



セミナーから帰り、学んだ事と、自分のものとを整理していて、ふっと思い出した事があります。

忘れていた訳では無いのですが、改めて思い出し、感じさせられたことです。


僕は、色んな葛藤から、1年間、鍼灸の学校を休学したことがあります。

色んな想いが湧き上がっていて、それらを抑えるのが耐えられなくなったんですよね。

大人気の無い、情けない話です(苦笑)


そうして、東京に出ました。

そこでも葛藤の日々でしたが、多くの人と出会い、皆に支えられて過ごす一年でした。

人の優しさが嬉しくて、一人で部屋で涙を流すことも何度もありました。


家族や仲間の想いから、自分の過去に対する執着から解放され、「よし!復学をして鍼灸師になろう!」と思い復学し、こうして国家資格を得るに至りました。

今では、あの葛藤の日々も、今の僕の肥やしになっているのがわかります。

もちろん、今も夢はありますし、葛藤もあります。

だからこそ、「鍼灸師になってよかった!」って今は心から思っています。




復学してしばらくした頃、鍼の師から荷物が送られてきました。

その中に、色紙が2枚入っていました。

師と縁のある山川宗玄老師の書かれた書でした。


うちの師から言われていることがあります。

「上虚下実、内剛外柔が基本だ。武で内を剛に鍛え、外は医で柔にしろ。医だけでは弱く、武だけでは硬い。だから『医武』であれ。」

簡単に書くとこういうものです。



そうして送られて来た書の一枚には「慈眼視衆生」とあります。

僕は詳しく無いのですが、これは観音経の言葉らしいですね。

「慈愛の眼で、全てを視なさい」と言うものです。

忘れていた訳でも無いのですが、昨日のセミナーでそれを学んだ気がしました。



色々稽古と実験を通して、「何も想わず、何も考えず動く」と言うことは何となく掴めてきました。

これはある意味「無為」と呼べるもので、自分自身への集中と言えるかも知れません。

それによって、相手の意識や感情の働き、言葉の訴えにはない症状などを掴む感覚はできてきました。

ただ、それとも違うものを昨日学べました。



「どんな時でも、どんな相手でも、自分の心は常に穏やかに。相手に技をかける時も、常に相手を思いやって」

昨日のセミナーで、先生は言いながらとても柔らかく自在に「手」を見せて下さいました。

確かに技のキレは恐ろしいほどです。

しかし、技をかけられても嫌な後味はなく、とても爽やかな気持ちになれました。

「こらおもろい!!」

それはまさに、僕が目指している武術と医術のあり方かも知れない!と思えました。



「僕の中の武術と医術が、共に仲良く共存する為に必要な道はやっぱし「慈眼視衆生」なんや!!」

と、今朝ふと思いました。

僕は、特に赤ちゃんに「小児鍼」をする時の心持がこんな感じです。


僕の内面の状態は、必ず外に現われます(みんな同じだと思います)。

子供っちゅうのは、それを感じ取るようです。

例えば心の荒れた僕に触れられたくはないでしょうし、そんな治療を受けたい患者さんがいるはずもありません。

ましてや、そんな危ない治療は人様にして良い訳がありません。


これらは「眼には見えない」部分ですが、人は無意識に感じています。

師とは、そういう稽古を散々するので、その辺はよくわかるようになりました。

師の師は「自分が薬師如来になった心で」とか「この命(相手)光り輝け!と思いながらなでろ」と言うような事を言うてはったようです。



手に小児鍼を持つ気持ちで、今でのものに昨日学んだことを加味して、自己鍛錬法をやりました。

内面の動きがガラリと変わる感じがしました。


「穏やかで暖かなお陽さんのように。涼しく心地よい風のように。」

そんな感覚が、僕には実感覚として意識しやすいようです。


僕の感覚ですが、これは「穏やかでいなくちゃ!」「穏やかになってやろう!」と言うものでは無いです。

そうすると、多分気持ちが硬く居着く気がします。

そうではなくて、日常も武も医も全て分け隔てなく「ただそうある」「ただ穏やかである」だけでよいのでしょう。

まぁ、だから難しいのですが・・・


これは、ある種の瞑想法と呼べるのかも知れませんが、是非実践していこうと思いました。



己の内は武で剛に養い、心は常に柔らかく仏のような柔であり続ける。

そこに、僕が生涯をかけて追求していく「医武」の道があるような気がしました。

とは言え、中々難しいですけどね(苦笑)

毎日浮いたり沈んだりを続けていますが、それでもちゃんと前に進んでいきますよ。