~あの頃~ごめんね。
ダイエット→拒食症へ。
給食の時間。今までだったら残しても何も言われなかったのに
五年生になって、新しく担任になったT先生はうるさいです。
「食べましょう。」
そりゃそーだろね…。
でもこの言葉、拒食症の子には逆効果ですね。食べることに恐怖と罪を感じてるんですから。
体型のこともあえて口にしない方がいーんです。
でもまぁ言わずにはいられない姿なんですがね
ご理解ください。そしてわたしの異常な拒食ぶりに、家族もすっかり参っていました。
骨と皮だけになってしまった…。
そこまでなっても太りたくない。食べられない。
まさに病んでるとはこのこと?完全に洗脳されてるんですね。
母に、どうして食べてくれないのと泣きながら怒られたこともありました。
ちなみにわたしは太りたくないことは人に言えなかったんです。ただ食べない。
ずいぶん昔のことなのに、こうしてあの頃を思い出すと
家族には本当に心配と迷惑かけたなぁと胸が痛みます。
でも当時のわたしにはそんなこと気付けなかったですね。子どもだし。病気だし。
何を言われてもひたすら、頑なに独走状態です

同じ小学校に通う姉。妹があんな姿になってしまい、本当に辛くて恥ずかしかったと思います。
子どもなのに、わたしを責めたことは一切ありません。母を励ましてあげてたこともありました。
昔から優しいお姉ちゃんです

父は多くは語りませんでした。辛くて何も言えなかったんですかね。
今も何も言いません。一人暮らししてるわたしのことを誰より気に掛けてるのに。
きっと当時もそうだったんだろうなぁと。
そんな不器用な父です

今のわたしは元気だよ~。
~あの頃~変化。
人知れずダイエットに励む当時小学四年生のわたし。
一年生から担任してくれて好きだった先生が
他の小学校に異動となり、五年生からはとてもふくよかなT先生が新しい担任になったのでした。
T先生、子ども相手に自分のダイエットの話とかします。
失礼ですが、当時のわたしにとってこんなに太った人を生で見るの初めて

太ってるな…。ああなったらヤダな…。(失礼
)で、わたし五年生に上がった頃は目立つくらいに痩せてきてましたし、
先生、わたしのこと「こんなに痩せてたっけ」「どうしたの」とかずけずけ言います。
給食の時間は視線が痛いし。食べなよって言うし。
今までの担任の先生はどちらかと言うと物静かなタイプ。
T先生は違います。気も強いし…。はっきり言って苦手なタイプでした。
特に食事のことに関してはほっといて欲しいし。
クラス替えもあったし、親友が引っ越してしまったのもちょうどこの頃。
そして、今まで仲の良かった友達は、異常に痩せてきたわたしに距離を置くようになっていきました。
ずっと続いてた交換日記(懐)だって自然消滅…。
子どもですから。精神的に病んでる子と付き合ってくのはそりゃ難しいでしょう。
そのうち低学年の子達はわたしを見てガイコツとか言ってきます

確かにそうだったけどさ。子どもって残酷だよね~。
何を言われようと、その頃わたしは完全に物を食べられなくなっていました。
拒食症。
小さなわたしはすっかりこの病魔に取りつかれていたのです。
~あの頃~ダイエット。
当時、小学四年生の小さなダイエッター。
成長期真っ盛りだし
ダイエットなんて悟られたくない。さりげなく給食残し、家ではこっそりごはん捨てたり。ママごめん。
五、六年生になると運動会で鼓笛隊をやります。
で、女子の憧れなのがフラワーと呼ばれるボンボンもって踊るアレです。アレ。
みんな体操パンツで演奏するのにフラワーの生徒だけが
白いミニのプリーツスカートはくんです。
鼓笛隊の先頭。まさにその名の通り花ですよ。花!
五年生になるとすぐに練習が始まるので
四年生の終わりごろに選抜テストがありました。一人ずつラジオ体操を披露して、担任の先生が決めるというもの。
鼓笛隊の花ですから、ライバルたくさんですょ。小四ながらも火花ばちばち。女の戦い。
わたし、体は柔らかいほうだったんで
あっさりフラワーの座を勝ち取りました
イェイ。嬉しかったなぁ。
その頃もう着々と体重減ってたんで、フラワーに選ばれたときに
「最近痩せてきたから、もう少し栄養つけないと踊るのも大変だよ」
みたいなこと言われて、そんな優しい先生の言葉こそがますますわたしのダイエット心をくすぐりました。
痩せただって♪嬉しー
でもまだまだ。もっと痩せなくちゃ。そんな気持ちでいっぱいでしたね。メラメラ~

小四の子どもなわたし。
こんなもんです。