~あの頃~やばい。
ダイエット→拒食症になり骨と皮だけになってしまったあの頃のわたし

前にも書いたように活動性は上がってますけど、やはり人間ですから。子どもですから。
体力・気力に限界がやってきます。
母が泣きながらわたしを諭している最中に
居眠り…してたのを覚えてます。じゃない。あれって居眠りじゃなくて気絶です。
今はもう拒食症じゃないし。看護師だから。あの頃の自分を一人の患者として見られます。
衰弱しすぎで意識レベルの低下です

拒食症で命を落とすって、本当です。怖い病気です。
わたし、もう少しあの状態が続いたら短い生涯を終えてたと思います。
さすがに母はわたしを病院に連れて行きました。
今でこそ、摂食障害は決して珍しい病気ではないですよね。
あの頃のわたしは典型的なタイプの拒食症だったので
今だったら、親や周りの人が拒食症かもって早いうちに察しがついてたかもしれません。
あとはわたしが大人だったら…
自分で精神科なり心療内科なりかかってたかもしれません。
でも当時はまだまだ知られていない病気でわたしも小学生だったから…
父も母も本当に悩んでいたと思います。なんで?なんで?と。
痩せたい願望を口にできず、ただ食べなかったから。親にしてみれば謎です。
母が連れて行ってくれたのは一般病院の小児科。
採血したらもちろん重度の栄養失調。てゆうか見た目からしてヤバすぎですから。
即入院になってしまったのでした。
~あの頃~にがい。
女子の憧れ、鼓笛隊でのフラワー(ボンボンもって踊るアレ)。
五年生の秋。運動会での本番披露

輝かしいフラワーの座を勝ち取ったのは、まだダイエット始めたばかりの頃。
しかし、本番を迎える頃にはすでに拒食症まっさかり。わたしはガリガリに痩せ細ってました。
身長は、忘れたけどクラスで一番ちび。
体重は、これもはっきり覚えてない。ただ小枝のような手足と
頬っぺたはエグれているほどでしたし。
担任のT先生はフラワーやめとく?と言います。
でもわたしはやる!と。拒食症って自分のボディイメージも狂ってますから。
自分の痩せすぎた姿を異常だと認識できないんですね。
そして活動性は高まってます。動けば痩せるという感覚に取りつかれてますからね。
自分の勉強机に座ることすらできなくなってました。
立って宿題です。夜更かししまくりです。寝るなんて罪!
頑張り屋ですねぇ。あの頃のわたしは。いま見習いたいさ…。
そんなわけで運動会当日、フラワー演じ切りました

完全に自己マンです。父兄のみなさんと参観していた母を思うと胸が痛すぎです。
それまで運動神経はいいほうだったのに
痩せて体力おちまくりですから
徒競走はもちろんぶっちぎりでビリ



障害物競走では、ただのでんぐり返りすら起き上がれない始末…。
もちろん生徒も父兄も視線集中。なんだか残酷です。
今思うと強制的に運動会参加禁止にしてくれても良かったんじゃないかい?小学校の先生たち。
まぁわたしがそれを受け入れたかどうかは分かりませんがね

そんなわけで。
一番華々しいはずの運動会の思い出は、一番痛々しいものになってしまったのでした。
~あの頃~学校と先生。
小学五年生、拒食症まっただ中。
周りの生徒からしたらそりゃ興味津々ですよね

ジロジロ見られるし、からかわれることもあったので
学校行きたくない!て泣いてた日もありました

そしたらいきなり担任のT先生が家まで歩いて迎えにきた!びっくり。
一回休んだらもっと行きにくくなっちゃうんだよ、と。
先生確かに。今になって確かにそう思うよ。
不本意ながら

体型や食事のことをガンガン言ってくるし、ほっといてくれないこの先生のことがどうしても苦手だったんですが
今思うとそんなに嫌な先生じゃなかったような気がしますねぇ。てゆうかむしろいい先生?
入院になったときもわざわざお見舞いきてくれたし。
メロンパンだけは数口食べられることがあったんですけど
それ親から聞いたらしく突然買ってきてくれたこともあったなぁ。
でも、当時のわたしにとっては食べ物のプレゼントなんて嬉しいより迷惑…

先生はかなりふくよかでしたので、先生が1キロ痩せたらわたしは1キロ太ろう
みたいな約束?させられましたねぇ。返事はしたけど、こっちはやる気なし。
先生にもずいぶんお世話になりました。ごめんね。ありがとう。
だけど。わたしがこれから先に拒食を脱して
過食期を迎え、みるみる体重が増えていったときに

このT先生また誰よりうるさかった


「太ったね~」
だから、やっぱり嫌いな先生なんです

子どもだってデリケートなんですからね。
相手の立場や気持ちを考えて話す。基本ですよね。
根にもちます(今でも持ってるし

子どもだって言葉ひとつで一喜一憂しますょ。
大事なことです。先生。