【民主主義】反グローバリズムに潜む国家解体【民族自決】 | 独立直観 BJ24649のブログ

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流行に浮かされずに独り立ち止まり、素朴に真っ直ぐに物事を観てみたい。
そういう想いのブログです。

 三橋貴明が、グローバリズムと民主主義を対置させ、「民主主義を守れ!」ということを言っている(https://goo.gl/ia7cfzなど)。

 「TPP亡国論」(集英社、2011年)で有名な中野剛志の影響ではないかと思う(https://goo.gl/R61kSN[2011年5月18日])。

 翌年の「“脱グローバル化”が日本経済を大復活させる」にはこの手の話が記述された(三橋は本書では柴山桂太を引いている。柴山も中野と同じく故・西部邁氏の「表現者」系で(https://goo.gl/F36hwC)、後に三橋メルマガで連載(https://goo.gl/fdxCYA。現在は連載終了の模様))。

 

 

 

三橋貴明 「“脱グローバル化”が日本経済を大復活させる」 (青春出版社、2012年) 46
ページ

 

「 国民主権国家において法律を決めていいのは、「有権者に選ばれた政治家」のみである。ところが、グローバリズムを推進していくためには、国民の意思とは無関係に、国際協定に合わせた法律を制定しなければならないのだ。

 結果的に、グローバリズムと国家主権、あるいは民主主義は衝突する。

 ハーバード大学の経済学者ダニ・ロドリックが提唱した概念に、「世界経済の政治的トリレンマ」というものがある(参考『静かなる大恐慌』[集英社新書]柴山桂太著)。

 これは、以下の三つを同時に達成することは不可能だという原則だ。

 

(1) グローバル化

(2) 国家主権

(3) 民主政治(議会制民主主義)

 

 この三つのうち、達成できるのは論理的に二つだけ。三つ同時は不可能だ。これはまさに、現在の世界の問題を端的に示している。」

 

 


 

 

 

 中野は、「ナショナリズムと民主主義は、ほぼ同じものと考えることができます」とし、三橋はこれに同意している(https://goo.gl/R61kSN)。

 「民主主義≑ナショナリズム⇔グローバリズム」という図式だ。

 リブログ元の記事で三橋は「ナショナリズム」に「国民主義」の訳語をあてているが、こんな訳語は聞き慣れない。

 ナショナリズムといえば「民族主義」が想起されるだろう。特に三橋が出演するチャンネル桜では社長の水島総がナショナリズムだの日本民族だのと言っており、同局視聴者であれば民族主義を想起するだろう。

 それでピンときたのだが、「我が民族のことは我が民族が決める」という意味で「民主主義」と言うのならば、実質的にそれは「民族自決」なのではないか。英和辞典にも「nationalism」に「民族自決主義」の訳語を載せるものがある(載せていないものもある)。

 なお、一応確認しておくと、民主主義の原語は「デモクラシー」だ。

 私の印象では、保守派は民主主義に懐疑的であり、西部氏に到っては「文明の敵」とまで称していた(https://goo.gl/QAQsrA)。

 ところが中野・三橋のように民主主義を位置づけるとこれを金科玉条の如く肯定することになるため、彼らの論法には違和感があった。

 

 

 

「nationalismとは」 weblio英和辞典・和英辞典

https://goo.gl/Mdy625

 

主な意味 国家主義、民族主義、国粋主義、愛国心、民族自決主義

 

 

 

「民族自決、いいじゃないか。それでこそ保守だ。」

 そう考える人もいるだろう。

 しかし、意外に思われるかもしれないが、民族自決は共産党の活動原理になっている。

 それこそ民主主義に関する節の中に書かれている。

 民族自決は必ずしも保守と結びつくものではない。革命・反日と結びつく。

 ちなみに、戦後半世紀、マルクス主義者は自らを「人民民主主義」と名乗っていた(岡崎久彦、長谷川三千子「激論 日本の民主主義に将来はあるか」(海竜社、2012年)11ページ)。

 

 

 

「日本共産党綱領」 日本共産党HP

https://goo.gl/yFsXkm

 

四、民主主義革命と民主連合政府

<中略>

(一二)現在、日本社会が必要とする民主的改革の主要な内容は、次のとおりである。

 

〔国の独立・安全保障・外交の分野で〕

<中略>

4.新しい日本は、次の基本点にたって、平和外交を展開する。

<中略>

 ―人類の死活にかかわる核戦争の防止と核兵器の廃絶、各国人民の民族自決権の擁護、全般的軍縮とすべての軍事ブロックの解体、外国軍事基地の撤去をめざす。」

 

 

 

 民族自決は歴史的に見てアブないものだ。

 民族自決は民族ごとの統治を認めるため国家分断に通ずる。

 我が国で言えば、琉球独立やアイヌ独立に力を与える論理となる。

 「民族自決」は取り扱い注意の用語・理念だと考えておいた方がよいし、こういう意味合いで用いられる「民主主義」「ナショナリズム」にも要注意だ。

 

 

 

倉山満 「嘘だらけの日露近現代史」 (扶桑社、2015年) 177~179ページ

 

「 コミンテルンとは何か、絶対に確実な事実を積み上げていきます。

 コミンテルンの前身は第一インターナショナルです。十九世紀、共産主義を考え出したマルクスの時代にできました。第一インターは各国の社会主義(共産主義の前段階ですが、違いがよくわからない)の団体の集まりで反政府的な傾向もあるのですが、反政府運動の一環として各国の民族運動を推進したので、極右団体の性格もありました。その後身の第二インターも同様に、第一次世界大戦が始まるとそれぞれの国の戦争に協力しています。

 日本で最初に彼ら社会主義者への警戒をあらわにしたのは、元老の山縣有朋でしょう。山縣は、一九〇八年(明治四十一年)に「社会主義者への取り締まりが生ぬるい!」と第一次西園寺内閣をつぶしてしまいます。この政変はよくわからないことも多いのですが、山縣の懸念は的中していました。西園寺内閣の時代に日本社会党が結成されるのですが、その中心人物が幸徳秋水(※)と片山潜です。幸徳は明治天皇を暗殺しようとする「大逆事件」を起こしました。もう一人の片山は、歴史好きだった高校時代の私まで「なんでこんなヤツの名前まで覚えなきゃいけないのだ」というマイナー人物扱いでしたが、とんでもない。最近の研究では、片山潜こそレーニンやスターリンに匹敵する大物だということがわかってきました。

 共産党は、社会主義政党の仮面をかぶって活動する場合が多いのですが、日本社会党の片山もその例にもれませんでした。片山はメキシコ共産党やアメリカ共産党を設立した超大物なのです。今でもアメリカの東海岸のマスコミ・学界・論壇、そしてハリウッドが反日であり、時にアメリカ政府に対してすら反抗的なのは、片山の時代、二十世紀初頭にまでさかのぼらねばなりません。それを語り出すと別の一冊の本になってしま<ママ>ので触れませんが、共産主義は、北米を拠点にヨーロッパや日本にまで発信力を高めていきました。

 彼らの運動方針が決定的に変わったのは、やはり前章の主人公であるレーニンの存在が大きいでしょう。レーニンは、合法活動に走る第二インターにあきたらず、即時暴力革命論を唱え続けました。

 そして、ドイツが用意した封印列車に乗って生まれ故郷であるロシアに帰り、革命を成功させます。一九一九年、レーニンは第三インターの位置づけでコミンテルン(国際共産党)を設立します。世界中の共産党(名前が社会主義政党の場合もある)に対してコミンテルンを通じて指令を発し、攪乱工作を行いました。たとえば日本に対しては、北京では五・四運動、ソウルでは三・一運動など、民族主義独立運動を煽ります。その国のナショナリズム(右派)の主張を装いながら、反政府反国家運動(左派)につなげていくのがコミンテルンの特徴です。

 今の日本でも、沖縄で「琉球独立運動」を起こそうとしている集団がいますが、彼らは「沖縄から米軍基地は出ていけ」とナショナリズムを煽るような言動をしながら反日本政府的な行動を繰り返し、いつの間にか中国の利益に奉仕している……といった光景が繰り広げられています。ここまでやられっぱなしで、日本人には学習能力がないのでしょうか。」

 

 

※ 幸徳秋水は反天皇の社会主義者。三橋は幸徳に依拠して反帝国主義・反グローバリズムの記事を書いたことがある(https://goo.gl/pXnKzbhttps://goo.gl/A3rw1u)。

 

倉山満 「嘘だらけの日米近現代史」 (扶桑社、2012年) 64~69ページ

 

「 さて、連合国は戦争で崩壊した戦後の秩序をどうするかを話し合うために集まります。中心は、英仏米伊日の五大国です。ここでウィルソンは有名な「十四ヵ条」を宣言します。その主な内容は、「秘密外交の廃止」「航海の自由」「民族自決」「バルカン半島と中東の新秩序構築」です。日本人はこれだけ聞くと何が問題なのだろう、と思うでしょう。ところが当時の世界の人々にとっては、これは綺麗事どころか紛争要因だと一目でわかる危険な内容なのです。

<中略>

 第三に、「民族自決」とは、それまえ世界中の「帝国」において少数民族として扱われてきた人々に、その意思と能力があるなら主権国家を持たせよう、という意味です。

 しかし、自分のことを自分で決めるというのは言葉は格好いいのですが、その「能力」はどのように判定するのでしょうか。武力しかありません。少数民族として弾圧されるのが嫌なら、自力で武器を持って立ち上がれ、勝てば国として認めてやる、ということになります。対象は敵だったドイツ帝国や大戦中に崩壊したロシア帝国だけではありません。味方のはずの英仏日にも向けられました。

 大日本帝国では台湾人はこれを無視しましたが、朝鮮人が本気にして呼応し、三・一独立運動を起こします。半植民地の中華民国でも五・四運動が起きます。ウィルソンの支援に勇気を得た中華ナショナリズム民族主義者は日本や英国などに見境なく喧嘩を売り始めます。世界中に植民地を抱える英国などは対応で必死になり、かえって民族弾圧を強めたりします。ウィルソンの主張は大英帝国の覇権に挑戦状をたたきつけ、ついでに日本にも喧嘩を売るという、危険な内容だったのです。

<中略>

 結局、ウィルソンの綺麗事は世界中の過激派を狂喜乱舞させただけでした。

 極めつきが、ソ連邦の出現です。一九一七年、レーニンがロシアを暴力で乗っ取ってソ連という国を打ちたてます(正式建国は一九二二年)。レーニンの主張は、「世界中の政府を暴力で転覆せよ。そしてすべての金持ちを殺すのだ。そうすれば人類の理想郷が誕生する」です。これを「世界同時革命」と言います。危険極まりありません。

 英仏などは、こんな危険な主張をし、実際にロシアでその通りのことをやったレーニンを叩き潰そうとします。こうしてロシア革命干渉戦争が始まります。同盟国である日本へも出兵要請をします。西から英仏が、東から日本が攻め込めば、十分に勝機があったからです。

 ところが、これに待ったをかけたのがウィルソンです。「我が国は出兵しない」「いや出兵するから日本も協力せよ」「やはり日本の領土的野心が疑わしいので、兵力の上限は七万二千人とせよ」などと、次から次へと言を翻し、しかもそのすべてが意味不明なのです。

 これでは、ウィルソンの対ソ外交はレーニンへの側面支援としか言いようがありません。しかも時の日本の最高実力者である原敬は、極端な拝米・媚米主義者でしたから、こんな要求をいちいち呑むのです。英仏はポーランド・フィンランド・バルト三国をソ連から切り離したところでヨシとして講話を結びますが、日本はウィルソンの気まぐれに付き合った挙げ句に延々と鬼ごっこのような無益な戦いを繰り返します。これが、干渉戦争における極東戦線の実態でした(シベリア出兵という)。こうして、建国当初の危機を乗り切ったソ連は、まんまと生き残りに成功したのです。

 そしてウィルソンはここまで世界中に紛争の種をまき散らしながら、「中南米は別だ!」と二重基準を徹底します。大戦で没落していた欧州諸国は自分のことに精いっぱいで手が回りません。まさに第一章では単なる妄想にすぎなかったモンロー主義がウィルソンの時代に完成するのです。」

 

 

 

江崎道朗 「コミンテルンの謀略と日本の敗戦」 (PHP研究所、2017年)

 

52~56ページ

 

「 レーニンの説く「平和」とは革命と独裁

 レーニンの第二の主張は、「平和を築くためには革命を起こしてブルジョワ(資本家階級)を打倒し、プロレタリア(無産階級、労働者階級)独裁の体制を作らなければならない」ということであった。

 レーニンの考えでは、「戦争の根本的な原因は資本家階級にある」ということになる。なぜなら、資本家が資本主義に基づいて利潤を追求していけば、マーケットが必要になり、そのマーケットの奪い合いで必ず戦争を起こすからである。

 それゆえ、資本家たちが国家を牛耳っているあいだは、マーケットの奪い合いによる帝国主義戦争は避けられない。よって平和を作り出し、平和を守るためには、資本家を打倒し、インターナショナルな社会主義者の組織を作り、プロレタリア独裁による世界政府を作るしかない。それがレーニンの主張だった。

 このレーニンのイデオロギーは、今も変わらず共産主義者に受け継がれている。共産党やそのシンパの人々が「反戦平和」をことのほか力説するのはそのためだ。

 実は、彼らのいう「平和」という言葉には彼ら独特の特殊な意味があり、一般的な意味とはまったく違う。

 平和という言葉は、一般的には「戦争がない状態」を指す。国際間のバランス・オブ・パワーを維持しながら戦争がない状態を維持できていれば平和が保たれていることになる。

 しかし、レーニンや共産主義者たちにとっては、そもそも戦争の根本原因は資本家によるマーケットの奪い合い(帝国主義戦争)なのだから、資本家階級による国家を解体してプロレタリア独裁を打ち立てないかぎりは平和にならない。

 それゆえレーニンや共産主義者の視点では、平和とは「世界中でプロレタリア革命を起こして、ブルジョワジーを徹底的に排除し、共産党による独裁政権を樹立すること」を意味するのである。

 

 ウィルソンによる「ヨーロッパ」解体政策

 しかも折よく、このようなレーニンの動きを最大限支援してくれる頼もしい味方が現れた。アメリカの第二十八代大統領ウッドロウ・ウィルソンである。

 ウィルソンは第一次世界大戦の講和条件について、有名な「十四ヵ条の原則」を発表した。その中に、「オーストリア・ハプスブルク帝国内の民族自決」「バルカン諸国の独立」「トルコの少数民族の保護と自治」などの原則が掲げられていた。

 これらは要するに「民族自決」という名のもとに、ヨーロッパおよびトルコの分割・解体を図り、弱体化することによって、相対的にアメリカの立場を強くしようとする考えに立脚する政策だった。

 当時のヨーロッパ諸国は、多民族国家だった。

 たとえば、ヨーロッパで一大勢力を誇っていたオーストリア・ハプスブルク帝国は、ドイツ人、ハンガリー人、チェコ人、スロバキア人、ポーランド人、ウクライナ人、スロベニア人、ルーマニア人、イタリア人、セルビア人、クロアチア人らの集合体であり、オーストリア人は存在しなかった。言語もドイツ語が公用語だが、それ以外にハンガリー語、チェコ語、ポーランド語、ルテニア語、ルーマニア語、スロベニア語、ボスニア語、クロアチア語、セルビア語、イタリア語が使われていた。

 ハプスブルク家を中心として集まった寄合所帯にすぎなかった「オーストリア・ハプスブルク帝国内の民族自決」をウィルソン大統領は強制したため、広大なハプスブルク帝国の版図が「民族自決」の名の下に解体されてしまった。小国に分離・独立させられたチェコ、ハンガリー、バルカン諸国は争乱に次ぐ争乱になった。

 バルカン半島に接するトルコも解体されたから、混乱は収まる目途も見えなかった。

 また、ドイツ帝国も潰れ、皇帝ウィルヘルム二世はオランダに亡命して、ドイツは社会民主党が政権を握る共和国になった。ドイツの帝政の廃止を終戦の条件として要求したのも、アメリカのウィルソン大統領だった。ドイツでもハンガリーでも各地で社会主義者たちによる蜂起が相次ぎ、いつどこで革命が起きてもおかしくない状況だった。

 ウィルソン大統領は「民族自決」の名のもとで、多民族国家としてまとまっていたオーストリア、トルコ、ドイツを解体し、ヨーロッパを内戦状態に追い込んだのだ。これが第二次世界大戦へと発展していくことになる。

 ウィルソンは十四ヵ条で「海洋の自由」も強く主張した。いかにも綺麗事に聞こえるが、アメリカの真の目的は明らかに、大西洋を支配する大英帝国の権益を破壊することであった。なにしろアメリカはこの当時、大西洋の覇権さえ握っていなかったのだから。

 ウィルソンのやったことは、理想の旗を掲げてはいるものの、その衣の下にはアメリカの権益拡大という鎧が見え隠れし、しかも、その無責任な夢の帰結は世界の混乱以外の何ものでもなかった。

 そして、この「綺麗事」とそれがもたらした「世界的な混迷」は、レーニンにとってまさに好都合この上ないものであった。

 

62~66ページ

 

「 ウィルソン大統領こそコミンテルンの育ての親

 また、ウィルソンによる「大英帝国解体」の目論見も、レーニンの思惑にぴったり合っていた。

 アジア・アフリカの植民地が反乱を起こして大英帝国が解体されて経済的に困窮すれば、イギリスでも必ず革命が起こるだろう。アメリカのウィルソン大統領がイギリスを目の敵にして、この二つの資本主義国が争いあってくれることは、まさにレーニンの望むとおりだった。

 レーニンはあたかもウィルソン大統領と密に連携しているかのように、英露協商を破棄した。その結果、イギリス領インド帝国の北西辺境州は、ロシアの軍事的脅威に曝されることになった。

 『レーニン対イギリス秘密情報部』によれば、英露協商破棄には断固としたメッセージが込められていたという。

《レーニンはアジアの抑圧された何百万人もの民衆に向かって呼びかけたのだ――ボリシェヴィキのあとに続いて、植民地支配のくびきから脱却せよ!

 レーニンの主張はますます過激になった。「イギリス帝国の王冠を飾る真珠」とたとえられたインド帝国は、やがてボリシェヴィキの手で奪い去られることになるだろう。「イギリスはわれわれの最大の敵である。まずインドにおいて、イギリスを叩きのめさなければならない」》(『レーニン対イギリス秘密情報部』)

 レーニンが天才的だったところは、ウィルソンが作り出した状況を分析し、それを極めて匠に利用し尽くしたことである。国際社会の政治力学を見事に計算していたのだ。

「今こそ帝国主義・資本主義は終わりであり、これからはプロレタリアートによる世界共産化の出発の時期なのだ」

「本当に平和を願うなら、第二インターナショナルの路線は断固否定されねばならない」

「ブルジョワジーの国家機構を破壊し、プロレタリア独裁を確立するための新たな司令塔である、共産主義インターナショナル(コミンテルン)に結集せよ」

 レーニンは、国際情勢を巧みにプロパガンダに利用していった。

 もう、つくづく戦争は嫌だと思っている人たちや、貧困の撲滅を願って第二インターナショナルに集っていた社会主義者たちは、この呼びかけに応じた。

 しかも、集まるための費用はソヴィエト・ロシアが出すというのだから、喜び勇んで集まったのも当然だ。レーニンは、こうした人々を自らの陣営に「総取り」することに成功したのである。

 レーニンの政治の読みと、プロパガンダが天才的だったのは確かだ。だが、ウィルソンが作り出した混乱状態がなければこれほどの成功は望めなかったろう。

 見方によっては、ウィルソンがコミンテルンを育てたともいえる。

 ロシア革命の成功と、その後の共産主義の拡大は、ウィルソンとレーニンの連係プレーで成し遂げられたようなものだった。なにしろ、レーニンの主張を客観的に証明するかのごとき状況を現出してくれたのはウィルソンだったのだから。そういう状況があったからこそ、レーニンのプロパガンダは、てきめんに効いたのだ。ウィルソン大統領こそ、コミンテルンの育ての親なのだ。

 

 「ヨーロッパの文明を守るために資本主義を滅ぼせ」

 それでは、コミンテルンという組織は、どのような考えに基づいて、何をめざし、そのためにどのような手段を使ってどのような行動をしたのか。

 そのことは、コミンテルンが自ら公表している基礎的な資料を読んでみると、実に明快すぎるほど明快に書かれている。誤解や幻想を抱く余地はまったくない。

 先に挙げたコミンテルン第一回大会への招待状の冒頭をもう一度見てみよう。

《共産主義インタナショナル第一回大会への招待状、一九一九年一月二四日

(一)現在の時期は、資本主義世界体制全体の解体と崩壊の時期である。これは、解決不能の矛盾をはらんだ資本主義が滅ぼされないかぎり、ヨーロッパ文化一般の崩壊をも意味するであろう。

(二)今日プロレタリアートの任務は、ただちに国家権力を奪取することである。そして国家権力を奪取するとは、ブルジョアジーの国家機構を破壊し、新しいプロレタリア的権力機構を組織することである。(中略)

(七)基本的な闘争方法は、武器を手にしての、資本の国家権力との公然たる衝突までをふくむプロレタリアートの大衆行動である》(『コミンテルン史』付録資料より引用)

 つまり、ヨーロッパの文明と繁栄を守るためには、戦争を引き起こす資本主義国家を滅ぼすしかなく、そのためには、共産党の手で国家権力をブルジョワジー(資本家)から奪取しなければならないというのである。

 ブルジョワジーがいるかぎり戦争が起こり続けるのだから、戦争を抑止するためにも、武器を手にしてプロレタリア(共産党)独裁を実現する革命を行わなければならない、ということだ。つまり、「戦争を抑止するために、武器を手に持て」「戦争をなくすために闘争せよ」という方針である。

 現在でも「反戦平和」を唱える活動家たちが、自己の主張を通すために暴力に訴えることも厭わないのは、こうしたコミンテルンの遺伝子を引き継いでいるからなのだ。」

 

 

 

 

 

 中野と柴山は「グローバル化が戦争を連れてくる」とするが、戦争の原因を資本家階級に求めるレーニンと大差ないだろう。

 この対談で中野はE・H・カーを偉大な知識人とし、彼を正確に理解することが幸福な時代への道だといった発言をしている。

 しかし、カーは共産主義進歩史観であり、ロシアの十月革命を好意的に評価し、共産党にも好意的に引用されている者だ。

 中野は著書「保守とは何だろうか」で「真正の保守」を語るが(40,251ページ)、彼の歴史観は保守のそれとは大きく異なるように思う。

 

 

 

中野剛志、柴山桂太 「世界大戦とグローバリズムを考える」 kotoba2013年冬号

https://goo.gl/1CkR2R

 

グローバル化が戦争を連れてくる

<中略>

中野 E・H・カーが言ったことを我々がいまだに正確に理解できずにいるから、また不幸な時代に戻りつつあるのかな、と思うんですよね。カーが、あれだけの知識をもってして、あれだけの名著を書いても世の中、どうにもならなかったんだから、私がこの本を出したところでどうにもならないかもしれない(笑)。
柴山 いや、正しい認識をもつことから、すべては始まるわけですから。」

 

「ロシア革命100年と社会主義を考える」 しんぶん赤旗2017年11月7日

https://goo.gl/Y1Vpes

 

ロシア革命の世界史的意義

<中略>

「「十月革命」によって、人類の歴史ではじめて資本主義から離脱して社会主義への道に踏み出そうという試みが始まりました。

世界に与えた巨大な「持続的」影響
 「十月革命」の影響は「近代の他のいかなる歴史的事件よりももっと深く、もっと持続的な反響を世界中に及ぼしている源」(E・H・カー『ロシア革命 レーニンからスターリンへ、一九一七―一九二九年』)となりました。

世界の「構造変化」につながる民族自決権の宣言
 その一つは、民族自決権を全世界に適用されるべき大原理としたことです。

 

西岡力、島田洋一、江崎道朗 「「共産主義が起こした第二次大戦」を議論せぬ日本の歪み」 (正論2016年1月号、産経新聞社) 177~178ページ

 

島田発言

E・H・カーは共産主義進歩史観の歴史家として有名な人です。彼の立場からはソ連の進出に逆らう勢力、すなわち日本などは必然的に反動勢力という位置づけになります。

 

江崎発言

「レーニンは歴史家のE・H・カーを「使い勝手のいい、役に立つバカ」と評していたそうです。」

 

※ https://goo.gl/xbNwncにて引用。

 

 

 

 

 ところで、6日の記事で、中野が、「保守とは何だろうか」において、保守主義者マイケル・オークショットの論文「政治における合理主義」のフリードリヒ・ハイエク批判を用いてハイエクを保守の敵としていることを取り上げた(https://goo.gl/Qfd7QY)。

 中野の同書は、ロマン派のサミュエル・テイラー・コールリッジを通じて保守の政治経済論を説くというものだ。そして中野はコールリッジから「金融政策重視の政策論」への批判を引き出す。

 ところが、実は、オークショットはこの論文の中で、民族自決もナショナリズムも合理主義として警戒し、ロマン主義と結びついた合理主義に嫌悪を示している。

 また、オークショットは「自由の政治経済学」において経済政策の目的として「通貨の安定」を挙げている(「保守的であるということ」にも同旨の記述あり。)。実質的に金融政策重視と解されるのではないか(高橋洋一「バカな経済論」(あさ出版、2014年)20ページ以下参照)。

 中野読者には意外であろう。

 なお、オークショットはインフレを「隷従の母」とするが、あくまで「安定」を求めているわけで、マイルド・インフレは否定の対象ではあるまい。「隷従」は、第一次世界大戦後にハイパー・インフレからナチスの台頭を招いたドイツを念頭に置いているのだろう(上念司「全国民必読 経済ニュースのウソを見抜け!」(徳間書店、2012年)56~58ページ参照)。

 

 

 

中野剛志 「保守とは何だろうか」 (NHK出版、2013年)

 

34ページ

 

天才経済学者コールリッジ

 保守的な生き方を支える思想の基盤とは何か。そして、その経済観はどのようなものか。保守主義と整合的な経済思想とは何か。

 それを探るために、本書では、一人の天才的な保守主義者に光を当てることとしたい。

 その人物とは、サミュエル・テイラー・コールリッジである。

 コールリッジはは、一般には、イギリスのロマン派を代表する詩人あるいは文芸評論家として知られている。他方で、彼は、政治や経済の問題についても多く論じており、それらの中で示された政治姿勢は保守的であった。それゆえ、コールリッジは、イギリスの保守主義の伝統に関する著作においては、ボーリンブルック、ヒューム、バーク、ディズレイリ、セシル、オークショットらと並んで、必ずといっていいほど、採り上げられている。」

 

74,75ページ

 

「 このように貨幣なき物々交換を暗黙に想定していることから、主流派経済学<※>は、デフレという現象を、単なる貨幣量の不足という現象とみなす

 そもそも、市場においては、需要と供給は自動的に一致するのだから、需要不足が続くという事態は生じえないはずである。それゆえ、政府が介入して需要を創出するというのは無意味である。また、貨幣は、物々交換における商品のようなものなのだから、貨幣の供給量の増減は、単に名目的な価格水準を上下させるだけである。したがって、デフレから脱却したければ、貨幣供給量を増加しさせすればよい。こうして、主流派経済学は、デフレからの脱却は金融緩和によって可能となると主張する。この金融政策重視の政策論の背景には、貨幣を商品の一種とみなす貨幣観が横たわっているのである。

 これに対して、コールリッジは、貨幣を「表彰するもの」あるいは「象徴」ととらえ、商品とは異なる独自の存在とみなした。彼は、貨幣が導入された貨幣経済は、物々交換経済とはまったく違った様相を呈するようになることも察知していた。」

 

※ 「主流派」は「新古典派」のこと(73ページ)。なお、中野は本書で多くの参考文献を提示するが、どの主流派経済学者がこのような経済論を唱えているのか出典を示していない。

 

 

 

M.オークショット著、嶋津格等訳 「政治における合理主義」 (勁草書房、1988年)

 

「政治における合理主義」より

 

7,8ページ

 

「 近代ヨーロッパ史には、合理主義の政治の企画があちこちに転がっている。<中略>個人の社会であれ国家の社会〔国際関係〕であれ、社会を人権宣言によって基礎づけるという考え方は、合理主義者の頭脳の産物であり、「国民」や民族の自決が普遍的原理に祭り上げられる場合も、同様である。所謂キリスト教会の再統一、開かれた外交、単一税、「個人的能力以外の資格をもたぬ」構成員達による公務、自覚的に計画された社会、等の企画や、ベバリッジ報告、一九四四年の教育法、連邦主義、ナショナリズム、婦人参政権運動、生活資金法、オーストリア=ハンガリー帝国の破壊<※>、(H・G・ウェルズや他の誰かによる)世界国家、アイルランドの公式言語としてのゲール語の復活、等も同じく合理主義の所産である。政治における合理主義の奇妙な世代が、ロマン主義から生じる至上権の下にいるのである。

 

※ 民族自決の名目でなされた(江崎上記引用)。

 

「自由の政治経済学」より

 

65ページ

 

「 この経済政策の第三の目的は、確固とした既知のルールを適用することによって(その日その日の行政的策略によってではなく)維持される通貨の安定である。これが自由の政治経済学の一要素であることは論ずるまでもない。インフレーションは隷従の母である。」

 

「保守的であるということ」より

 

229ページ

 

「 以上に述べてきたことすべては、統治に関する保守的性向に対して意味を持たせるのに、役立つことであろう。そして、詳細な議論を展開することによって、例えば、<中略>何故彼<保守的性向の人>が、統治者にふさわしい活動で特に経済に関するもののうち、主たる(恐らくは唯一の)ものは、通貨を安定的に維持することであると信ずるのか、という点を示すことも、できるかも知れない。」

 

 

 

 

 

 中野や三橋のような「民主主義を守れ!」というノリの反グローバリズムは疑うべきだ。

 そこには民族自決という国家解体に通ずる危うい思想が垣間見える。

 保守であろうとして反グローバリズムの叫びに同調する人は珍しくない。

 しかし、自由主義の声にこそ傾聴した方がよいのである(江崎同上354ページ)。