【名古屋】さよなら丸栄【老舗百貨店】 | 独立直観 BJ24649のブログ

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流行に浮かされずに独り立ち止まり、素朴に真っ直ぐに物事を観てみたい。
そういう想いのブログです。

 先月29日、栄方面に用事があった。

 用事のためだけにあそこまで行くのも勿体ないなぁと考えたところ、丸栄の閉店が近いことを思い出し、行ってみることにした。

 

 

 

 丸栄HP

http://www.maruei.ne.jp/

 

「1943年に前身の「十一屋」と「三星」が合併し「丸栄」が誕生し75年、「名古屋栄の地で丸く栄える」の意味を込めて、地域の皆様に支えられ歩んで参りました丸栄は、平成30年6月30日をもって百貨店店舗の営業を終了させていただくことになりました。これまで75年の永きにわたり、ご支援、ご愛顧賜りましたこと厚く御礼申し上げると共に、皆様のご健勝と、地域のますますのご発展及び活性化を心よりご祈念申し上げます。」

 

 

 

 丸栄付近に着くと、写真を撮っている人がちらほら見られた。

 外壁には6月30日閉店を告げる垂れ幕が掲げられていた。

 今の今まで気がつかなかったが、社旗のみならず国旗も掲揚されていた。

 

 

 

 

 

 

 丸栄に入るのは久しぶりだ。

 子供の頃は、父の友人が丸栄に勤めており、丸栄にはよく行った。

 その人は確か紳士服売場担当で、私は大学入学祝いのスーツを丸栄で購入した。

 しかし、改めて考えてみると、以来、丸栄には行っていないかもしれない。

 いや、一度はビアガーデンに行ったかな。記憶が曖昧だが、行ったとしてもその程度。

 

 

 

 

 

 

 屋上では社旗や社章の看板が見られた。

 神社もあった。

 

 

 

 

 

 

 丸栄と言えば「ギャル栄」が思い起こされる(http://www.chunichi.co.jp/article/feature/thanks_maruei/CK2018062002000294.html)。

 客層を拡大しようと、若い女性向けの店を入れた。

 デパートには相応しくないと眉をひそめた人も少なくなかったのではないか(http://www.chunichi.co.jp/article/feature/thanks_maruei/CK2018062102000290.html)。

 今回足を運んでみて、若者向けファッション店はまだしも、アニメショップには閉口するものがあった。

 女性向けのエロい作品が堂々と店の外に向けて陳列されている。

 こういうのは地下街の星野書店で見ればよいのだ(?)。

 正直、貧すれば鈍するという言葉が頭をよぎった。

 

 

 

 

 

 

 丸栄の歴史を振り返るパネル展が催されていた。

 ジオラマを写真撮影する人が多かった。

 創業400周年記念の大きなキルト作品や、たくさんの人の写真が組み合わされた大きなモザイクアート作品も人々の目を引いていた。

 

 

 

 

 

 

 東郷青児の絵も展示されていた。

 迂闊にも東郷デザインのエレベーター扉絵を撮影するのを忘れてしまった。

 が、SNSで検索すればすぐに見つかる。

 

 

 

 

「丸栄 エレベーターの絵、保存へ オリジナル・東郷青児作」 毎日新聞2018年7月4日

https://mainichi.jp/articles/20180704/ddq/041/020/004000c

 

「 6月30日に閉店した名古屋市中区の老舗百貨店「丸栄」のエレベーターに描かれた洋画家、東郷青児(1897~1978年)の扉絵が保存される可能性が出てきた。建物は9月から取り壊される予定だが、同社は「扉絵は保存する方向で検討したい」と話している。

 扉絵の原画は、丸栄が東郷に依頼したオリジナル作品で、果物かごを持つ2人の女性がデザインされている。1953年10月に設置され、エレベーターの全22扉に描かれている。閉店前には大勢の来店客が扉絵を写真に収めるなど人気が高く「保存を求める声が寄せられている」(丸栄)という。

 東郷青児は二科会会長を務め、日本の洋画界に大きな足跡を残した。甘美な女性像が人気を博し、デザイン画はデパートの壁画や包装紙などに用いられた。デザイナーで清須市はるひ美術館(愛知県)の高北幸矢館長(68)は「丸栄の扉絵が保存されれば素晴らしいこと。デパートが文化の薫りにあふれていた時代に東郷の絵はマッチしていた」と話している。【山田泰生】」

 

 

 

 これはジオラマではなくウイスキーボトルw

 創立50周年記念のもの。

 

 

 

 

 

 

 チラシに歴史を感じる。

 ブラウン管テレビに歴史を感じるのはもとより、家電をデパート自身が取り扱っていたことがわかる。

 今ではデパート自身が家電を取り扱うことは少ないのではないか。

 ていうか、今は”カラー”テレビなんてわざわざ言わないよなぁ。

 このチラシは45年前のもので、モデルは酒井和歌子さんらしい(https://twitter.com/kinekoV/status/1013058424400064517)。

 

 

 

 

 

 

 テレビ中継およびそのリハーサルにも遭遇した。

 中京テレビとCBCとNHK名古屋放送局だった。

 各局とも制服の変遷を取り上げていた。

 中京テレビの平山雅アナウンサーは、かわいくてサービス精神旺盛で、おばさま方にも人気があった(http://www2.ctv.co.jp/hirayama/?m=20180630)。

 来場者の写真撮影のためにポーズもとってくれて、場を盛り上げてくれた。

 ツーショット写真にも応じていて、私も頼めば撮らせてくれたのだろうが、この頃同局のニュース番組をあまり見ておらず、平山アナも知らなかったため、気後れしてしまったw

 対して、NHK名古屋放送局は、中京テレビに比べて密集して撮影しており、また、小山悠里アナウンサーだと思うのだが、こちらをあまり向いてくれず、何度も台詞を確認して緊張感を漂わせており、シャッターチャンスが少なかった。

 CBCは短時間であっさり終わっていた。リハーサルかと思ったが本番だったらしい。

 

 

 

 

 

 

 昭和31年放送の「伸びゆく丸栄」という番組が流れていた。

 高松宮殿下・妃殿下がお出ましになった全館完成祝賀式典の際に放送されたものだ。

 皇族が出席されていたことに驚いたし、こういう過去があるからこそ国旗を掲揚しているのかもしれないと思った。

 それにしても、当時のテレビ番組は敬称に「さま」ではなく「殿下」を付けている。いつから変わったのだろう。

 ちなみに、丸栄の解説によると、設計者の村野藤吾の愛読書はマルクスの「資本論」だったとのこと…。

 

 

 

 

「旧高松宮」 宮内庁HP

http://www.kunaicho.go.jp/about/history/history13.html

 

旧高松宮
 故宣仁親王は,明治38年1月3日,大正天皇の第3皇男子として東京・青山の東宮御所でご誕生になりました。御名を宣仁(のぶひと),ご称号を光宮(てるのみや)と称されました。昭和5年2月4日に故徳川慶久の第2女子喜久子様とご結婚になりました。
 故宣仁親王は,宮中行事等のご公務をお務めになるほか,国際親善,厚生,美術工芸,スポーツなど多彩な部門の団体の総裁に就任され,妃殿下とご一緒に記念式典や大会にご臨席になるなどして関係者を励まされました。
 昭和62年2月3日,82歳で薨去されました。
 故喜久子妃は,明治44年12月26日,故徳川慶久の第2女子としてご誕生になりました。
 故喜久子妃は,宮中行事等のご公務をお務めになるほか,高松宮妃癌研究基金,恩賜財団済生会の名誉総裁として,癌撲滅の運動や全国各地の病院の改築・運営にご関心を寄せられるなど医療の発展に意を注がれるとともに,福祉,文化,国際親善など広い分野にお力を尽くされました。
 平成16年12月18日,92歳で薨去されました。」

 

 

 

 何か買おうとも思ったが、じっくりと服などを選んでいる余裕もないし、めぼしい物は売り切れているだろうと思った。

 結局、東急ハンズの特設売場で数百円の買い物し、閉店前日のレシートを手に入れた。

 丸栄の袋は手に入れられなかった。

 丸栄のロゴのキーホルダーやストラップでもあったら欲しかったんだけど、どうだったんだろう。

 展示されていたムーミン柄の袋、懐かしいなぁ。

 

 

 

 

 

 

 なぜ丸栄は潰れてしまったのか。

 その分析は様々になされているだろう。

 名古屋駅周辺に客が吸い上げられていることを指摘する人もいるだろうし、このブログを見る人なら「失われた20年(15年)」の長期デフレ不況が思い浮かぶかもしれない。

 上の「ギャル栄」路線などの迷走を指摘する人もいるだろう。

 私としては、率直に言ってしまえば、「丸栄が潰れても不便しない」という一言に尽きるのではないかと思う。

 デパートで家電を買い求める必要もなくなったし、紳士服や子供用品などもデパートで買い求める必要もなくなった。近頃は安くてもきちんと使えるものがたくさんあり、デパートで確かな高級な製品を買い求める必要性は減っていると思う。昔ほど「安かろう悪かろう」ではなくなった。

 ここ20年ほどで流通や技術水準が大きく変わり、デパートという業態の需要自体が減っているのではなかろうか。

 それでもなおデパートを利用する価値があるとすれば、ブランド力だと思うが、全国的な知名度のない丸栄はブランド力でも劣る。見栄を張る人の中には丸栄で買った商品をプレゼントする際に三越の包装紙で包み直す人もいる、という話を聞いたことがある。丸栄のブランド力は弱かった。

 大丸と統合した松坂屋と対比する声も聞かれる。松坂屋はこれで知名度・ブランド力を維持・向上させたということだ。

 

 

 

 

 

 

 呉服店を発祥とし、400年以上の歴史を誇る老舗百貨店が姿を消した(http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2018062102000120.html)。

 思い出の場所が無くなるのは寂しいものである。

 さようなら丸栄。

 在りし日々よ。

 名古屋の歴史と共にあった名店よ。

 

 

 

 

 

 

<9日追記>

 

 

 

 6日、たまたま丸栄の前を通りがかった。

 シャッターが降りていた。