ものを知らないから自分をダメ人間だと誤解し続けているんです。親や周りから言われたことが悪影響を及ぼしていて、それによる思い込みで自己否定するようになり、自分自身さえも自分の能力を信じてあげられていなかったり、本当の可能性を見いだせていなかったり。

無知ゆえに自分の特徴や性質気質などに合わないやり方をしていれば、それは不自由さや不便さ、うまくいかない感じや輝けない感じを味わう羽目になってもおかしいことでもなくなりますし。

 

このブログの存在意義、存在理由、理念、使い方。それが「知ることで生きやすさを手に入れること」です。

 

 

 

 

 

自分には何もできないのだと諦め、手放したことはありませんか。

なぜこんなに不安なのか、なぜこんなにも恐怖に押しつぶされそうになるのか。

理由もわからずどこからともなくわいてくる不安や恐怖はなんなのか。すべて手放して放り投げたくなるのはなぜなのか。

自分が今どういうステージに立っているのか。そしてどこに向かえばいいのか。

にっちもさっちもいかなくなってやるべきことも進むべき方向も見えないしわからない。

どうにも動けない今現在の自分を情けなく思って責めたり、希望まで見えなくなって自暴自棄になったり、悩みや苦痛、立ち止まり方も人それぞれ。

ですがその必要もなくなっていきます。このブログが目指すのは、そういう場所です。

 

 

そして「そういうもの」を暴いて明らかにできる方法が占い、具体的には「占星術」及び「数秘術」の存在なんです。

占いは未来を決めつけてそれに従って生きる、他力的(他人軸的)な使い方をするものではなく、自分自身を深く分析理解して、自分自身の人生を自分らしく自分の意志で選び取り、伸び伸び生きていけるようにしていく。このブログが掲げている「わからないをわかるにする」ことができる「本質的な幸せ(自助の幅を広げる)のためのツール」です。

自分にとっての「生きやすさ」というのが、占いならどんな答えも示すことができる。身動きできなくなっているのはなぜなのか、そこを解すことで道は開けてきますからね。

当てて終わり、が占いではありません。悩みや苦痛をどう解決して、そこからどう進むのかを知るのが占いです。

 

 

 

ものを知らないということは生きている世界が狭いということ。生きている世界が狭いということは「他にもこういう考え方がある」「他にもこういう方法がある」「他にもこういう可能性がある」のにそれに気づかないということ。

そう言う視野の狭まり方、そういう先入観や価値観の囚われ方(常識だと思い込んでいるだけのもの)、無意識的にそうであると決めつけてしまっていてそこから広げたり踏み込んでいったりしない「(誤った)ラベリング」。

親や周りの人間から貼られたラベルを自分自身が知らないところで自分で受動選択して、それを自分の意志で生きているのだと自分でラベルを張ったかのように錯覚し続け、自分そのものだと見誤り続ける。

その看破や分別だって「知らないから見分けがつかない」。

 

 

ブログやメルマガなどで何度もお伝えしてきていますが、自分が生きてきた"狭い世界"の中の体験や「常識と思われているもの」を、一度疑ってみることは非常に重要になります。

過去に3人に同じ否定のされ方をしたとしても、この世にはもっとたくさんのいろんな人間がいるわけですから、たまたまそこで出会った「分かり合えない3人の人間による似たような否定」がこの世のすべてで事実なんだと、そうラベリングしてしまうのは早計ではありませんか。

自分の見てきた世界が偏っていたり狭かったりすれば、自分自身も偏った内面の人間に育っていきます。その影響がもっとも強く作用する一番手が「自分の親」になるのですが、その親こそが"子どもにとって敵であってはならない"んですけどね。

 

残念な人間になりたくなければ、自分を救い出したければ、視野を広げ思考と思想を柔軟にすることです。そして入ってくる情報に善し悪しのジャッジをせず、ただの情報としてフラットな姿勢で迎え入れる、そこに「感情」を挟まないこと。

好きでも嫌いでもいいし、それを覆せというわけでもなく「嫌いだからと言うだけでそれ以上掘り下げようとしない(知ろうとしない、学ぼうとしない)のは視野狭窄への近道(腐っていくだけ)」ということです。

嫌いなものを好きになれというわけでも、許せないものを許しなさいというわけでもなく、自分自身を自分で頭打ちしているのを誰かのせいにするのはいかがなものかと、そういうことです。