自己保身的、保守的な態度が過ぎると、守りたいものもいざというときに守れなくなる。とっさに動くことができない、リスクばかりを考えてしまってタイミングを逃してしまいなあなあになる。

もちろん最優先すべきは自身の心身の安全ですが、他者やその他への興味が薄すぎても大事なものは損なわれる。

出会うものは良いものも悪いものもすべて「経験」となり、人生の豊かさとなるのですが、保身的・保守的なスタンスというのは「外へ拡大していくことを自分で妨害する」、すなわち"問題を解決したりするための知識や知恵を仕入れることもなくなる"のです。

 

 

 

興味の狭さは可能性の狭さ、ひいては自身の人生の貧しさとも言えますし、内面のアップデートや見直しもなされないのでそれ以上思考が広がらなくもなっていきます。

つまり、頭の中の常識と呼ばれるものはどんどん古びていき時代に取り残され、さらには"そこで思考が止まってしまう"ので偏見や先入観、決めつけであふれて「自分で自分の成長を阻んでしまう」ようになるのですが、凡そその本人は気づかないままである、または「変わるために腰を上げたくないから何かと言い訳をして逃れようとする」ようです。

未知の情報を新たに取り入れることが億劫だ、メリットを感じられない、等々理由は人によりけりだと思いますが、そうやって先延ばしにしていくよりも少しでも多くの糧を取り込んでいくほうが、無駄なものなどは存在しませんし有意義ではありませんか。

 

外部の情報を取り込んだときに、喜びなり悲しみなり怒りなり感情を刺激されることがあると思います。

この作業において「善し悪しのジャッジ(反射的な決めつけ)をせずにフラットな状態でそれを取り入れる」意識をすることは、とても重要なことです。

なぜなら、それがたとえば"自分にとって悲しみや怒りの不快感を掻き立てられる(と思い込んでいる)情報"だった場合に、それ以上吸収しようと思われなくなる、自分にとって不要な情報だと判断されてそれ以上深堀されなくなる、学びの機会(自分の可能性を広げる機会)を自ら捨てることになるからです。わかりやすいところだと、占いを怪しんでそれより先に踏み込もうとしない態度とかが該当しますね。

過去に何らかの出来事があり「それは危険なものだから触れてはいけない」という体験からの学習ゆえのものかもしれません。しかし"それ以上を知ろうとしなければそこで停滞し続ける(更新されなくなる、淀む、腐る、成長しない、無理解のまま)"ことにもなるでしょう。

「特に自分に向けて言われているわけでもないのに不快になる情報」というのは珍しいものでもありませんし、そういうものに出くわすのもよくあることですが、そこでポイ捨てしてそれ以上知ろうとしないのは、自分で自分を頭打ちする行為です。

また、よく知りもしない(それ以上知ろうとしない)のに浅い理解だけで判断や解釈をしてしまうのは、自分自身の無知さを露呈してしまいかねませんね。

何かの情報に触れて悲観的になったり怒りをあらわにしたり、話を最後まで聞いてもいないのに感情任せに考えたりふるまったりするのは、いいことは何もありません。

 

自身の臆病さや怠け癖(逃げ癖)を誤魔化すために、情報を取り入れずに済むように"もっともらしく"言葉を並べ立てるのは「そう意識していなくても無意識的に現状維持(停滞)を望んでいるから」というのは、何度かお伝えしてきています。潜在意識やスキーマ等のことですね。

慣れ親しんだ安全圏から出ていくことになるので、それはもちろん苦痛は伴ったりもするでしょう。自分の中の常識や思想、支えが崩されて壊れて、ショックを受けたり絶望したり、どうすればいいかわからなくなることもあるかもしれません。

ですが、人間どこかで"必ず"「自分自身をいちからつくりなおす」タイミングが訪れます。むしろ、それが訪れなければ、訪れるそれを受け入れられなければ(それでも逃げ続ければ)、変化が起こることもない、現状から抜け出すことも悩みや苦しみを和らげることも、問題を解決することも自分を幸せに導く(自分で自分を助ける)ことも、かなわず終わるでしょう。

「動かない自分を何とか正当化しようとする自分自身」に気づくことで、改革をしていくことができます。

取り入れようとするときに良いも悪いもない"ただの情報(知識)"として「フラットに応じる」のが必要な理由は、ここにあります。

フラットな対応ができないと、自身で勝手に「この情報は自分に悲しみ(怒り)をもたらすものだ」と決めつけ、排他する。感情論的な反応は情報全体を見ることもできなくなり、解釈や理解を誤る直接的な原因にもなります。

 

人間は基本的に誰もが耳障りの良いものしか拾おうとしないので、半自動的に(自らが)都合のいい情報ばかりに意識を向けます。確かに難しいものや苦いもの、かみ砕いたり落とし込んだりの面倒な手順を必要とするもの、批判的なものなどの相手をするのは、非効率的で利点を感じられにくいかもしれませんね。

そこで「ものごとを長期的に捉えられていない思考パターン(目の前のものでしか判断できていない)」に気づくことができれば、また一歩踏み出せるでしょう。

 

 

言い訳を重ねることは自分の可能性と未来を自分で妨げる行為であり、自分自身を裏切り続けることと同義です。

そして、言い訳をしたくなる心理には「昔に受けた体験による未治療の傷」が関係している場合もあります。

動かなければ、経験値が入らないままなのでレベルアップもありません。レベルアップが無ければ、打開や打破(脱出)もありません。

それをよしとするのであれば、あなたの人生はそれ以上の進展も起こらないでしょう。