確かに「継続は力なり」ですが"仕事でもないのに"「休んではいけない」とか、完璧な人間なんていないのに「最初から(一発で)完璧にやれないといけない」とか、誰がそう決めたんですか?誰がそう言っていたんですか?それが周りから植え付けられた「呪い(思考の歪み、よくないクセ)」です。
勝手な思い込みで、"(相手を怖がって)自分から逃げ道をなくしている(それを相手のせいにしている)"ことに、きっと気づいていないのです。
(もちろん、頭ごなしに怒ってくるとか、こちらのこころを蔑ろにする相手の場合はこの限りではありません。)
他人は自分を映す鏡、と言います。それは、心理学的な考え方に基づいた言い回しであると言えるでしょう。
他人に対してイライラする、怒ってしまう、(思考で御すよりも感情が強く刺激されるため)反射的に拒絶してしまう、などの「寛大になれない」部分は、シャドウの投影という概念に当てはまります。他人が自分のコンプレックスを映し出している、それを認めたくないからそのような反応になるのです。コンプレックスが克服できていれば、自分から目を逸らしたり他人を否定する他責するなど、しなくてよくなるはずですね。
人間関係、対人で悩みを抱える人の多くは、こういった仕組みに無知だったりしますね。そう、簡単なことなのに「知らないから」難しく考えてしまっているだけなのです。もっと近道があるのに、わざわざ遠回りしてしまってるんです。
過去の傷、それに伴う歪み(先入観、色眼鏡、思考のクセ)。それらは大概その本人にも気づかれません。
それが、自分自身の可能性や個性、今後よくしていけるものを、殺してしまっているのにもかかわらず気づかれない。どころか他人のせいにしてしまっているケースも、かなりある。
どうですか?それでも、目をそらす、蓋をし続けますか?
もちろん、人には人のペースもありますし、こころの成長度というものもあるので、焦って無理をしてもいけません。
そうではなく「知らなかった」なら仕方がない、しかし「逃げ続ける」ことは、はたしてそれでいいのだろうか、ということです。