そんな簡単なことなのに、何をそんなに難しく考えてるの?と言いたくなる人は結構います。
実行に移す”ハードル”が高いから、怖い、億劫、なかなかできない、というアレですね。
そんなふうに捉えてるから、自分には無理なんだと最初から諦めてしまうようにもなる。
それは、このブログでも言及してきた「思い込み」「先入観」「フィルター」「歪み」「傷」などが関係している、自分いじめに繋がる”バグ”です。
 
(そういった歪みがあると、「スモールステップ」すらもできなくなるという弊害が起きるのですが、それも知られていないですね)↓

 

 

 

 

 
「この程度の捉え方でいいのか」という安心感が、足りていないが故に起きる心理現象なんです。だから、自分には無いもの、できないことなんだと思って避けてしまう、自分には可能性が無いと思ってしまう。
それだって、先入観からの”勝手な”決めつけですよね?でも、どうしてそんな思い込みがあったのでしょうか。
 
この程度のものでいいんだ。この程度の解釈でいいんだ。なんだ、そんな簡単なことだったのか。
という「気づき」は、とっとと得ておいたほうが回り回って自分のためなんですよ。
どうしてそんなに心身をガチガチに固めているのでしょう?もしかしたら、そうする必要が過去にあったのかもしれません。深堀タイムです。
どこかに「そうしなければならない」「そうであらないと怒られたり厳しくされた」「そうしていないと周りに置いていかれた、愛されなかった」などがあるはずですよ!
"嫌われたくない"、"捨てられたくない"、だから完璧じゃないといけない。それは「条件付きの愛」に他ならないということも、自覚しましょう。
最初からなんでも完璧にこなせる人間なんてあり得ないですね?誰だって最初は知らないし、できないし、わからないはずですね?
なのに、なぜそこのハードルを上げてしまっているんでしょう。
相手への信頼、相手から言われることによる不安や恐怖、そのあたりについてよくよく考えを深めてみてください。どこかに「自分のこころを守りたい動き」があるはずです。

 

 

 

 

 

確かに「継続は力なり」ですが"仕事でもないのに"「休んではいけない」とか、完璧な人間なんていないのに「最初から(一発で)完璧にやれないといけない」とか、誰がそう決めたんですか?誰がそう言っていたんですか?それが周りから植え付けられた「呪い(思考の歪み、よくないクセ)」です。

勝手な思い込みで、"(相手を怖がって)自分から逃げ道をなくしている(それを相手のせいにしている)"ことに、きっと気づいていないのです。

(もちろん、頭ごなしに怒ってくるとか、こちらのこころを蔑ろにする相手の場合はこの限りではありません。)

 

 

他人は自分を映す鏡、と言います。それは、心理学的な考え方に基づいた言い回しであると言えるでしょう。

他人に対してイライラする、怒ってしまう、(思考で御すよりも感情が強く刺激されるため)反射的に拒絶してしまう、などの「寛大になれない」部分は、シャドウの投影という概念に当てはまります。他人が自分のコンプレックスを映し出している、それを認めたくないからそのような反応になるのです。コンプレックスが克服できていれば、自分から目を逸らしたり他人を否定する他責するなど、しなくてよくなるはずですね。

人間関係、対人で悩みを抱える人の多くは、こういった仕組みに無知だったりしますね。そう、簡単なことなのに「知らないから」難しく考えてしまっているだけなのです。もっと近道があるのに、わざわざ遠回りしてしまってるんです。

 

 

 

 

 

 

過去の傷、それに伴う歪み(先入観、色眼鏡、思考のクセ)。それらは大概その本人にも気づかれません。

それが、自分自身の可能性や個性、今後よくしていけるものを、殺してしまっているのにもかかわらず気づかれない。どころか他人のせいにしてしまっているケースも、かなりある。

どうですか?それでも、目をそらす、蓋をし続けますか?

もちろん、人には人のペースもありますし、こころの成長度というものもあるので、焦って無理をしてもいけません。

そうではなく「知らなかった」なら仕方がない、しかし「逃げ続ける」ことは、はたしてそれでいいのだろうか、ということです。