自分の何もできなさに嫌気がさす。頑張ってみても耐えてみても成果が出ない。役に立てない自分なんている意味がない。

そんなあなたはどこかで強い自己否定をしてしまっていると思うのですが、たとえば「無条件で愛された記憶が無い」とか「何か為せないと受け入れてもらえなかった」とか、そんなような心当たりはありませんか?

当ブログではいくらか言及してきていますが、大前提として「親」は子どもにとって絶対的な安全基地であるべきで、いつでもなんでも頼れる存在で、子どもの無意識領域(月)の人格形成に大きな影響を及ぼします。

 

 

 

 

「無条件でありのままを愛されてもいい」と聞くと『そんなわけないでしょう』とか、「何もできなくても存在していていいんだよ」と言うと『そんな能力が低い自分を惨めに感じる』とか、思ってしまうものでもあります。

第一に、社会的に世間一般が求めていて受け入れやすいのが"機能的価値(有能さや肩書など)"なので、そればかりに意識が行くのも原因かもしれないですね。

 

 

「親」の役に立てた時だけ褒められたり愛されたり。"いい子"でいようとした分だけ自分自身の「本当のきもち」を無視するようになっているんですよ。

親の言うことに応えようとして嫌な気持ちやつらい気持ち、本当はやりたくないのにと言った本音の部分。それらを、親に愛されたいがために無視して誤魔化してどこかへやってしまって、"本当の自分"はそのまま忘れ去られる。

親や身内などの顔色をうかがいながら機嫌をとって生きてきた人には、多いのではないかなあと。それは「自分の能力のみを評価されている」だけの"条件付きの愛"なんですよ。

自分の子どもが優秀であればあるほど親は喜ぶものですが、その子どもが「そうではなかった」場合は……?

何かできなければ喜ばれない、愛されない。そういったものを「無価値感」と心理学では言うのですが、成長してからでもそのような傷を負ってしまう人はいます。特に幼少期の「親との関係」でそれらは強力にインプットされ、濃厚な呪いと化すんですね。無自覚なのに自身にも周りにも悪い影響を出してしまうようになるんです。

 

 

 

生じた無価値観から「もっと応えなきゃ」としてしまい、自分自身にさらに厳しくしてこころを無視して抑えつけ、それでも成功体験が積めず、果てには「学習性無力感」へとつながってしまう。

周りが求めるものに自分を合わせようと"無理"をして、それでも結果が得られなかったなら「もう何やっても無駄だ」と諦念に突入するんですね。

そうすると、好きなことや欲しいもの、生き続けることさえも「無意味で何も感じなくなる」状態になって、手遅れになってしまうわけです。

ここまでくると、自分で自分のこころが何を感じてどう動いているのかもわからなくなってしまっていることが多いです。

 

さて。

では、そこまでになってしまったら、またはそんなふうになりかけているなら、どうすればよいのでしょう。

ずばり、「自己受容」のためのワークです。

 

 

 

1:とにかく書き出す、文字や言葉にする(言語化、内面の可視化)。

2:それを読み返す、理解と把握をする。

3:ネガティブなもの、欠点や悪感情なども悪いものと決めつけずすべて吐き出す。

4:それらを多角的な視野から捉え考えてみる。

 

ポイントなのは「感じたこと・思ったことに良い悪いを決めないで、なんでもただ出す」ことです。

言葉に落とし込めない、多角的視野がわからない、という人は以下の記事を参考にしてみてください。

 

 

 

 

何を感じて、どんなこころを持っていて、何ができて何ができないであっても、あなたはあなたで「世界にたったひとり」の、誰にも代わりができない存在なんですよ。

どんなにひどい人生を掻い潜ってきていたとしても、どこかにあなたを受け入れてくれる人はいるはずで、リアルでダメならオンライン(ネット上)で探してもいいんです。

あなたは愛されていいんです。

あなたがあなたを受け入れられること、そしてあなたがあなたを愛せるようになること、僕は応援しています。