「言いたいことが言えない」「自己主張をするとデメリットを被る」「強気になれない」等、そのような人がいるのは珍しくありません。
おそらく育ってきた環境(家庭や学校など)での”人格の無意識かつ根本的なプログラミング”に問題があり、自尊心や自己肯定感、自信などがうまく育ちきらず、そう言った自己犠牲的な姿勢になってしまっているのだと思われます。虐待やいじめでの抑圧問題です。
我慢をして耐え忍ぶことで危機をやり過ごそうとする、現状を変えられないことによる保守的な判断の仕方です。"そうするしかなかった"のだと思います。しかしそれは、果たして「健全なやり方」と言えるのでしょうか。
 
無意識的な領域、生まれてから最初に構築される部分は「月」の中に溜め込まれていきます。

 

まず考えられるのは、「家庭内での立場の弱さ」です。

何らかの理由から自身を犠牲にして何かを守り続けないとならなかった、親が言葉や物理的な方面で暴力的(独裁的、支配的)だった、他の家族と比較され自身の価値を蔑ろにされてきた、などです。

なにをどうされたらどう感じるのかというのも人それぞれで、それは「いじり」と「いじめ」の区別ができるかどうか、という話にもなってきます。あなたが弱いわけではない、"周りに弱くされた"んです。

そもそも「親」というのはその子どもにとって何にも代えがたい"絶対的な安全基地"であるべきで、無条件に守ってくれる、頼っていい、必ず味方である、そういった存在であるはずなんです。

しかし、特に幼少期に「親がそうではなかった」などすると、精神的な構造の基盤(土台、月)が正しく育まれなくなります。

そう言った「昔の幼かったが故に自覚もできなかった傷や毒」は成長するに並行して弊害を出し始め、対処できずにズルズルひきずられて、大人になってから精神疾患のきっかけとなるのもよくある話です。人によっては小学校や中学校の時点で罹病してしまう場合もあります。

 

傷つけられ、一度歪に育ってしまったものは、なかなか修正がききません。本人がそれに気づけないのが大きな理由ですが、周りもその責任を取ってくれるわけではない。

それはあまりに理不尽ではないだろうか。そういうのがあると「自分を大切にする」という意識も育たなくなるので、心身をボロボロにするような向こう見ずな生き方をするようになります。"殺されないために自分を抑圧してやり過ごすしかなかった"。せめて自分自身くらいは自分の味方であるべきではないでしょうか。

 

じゃあ、「そう」なってしまったら、もう取り戻せなくなるのか?

そんなことはないんですが、簡単なことでもありません。虐げられてきた期間の何倍もの時間を使って、努力をし続けなければならない。そうさせた周囲の人間も、された本人でさえも、そこの重要さ深刻さを知らないとか無自覚とかするのがほとんどです。

 

 

それらの被害者となってしまった人は「価値観」や「感覚」、「ものごとの尺度」を狂わされていることが往々にしてあります。

自分より他人のほうが優れていて当たり前、自分は何もできない何の能力もない、自分は愛されるに値しない、などなどいろいろあります。自身の性格や持っている能力などを過小評価し、いくら努力しても満たされないという状態にも陥ります。

これは非常に搾取されやすいタイプの人間の考え方で、自衛の方法もわからないままターゲットにされるのが繰り返されていく。

 

精神科や心療内科は、「そうやってなんだかんだ言い訳をしていつまでも行かないと確実に手遅れになる場所」です。

イメージに反して気軽に訪れていい機関で、それこそ"風邪ひいたから"くらいの認識で許されるところです。

我慢することが多いな、心がつらいな、とか誰にも愛されていないな、自分は必要とされていないな、と「少しでも」感じたら、もう行っていいんです。

お金がないなら捻出し、時間がないなら欠勤してでも行ったほうがいいです。行かないでいてのちほど患う不健康のほうがよっぽど時間もお金も失います。

 

 

しかし、病院は「患者と医者の相性」や「自分に合う薬を探す手間」もあるのが実情です。一番いいのは専門家に頼ることですが、自分ひとりで何もできないのかと言うとそれも違うんです

機能価値と自己価値を見つめ直し、自分の中の考え方を改め、自尊心・自己肯定感・自信を再構築する方法があります。

 

「機能的価値」とは他者から評価される"社会的価値"、能力・才能・外見・実績・結果などの人によって捉え方がコロコロ変わる部分のことを言います。

「自己価値」というのはそう言った"見た目の数値"に依存しない価値のことで、「生きているだけでいい」「存在していることの尊さ」「誰も変わりはできない」といった部分のことです。

子どものお小遣いと大人の財布で「重さが変る」のが機能価値で、「自分は一人しかいない(この心はひとつしかない)」というのが自己価値です。

心を周囲に傷つけられ生き方に悪影響が出てしまっている人は、だいたい機能価値を示すことを強要されて休まる暇もなかったのだと思います。そうしないと殺されるから。

機能価値を得ることにずっと奔走していると、自己価値をじっくり感じ取る機会も必然的に失われ続けます。

そうすると"いろんな部分が狂ってくる"ようになるんです。

 

 

自分自身を"正しく"認識する、まずはその土台作りからなんじゃないかなと。

そうしていく中で「不当な評価や仕打ち」「やり返すことの必要性」「自分のあるべき姿」などに気づくようになってくるんだとも思いますよ。

最初にやるべきは「自己受容」です。それができたら、次のお話をしましょうか。