いかなる問題も、それが発生したのと同じ次元で解決することはできない。

-理論物理学者アルベルト・アインシュタイン-


我々が普段認知している、思考や自覚の部分が「顕在意識」。その下に認知が届きにくい無意識的な「潜在意識」があり
更にその下層に「集合的無意識」が存在し、そこですべての人々が"繋がっている"とされています。
集合的無意識とはオカルトスピリチュアル的なものでもなく、心理学的基礎の部分で、今現在の心理学の礎となった分析心理学からきています。

神話や夢の内容など、人種や国境を越えてどこの世界でも似通った部分があるのは、その集合的無意識から拾われているからだとされています。

物理的な肉体や「個」としての心の壁を超えて、見えない部分でひとつになっている、という感覚の世界になってくるものですね。

私もあなたもすべての一部、すべてが私の一部、といった「あらゆるものを内包した」非常に広大な世界観にもなってきます。

"人の心が深いところでつながっている"というのは実に魚座的な捉え方ですが、否定できる要素のほうが少ないのです。
 
善と悪、正と邪、白と黒、男と女、裏と表……といったふたつのうちのどちらかひとつ、「二元論」的な視野や考え方は一般的な範囲と言えますが、実はそれでは不十分なんです。
特に実際に"しんどい最中"にある人ほどしんどさに夢中になって視野が狭まり、手を差し伸べてくれている人に気づかない、助け舟を鬱陶しく感じて蹴ってしまうなんてこともたくさんありますね。
悪いものだから、間違っているから、排除してもいい消してもいい。というのは、あまりにも短絡的で、二元論的であり、「全体が見えていない」独りよがりです。
自分個人が良いと思ったもの・悪いと思ったもので世界をジャッジして残す捨てるを選ぶ。それは、自分自身しか見えていない、"網目のように絡み合っているすべてのつながり"まで見えていないんですね。
表面的なもののみを拾い上げ、理屈でなんでもかんでも片付けようとすることの勧められない理由はそこにあって、ひどく「こころ」や「感覚(直感)」を蔑ろにするものだからなんです。

自分の望む世界を自分が創造している、自分を中心に世界が出来上がっていくのだと決めている、自覚している。何かに依存した生き方や、運命に翻弄されたり流されたりして自分の意志ではない選択の中であったり、他人任せではない生き方、自分は世界の中心にいるのだ、自分自身が「世界」なのだという自覚が「自分の現実を自分で生きている(掴んでいる)」状態であると言えます。
自分が世界を創っているんだという認識(自覚)がないと顕在意識(言語化できている部分)と潜在意識(感情や感覚、イメージの非言語部分)の不一致が起こり、うまく動けない、うまくいかない、袋小路から抜け出せない、埒が明かないといった「気づかれないがんじがらめ」に囚われて、抜け出すのが難しくなりますね。

少なくとも、自分ひとり、単独での解決はかなり可能性が低くなります。

 

顕在意識と潜在意識、集合的無意識が一致しスムーズな流れが生じた時、世界に働きかけ"すべて"に変化が起こり、「反映」されて実現化されるに至る。

集合的無意識で繋がっている人たちは"一点で何かを動かすと連なって全体が動く"特徴があり、小さな点が大きな渦になるようなバタフライエフェクト的な影響を出すことがあります。
想像力は創造力とも言います。「思考は現実になる(考えていることが引き寄せられる、叶う)」とは、こういうことなんですね。

 

魚座は望むものが手に入りやすいそうですが、きっと宇宙的な無意識領域と繋がりやすいのかもしれないですね。

 

 

 



普段の自分の「視野」以外の視野を得る、二元論的な範囲だけでなくみっつ、よっつと"メタ的な視座"からものごとを俯瞰する。

同じ視野、同じ次元でものを見ていては「そこで起きた問題」は解決されるはずがありません。

「そこで起きた」のですから、なにか別の視点や別の方法、アイディア、もっと高いところから俯瞰しないと堂々巡りです。

先述の「全体を見る」とはこういうことでいて、AとBというふたつの選択肢しか見えていない、持てていない人は人生が不自由なので、生きていくクオリティも低くなりやすいとも考えることができますね。

 


顕在意識(普段自覚できている領域)は"自分の中の狭い枠"。集合的無意識、とは「自分の枠の外の視野」でいて、第三者的な部分。つまり「自分の中にはないもの、外の声、外の視点、上の次元」。顕在意識、そこから出ることで新しい気付き(視野や発想)を得る。

自分の視野のみ、自分の価値観やフィルター、自分の中の世界観(物差し)だけでどれだけ考えたって、答えが出るはずもありません。
こころが荒れていたり感情が高ぶっていたり、ひどく傷ついているなどして視野狭窄状態に陥ってしまっていれば、なおのことです。

それが、頭で理屈に頼っていては問題や悩みの解決はできないしこころや感覚を蔑ろにする、という内容の答え合わせになります。
自分の中だけの「狭い世界」だけで生き続けるのではなく、自分以外の世界を知る、もっと広く大きく、全体像、ものごとをとらえること。

 

 

まあ、だいたい人間に求めるものではないのは確かなんですが。でも、知る、コツを掴むことはその辺の人でも可能なものではありますよ。すると「使えるようになる」んですよ。

今自分が苦しいのは、視点が少ないから、視座が低いから、ということです。

方法はいくらでもある。学ぼうとしない、気づかないから、脱却できないのです。