汝の意志するところを行え、これこそ法のすべてとならん
  愛こそ法なり、意志下の愛こそが

-20世紀の魔術師アレイスター・クロウリー-

 

 

「自分がどこに行きたいか」「どんな自分になりたいか」などの"目的地の設定"が無ければ、どこをどう目指してどう努力すればいいのかもわかりませんね。
その目的地設定が無いと、今までたくさんがんばってきていたけど伸び悩んでいるといった"努力の仕方を間違えている"、という結果になってしまうもののことです。
ゴールとなる「目的地」だけでなく、状況や環境、様子などを理解把握してどうなっているかを知る「現在地」を用意する必要もあります。
現在地が用意されていなければ、なにをどこからどう始めればいいのかわからなくなってしまいます。
 
細かく細かく計画を構築し、それに沿ってひたすらにやることをやってゴールを目指していく……というやり方で成功する人もいますが、このやり方が合わない人はその計画をこなし続けることに苦痛を覚えやすいはずです。
心身が間に合わなくてしんどい、できなかったときに自分を責めてしまう、自由が無いような窮屈さを感じる、などなど。
そういう人は、「現在地」と「目的地」だけ設定してしまって、"自分のこころの声"、本当は何をどうしたいのかを頭で考えるのではなく直感で受け取りながら、あとは目の前にあるものを小さくてもいいので、コツコツひとつずつ、自分のペースでゆっくりやっていくとうまくいくようになるでしょう。
目の前にある日常的なものを、ひとつずつ。躍起にならなくてもそれでゴールまで行ける人もいるんです。
計画までキッチリ自分で埋めてから始めるか、計画は"勝手に進められていく"のに任せるか。その違いですね。

 

 


潜在意識は"現状を維持しようとする傾向にある(脳科学的な現状維持バイアス)"ので、新しいこと(自分の中にないもの)を始めようとすると、嫌がったりなんらかの拒否反応を示すなどして「そうさせないように意識に働きかける」ことがあります。
それが、心の傷の未解決部分だったり、癒されていないインナーチャイルドだったりするわけですね。
そして上述の「目的地の設定」は、その潜在意識と息を合わせていくことが必要になります。なぜなら、潜在意識と食い違う内容で設定してしまうと"本当は嫌なのに顕在意識が潜在意識を抑えつけてしまう"現象が起き、こころをラクにするためのものなのにかえってしんどくなってしまうからです。
脳の9割以上を占める潜在意識を味方につけるのが、うまくことを運んでいくためのコツなんですねえ。

 

 

 

 

このブログでは「潜在意識」「思い込みや先入観などの歪んだフィルター」「親や周囲に寄って植え付けられる呪い及びこころの傷」「こころの未解決問題からなる現状の苦痛」などについて多数取り扱ってきています。
それらのほとんどが関係してくるこのお話、多くの人が"知覚も自覚もできていない"部分でいて、知らないからこそ不安定な潜在意識によって「目的地」も設定されておらずぶれぶれで、常にフラフラガタガタしているわけですね。
 こころから強く望むもの、望む姿、望む世界。どうなったらうれしい?どういう世界だといいかな?そこに他人の意見や主張、他人の価値観を採用する必要はありません。自分自身の、自分の中だけの世界で描くのです。
自分のこころの深いところ、誰も立ち入れないような奥底で望むものは何だろう?
そこから「目的地」がどこになるのかを探し出し、ゴールとして設定してみましょう。あとは、仕事なり家事なり、「やったほうがいいな」と思う普段やっていることをこなすだけです。
 

現在地の設定って具体的にどうするの?と思われると思います。
そのために必要になってくるのが「言語化」ですね。認知療法の分野でも、現状や内容を書き出して俯瞰し、整理して自身の混乱を落ち着かせる方法があります。
頭の中だけでグルグル考えていてもよくわからなくなったり、視野が狭まってしまい他の案がわからなくなる、堂々巡りになるといった状態にもなってしまいますから。
とにかく、なんでもいいので頭の外にアウトプットすることです。頭の中に納めないことでその分のスペースの確保にもなりますし、目に見える形になるので取り扱いやすくもなるんです。

 

 

 


「占い」というものは、"人間が普段見ることができない場所"へのアクセスツールとして使われるものであり、決して縋るものでもなく、自分の人生を任せっきりにするものでもないのがよくわかります。
自分の深いところ、自分でもわからない自分の部分、潜在意識(無意識)をツールを通して発見し、理解する。
人間、自分の意識に上がってこないものは、たとえ自分のものでも「存在しないもの」としてカウントされるものですよ。潜在意識に埋まっているけど顕在意識的には存在しないことになっている。
占いは、それを"わかる(見える)ようにする"ものなんですね。

 

 

 


自分自身の潜在意識に気づけていないと「どうせ自分なんかうまくいかない」と"決めつけて"しまい、「本当に」うまくいかない未来を引き寄せてしまうことにもなります。

 

 

自分の内側に意識を向け自分のこころの声を聴くべきターンにあるのに、それに気付かないかそれを無視するかをして「それでも進み続ける」ことをした場合、潜在意識と反した行動をすることになるので、うまくいかなくなってしまいますね。
そのような状態、"現在地"を間違って認識していると、そこから起こされるアクションやアプローチもズレてきてしまいますが、それは普段は覗くことができない深い場所にある、潜在意識がヒントを握っています。

 


現在地を正しく知ることができれば、目的地も正しく知ることができる。
潜在意識は「言葉になりにくい感覚や感情、イメージ」の領域であるため、言葉よりも絵などの"非言語"のほうに反応しやすいのは自然なことです。
理屈で考えようとしがちな人ほどそういった感覚やイメージ、こころで捉える方法を忘れてしまっていて、ものごとを「良い」「悪い」で二元論化してジャッジし"素直に受け取ることができなく"なっているのだと思います。
"正解なんてない"という考え方と、白と黒、男と女といった二元論的な考え方は、だいぶ違いますよね。
良いも悪いもない、ただ「ある」だけ、というありのままの状態を受け入れられない人は、どこかにそのようなクセがついてしまっているのでしょう。

 

「言葉」で考えて処理するのではなく、こころの反応による好き嫌いや、ここちよい、ざわざわする、そんな"感覚"。
自分のこころがわからなくなっている人、NOを言えない人、自己否定的な人や完璧主義な人など、そういう人たちは、こういった「素直な感覚」を、否定されてきたのかもしれませんね。

 


正直で素直なこころの感じ取り方、それを今まで封じてきてしまっていたから、余計に自身の中がわからない。
潜在意識の領域に埋まっているものは、言葉にできてようやく顕在意識(有意識)に上がってきます。言葉にするには、まず"感じ取る"こと。
誰かに体を引かれているような、他人任せの生き方では、自分の潜在意識がどうなっていて周りにどういった影響を周囲に出しているのかにも、気付かないのでしょう。
「自分の好きな道を自分の意志で選んで自分で進む」、自分の人生は自分のもの。自分の人生を自分で生きる(他人軸ではなく自分軸)、ということです。

 

 

 

 

求めよ、さらば与えられん。
尋ねよ、さらば見出さん。
門を叩け、さらば開かれん。
すべて求むる者は得、尋ぬる者は見出し、門を叩く者は開かるるなり。

──  マタイ福音書7章7節