「一般的に考えられている、不安をあおってくる悪い宗教」というのは、コレに従わなければ地獄に落ちる、コレに従えば天国に行ける、というような"非現実的な理論による結び付け(受け手に制限を与える)"であることが多いです。
同調圧力で押さえつけたり、信じ込ませて金銭や私生活などの資本を自己犠牲させるような構造が、そこには含まれています。確かに一部の占いや占い師も、そういう挙動をしていますね。
その宗教のコミュニティに属さなければ人間関係や人生が危ぶまれる、そこに取り込まられざるを得なくなるように誘導、洗脳される。
たとえそれが"科学をうたうもの"であったとしても、手段ややり方がまっとうではないなら信じるべきではありません。
そもそもオカルトであれ科学であれ「何かに傾倒して妄信する、そういう状態に陥る」のが、非推奨とされるべき危険なものです。
おそらくは「そうではない健全な姿勢を持つ占いや占い師」までもが、"その辺の違いがよくわかっていない多くの人"に一緒くたにされてしまっているのだと思います。

それでも「信じようとしない人」「そういうものを信じたくない人」は、プラセボだなんだと言葉を連ねて、やたらとこちらを論破したがるものですが。目に見えるものだけがすべてだと思っていると、心や精神を蔑ろにしていってしまいますよ。

 

 


宗教だからとにかくそれは害をもたらすものである、という解釈や判断をするのもまた尚早で、たとえば暴力的で独裁的な混沌とした世界にその身が置かれた場合においては、いつ危害がこちらに飛んでくるかわからない安全の無い環境にあるわけです。
力こそすべてなどという上下関係ルールを有する無秩序な世界では、いつ誰が殺されてしまうか不安や恐怖で満たされ、心も体も休まることはありません。上の立場に対して従っておくしかなくなってしまう。
そんな荒廃した生きるか死ぬかの攻撃的な世界観に秩序と安全・安心をもたらし、人格や人間性を育て進化させていくのが「宗教の役割」だった、という視点も存在するようです。
(そしてきっと、そのあたりの時代で公正世界仮説・公正世界誤謬の認知バイアスが一般に広く強く信じられていったのだとも思います。天国と地獄や因果応報などの"誰もが持っている思い込み"のことですね。)
秩序、倫理、思いやりや客観視を持てる精神、前向きな意識発達の促進等々。「科学と合理」の時代が来るまでは、宗教が人間を守ってきました。
研究が進み科学分野が発達し、合理主義的な姿勢が世の中に浸透し始めた頃「心やスピリチュアル的な"目に見えないもの"って怪しい」と、宗教以外のものまで疑われ否定されるようになっていったようです。


洗脳されるのではないか、高額な金銭をむしり取られるのではないか、人間関係が破綻するのではないか、自己犠牲を利用されるのではないか、判断力を失うのではないか、仕事や家庭などに悪影響をもたらすのではないか、取り返しのつかないことになるのではないか。
前提として"よく知りもしないのに"占いなど未知の世界を過度に警戒して遠ざけようとする、見えない世界に対して強く疑念を抱き続けようとする人たちについては「無知さや視野の狭さという共通点を持つ」とも言えます。
これら不安に感じる理由をよくよく考えてみると、「受け手側の内面の成熟度や豊かさ」に関わる部分が大きいことが解かります。凝り固まった信念や常識だと思い込んでいるだけのもの、柔軟に新しいものを取り込んでアップデートしていくことを嫌がる保守的な姿勢に固執するために、思想や思考が偏って「見ているものが狭くなっていく」。
警戒姿勢と言う「妄信」です。意固地な姿勢を貫こうとすれば視野狭窄に陥り、視野が狭まれば無知に拍車がかかる。無知であり続ければ不安や恐怖は解消されないままになるので、何かに依存することでしかその感情を解決できなくなる。
怪しいものに巻き取られないように警戒していたはずなのに、なぜかいつの間にか「ハマってしまっている」。警戒対象になっていた宗教に騙されなくとも、自身を顧みなければまた別の何かに足をすくわれることになるでしょう。
個人による一人称的な心の世界、見えない世界のことを否定するかのような「合理性」の時代が訪れ、心理学的な分野すらも宗教もろとも排他されるようになりました。
非社会的なものであるとされ、狂人じみているとさえ評価され、"見えないもの"は日陰に追いやられていきました。
資本主義、合理主義の時代は「こころを置き去りにして仕事に打ち込み続ける物質偏重世界」の時代となっていったようです。
合理的で正しい、お金もある。しかし幸せにはなれなかった。なぜなら、こころや見えないものを否定してきたからでした。

 

 

 


現在では、精神障害などの「こころの病気」に関する分野もだいぶ発達してきていて、そういうものを見聞きしたことのある人も増えてきていますね。少なくともここ30年くらいで劇的に進歩してきていますよね。
それによりいろいろなものが浮き彫りになり様々なものが発覚し、多くの人が問題を解決できてきている。まだまだ足りていない部分もありはしますが、確実に「見えないもの」の受け入れが進んでいます。
しかし、病気を持たない場合などの「そういう制度や治療を必要としない健康な人」の心を豊かにする、癒す、助ける、救うための世間的な動き自体は未だごく小規模です。
現代日本はどうやったって幸福度が高いとは言えない状態にありますから、需要そのものはあるはずですね。

こころの余裕はお金の余裕であり、お金の余裕は人間関係の余裕、人間関係の余裕は人生の余裕につながります。こころに余裕が持てていない人は、人生がうまくいっていないケースが多いように見えます。

今後は風の時代と言われていますが、その中の流れに「スピリチュアルや目に見えない分野が必要とされ始めてくる」ものもあるらしいです。
社会全体がそう変わっていこうとしている、そうしていく中で上述の「関わっていけない世界」と「そうではない占いやスピリチュアル」「精神心理」「こころの話」を、一緒くたにしてしまわないことが、今日からできる我々のこころがけなのかもしれませんね。

ヒントとして、未来決定論を押し出す占い師は"依存させてくるタイプ"なので、占いは自分の人生を自分で選んで自分で切り開いていくためのものだという前提知識を身に付けておくとよいでしょう。