余裕の心
久しぶりに休日を家で過ごし、気になっていた、家の表札が、色があせてきていたので、塗り直してみました。家を建てたときも塗りましが、以前はもう少しピンクでしたが、今回は少し明るく、赤っぽくなりましたが。。。。まあ、これはこれで良いかな。落ち着いた時間の日、ふとこの言葉が思い浮かび【余裕】漢字には、字そのものが、その意味をあらわすと言われます。よくみると、【余】あまりあまる、【裕】ゆうふく?調べてみると、心にゆとりがあるや 必要分以上に余りがあること。「余りあまるくらい豊かである」とすれば、余裕の心をもつことは幸せに満ち足りていることでもある。裕福というと、想像するのは、目に見えるお金や高価なものをもつものと認識しがちですが、人は心に余裕をもつこと、余裕をもつ日々を過ごすことこそ、豊かで、心が満たされ、幸せである。ただ、私もよくありますが、余裕をもとうと意識すると、求めれば求めるほど現実遠ざかっていくことがあり、幸せも同じく、幸せになりたいと言いますが、幸せをもとめればもとめるほど幸せがつかめないことが多いですが、本来、【幸せ】は、手に入れるもの、なるもの、求めるものでなく、「幸せは感じるもの、気づくもの」であり、誰でも、いつでも、幸せも余裕も自分の意識、心のありようで感じることができるものであると。人の不満や苦痛はほとんどが、自分の思うようにならないことの裏返し、自分の想像やものさしからのズレと言われます。自分の心の持ち方が影響します。それに気づけば、心の豊かさ、余裕、幸せも、自分自身の心のありようで、心で感じるもの、気づくもの。日々、生きているといろいろと感じますが、自分の思うようにいかないことで、豊かさを失い、そして、大切なもの、大切な人を手放すことがあります。その中には、一度失えば、二度と戻らない、代わりがない、自分の努力や頑張りだけでは、得れない、出会えないものが人の世界にはああると私は思います。心の余裕のなさにより、自分のおもうようにならない、気づかないことで、大切なもの、人を見失わないようにと。余裕の心をもつことの大切さふと、久しぶりに余裕ある心で過ごせたひと時の今日、心に思いました。心の豊かさ、余裕をを大切に、そうすれば見に見えるものだけでなく、見えないものも見えてくる→心の目で観えてくる。。。。