ある記事で目にした内容です。
 
数多くの「人生の最期」を看取ったヘルパーの方が、死を間近に迎えた人が
語る5つの共通項目として、
大まかに言うと


1. 自分の心に正直な人生を生きればよかった

2. 働きすぎなければよかった

3. 思い切って自分の気持ちを大切な人に伝えればよかった

4. やりたいこと、会いたい人、行きたい場所など連絡や時間をもっと使えばよかった

5. 幸せを、本当に幸せになること、人生を歩むことをあきらめなければよかった
 

細かくいえぱ、もっと色々とあるかとは
思いますが、ほぼ、これらに当てはまる
らしいです。

また、この中で最初の 

「自分の心に正直な人生を生きればよかった」

さえあれば、貫ければ
どれもあとはできる、
後悔はなくなるように思います。


しかし、口でいうほど、わかっていても
簡単ではなく、これをする生き方は、
相当なおもいや勇気が必要です。




人はどうしても、社会で生きていく中で、
自分を守ったり
人の目を気にしたり
人の期待にこたえようと無理したり

いわゆる

他人からの期待
過去からのしがらみ
仕事や会社、社会や他人からの期待

そうしたもので、
自分の素直な心を優先せず、
こうしたものを優先してしまいます
 
そして、日々の中で
自分の本当にやりたいこと
幸せとは
素直な自分の心さえも
考えなくなり、わからなくなってしまう
 

人はどうしても、頭で考え
答をだそうとする
今の時代では、たくさんの
情報を目にし、情報や知識をもとに
知らず知らずに影響をうけ、
頭はかりで考えすぎて
結局、自分の本当の素直な心を
閉ざしてしまう

そうならないためには
常に
 

「頭は答えを知らない。心は質問を知らない」
「頭で問いを立てて、心に答えさせる」


ことをしないといけないと。
この言葉が、印象的でした。


頭を良くする生き方
ではなく、 
心を良くする生き方


心を錆付かせない生き方を
することこそ
幸せな人生を歩む
後悔が少ない人生を歩む
ことになる


私のこれまでの人生を
振り返ってみても

確かに、
頭で答をだそうとすればするほど
周りを意識したり
他の人はどうする
正解を探そうと

恐怖や不安ばかりわいてきて、
自分の素直な心を疑いはじめたり
他の人と自分は違うのではないか
常識から私は逸脱してるのではないか

と、

素直な自分の心よりも
社会や他人の常識、目を気にして
正解はなんだろう?
と「理屈」でこたえをだそうと
してしまいます

そうなると
「不安」「恐怖」「ネガティブ」
しかわかなくなります
 



最後に、
私の父は、もう亡くなりましたが、
父の言葉で一番、心に残ってるものとして、
おもいだしたのが


「どんなにがんばって生きても、人間というのは、どうしても最後に後悔の念は残る。完全に後悔を取り除くことは、できないのかもしれない」

「自分も歳をとり、今、ああしとけば良かった、もっとやりたいことをしとけば良かった、本当に大切な人を大切にしとけば良かったと、たくさんおもうことばかり」

「だからこそ、息子のお前に、人生を先に生きている先人、先輩として、
その後悔を減らすこと、程度を少なくすることは人間はできるはず、ましてや、まだ、自分より命の時間があるはずのお前は、それをやろうとおもうとできるばず」

「自分のやりたいこと、会いたい人、とにかく自分の心に素直に生きろよ」

一言でいうなら

「お前はちょっとでも後悔の少ない
人生を生きろよ、最後は必ず誰もやりたいとおもってもできなくなるから、できる間にしておけよ」

そういつも
言ってました
言っているのを思い出します
 


外や他人ばかりに意識や目を向けず
やはり、一番は

自分の心に目を向ける
自分と向き合う時間をもつ
 
そして、あとは
心ででた、こたえを

少しの勇気をもって行動する
口にして人に伝える
文章にして残す
など

自分の中だけ
とどめておかない

何もしない
できないと
言っていては
結局は
最後に後悔が残る人生となり、
終わってしまう

今一度 


「頭は答えを知らない。心は質問を知らない」
「頭で問いを立てて、心に答えさせる」

ですね


こういう時代になったからこそ
今、試練をつきつけられてるからこそ
真剣に我々は
向き合わないといけない
考えないといけない
時かとおもいます