ありふれた1日 (Jour ordinaire)
1999年リリースのアルバム Au bilboquet des planètes 収録の Jour ordinaire(ありふれた1日)が動画サイトで公開された。
歌詞大意と解説は動画の下をご覧ください。
歌詞大意:
本日、全て順調、天気は良好
魚たちは背泳ぎ、鳥たちは地面に釘付け
空は待ってくれるけど
鳥たちはもっといいことができるはず
理解しようとしてはいけない
それはありふれた1日
いつもどおりに大気中には軽油
全て煙となって消える
ありふれた1日
いつもどおりに軽油の中にいくらかの大気
煙の中にいくらかの空がある
工場の煙突がくゆらせるアルカリ性の蒸気、美しい黒雲
田舎の緑はダイオキシンのいい匂い
その毒素を抜き去るのは、負けるが勝ちのゲーム
ありふれた1日...
森の木々は春の散髪、ブルトーザーで時間短縮
雄牛たちは狂った雌牛たちとダンス
ぐるぐるまわり、ぶるぶる震えてる
ありふれた1日...
跡継ぎ息子よ、ちょっとこの大地を見てごらん
全部作り替えたからもう安心だ
お前にはコンクリートの世界を残してやろう
天井が低いかもしれないけど、少なくとも規格どおり
ありふれた1日...
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最後の画面で骸骨が持っているプラカードには「地球を救おう」と書いてある。その骸骨が「あなたは私の言うことを聞こうとしなかった。そしてほら、このとおり!」と言っている。
少し自分のことを書かせてもらうと、筆者は小2の3月までの4年間を石油化学コンビナートの町で過ごした。弟が公害病認定患者になり、きれいな空気を求めて引っ越した先でふと空を見上げて衝撃を受けた。それまで見たこともなかったような色。「青空」というのはこれだったのか!
「青空」という言葉があるから、それまで見てきた空も青いんだと思っていた。太陽の色は赤で「肌色」が肌の色だと思っていたように。けれど小2の3月まで見ていたのは、まさしくこの歌のように、煙の中にあるいくらかの空、だったのだ。
「なまけもの」対訳の掲載
2008年にリリースされた絵本付きCDアルバム(またはCD付きの絵本)Y’a des animaux dans mes chansons(僕の歌には動物がいる)収録の Le paresseux(なまけもの)の対訳が、『シャンソン・フランセーズの諸相と魅力-民衆文化の花束-』という本に掲載されている。
『シャンソン・フランセーズの諸相と魅力-民衆文化の花束-』は、信州大学人文学部で立ち上げられた「シャンソン研究会」設立20周年を記念して出版されたもの。論考集だが、全11章中の最後の章のみ論文ではなく、歌詞の対訳。時代も音楽性もまちまちな12の楽曲の訳詞を集めた、題して「シャンソンの闇鍋」。その鍋の中に「なまけもの」が入っている。
「なまけもの」はすでに動画サイトに対訳付きでアップされており、当ブログでも紹介した。
この本の出版によって、もっと広く興味を持ってもらえたら喜ばしい。
『シャンソン・フランセーズの諸相と魅力-民衆文化の花束-』吉田正明編、大阪大学出版会、定価本体6300円+税
詳細はhttps://www.osaka-up.or.jp/book.php?isbn=978-4-87259-790-5
(学術刊行物のため、にしてもすごいお値段です。フレンチのコースが食べられる。ぜひご利用の図書館にリクエストしてください)
クリニック慰問コンサート
第6回アジャン・フォリー・ヴォカル音楽祭出演(2023年5月27日)前日、我らがシャンソン・プリュス・ビフリュオレの3人は町のクリニックを訪れてミニコンサートを開いた。
動画に収録されているのは彼らの替歌ヒット曲「内燃機関 Le moteur à explosion」と「パソコン L’informatique」の2曲。どちらもビフリュオレの「古典」といえるナンバーだ。
「内燃機関」はアンリ・サルヴァドール Henri Salvadorの童謡風シャンソン「狼と子鹿と騎士 Le loup, la biche et le chevalier」を、自動車エンジンの仕組みを解説する歌にすり替えたもの。彼らのデビュー・アルバムとなる1991年リリースのウーロペアン劇場ライヴ Chanson Plus Bifluorée に収録されている。
「パソコン」の元歌は「おいらは体が弱い Je ne suis pas bien portant」。1930年代に人気を博したコミック歌手ガストン・ウヴラール Gaston Ouvrardのナンバーで、体のあちこちの不具合を身体部位名と症状の語呂合わせで並べ立てたもの。これをやはり語呂合わせでパソコントラブルに置き換えている。2005年リリースのPeinture à carreaux収録。
患者も医療スタッフも病気のつらさや仕事の苦労を忘れるひとときだっただろう。
ギター伴奏だけのシンプルなパフォーマンスながら、いやそれだからこそ、綿密に組み立てられたショウの一演目としてとはまた違った、歌そのもの・声そのものの魅力がよく表れている。こんな身軽なアンプラグド・ライヴだったら、彼らを日本に招いて小さな会場で歌ってもらうことはできないだろうか・・・。