ビフリュオレ通信<BIFLUORESQUEMENT VOTRE> -4ページ目

インタビュー(2023年5月27日)

2023年5月27日収録のインタビュー動画が公開された。答えているのはシルヴァンとグザヴィエ、終盤で演出担当のマリネットも加わっている。場所はフランス南西部の町アジャンで、第6回「フォリー・ヴォカル (声の狂騒)」音楽祭の一環として行われた夜のライヴを前に、音楽祭の野外フードコート。動画の下にグループの活動や考え方について語っていることを要約する。

 

 

要約( )は筆者註。

・これまで取り上げてきたテーマは、どうぶつ、オーディション、子ども、食、女性など、取り上げなかったものを思いつかないほどあらゆることを、いつも敬意を持って取り上げてきた。

・音楽祭主催者のアルバン(Alban Lapeyre)とは40年来の付き合い。グループ結成前のシルヴァンとミシェルがル・ゴング・デュ・バレイユール le Gong du Balayeur名のデュオで活動していた頃、アルバンが初めてアジャン近郊にオープンしたカフェテアトルに出演。それ以来何かと出演機会を与えてもらった。また、グザヴィエはそのお陰で今の伴侶、マリクレールさんに出会った。

・今回のショウ「さよならそしてありがとう」は言わば「長いさよなら」。自分達のショウとしては最後だが、これから何年か上演するつもり。それはよく比較される男声カルテット、レ・フレール・ジャック les Frères Jacques に少し似ている。レ・フレール・ジャックは第二次大戦直後の1945年から1982年までの37年間活動した。自分達はそれより3、4年長くやろうと決めた。

・その後は好きなことをやるつもり。何になるかは未定。例えばグザヴィエなら料理かも、だったら歌うカフェテアトルを開いてもいい、誰でも来れるような料金にして。

・アジャンの後は、これまで訪れたフランス各地を回る。40年間で観客総数は、1回の公演で300から500人として、ざっと計算したところ250万人になる。中には10回ぐらい来ているファンもいるだろう。また40年もやっていればデビュー当初の観客が次には伴侶を連れて、その次は「あのときお腹にいた」という子どもを連れて、今度はその子が大きな大人になって現れる、そのうち孫まで。自分達はメディア露出度は正直高くないが、こんなふうにしてライヴ会場の入りはずっと保っている。

・歌やスケッチなど多彩な芸を披露し、シャンソニエ(シャンソン酒場などで時事的なテーマなどを歌うシャンソン歌手)ともコメディアンともミュージシャンとも言える自分達自身を定義するとしたら、ミュージックホールの芸人 artiste de music-hall だろう。ベースにあるのは声で、そこからあらゆるものに手出しをする。その方が面白いし動きも出る。そして常に演出があり、それはマリネットが担当している。

・ショウの構成の出発点として、ある言葉がアイデアにつながることもある。誰かが言った言葉にみんながわっと反応して膨らむ。マリネットはそれを全部メモする。ケータイは使わず、必ずメモ帳に書くようにしている。あとは一人一人がそれぞれの持ち味を加えて作っていく。

「引退」について思う

いつもの冗談だと言ってほしかった「さよなら」宣言、残念ながらどうやら本気らしい。まだまだ最盛期なのになぜ?と納得いかない筆者のようなファンの声に答えるべく、公式サイトにこう書いていた。「さよなら公演??嘘だ!ありえない、と皆さんは疑い深い目から涙の洪水を溢れさせて僕らに言うでしょう。いや、ホントです、と僕らは答えます。僕らの銀髪と後退した生え際を指差して」。

 

思えば彼らの「先輩」グループといえるレ・フレール・ジャック Les Frères Jacquesも、体力的な限界が引退を決意させたのだった。レ・フレール・ジャックのパフォーマンスはシャンソンとマイムをフュージョンさせたもので、確かに声と同時に身体も使うものだった(文末に動画)。ビフリュオレのステージは、動きはそれほど連続的ではないが、歌とスケッチが緻密に組み合わされた演出で、いくつものキャラクターを演じ分け、衣装替えをして出たり入ったり、歌ったり喋ったりで息つく間もない(文末に動画)。同じような調子で続けることは難しいと判断するに至ったのだろう。もしかしたらコロナでステージ活動ができなかった期間が、そのような「冷静な」判断をする時間になったのかもしれないと想像したりもする。

 

諦めきれないファンとしては、やや詰め込み気味にも思える演出を見直せば、質を落とさずに体力的に持続可能なステージも可能じゃないかと考えてしまう。それに声はまだまだ衰えていないので、歌だけでも聴かせてほしい。

 

もちろん、勝手な願いである。

 

筆者がさよなら公演に行く予定は、現時点では、ない。移動が解禁となった今、そろそろ考え始めてもいるが、もし行ったとして「今生の別れ」の場で彼らに向かって笑顔で「さよならそしてありがとう!」と言える心の広さも根性も度胸も自分にはなさそうで、躊躇している。幸いツアーは「皆さんが求めてくれる限り続ける」とのこと。スケジュールも2024年5月まで入っている。迷う時間はまだまだありそうなのが救いだ。

 

レ・フレール・ジャック引退公演より「ジャム」(La confiture)

 

シャンソン・プリュス・ビフリュオレ、2017年アジャン音楽フェスティバル予告編

 

 

君と僕の間に(カヴァー)

Entre toi et moi(君と僕の間に)はベルギー出身のシンガーソングライター、ジュロ・ボカルヌ Julos Beaucarneのナンバー。シャンソン・プリュス・ビフリュオレがこのカヴァー版を動画サイトにアップしたのは、ボカルヌが2021年9月に亡くなったわずか4日後のことだった。歌詞大意は動画の下をご覧ください。

 

 

歌詞大意:

君と僕の間に、君が望むなら

何かあるはずなんだけど

もしかしたらそれは大したことでも

たくさんでもないけれど

もしかしたら薔薇色の彼方に沈む太陽

もしかしたら狂人のような人生の中の一休み

もしかしたら狼のようなこの人生の中の一休み

狼たちはもうアルデンヌの森にいない

残っているのは狐たちと猪たち

夜が延々と続く時には、みみずくの声が

闇の果てから聞こえてくることがたまにある

一緒に歩む道はどこ

ポプラの葉は僕らの頭上になびいている

僕と君を除いて世界中の鳥たちは

とっくに巣作りを始めた

君と僕の間に、君が望むなら

何かあるはずなんだけど

もしかしたらそれは大したことでも

たくさんでもないけれど

 

オリジナルは1976年リリースのアルバム Les Communiqués Colombophiles(伝書鳩のコミュニケ)に収録されているが、その前年にボカルヌの妻がナイフで惨殺されるという悲劇が起こっている。聴き比べてみると、リズミカルで楽しげなビフリュオレ版と印象はかなり違う。もしこの曲の「君」が亡くなった愛しい人のことだとしたら、たくさんあるボカルヌの楽曲の中からこの1曲を選び、あえて陽気なアレンジで友へのオマージュとしたビフリュオレの心情が偲ばれる。