はろ〜、もっちーですニコニコラブラブ

 

11月3日の文化の日は、

大正時代の初めに生まれた、

 

父方の祖父の15回目の命日でした。

 

(大正期の日本橋:西田繁造「日本名勝旧蹟産業写真集. 関東地方之部」国立国会図書館

 

私は祖父と生まれてからずっと

一緒に暮らしていて、

 

何でも知っている祖父に

いろんな質問をする孫でした。

 

祖父と孫、暇な者同士で、

テレビを見たりゲームをしたり、

とっても仲良しでした。

 

友達からは、

「まるちゃんと友蔵みたい!」って

よく言われていました(笑)

 

若い頃、東京に暮らし、

万葉集を愛し、釣りを愛し、

山を愛した祖父は、

 

モダンボーイで洒落がわかって、

教養があって優しくて、

 

私は怒られたことが、1回もなかったです。

 

百人一首を一緒にやっていて

 

「からくれないにみずくくるとは」

(から紅に水くくるとは)

 

の札を読むときは必ず、

 

「からくれないとはケチなとうふや」

(おからをくれないなんてケチな豆腐屋)

 

という替え歌で読んだり、

 

『はぐれ刑事純情派』を見ていて

犯人を「待て〜!」追うシーンでは

 

「待てって言っても、待つわけないだろう」

とぼそっとツッコミを入れたり。

 

主役の藤田まことに似ていると言われて

照れくさそうにしていたのも覚えています。

 

そんな祖父は水瓶座で、

 

新しいモノや経験が大好きだったので

お出かけに誘うと必ず来てくれました。

 

当時は珍しかったスーパー銭湯に

 

運転免許取り立ての私が誘うと

二つ返事で来てくれました。

 

ホカホカになった二人が車で帰るとき

湯気?でフロントガラスが曇ってしまい

 

焦って祖父に「どうしよう〜」と聞いても

祖父は笑うだけで

 

私はとっても焦ったのですが…

 

戦争経験者の祖父にとっては、

そんなの、どーってことないこと

だったのでしょうね(笑)

 

祖父が開園したての

東京ディズニーランドに行ったとき、

 

イッツ・ア・スモール・ワールドの

アトラクションで目を丸くしていたと

 

父が楽しそうに教えてくれました。

 

燃えるような紅葉だった

京都の神護寺では

 

祖父がどんどん歩いていくので

私は少し心配になりました。

 

祖父は、戦時中の満州で足を痛めたため、

正座をすることができませんでした。

 

そして、歩き方に独特のクセがありました。

 

(2003年新潟・越前浜)

 

ちょうど20年前のこの写真でも

少し足を引きずるように歩いていますね。

 

1914年(大正3年)に生まれて

2008年(平成20年)に亡くなった祖父は

 

一兵卒として戦争を経験しています。

 

ウクライナ、イスラエルに続き、

台湾有事が現実味を帯びてきた今、

 

徐々に戦争に巻き込まれていった

祖父の人生について書いてみたくなりました。

 

よかったら、お付き合いくださいね😊

 

祖父は、北海道の小樽で生まれました。

 

祖父の父は福井の出身なのですが

北海道に渡り結婚、祖父が生まれました。

 

北海道に渡った理由はわかりません。

 

祖父が戦後、自分の父のルーツを求めて

福井を旅しても、分からなかったそうです。

 

恐らく、貧しい農家の、

次男や三男だったからかと思います。

 

明治時代、農家の次男以降は、

奉公に出るか、婿養子に入るかという

選択が一般的だったようです。

 

祖父の父はきっと、

奉公のあと、新天地を求めて、

北海道に渡ったのではないかと思います。

 

そして祖父も、

成長した後は東京に行きました。

 

なぜ東京に行ったのか?は

再びナゾなのですが…

 

こちらによると、

 

第一次世界大戦の特需で景気のいい

都市部へと農村から行く人が多かったそうです。

 

その流れに乗ったのかな。
 

サラリーマンと呼ばれる人々が現れたり、

東京駅駅舎が建築されたり、

 

上野公園では東京大正博覧会が開催されたり、

宝塚歌劇団の初演が行われたりと、

 

華やかな出来事がいくつもありました。
 

また、ビアホールのほか、活動写真や

カフェーなど娯楽施設が発達し、

 

新しい文化が形成された自由な時代でした。

 

そんな東京で、祖父は、

文化流行の発信基地だった、

あの『高島屋』で働いていました。

 

この頃、祖父は20代前半。

 

多分、人生の中で、一番

楽しかったのではないでしょうか。

 

テレビでお宝鑑定団が流行ったとき

昔の少女歌劇団の写真が高値で取引されていて

 

祖父がボソっと「惜しかったなぁ」と

言ったのを覚えています。

 

すかさず、「なんで??」と聞いたら、

自分も写真を持っていたとポーン

 

東京にいた頃にお金をためて

買った写真が沢山あったそうです(笑)

 

だけど…

「空襲で燃えちゃったんだよなぁ」と。

 

「えぇ!空襲!?

おじいちゃん、空襲体験してるの??」

 

とけっこうビビりました。

 

祖父の高島屋時代の話、

いろいろ面白いんですよ!

 

あの超有名人に着物を届けにいったとか…

 

長くなるので、続きます!

皆さん今日も素敵な一日をニコニコ

 

お読みいただき、ありがとうございましたラブラブ
 
 

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宝石ブルー望月恵理子 プロフィール

小4で占いに目覚め、2020年に西洋占星術と心理学のセッションを始め、現在までに、50名以上の方とセッション、90件以上の鑑定書を作成。また、公立中学校で発達障がいや不登校などの生徒の支援もしている。西洋占星術・四柱推命・心理学・コーチングをベースにしたセッションは「私を現実的に動かしてくれる!!」など、多くのご感想が寄せられている。

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