華麗なるヲタ族 ~哀と自虐に満ちた独り言の日々~ -23ページ目

華麗なるヲタ族 ~哀と自虐に満ちた独り言の日々~

ヲタクで変人、社会のはみ出し者を自称する広島のアウトロー【クズノキワミオヤヂ】が戯言・寝言・妄言・世迷言・虚言・失言・暴言などをグダグダ垂れ流す独り言ブログです。

タイトルからして既に不穏な臭いですが、実は先週の日曜日、市内の繁華街(中四国最大のあそこ。東京で言う“歌舞伎町”みたいな感じ?)にあるクラブにて今月で誕生日を迎える私の誕生日祝いの帰りに起きた不運な話。

いつの記事で触れたか忘れましたが、ここのクラブのママは2つ年上の幼なじみになる“お文さん”(←幼なじみのテルボーの実の姉貴)という肝っ玉のデカいママ──自称“○○(←繁華街の名前)一番の美人ママ”──が切り盛りしていて、この日はクラブを貸し切り状態にし、親しい人間(幼なじみを始め、中高時代の元不良仲間や悪友、幼なじみ繋がりの旧友)が集まり、少し早い誕生日パーティーを開いてくれました。

集まった人の中には顔見知りのホステスさんも数名駆け付け、持参した手料理(巻き寿司や煮物)を差し入れてくれました。

これでも一応、高級クラブ(会員制)に部類されるお店のはずなんですが、お文さんの竹を割ったような豪放磊落な性格やクラブの経営方針もあり、そういった本来敷居の高いクラブには似つかわしい、庶民的でアットホームな雰囲気のお祝い、気心の知れた人間だけの集まりなことから、お堅い場所や空気が苦手な私も変に緊張しなくていい場所です。





んで、ちょうどこの日は待ちに待った万年筆の名入れ刻印が無事に終わり、購入した文具店でこれ↓を受領。





買ってもらったのは広島東洋カープの25年振りのセ・リーグ優勝を祝した数量限定の万年筆。

その足でお文さんのクラブに顔を出し、ワイワイガヤガヤと楽しくお食事タイム。

アルコールも回って非常に気分が良くなった頃、飲食の最中に再びプレゼントの万年筆を取り出してプレゼントを披露。

集まったメンバーの中には万年筆を買ったことがない、使ったことがないという人がほとんどな上、地元でもとにかく話題のカープの優勝記念の万年筆の実物だったので、皆しっかりと万年筆に食い付いて来ましたのでますます気分はアゲアゲ↑↑↑

そうこうしているうちに夜も11時を過ぎ、終電も近いことからお開きとなりました。

ここまでは良かった。

問題がその帰り。





ほろ酔い気分で近くの電停まで友人に肩を貸してもらいながら歩き、広電に乗ってから広島駅まで戻り、ここで友人と別れて汽車に乗って地元の玄関口たる駅で降り、タクシーを拾って自宅に帰ったのですが、翌朝になって文具店の厚手の小さな紙袋に入れて確かに持ち帰ったはずの万年筆を入れたケースが紙袋の中から忽然と無くなっていて、家中探してもどこにもないことに気付きました…((((;゜Д゜))))

それだけでなく、上着のポケットに入れていた免許証とPASPY(広島地域で使える交通系ICカード)、プリペイドカード(※乗車カードの残高分、未使用の図書カードとQUOカード、合わせて約8,000円相当)が入った免許証入れも無くなっていました……。

ちなみに上着の反対側の内ポケットに突っ込んでいたタクシーのチケット(※普段利用するタクシー会社のタクシーで精算時にタクシー代と固有のIDを書き込んで運ちゃんに渡してその場では払わず、後日決済する小切手みたいなもの)とケツポケットに入れていた小銭(数百円)だけは残っていました。

店を出る時、広電に乗った時は確かに紙袋の中に入っていた、免許証入れも上着の内ポケットにボタンを留めて入れていたのは覚えているのですが、汽車に乗った後は酔いと電車の心地良い揺れから普段は公共交通機関では寝ない私はつい眠くなって少し寝てしまい、タクシーに乗った後も完全にイビキをかいて寝ていた(らしい)ことから、この間は記憶が曖昧、覚えていないため、おそらく汽車とタクシーに乗ってる間に万年筆と免許証入れをどっかにやってしまったらしい。

汽車に乗る時に紙袋の中身は確かに確認したし、免許証入れもしっかり仕舞っていたから落としたとは考えにくく、真っ先に“置き引き”を疑いました。

それから朝一番で最寄りのポリ署に置き引きにあったかもしれないと相談したのち、念のため汽車とタクシーに電話して落とし物がないか問い合わせてみましたが18日現在、未だ見つからず…。





今年は苦しい家計の中、ひよこ(従姉)がせっかくプレゼントしてくれた割合高価な万年筆、名入れ刻印で結構待たされてやっとの思いで受け取ってウマウマホクホク気分だったのに、一転して悲しみと悔しさのどん底に叩き落とされ、万年筆を無くしてから今日までずっと凹んでおります……(泣)

万年筆もそうですが、免許証とPASPYを失ったことで日常生活にも影響が出たのは言うまでもなく、まだ万年筆を失った悲しみの傷が癒えぬまま免許証の再発行とPASPYの買い直しなどでリハビリが1日潰れ、通所にも支障を来しましたよ…。

断定は出来ないけれど、置き引きに遭うのは未遂も含めれば人生で6回目──日本国内ではこれが初めての経験(※過去にビルマとマレーシア、インドネシアで各1回、アメリカのハワイとカリフォルニアで各1回)。

若い頃はじい様の戦没者慰霊祭の付き添いや射撃旅行で東南アジアやアメリカに何度も渡航した経験(と置き引き被害)から防犯意識が養われ、日本に住んでいても常に気を張って生活していたつもりですが、心のどこかでは“日本は世界的に見れば治安はかなり良い方だ”“まさか自分が…”という意識や、誕生日祝いとお酒で気が緩んでいたことが仇となってしまいました…。





実は、万年筆を買ってくれたひよこには免許証入れを無くしたことは話しましたが、万年筆を無くしたことは未だ言い出せず、ずっと黙ったまま…。

先述の通り、苦しい家計の中で彼女がやりくりして買ってくれた高価な万年筆を名入れ刻印が終わって受け取ったその日に無くした(盗られた)なんて、私の口からはどうしても言えません………。

「万年筆は??」と聞かれた時の対応はどうするのか?

バレないように同じ万年筆を買ってその場を凌ぐか?

いやいや…そもそも数量限定の万年筆で既に完売しているし、仮にまだ売っていたとしても、今の万年金欠病の私が定価で買えるワケないじゃないか?

似たような万年筆を買って誤魔化そうにもデザインがかなり特徴的で見た者の印象に
強く残る万年筆だったし、この万年筆を選んで買ってくれたのは彼女──絶対に誤魔化せるワケがない。

つーか、完全に無理ゲー、アウト、詰んでるし…。

本当にどうしたものか…………。





自分のゼニで買ったものを無くす・盗られるのは完全に自己責任であきらめも付きますが、人からプレゼントされたものとなると何とも言えない罪悪感に苛まれ、夜布団に入る度になかなか眠れない今日この頃です……。
リハビリと併せ、毎日右手で字を書く練習をしているのですが、利き手(左手)じゃない手で字を書くって難しいですね……。

↑本日3枚目に突入。汚すぎ&内容がカオスな点が執筆者は病気…。



遅くても年内中には例の万年筆の名入れ刻印が終わって帰ってくる予定なのに、これじゃあせっかくの高価な万年筆も落書き用途(笑)に使われては宝の持ち腐れ、資源の無駄遣い……。

左半身に麻痺があって利き手じゃない手で今からペン習字を習うのは無謀だろうか………(-_-)
私が高校時代に通っていた男子校にも文化祭(母校では文化祭と言わず“修練大会”と呼んでいた)はありましたが、昭和50~60年代の【校内暴力】が吹き荒れ、社会問題化していた時代背景もあり、私が入学した時点で校内の壁には至るところに落書き、教室の窓ガラスも大概に叩き割られ、校庭や校舎をバイクが走る、職員室で消火器が撒かれる、4階建ての校舎から石油ストーブが体育教諭の自家用車に落とされて引火黒焦げのスクラップという有り様で、喧嘩や傷害沙汰が日常茶飯事、至るところでアンパン(シンナー遊び)の臭いが立ちこめ、不良どもが「ヒャッハー!!」と我が物顔で跳梁跋扈する、さながら北○の拳状態──文化祭が無期限凍結された状態が続いていたらしく、私が1~2年の時は文化祭がなかった(汗)

氷河期世代(団塊ジュニア世代)の私より上の世代(新人類と呼ばれた“バブル世代”よりもうちょい上の  “団塊世代”“しらけ世代”)のOBは60年安保と70年安保の2度の【学生運動】や【学園紛争】とかで母校の学校行事が中止に追い込まれることもあったようですが、まぁ、私が通っていた年代の文化祭は今のような和気合いとした甘酸っぱい青春なんて無かったです(※ツッパリばかりの男子校だったし)。

なので、文化祭の思い出といえば、ひよこ(従姉)が通っていたお嬢様学校であった文化祭に吹奏楽やお琴の演奏、生け花の展示を彼女とその友人5~6人に取り囲まれながら校内を回って歩き(※)、乗馬クラブの試乗コーナーで手綱を執って乗馬したり(※当時の我が家は馬を飼っていて、私自身も子供の頃に習い事で乗馬を習っていた)、茶道部の茶菓子や出店の肉じゃがやカレーを美味しくいただいたことくらい。

※基本的に家族(兄弟)以外の男は親戚であっても出入りが原則制限されていましたが、彼女と私は苗字や住んでいる住所が同じだったことから、事情をよく知らない学校側からは私は“顔の似ていない双子の弟”と誤認し、“家族枠”でまんまと文化祭に出入りしていました←

ちなみに近年の我が母校は以前のような不良の溜まり場ではなくなり、偏差値も上がってイメージが良くなったこともあり、健全な文化祭となっているようで、毎年賑わってるとか。
昨日のカープの優勝パレードで無理して歩いて筋肉痛&下手こいて捻挫したから足がボロボロ…(泣)

便所へ行く回数減らしたいからあまり飲まないようにしてるけど、この時期はトイレが近くなるからたいぎげな。

せめて右足の捻挫さえ収まってくれれば……。

去年は野暮用で行けなかった海田市駐屯地の創立記念行事に今日は行きたかったんだがなぁ…(_ _)
今日はカープの優勝パレードを観覧すべく、パレードに行ってきた。

日本シリーズこそ逃してしまいましたが、25年振りのリーグ優勝で華々しい活躍をした今年のカープはファンや広島市民に多くの感動と興奮、夢と希望を与え、地元を心理的にも経済的にも大きく盛り上げてくれたことに変わりはないですから、カープの雄志と優勝の余韻を私も味わいたくて…。





なお、今回はカープの優勝を全く知らない平成世代の従甥たちにも味わってもらうべく男3人で行ってきました。

ちなみに私はカープの優勝は日本一を1回(昭和59年)、リーグ優勝を3回(昭和59年、昭和61年、平成3年、そして今年を含めて4回)ほどリアルタイムで経験していますが、昭和50年の1回目の優勝パレードは経験していない(※当時は未就学児だった上、広島ではなく長崎の壱岐に住んでいた)。

なので、41年振りのカープの優勝パレードを観るのは従甥たちと同じく今回が初めて。

この点では従甥たちと同じ新鮮な気持ちでパレードを観覧出来るのが楽しみでした。




















超絶大混雑の戦場(げんち)に着くまでは…。




















混雑が予想されるこの日はパレード(10:30~11:15)が始まる5時間くらい前に家を出て7時過ぎに広島駅に到着。

広島駅を経由して新白島駅でアストラムに乗り換え、県庁前に到着。

この時点で8時になるちょい前。

観覧で訪れるファンや市民は広電(市内電車)に乗って平和大通り近くの電停まで出てくることから広電に乗ってはかえって混雑に巻き込まれることから、徒歩を選択。

体力が落ちている私でも平和大通りまで杖を突きながらえっちほっち歩いて行けばせいぜい1時間(健常者なら30分も掛からん)。

パレード開始の1時間半くらい前には平和大通りに出て観覧出来る──そう踏んでいたのですが、甘かった…。

土曜日ということで普段も人は多いっちゃ多いんですが、思っていた以上に広電の沿線を挟む歩道には既に赤に身を包んだカープファンが多く歩いていて、この時点で既に混雑の兆し。 

そして「気合いを入れて歩いちゃる!」と息巻いていた私が歩いて10分もしないうちに息が上がってしまってバテるのが早く、なかなか思ったように歩けず←

更に運の悪いことに歩いてる途中で足をつってしまい、その弾みで5mmもあるかないの歩道のブロックの段差で派手にすっ転んで足首を捻挫という想定外のアクシデント…。

健側の右足をやってしまって全く歩けなくなってしまったことから、上の従甥が最寄りの車椅子の貸出所から車椅子を持ってきてもらい、車椅子を押してもらいながら平和大通りを目指すもこの時間ロスで完全に出遅れ。

平和大通りに抜ける道路の目の前は牛馬の如く詰めかけたカープファンや市民で埋め尽くされ、引き返して別のルートを進もうにも退路も断たれて身動きが取れず、寿司詰め状態に陥る…(´Д`)

そうこうしているうちに遠くからパレードの車列が通り過ぎていくのが見えた瞬間にはもう時既に遅し…。

車列が遠く彼方に行ってしまったので観覧の終わった人、別のポイントへ移動する追っかけの人集りが数千人規模で怒涛の人波となって逆流し、どどどーっと押し寄せてくる(←軽くブルった…汗)ものですから、結局大通りには1歩も辿り着けず、観覧はおろか写真どころではなかった…(_ _)

つか、広島のパレードやイベントでこんなにブチクソに鬼な混雑を目にする、経験するのは生まれて初めて。

それは従甥たちも同様だったらしく、真っ赤な嵐が去った後、男3人情けなくベンチに座り込んで「「「疲れた……」」」の一言…(苦笑)





結局優勝パレードは遠くでちょっと見切れた感じで見えただけでまともに観覧は出来なかったんですが、まぁ、優勝パレードの盛況や熱気はこの超絶大混雑からも十分伝わって来ましたし、私が足を引っ張ったせいで観覧出来なかったのは申し訳ないと思い、普段は外食嫌いの私ですが、帰りに市内の百貨店のちょっと小洒落たレストランに従甥と立ち寄り、カープの話題でああだこうだしゃべりながら外食をしてきたので、それもまた良い思い出にはなりましたよ。

また来年以降、カープが優勝ないし日本一を決めた時に優勝パレードをするかどうかは分かりませんが、もしカープの優勝パレードがこのまま恒例化して優勝の度にパレードが行われるのであれば、次こそは男間近で観たいものです。





なお、今回は喘息で体調が悪かったじい様はインフルエンザや肺炎を心配して優勝パレードの観覧は控え、自宅でテレビ中継を見守りました。

「年寄りが行ったら足を引っ張る」「ボウズら(従甥たち)の迷惑になる」と言っていたけれど、出来ることなら無理してでもじい様を優勝パレードに連れていてやりたかった…。

今年で108歳となり、年齢的なものを考えればカープの優勝パレードを観られるのはこれが最後でも不思議ではない高齢なので、私の身体が満足に動けば車椅子を押してでも、背負ってでも連れていてやれたのに、それが出来ない・出来なかったことが本当に悔やまれます。

次こそは男4人、三世代で優勝パレードを観覧出来るよう、これからもリハビリに精を出しますよ。




一週間ほど前の記事でチラッと載せた安物万年筆の話。

今回はこちらから紹介。



日本の老舗万年筆メーカー、プラチナ萬年筆の【プレピー】といいます。

万年筆と聞いておそらく今の10~30代には馴染みが薄いかもしれませんが、私が学生時代(30年以上前)、中学・高校への進学祝いの定番として親や親戚から万年筆を贈られることがままありました。

私の場合は家庭の事情(←父親が入学祝いのゼニを全て舟券に使い込みやがった!怒)でじい様からお下がりの万年筆(戦前のナチスドイツで買った年代物のモンブラン)を中学の時にもらい、周りの友人にも万年筆を日常の筆記具として使っている者もまだ少なからずいました。

私くらいの年代がおそらく中高生で万年筆を“実用文具”として使っていた最後の世代だったかもしれません (※それ以降はほぼボールペンに置き換わり、手書きからキーボードを使うワープロが普及した) 。



まぁ、そんな昔話はさておき、過去に万年筆を使っていた世代には万年筆といえば黒い樹脂軸に金色の金属部品(ペン先やクリップ)を使ったいわゆる“仏壇カラー”のイメージが強いため、このプレピーは一見して万年筆には見えない風体をしています。

ちなみにお値段はたったの0.2kという驚きの安さ!

100均なんかで売ってる出所不明の支那製万年筆を除けばおそらく国産最安価な万年筆だと思われます。

ボールペンにありがちな透明軸、機械で打ち抜きっ放しみたいな味も素っ気もない極めて工業的な作りのステンレス製の小さな鉄ニブは見るからにチープな臭いがプンプンします(苦笑)

しかし、この200円ほどの鉄ペンには万年筆の最大の弱点であるペン先の乾きを防ぐ【スリップ・シール機構】が備えられ、通常の万年筆ならインクを入れて1~2ヶ月も使わないとインクが乾いて書けなくなるのに対し、このプレピーはキャップさえしっかり閉めていればインクを入れたまま1年くらいはペン先が乾かないという非常に有り難い仕様が付いています。


そしてこのプレピーのペン先のペンポイントには高級万年筆と同じ対磨耗性に優れる“イリドスミン”というイリジウムとオスミウムの合金が使われていることから、200円の万年筆とは思えないスルスルとした書き味で、これがなかなか書きやすい。

昔使っていたモンブランや手元にあるパイロットエリートSほどのしなり(弾力性)はないのですが、変な引っ掛かりもなく、実に滑らか(※)。 

※ただ、細字のF(0.3)という表記の割にはやや字幅が太い(細字と中字の中間に位置する“中細”くらい?)点はやや期待外れでしたが、この点を除けば良好な書き味なので、紙質や筆記の角度、筆圧に気を付ければ全く問題ないです。

確かに見てくれに高級感の“こ”の字もないし、ペン先を見ないとやけに太軸なボールペンみたいにも見えるため、正直これで万年筆だなんて名乗るのも恥ずかしいくらいのチープさ(←めっちゃ失礼)です。

しかし、軸は適度な太さ、軽量ながらも重量バランスもそんなに悪くなく、鉄ニブとは思えない滑らかな筆記と合わせ、筆記時に疲れを感じさせない点は大変よろしく、これなら普段使いにはもってこい。

ネットなどのレビューでは「万年筆を使ってる感じがしない」「水性ボールペンみたい」という意見もありますが、オイラの個人的な感想としてはこのプレピーでも“低筆圧で滑らかな書き味”を味わえることから、万年筆らしさは十分感じられました。

見栄を張るなら質感の良い高価な万年筆も世の中いくらでもありますが、完全に実用本位で考えるとプレピーはコストパフォーマンスの良い万年筆になるでしょうね。

このお値段なら仮に壊しても無くしても買い換えは利きますし、幸いなことに地元の古い文房具屋にもカートリッジを含めて取り扱いがあるため、入手性も良いことから、今後はボールペン代わりの筆記具としてガシガシ使っていきますよ。

しかし……高い万年筆はプレゼントでもらったからいいものの、それを自分で買わなくて良かったと、つくづく思います←
今更だけど、2日前の日本シリーズ第6戦で日公が10年ぶりの日本一を決め、鯉は32年振りの日本一が 夢とまた消え、あれだけお祭り騒ぎだった地元はまるで嘘のようにパタリと静まり返り、さながら通夜のような雰囲気になっております…。



こういう手の平を返したような【熱しやすく冷めやすい】気質は良くも悪くも如何に広島県民らしいが、セ・リーグ、クライマックスの優勝から始まり、日本シリーズの緒戦には地元マツダスタジアムで2連勝した時は「今年こそ鯉の日本一を拝めるかもしれない」とファンや地元民は大きな期待を寄せ、固唾を呑んで日本シリーズを見守りましたが、試合が北海道の札幌ドームに移ってからはことごとく連戦連敗…。

鯉も必死に食い下がり、健闘はするものの日公の日本一の王手が掛かった最後の第6戦、8回表に日公に大量点を叩き込まれて大差を付けられ、力及ばず……。

引退を控えていた黒田投手の第7戦の登板は幻と消え、黒田投手に日本一の花道と美酒をもって送り出すことはついに叶わなかったは鯉としては残念だったでしょう。

しかし、6点もの大差を付けられても鯉は最後まで望みを捨てず、最後の最後まであきらめず戦い抜き、良く頑張りました。

日公も対戦相手ながら誠立派で素晴らしい戦い振りで、鯉を苦しめた日公の選手たちのその高い実力には感服しました。

向こうも10年振りの日本一が掛かっていて、更に鯉と同様に引退を控えた選手もいたことから、日本一を目指す気持ちや意気込みは鯉と一緒だったわけですから、こればっかりはどっちが勝っても負けても恨みっこなしでしたよ。

日公の日本一が決まった時、テレビ中継で映された鯉の観客席にいたファンからも自然と日公に対する祝福の拍手が巻き起こったのも、素晴らしい試合を繰り広げた日公への純粋な“敬意”からだったんだと思います。

32年振りの日本一は逃してしまいましたが、長い低迷時代が続き、弱小球団と罵られてきた鯉が25年振りのリーグ優勝を皮切りにクライマックス、日本シリーズの晴れ舞台まで躍り出て、もはやかつての弱小球団とは違うんだということを日本全国に知らしめた今年の鯉の活躍は広島県民、ファンにたくさんの感動と興奮、活気を与え、とって良い励みになりました。

鯉の若手選手もリーグ優勝の旨味や大舞台での試合は良い経験になったはずなので、この日本シリーズを含めたこの平成28年は決して無駄ではなかったと私は信じたいです。

来年からは黒田投手はいないし、これから鯉のベテラン勢の中から引退される選手もチラホラ出てくるでしょうから、今年活躍した若手・中堅の選手たちには来年に向けてしっかり頑張ってほしいものです。

オイラは今年、鯉にはたくさん励まされ、いろいろと“夢”や“感動”を見させてもらったので、25年振りのリーグ優勝、日本シリーズ進出を祝して何か記念になりそうなものを買おうかなんて考えてます。

日本一は無くなっても鯉への感謝セールは昨日から始まっているため、割引が良い時に買い物はしておきたい(笑)

何だかんだっていって今年の鯉の活躍で地元の経済効果は相当なもので、百貨店やスーパー、銀行なんかは結構潤っているらしいから、地元経済を回すためにも気分がいい時に買い物をして地元に貢献しよう(*´ー`*)
鳥取で起きた地震から一週間以上が過ぎました。

震源地に近かった鳥取の親戚(じいさん、ばあさん)ですが、地震から3日後に連絡が付きました。

何でも、自宅(茅葺きの古民家)は全壊したものの、ちょうど地震のあったその日の朝から老人会の慰安旅行か何かで四国へ行っていて家を空けていたことから無事だったらしく、現在は山口県の岩国に住む娘夫婦のところへ身を寄せているらしい。

鳥取の親戚宅は古き良き日本の農村部にありがちな趣のある古民家で、周囲は自然も多くてキレイな土地だっただけに、あの古民家が無くなってしまったのは残念でなりませんが、じいさんとばあさんは無事だっただけでも不幸中の幸い。

もし慰安旅行に行ってなかったら終日自宅に居たはずなので、下手すりゃ2人とも下敷きに──だったわけですから……。





岩国の娘夫婦の家にいるというなら、見舞いを届けるのも兼ねてちょっくら会いに行こうかなんて考えています。

2年前に我が家が土砂災害で被災し、自家消費用に作っていた田んぼがダメになった時に米農家であるじいさんとばあさんがお米を1年分タダで都合してくれた恩義がありますので、岩国から地理的に一番近場に住んでいる親戚の我が家としてもこちらに出来ることがあれば遠慮なく頼ってほしい。

【遠くの親戚(=血縁)より近くの他人(=地縁)】なんて言葉もあるけれど、地域の繋がりが昔に比べて希薄になりつつある無縁社会の現代とあってはもはやこの言葉も当てはまりにくいのも事実だし、こういう景気の悪い時代、自然災害の発生リスクが上がっている今だからこそ親戚同士の相互扶助は蔑ろには出来ないと、最近は強く思うようになりましたからね。
今まで使っていた粗品ボールペンが利き手ではない右手、筆圧の弱さもあったりで使いにくかったり、長らく使っていなくてインクが詰まって書けなくなったりしていた頃だったので、ブログからノートへの物書きに切り換えて行くにあたり、思い切って筆記具を新しく新調。


と、言っても…既に使っているパイロットエリートS(父親の遺品)に加え、ひよこ(従姉)から誕生日プレゼントで買ってもらった万年筆の名入れが終わるのを待つ間に数百円程度の安っちぃ万年筆を試験的に購入しただけなんですがね…(苦笑)

まずは1kにも満たないこの2本をお買い上げ。

この2本は日常使いのボールペン代わりになりうるのか…?

最近、公衆電話、使った?

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実は地元にある仮設の集会所に隣組が設置している公衆電話(民営化する前の電電公社時代の赤電話)を今年の9月1日の防災の日に警察と消防との訓練の一環で使いました。

本来なら災害専用の【特設電話】を用意するのですが、仮設の集会所(プレハブ)を構えるので精一杯なほど資金的にも余裕のない小さな隣組の厳しい台所事情もあり、余剰になっていた既存の古い公衆電話を転用して災害時に優先的に使える特設回線に切り換えて使う方法で対応し、特設電話の回線の繋ぎ方もおさらいしました。

しかし、びっくりしたのですが、最近の若い子(特に都会っ子)は公衆電話を見たことがない、使い方が分からないという人も普通に増えてきているようです…(汗)

我が家の従甥たち(高校生、中学生)も物心付いた頃には既にガラケーがあり、学生になった頃にはスマホを買い与えられて…という、完全なる純デジタル世代。

「これじゃダメだ」ということで、私が昔集めていたテレホンカード(20年くらい前に景品でもらったヤツ)の中から適当に数枚ほど兄と弟に渡して公衆電話の使い方からテレカを常に財布の中に入れておくこと、10円玉は1、2枚は出来る限り手元に残しておく習慣を持つように教えました。

特に中学生の下の従甥はまだガラケーもスマホも持たせていないので、高校生になるまでは万が一の時の緊急の連絡手段として公衆電話は使えないと困りますからね…。

ちなみに私はよくスマホを投げっぱにして外出することがよくあるため、公衆電話はまだたまに使います。

家族や親戚を中心に50人くらいなら相手の家電と携帯の番号は全て頭に入っているので、アドレス帳も要らないです。