文化祭の思い出 | 華麗なるヲタ族 ~哀と自虐に満ちた独り言の日々~

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ヲタクで変人、社会のはみ出し者を自称する広島のアウトロー【クズノキワミオヤヂ】が戯言・寝言・妄言・世迷言・虚言・失言・暴言などをグダグダ垂れ流す独り言ブログです。

私が高校時代に通っていた男子校にも文化祭(母校では文化祭と言わず“修練大会”と呼んでいた)はありましたが、昭和50~60年代の【校内暴力】が吹き荒れ、社会問題化していた時代背景もあり、私が入学した時点で校内の壁には至るところに落書き、教室の窓ガラスも大概に叩き割られ、校庭や校舎をバイクが走る、職員室で消火器が撒かれる、4階建ての校舎から石油ストーブが体育教諭の自家用車に落とされて引火黒焦げのスクラップという有り様で、喧嘩や傷害沙汰が日常茶飯事、至るところでアンパン(シンナー遊び)の臭いが立ちこめ、不良どもが「ヒャッハー!!」と我が物顔で跳梁跋扈する、さながら北○の拳状態──文化祭が無期限凍結された状態が続いていたらしく、私が1~2年の時は文化祭がなかった(汗)

氷河期世代(団塊ジュニア世代)の私より上の世代(新人類と呼ばれた“バブル世代”よりもうちょい上の  “団塊世代”“しらけ世代”)のOBは60年安保と70年安保の2度の【学生運動】や【学園紛争】とかで母校の学校行事が中止に追い込まれることもあったようですが、まぁ、私が通っていた年代の文化祭は今のような和気合いとした甘酸っぱい青春なんて無かったです(※ツッパリばかりの男子校だったし)。

なので、文化祭の思い出といえば、ひよこ(従姉)が通っていたお嬢様学校であった文化祭に吹奏楽やお琴の演奏、生け花の展示を彼女とその友人5~6人に取り囲まれながら校内を回って歩き(※)、乗馬クラブの試乗コーナーで手綱を執って乗馬したり(※当時の我が家は馬を飼っていて、私自身も子供の頃に習い事で乗馬を習っていた)、茶道部の茶菓子や出店の肉じゃがやカレーを美味しくいただいたことくらい。

※基本的に家族(兄弟)以外の男は親戚であっても出入りが原則制限されていましたが、彼女と私は苗字や住んでいる住所が同じだったことから、事情をよく知らない学校側からは私は“顔の似ていない双子の弟”と誤認し、“家族枠”でまんまと文化祭に出入りしていました←

ちなみに近年の我が母校は以前のような不良の溜まり場ではなくなり、偏差値も上がってイメージが良くなったこともあり、健全な文化祭となっているようで、毎年賑わってるとか。