頭の中が自己否定でいっぱいだった私が、深く愛されていた理由。
モテるのは簡単。愛されるのは難しい。そんな思い込みを、私はずっと持っていた。だけれど振り返ってみると、彼氏が途切れることは、ほとんどなかった。もちろん、自分が納得できない人とは、あえて付き合わない期間もあったけれど。私が外地ベースのCAをしていた頃。彼が日本、私が海外の、遠距離恋愛をしていた時も、毎月、彼が休みを取って、会いに来てくれていた。なぜか、欠乏状態で頭の中が自己否定でいっぱいの時も…深く愛されていたんですよね。その理由が、ようやく言語化できたので、今日は3記事に渡って、シェアしていきます。深く愛されるって、もっと自然なことだったのかもしれない♡深く愛された理由の根底には、“自分の可能性を、どこかで信じていた心”が、あったんだと思う。なぜか私は昔から、「私の人生、こんなもんじゃない」そんな雑草魂みたいなものを、心のどこかに持っていた。だから、理想に見合う自分で在りたくて、気づけば、夢中で自分を磨き続けていた。当時は、“類友の法則”という言葉に出会っていたから、「自分を磨けば、 その波長に合う人が 現れるんだ🥹💖」って、当時の私は本気で信じていた。そして、本当に現れた。不思議だけれど、当時の私は、自分の価値を信じきれていたわけじゃない。むしろ、自己否定でいっぱいだった。それでも、0.0000001ミリでも、「私の人生、こんなもんじゃない」そう信じていた、おかげかな。今思えば、当時の私は、“自分には、まだ何かある”と、言葉にならないレベルで、感じていたんだと思う。特別な成功体験があったわけでもない。むしろ、かなり厳しい家庭で育った。だからこそ、どこかで、シンデレラみたいな気分だったのかもしれない。“今は灰を被っているだけ”って、信じたかったのかな🥺そして、自分と深く向き合い始めてからの私は、とにかく、“何者かになりたくて”仕方なかった。恋愛本も、ハウツーも。愛されている人を観察しては、必死に真似していた。今思えば、自分を心底愛しきれていなかったからこその、ハングリー精神だったんだと思う。“欠乏”って、悪いもののように扱われがちだけれど、私は今、欠乏時期にも、その時にしかない美しさがあったと思っている。もちろん、「こんな私だからダメなんだ」って、自己否定に使ってしまったら、苦しくなる。だけど、0.0000001ミリでも、自分の可能性を感じられていたら、「もしかしたら… こんな私でも、きっと……!」って、欠乏を、命の燃料に変えることができる。満たされると、欠乏時代ほどの、強烈な欲求って、自然と薄れていくから。欠乏しているからこそのエネルギーって実は特別だったりもする。だから今思うと、あの欠乏時期だからこそ、できたことって、本当にたくさんあった。もちろん、欠乏状態のまま、一生を生きるのは辛い。だけれど、人生にそういうフェーズがあっても、私はいいと思っている。だって、人間らしいから♡ちょうど先日、「弱音を吐くことが苦手って、弱音🥺」という、なんとも可愛くない弱音を吐いたんですけど(笑)その時に、「そう?いいじゃない。不器用ながらに頑張っている姿は、かわいいなって感じるよ」って、言ってもらったんです。その言葉に、心がふわっとほころんだ。0.0000001の可能性に賭けて、欠乏状態で、頑張って、頑張って、生きていた頃って、自分のことを、ダメな人間だと、ジャッジしてしまっていたから。なんだかとても、許された。でも今、確かに当時の私を俯瞰して見てみると、何かに夢中になって、必死に努力している姿って、なんだか、とても愛おしい。見ているこちらまで、応援したくなりませんか?私は年始の箱根駅伝も、沿道へ応援に行く。順位だけじゃない。どの選手も、一生懸命走っている姿に、「がんばれーー!」って自然と声が出る。きっと12年前の私もそう。不器用で、葛藤して、悩みながらも、それでも、一生懸命生きていた。そんな姿を見たら、愛さずにはいられないよなって。振り返ると、感慨深くて、涙が出てくる。今、自分のために努力していますか?今の自分を幸せにするために。婚活、妊活、朝活、推し活。世の中には、いろんな〇〇活動があるけれど。活動の成果に飲み込まれて、それが好きという気持ちを忘れ誰かに勝つことが目標となって…自分の幸せから、離れていってしまっている人も、多いように感じる。世間の幸せが、必ずしも、自分の幸せとは限らない。むしろ、世間の幸せと自分の幸せは「違う」ことの方が、多いのかもしれない。私は、心満ちる瞬間が好きだから。自分を大切にしたり、心を潤わせたり。そんな時間を、ここ数年ずっと楽しんでいる♡そうやって、今の自分に夢中になっていたら…魅力が咲いて、私で在ることの幸せが満ちていき、結果的に、愛する人からも、深く愛されるようになっていった。だから今、頭の中が自己否定でいっぱいでも。心に余裕がなくても。誰かと比べて落ち込んでいたとしても。0.0000001ミリでも、「こんな私でも、きっと…」そう思えるのなら、その小さな希望を、どうか見捨てないでほしい。私は今、あの頃の私を振り返って思う。不器用ながらに、一生懸命生きていた姿は、なんだか、愛さずにはいられないなって。器用に生きようとしなくていい。器用に生きれない自分を責めなくていい。不器用にも、一生懸命生きている女性が、自分のことを、愛おしく思える日が来ますように。だって、あなたも今まで一生懸命生きてきたのだから♡続く・・・