ついに、見つかった。
38年間、追い求めていた"ほころぶ美"
いつからだろう。
私が、自分磨きを好きになったのは。
大学生の頃には、
パーソナルカラー診断に行っていたし、
著者さんの出版イベントや、
気になる場所には、よく足を運んでいた。
元々、好奇心は旺盛で。
だけど、ものすごく臆病で、人見知りで。
毎回行く前に、
「やっぱりやめておこうかな…」と、
引き返したくなることも、何度もあった。
だけれど、
何かがずっと、私を突き動かしていた。
だからここまで、
自分を探求し続けてこられたんだと思う。
インスタグラムで発信を始めた時も、
テーマは「My Self Lesson」だった。
8年前の私は、
まだ"在り方"に辿り着いていなかったから、
当時は、自己価値を上げることこそが、
真の自分磨きだと思っていた。
言葉・思考パターン・行動・習慣を変えて、
理想の未来を手にしようとしていた。
「行動を変えて、運命を変える日」
「口癖を変えて、運命を変える日」
「言葉を変えて、運命を変える日」
「思考を変えて、運命を変える日」
そんなテーマで、
自分磨きについて発信していた。
自分磨きだけは、飽きなかった。
だからここまで、
努力し続けられたんだと思う。
自分を磨くことで、
まだ知らなかった自分の感覚に
出会えることが、楽しかったから。
だから努力を努力と感じなかったし、
周りから見たらストイックだったかもしれないけれど、
私はただ、夢中だった。
だけれど、初期の頃の自分磨きは、
"自分のため"というより、
"誰かに認めてもらうため"
のものだった。
だから、美容もファッションも、
どれだけ追求しても、
どこか満たされなかった。
「こんなにお金も時間も費やしているのに、なぜ…?」
「周りが遊んでいる中、こんなに学んでいるのに…」
そんな気持ちも、ずっとあった。
2016年頃までかな。
それが、
ノートを書く時間を本格的に持つようになってから、少しずつ変わっていった。
自分を知る心地よさを、
体感し始めたんだと思う。
お買い物で満たそうとしていた心が、
自分を知ることで、
少しずつ満たされていった。
今思えば、
私はこの感覚が好きだった。
外側の何かで満たすのではなく、
内側から、
ふわぁっと何かが湧いてきて、
自然と満ちていく感じ。
当時はまだ、
心に穴が空いていたから
完全に満ちることはなかった。
けれど、それでも、
ふわぁっと湧いてくる何かの虜だった。
この頃から、私は
足し算の美より、
引き算の美に惹かれ始めていたんだ。
何かを足すことで輝くのは、
自分自身が輝いているのではなく、
所詮アクセサリーの輝きだ
そう、気づいてからは・・・
とにかく、
引いて、引いて、
本質美を現そうとしてきた。
時に、アクセサリー(外側の何か)が
自分の価値だと思い込んでいた時には、
それを外すことに、
痛みを伴うこともあった。
本質美って、
心の裸体状態のようなものだから。
とても無防備で、
弱さも露呈するから、
怖かった。
それでも、
本質の私で在ることを、
貫いてきて、本当によかった。
本質の私で在ることを許す度に、
「私に生まれてきて、
本当によかった」
という、究極の自己愛が芽生えるから。
そんな私が、
自分満開になってから。
もう、
引くものが、
だいぶなくなってきた。
かといって、
私は"完成された美"を
生きたいわけではなかった。
どちらかと言うと、
スペインのサグラダ・ファミリアのように、
未完成の美を、
楽しみたい派だった。
永遠に完成しないものの中に、
生まれ続ける何かに、
心惹かれていた。
だから、
「引き算が終わった=完璧な美」
という方程式も、
どこかしっくりこなかった。
ずっと、
「なんだろう?」
「なんだろう?」と、
まだ言葉になりきらない、
だけど確かに存在する感覚に、
執着気味なくらい、
こだわり続けていた。
それが、ついに言語化できた…🥹💖
私は、"ほころぶ美"が好きなんだと。
"ほころぶ美"こそが、
私の美学なんだと。
心ほころぶ瞬間を、
愛する人と共有したいのだと。
強い私(完璧な私)で生きるのではなく、
弱い私(不完全な私)で生きるのでもなく、
"今のほころび"を、
共有したかった。
それが、
強さ(美しさ)の時もあるし、
弱さ(愛くるしさ)の時もある。
強い私だけを見せなくていいし、
弱い私を隠さなくていい。
かといって、
弱さを"さらけ出す"必要もない。
ただ、
今ここで、命がどうほころんでいるのか。
それを、分かち合いたかったんだ。
正解も、
完成形も、
愛される姿も、
見せなくていいんだと、
ようやく、心が緩んだ。
愛する人にさえ、弱さを出せない不器用な…
完璧主義だった私を、ようやく、許せた。
無限の可能性と、
未知なる自分の中で向き合っていると、
自分と向き合うことに、
終わりなんてなくて。
「一体これは、
いつ終わるのだろう?」と、
途方に暮れる日もある。
だけれど、
完璧になるために、
やらなくていい。
完成させるために、
やらなくていい。
今ここの命のほころびを、
自分や周りと、
共有するだけでいい。
命のほころびほど、
美しく。
命ほころぶ瞬間ほど、
尊いものはないのだから。
せっかく自分に生まれたのだから。
自分を知り尽くし、
愛で満たす、
自分磨きを楽しもう。
自分磨きは、
命尽きるまで遊べるゲーム。
そして、
自分磨きは、
自分という命を、
愛で続ける、
終わりなき祝福なのだ。









