フーリガン通信 -28ページ目

“雑感-EUROという至福”

信じられるだろうか。準々決勝4試合のうち3試合が延長戦で、その内2戦はPK戦へ。90分で勝負が着いた唯一のゲームはポルトガル対ドイツであるが、そこでも5回もゴールネットが揺れた結果は1点差だった。


大会前の通信で、私はW杯と比較して、お客様が存在しないEUROの面白さを語ったのを覚えているだろうか。その時点で絶対に“嘘つき”にならない自信はあったが、各グループを勝ち上がってきたチームが、かくも一様に高い水準で拮抗しているとはまったく予想していなかった。準々決勝のカードが決まった時点で、私は「負けない」イタリアに対するスペインの苦戦は予想したが、全てのゲームがこんな接戦になるとは・・・実際に録画をしたオランダ-ロシアではかろうじてゲーム終了まで入っていたが、スペイン-イタリアではブッフォン対カシージャスのPK戦前に録画時間が切れてしまった。ゲーム前の余計な解説や両国の国歌斉唱などを考慮しなかったことによる録画延長の設定ミスである。録画容量をケチったことの代償は大きい。


面白いのはベスト4に勝ち上がった国のうち、スペイン以外はグループリーグを2位で抜けてきた国であるという事実である。敗れた3国はグループリーグ第3戦では主力を休ませ、決勝トーナメントに備えていたはずなのに。コンディショニングを考慮すべきなのか、勢いを大切にすべきなのか、百戦錬磨の監督と選手を抱える国が、その運命の選択を間違ってしまう現実に、今更ながら「短期決戦」であるEUROの難しさを痛感する。そして、そんな中で、前評判どおりには勝てない脇が甘いポルトガル、トーナメントの勝ち方を熟知したドイツの恐ろしさ、美しい残像を引きながら最後はあっけなく消えて行ったオランダ、初戦オランダ戦のあとはいつもの“勝てないが負けない”チームに戻ったイタリアなど、それぞれの国はそれぞれの“伝統”や“らしさ”を見せてくれたことも、私にとっては大きな喜びであった。これまでのところ、EUROは私を裏切らなかったと断言できる。


そして忘れてならないのがスタジアムの雰囲気である。スイスやオーストリアは欧州ではお世辞にも一流国とは言えないが、スタジアムの雰囲気はやはり“本場”なのである。欧州の大会だから、当然の事ながら観客も各国から集まる“本物”。そんな“場”と“人”が、ゲーム前のお祭りの会場を、あっという間に“闘技場”に変え、その瞬間から場内には一挙に“緊張感”と“殺気”が漲る。そして闘いの後には、“歓喜”と“絶望”という2つの激情のみが残るのだ。本当に欧州の人達がうらやましい。このような至福の時空間を味わえるのは、やはり欧州しかないのだ。日本を含むアジアでこの雰囲気を味わうためには、あと100年の歳月を要するかもしれない。冗談ではなく、私はそう思う。


残念ながら、日本はEUROに出る資格がない。したがって当事者として、本当のEUROを味わうことはできない。だから、日本人にできることは、あくまでも傍観者としてEUROを楽しむことだけなのだろう。そう思うと、TBSの現地レポーターとして現地観戦した“加藤浩次”のように、ゲーム毎に対戦国のユニフォームを着てその国のサポーターと肩を組んで騒ぐような、欧州の人たちには全く理解できないであろう“おバカキャラ”も許せるというものである。そういえば1986年のメキシコW杯で、自分も1年前にロンドンで購入した“Three Lions”の白いオフィシャル・ユニフォームを着て、イングランドのサポーターと肩を組んでいたっけ・・・22年も前のことが、ほんの少し前のように思える。


今、EUROは準決勝前のほんの少しの休息の時を過ごしている。そのすぐ後には、トルコと、そのトルコからの移民を数多く受け入れているドイツの間で闘いが行われる。そして、その翌日には今大会で最も展開が速いサッカーのロシアと、もっとも遅い展開のスペインが、それぞれのアイデンティティの雌雄を決するのだ。今から頭の中で、それぞれの闘いをイメージする。毎日複数のゲームを追わなければならないグループ・リーグとは違う、ベスト8から始まるEUROの決勝トーナメントの楽しみ方のひとつでもある。


さあ、これからそれぞれのゲーム、それぞれのスタジアムで、多くの魂が呼応し反発する。選手達はその魂を身体に取り込んで、ピッチの上で闘うのだ。フーリガン通信読者の皆様も、共にEUROの至福を味わおう。このとびきり美味しい時間を。


魂のフーリガン

ロシアの成長、日本の停滞

まさか・・・早朝の衝撃を私は忘れない。眠たい目を擦りながらオランダの先制点を待ちわびていた私の目を覚まさせたのは、ファン・ニステルローイでもなく、スナイデルでもなく、白い稲妻であった。


勝敗には常に2つの側面が議論の対象となる。敗者に問題があったのか、それとも単純に勝者の方がより優れていたのかという点である。予選リーグ「死のC組」でイタリアを3-0、フランスを4-1、そしてルーマニア相手には主力を温存しながら2-0とダントツの攻撃力で勝ち進んだ絶好調のオランダ。一方はこともあろうにD組初戦でスペインに1-4で完敗を喫し、ギリシャに1-0の辛勝、そして僅か3日前にスェーデンを2-0で沈め辛くも決勝トーナメント進出を決めたロシア。誰もが私と同じ気持ちでゲームを観ていたに違いない。だから、このゲームの結果は「ロシアの勝利」よりもむしろ「オランダの敗北」として記憶に残るだろう。当然のことながら、人々は「敗者の問題」を問う。「何故オランダは破れたのか?」


しかしこのゲーム、私はオランダの敗因を探る以前に、単純にロシアの選手達の躍動感に魅せられた。ボールを持てば必ずスピードに乗ってDFに勝負を挑み、たった1人で局面を打開しシュート、センタリング、スルーパスでオランダを切り裂いたFWアルシャビン、長身とは思えないほど「消えるプレー」で危険地帯に突如現れては決定的な仕事をするFWパブリュチェンコ、低い弾道の長距離砲で何度も何度も名手ファン・デル・サールを脅かしたDFコロディン・・・彼らのプレーに胸を躍らせなかった観客はいないのではないだろうか。


しかし、ロシアが素晴らしかったのは決して彼ら個人の力だけではない。そのサッカーが、その組織の連動性が素晴らしかったのである。古狸ヒディンクに両翼のスペースを消され、まるで翼を失ったかのように美しく飛ぶことができなかったオランダに対し、ロシアの若い選手達は中盤の高い位置で素早くプレスを掛け、ボールを奪取するや否や、サイドにボールを散らし、ボールを持たない選手はピッチ全体を速く長いランニングで横切った。そして、次から次へとボールを持つ選手をを猛烈なスピードで追い越す白いユニフォームに、オレンジの選手達は着いてゆくことができなかった。圧倒的な攻撃力の裏で、これまで露呈しなかったオランダの守備力の不安は的中した。彼らが出来たことは、混乱の挙句にボールを辛うじて自陣ゴールから遠ざけることだけ。そして、そこをスナイパーのごとく待ち構えていたコロディンが、恐ろしい精度でロングシュートを見舞う。まるでバレーボールのバック・アタックのように。


唯一手元に残されたロッベンという名の翼をも手放し(投入せず)、全くサイドから崩す術を失ったオランダにあって、あくなき闘争心を“シュート”という明確な形で示し続けたスナイデル、絶滅しつつある“ストライカー”という種族の生き残りとして、その鋭利な牙を剥き、凄まじい野生の咆哮を続けたファン・ニステルローイ。その二人のオレンジの魂の融合によるど迫力ゴールで、ゲームは1-1となり延長にはなったが、オランダが示すことができた抵抗はそれだけだった。オランダが全く動けなくなった延長後半のロシアの2点で、3-1でゲームは幕を閉じたが、もしサッカーに判定があるならば、正規の90分の時点でこのゲームは明らかにロシアの判定勝ちが宣言されていただろう。それだけロシアのサッカーは素晴らしかった。オランダが「オランダでなかった」ことも確かではあるが・・・


さて、多くの通信読者は、当然の事ながら、同日夜のW杯アジア3次予選最終戦・日本対バーレーンをご覧になったことだろう。すでに両国ともに最終予選への進出を決めていたが、アウェーでバーレーンに苦杯を喫している日本代表はホームで勝たなければならないというプライドがある。また1位でグループを抜ければ、最終予選でそれだけ有利なグループに入る可能性も高い。そして、それ以前の問題として、日本人の代表が、日本人の目の前で負けることはもちろん、引き分けすら面白くない。しかし、単独のゲームとしてみれば、一般の興味はその程度のお気楽なものだったであろう。そして、終了間際の、“EUROでは絶対に観ることのできない”ような、セルジオ越後氏は「コメントに困る」といい、松木安太郎氏は「素晴らしい」と評価した内田のトホホ代表初ゴールで、日本はグループ首位を奪還したのであるから、めでたし、めでたしということなのだろう。


しかし、早朝のオランダ対ロシアを観た人達の本心は、実は複雑だったのではないだろうか。個人技とスピードに弱い日本のDFはアルシャビンを止められるだろうか。高さがある上に変幻自在のパブリュチェンコを誰がマークできるのか。ファン・デル・サールがやっとはじき出せるようなコロディンのミサイルを、背の低い日本のGKが触ることができるのか・・・。答えは“NO”ではない。“NEVER”である。


欧州とアジアのレベルの違いは間違いなくある。サッカー文化の差と同様に、平均的な戦力のレベルの差はあるだろう。親善試合ではいわゆる欧州列強国にそこそこのゲームができる日本であるが、やはり本番では歯が立たないレベルであろう。だから、オランダ対ロシアと、日本対バーレーンを比べることに無理がある・・・そうであろうか?思い出して欲しい。2002年の夏、日本がW杯と言う真剣勝負の舞台で初めて破った相手は欧州勢だった。そう、他ならぬ“ロシア”だったのである。


ご存知の通り、同大会で日本はグループ首位でベスト16に進出を果たした。大会後にはジーコを監督に迎え2004年のアジア・カップを制し、2006年のW杯は地区予選首位で堂々の3大会連続参加。一つ下の五輪世代も順調に2004年アテネ五輪に参加した。クラブでも2007年に浦和レッズがアジアチャンピオンに輝く。つまり、アジアの枠の中ではあるが、日本は着実にその地位を固めてきたといえよう。


しかし、一方のロシアは停滞が続いた。EURO2004本大会に出場はしたが、いきなりの2連敗で早々にグループリーグ敗退、2006年のドイツW杯には出場すらしていない。アルシャビン27歳、バブリュチェンコ、コロディン26歳、老け顔のジルコフですら24歳ということから逆算すると、出場していて当然であるはずのアテネ五輪にも出場していないのだ。そう。明らかにロシアは停滞していた。


しかし、そのロシアは見事に復活してみせた。その裏には2006年W杯後ヒディンクという名将を迎えたということはあろうが、今回のオランダ戦で見事な活躍を見せたのは、代表の停滞の中で育っていた若い選手達であるということを忘れてはならない。しかも、彼らが見せたそのサッカーは、オシムが示唆しながら、実現はまだまだ先と我々が諦めかけていた「考えて走るサッカー」ではなかったか。


一方の日本は、実は停滞していながら、周囲はその停滞を容認してきた。アジアというマイナーな世界でかろうじてトップレベルでいられただけなのに、マスコミは集客力と集金力のある日本代表を好意的に持ち上げてきた。いくらオシムが将来を見据えても、マスコミのみならず日本サッカー協会の幹部ですら目先の勝利に一喜一憂し、結局日本のサッカーは進歩をすることが出来なかった。その姿がバーレーン戦の日本代表である。


私も日本人である。日本代表の勝利という結果は素直に喜びたい。しかし、その一方で、もう1人の私が囁く。もし、日本があの早朝のロシアのサッカーに到達することができるのであれば、五輪やW杯の出場権を1つや2つ失っても惜しくないのではないだろうか・・・。日本対バーレーンの放送が終了した後に、私の魂は恐ろしいほど冷めていた。


魂のフーリガン



「10人の侍と1人の愚か者」

自分の執筆が遅いのと、オランダの衝撃が強かったのと、二つの理由により話は前後してしまったが、これだけは言っておきたい・・・怒りがおさまらないから。


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6月6日W杯3次予選、オマーン対日本。3日前のホーム戦を見逃した私は、今度は夜10:00にテレビの前にいた。問題の場面は後半28分。玉田が左から折り返し、中央に飛び込んだ大久保嘉人が相手GKと交錯した直後のことである。交錯した時に何があったかはわからないが、大久保は起き上がる前に、GKに右足でボレーを一発かました。一発退場である。


思い出したのは1998年W杯フランス大会、決勝トーナメント1回戦のアルゼンチン対イングランド戦のベッカムの一発退場劇であった。確か後半開始直後だったと記憶している。試合はその時点で2-2。この日、大会で初先発を果たしていたベッカムは、アルゼンチンから何ども狡猾な削りを受けていたが、その時もアルゼンチンのシメオネにファールを受け、のしかかられるように倒されていた。腹ばいのベッカムの上に乗っかるように倒れた“犯人”シメオネは、ベッカムをじらすようになかなか起き上がらない。そして握手も謝罪もなく無言で立ち上がったが、今度はなかなかベッカムの上から立ち去ろうとしない。ベッカムはやっと自由になったその足で、倒れたままシメオネの足を蹴った。蹴ったというよりも「早くどけよ!」という感じで足を「ばたつかせた」と言った方が適切かもしれない。しかし、目の前で行われたそのささやかな“報復行為”に対し、主審のレッドカードをかざす手に躊躇はなかった。当時23歳、金髪のストレートヘアでまだまだあどけない表情の若者であったベッカムは、大いに落胆し、自分が犯してしまった過ちの大きさに打ちひしがれるように、うなだれながらピッチを後にした。


そして、1名少なくなったイングランドは、アルゼンチンの猛攻に耐えながらも反撃し、そのまま延長に入り、最後はPK戦で敗れた。若きマイケル・オーウェンが世界にその名を知らしめた電光石火のスーパー・ゴール以上に、ベッカム退場の波紋は大きく、英国中のバッシングがベッカムに向けられた。「10人のライオンと1人の愚かな若者」・・・翌日の英国の新聞に踊った見出しである。


ベッカムをファールで倒したのはシメオネ(実際にイエローカードが提示された)であり、被害者ベッカムの苛立ちも理解できた。しかし、素晴らしいゲームに水を差し、チームに迷惑をかけた行為に、サッカーの母国を自認するイングランドの人々は、若干23歳の若者を許さなかった。イケメンの人気者である上に、当時世界的な人気を誇った英国のポップ・グループ“Spice Girls”のメンバー、ヴィクトリア(現在の奥様)と熱愛中であった彼に対する妬みもあったのでろうが、それ以前の問題として、ベッカムはイングランドの代表選手であり、彼が衆目の中で見せた愚かな行為は、誇り高きイングランド人全てを侮辱するものだった。それだけ代表選手の胸に縫い付けられた“Three Lions”のエンブレムは重いものなのである。


翻って今回の大久保の場合はどうであろうか。彼はGKとの交錯の際に、相手の身体のどこかが彼の股間に入り、頭が真っ白になって蹴ってしまったと述懐しているが、彼が股間を押さえてうずくまるのは、しっかりと蹴りを入れた後のことである。大して痛くないのに、被害者を演じて自分の蛮行を隠そうとしたに違いない。その証拠に、倒れている状態で主審にレッドカードを掲げられると、彼はさっと膝まづき、大きく目を見開き主審に哀願の表情を向けて「そんなばかな!」と訴えていた。そして、主審の毅然とした態度を確認し、少し間をおいてから再び股間を押さえてうずくまったではないか。まるで、判定から逃げるかのように。そして大久保は結局、その後ずっと股間を押さえてうずくまったまま、担架で“退場”して行った。


実は私には、草サッカーでの相手との衝突で、不幸にも片方の“タマ”を潰してしまった友人がいる。その時私は一緒にプレイしていたわけだが、彼は痛そうな顔はしていたが、最後まで試合を続け、その後であまりの痛さに病院に行き、そこで初めて自身の症状を知った。そして彼はそのまま入院した。結局彼はその後に子供をもうけたので、不幸中の幸い、最悪の状態は免れた訳だが、その時は笑い事ではなかった。しかし、私は大久保が試合後に病院に行った話も聞いていないし、ましてや大久保のタマが潰れた話も聞いていない。


要するに、大久保がしたことはこういうことだ。人に見えないように相手を蹴り、それがばれないように被害者を演じ、犯罪がばれた後は自身の罪を認める潔さも見せず、うずくまって自らを偽装したまま、担架で現場から逃亡したのだ。犯罪の軽重はあるが、見方によっては、顔を毛布で隠しながら警察に連行される犯罪者の方がまだましではないか。彼らはちゃんと自分の足で歩いている。


ベッカムの場合と違って今回は相手も1人退場しているから、彼の愚かな行為そのものがその後のゲームに大きな影響を及ぼすことはなかったが、それはただのラッキーでしかない。オマーンの退場者は松井に対する暴力が処罰されたのであり、大久保の退場は純粋な日本の“1名減”なのである。大久保が退場していなければ、日本は1名多い有利な状態でゲームが続けられたかも知れないのだ。1-1で引き分けたから良かったものの、もし楢崎がPKを止めていなかったら・・・大久保の責任はそういう視点で捉えるべきではないのか。


大久保のその後については、本人は謝罪し、深く反省しているというが、本当だろうか。報道された内容は以下の通りである。ベンチで何が起こったか判らなかった岡ちゃんの大久保に対する質問から場面が始まる。

 岡田: 「お前何したん?」

 嘉人: 「蹴ってしまいました。」

 岡田: 「ボケッ」

これではまるで漫才である。もっとも面白おかしく伝えるマスコミもマスコミであるが・・・


ご存知の通り、大久保はこれまでも数え切れない反則を犯し、数え切れない暴言を審判にぶつけてきた選手である。ちゃんと反省ができる人間なら、とっくに自制が働き、反則の数も減るはずなのである。それができないのだから、よほど人間として未熟であるか、余程のバカである。ベッカムの98年W杯での退場は、その時点の彼の生涯において“2度目”の退場であった。その日も、シメオネのみならずアルゼンチンの選手から多くの反則を受けていた。それでもイングランドの人たちはベッカムを許さなかった。ありえないことであるが、大久保がもしイングランド代表選手だったらどうだっただろうか。反則行為そのものではなく、一連の大久保の醜い態度を、誇り高きイングランドの人々は同朋として許すであろうか。少なくとも私は、大変恥ずかしい。同じ日本人として・・・


魂のフーリガン