“雑感-EUROという至福” | フーリガン通信

“雑感-EUROという至福”

信じられるだろうか。準々決勝4試合のうち3試合が延長戦で、その内2戦はPK戦へ。90分で勝負が着いた唯一のゲームはポルトガル対ドイツであるが、そこでも5回もゴールネットが揺れた結果は1点差だった。


大会前の通信で、私はW杯と比較して、お客様が存在しないEUROの面白さを語ったのを覚えているだろうか。その時点で絶対に“嘘つき”にならない自信はあったが、各グループを勝ち上がってきたチームが、かくも一様に高い水準で拮抗しているとはまったく予想していなかった。準々決勝のカードが決まった時点で、私は「負けない」イタリアに対するスペインの苦戦は予想したが、全てのゲームがこんな接戦になるとは・・・実際に録画をしたオランダ-ロシアではかろうじてゲーム終了まで入っていたが、スペイン-イタリアではブッフォン対カシージャスのPK戦前に録画時間が切れてしまった。ゲーム前の余計な解説や両国の国歌斉唱などを考慮しなかったことによる録画延長の設定ミスである。録画容量をケチったことの代償は大きい。


面白いのはベスト4に勝ち上がった国のうち、スペイン以外はグループリーグを2位で抜けてきた国であるという事実である。敗れた3国はグループリーグ第3戦では主力を休ませ、決勝トーナメントに備えていたはずなのに。コンディショニングを考慮すべきなのか、勢いを大切にすべきなのか、百戦錬磨の監督と選手を抱える国が、その運命の選択を間違ってしまう現実に、今更ながら「短期決戦」であるEUROの難しさを痛感する。そして、そんな中で、前評判どおりには勝てない脇が甘いポルトガル、トーナメントの勝ち方を熟知したドイツの恐ろしさ、美しい残像を引きながら最後はあっけなく消えて行ったオランダ、初戦オランダ戦のあとはいつもの“勝てないが負けない”チームに戻ったイタリアなど、それぞれの国はそれぞれの“伝統”や“らしさ”を見せてくれたことも、私にとっては大きな喜びであった。これまでのところ、EUROは私を裏切らなかったと断言できる。


そして忘れてならないのがスタジアムの雰囲気である。スイスやオーストリアは欧州ではお世辞にも一流国とは言えないが、スタジアムの雰囲気はやはり“本場”なのである。欧州の大会だから、当然の事ながら観客も各国から集まる“本物”。そんな“場”と“人”が、ゲーム前のお祭りの会場を、あっという間に“闘技場”に変え、その瞬間から場内には一挙に“緊張感”と“殺気”が漲る。そして闘いの後には、“歓喜”と“絶望”という2つの激情のみが残るのだ。本当に欧州の人達がうらやましい。このような至福の時空間を味わえるのは、やはり欧州しかないのだ。日本を含むアジアでこの雰囲気を味わうためには、あと100年の歳月を要するかもしれない。冗談ではなく、私はそう思う。


残念ながら、日本はEUROに出る資格がない。したがって当事者として、本当のEUROを味わうことはできない。だから、日本人にできることは、あくまでも傍観者としてEUROを楽しむことだけなのだろう。そう思うと、TBSの現地レポーターとして現地観戦した“加藤浩次”のように、ゲーム毎に対戦国のユニフォームを着てその国のサポーターと肩を組んで騒ぐような、欧州の人たちには全く理解できないであろう“おバカキャラ”も許せるというものである。そういえば1986年のメキシコW杯で、自分も1年前にロンドンで購入した“Three Lions”の白いオフィシャル・ユニフォームを着て、イングランドのサポーターと肩を組んでいたっけ・・・22年も前のことが、ほんの少し前のように思える。


今、EUROは準決勝前のほんの少しの休息の時を過ごしている。そのすぐ後には、トルコと、そのトルコからの移民を数多く受け入れているドイツの間で闘いが行われる。そして、その翌日には今大会で最も展開が速いサッカーのロシアと、もっとも遅い展開のスペインが、それぞれのアイデンティティの雌雄を決するのだ。今から頭の中で、それぞれの闘いをイメージする。毎日複数のゲームを追わなければならないグループ・リーグとは違う、ベスト8から始まるEUROの決勝トーナメントの楽しみ方のひとつでもある。


さあ、これからそれぞれのゲーム、それぞれのスタジアムで、多くの魂が呼応し反発する。選手達はその魂を身体に取り込んで、ピッチの上で闘うのだ。フーリガン通信読者の皆様も、共にEUROの至福を味わおう。このとびきり美味しい時間を。


魂のフーリガン