フーリガン通信 -29ページ目

オレンジ色の波濤

それにしてもオランダは凄かった。EURO2008“死のグループC”のオープニング・マッチ、オランダ対イタリアでのことである。いくらカンナバーロがいなくても、2年前の世界王者、しかもその鉄壁の守備で知られる“アズーリ”(イタリア代表の愛称)を3-0。“オランイェ”(オランダ代表の愛称)の対イタリア戦の勝利は1978年のW杯以来30年ぶり、“アズーリ”が3点差をつけられて敗れるのは、何と1970年W杯決勝の対ブラジルでの1-4以来だという。歴史的な出来事だったのである。


ルート・ファン・ニステルローイの1点目は私もオフサイド・ポジションと思ったが、現在のルールでは、守備側は負傷で倒れていたとしても、とにかく最後尾にいる選手のいる場所に、オフサイドラインが引かれるという。それがたとえラインの外でも。つまり、ファン・ニステルローイがボールに触った時、その前のプレーでGKブッフォンと交錯したDFパヌッチが、エンド・ラインの外に倒れていたために、ニステルローイはどこにいても“オンサイド”ということになる。しかし、イタリア選手も猛抗議し、オランダの選手もしきりにラインズマンを気にしながらの歓喜であったところを見ると、闘っている選手達もよく知らないルールだったのだろう。


いくらルール上正当なゴールとはいえ、選手の一人が倒れている状態でのゴールであることには変わりがなく、もし1-0のまま終わっていれば、今度はピッチの外でキナ臭い騒ぎに発展した可能性が高い。恐らく私同様に、観客の多くは最新のルールに精通していないはずであり、イタリア人は“卑劣なゴール”に諦めがつかず、スタジアムの内外でフーリガン行為に及んでいたに違いない。しかし、オランダはその後に積み重ねた容赦ない2つのゴールでイタリア人を完全に沈黙させた。普通のゴールではない。選手が素早く、広く動き、ボールの軌跡はその頂点を止まることなく繋いでいった。スナイデルの電光石火のボレーも、ファン・ブロンクホルストの中央でのフリー・ヘッドも。全く無駄がなく、まるで相手がいないかのように。それだけ美しいゴールであった。


オランダの「ゴールの美しさ」の原点はやはり、名将リヌス・ミヘルス監督の下、70年代に栄華を誇ったアヤックス・アムステルダムと、そのメンバーを主体とした74年西ドイツ大会のオランダ代表である。ポジションがなく、全選手は渦巻のように入れ替わり、ピッチ全体を使って誰がどこからでも攻める、まるでバスケットボールのようなそのサッカーは“トータル・フットボール”と呼ばれ、誰もがそのサッカーに未来を予感した。そして、そのサッカーの中心には常に“空飛ぶオランダ人”こと、かのヨハン・クライフがいたのである。


当時のオランダのサッカーは確かにすばらしかった。アヤックスはクライフがいた1970 -71、71-72、72-73と欧州チャンピオンズ・カップで3連覇を果たし、オランダ代表は前述の74年W杯初出場で準優勝という成績を収めた。しかし、ミヘルスとクライフを失ったアヤックスは以降欧州王座を追われ、センセーショナルだった74年のオランダも、ギュンター・ネッツアーという創造主を手放し合理的な現実主義に染まっていた西ドイツに、ミュンヘンオリンピックスタジアムでの決勝で敗れた。クライフを除く準優勝メンバーが多く残ったオランダ代表は、78年アルゼンチン大会でも決勝まで進むが、この時のパワー頼みの現実的なサッカーは大変魅力に乏しいものだった。


しかし、クライフは、現役引退直後の1985年、アヤックスでテクニカル・ディレクターに就任する。引退直後は監督ライセンスを持っていなかったための肩書きであるが、実質3年間指導した中で、1987年には欧州カップ・ウィナーズ・カップ(欧州各国のカップ戦王者同士のカップ戦で、現存せず)を制している。また、「クライフ・アカデミー」と呼ばれたように、その間に次世代を担うフランク・ライカールト、デニス・ベルカンプ、そして現在のオランダ代表監督を率いるマルコ・ファン・バステンたちを育てたのである。後にライカールト、ファン・バステンに、ルート・フリット、ロナルド・クーマンといったクライフに憧れた世代の選手を揃えたオランダ代表は、ついに1988年の欧州選手権(当時はEUROと呼んでいなかったはず)で優勝を果たす。旧ソ連との決勝でファン・バステンが決めた、角度のない所からの右足ボレーは、今でもEURO史上最も美しいゴールと言われている。


しかし、現実は厳しい。ただ勝つのではなく、クライフの哲学である「美しく勝つ」ことに殉ずるフットボールは、「攻撃の美しさ」とともに「守備の粗さ」を併せ持つ。その証拠に、こと代表においては、W杯やEUROで常に優勝候補の一角として数えられ、実際にすばらしい攻撃サッカーを見せながらも、前述のEURO1988以外ではタイトルに見放されている。「美しいゴール」がオランダの伝統であれば、この「脆さ」と「運のなさ」もまた、オランダ代表の悲しい伝統なのである。いずれにしても、オランダ代表はどんな国際大会でもその強烈な攻撃サッカーのアイデンティティを放つ、特異な存在であることに間違いはない。たとえ最後は負けても、人々はオランダのゲームに足を運ぶ。クライフがピッチの上に撒いた、夢のフットボールを見に。


今大会、イタリア、フランス、ルーマニアと組むグループCは紛れもなく“死のグループ”である。そして、クライフが言うところの「負けないサッカー」を伝統とするイタリアは、その中でも最もタフな相手であったはずだ。そのイタリアを自慢の攻撃サッカー(カウンターの攻撃であっても)で切り裂いたオランダは、勝敗だけでなく得失点差の点でも大変有利なスタートを切った。あとは「美しく勝つ」サッカーが勝つのか、はたまたその裏にある「悲しい運命」に弄ばれるのか。今大会は、この“オレンジ軍団”から、ますます目が離せなくなったといえよう。


クライフはクラブで欧州の頂点には立ったが、代表ではタイトルとは無縁だった。一方ファン・バステンは全盛期のACミランで欧州の頂点に君臨しただけでなく、代表でもEURO88で欧州を制している。だからきっと、今のオランダ人は皆、ファン・バステン監督の“強運”に賭けているに違いない。しかし、そのファン・バステン自身も、クライフの後継者として誰もがその才能を認めながら、プレイヤーとしての円熟期の手前の28歳という若さで、ピッチを去らなければならなかった。記録上の実際の引退は30歳であるが、最後の2年間、彼が闘った相手は彼の持病となった足首の故障だった。


いやな予感は意外と当たるものである。こと、好調な時の“オランイェ”については・・・


魂のフーリガン

旅人・中田英寿の真実

6月2日、私はオフィスを出る前にW杯3次予選・日本対オマーンの途中経過をPCで検索した。前半終了時点で2-0。中沢が開始10分に遠藤のCKをヘッドで叩き込んだとのこと。やはり引いたオマーンを突き破ったのは、この日は背中に2の数字を1つしか負わなかった“魂の男”だった。そして、大久保嘉人が続いた。点が取れない時はとことん取れない“お調子者”がこの時期に得点したのは、今後のことを思えば紛れもない朗報である。 日本での対戦では、ひたすら引きこもることでそのアイデンティティを示してきたこの中東の小国に、前半で2点を取っていればもう大丈夫。私は安心してPCを落とし、帰途に着いた。


自宅に着いた時はもうオマーン戦は終わっていた。結果は途中でi-modeチェックし、あの後俊輔が加点し3-0で終わったことは知っていた。結果のみを見れば、「完勝以外は許さない」といった私の注文には、どうやら応えてくれたようである。たまにはこういうこともないと。そこで私は、いつものように何気なくテレビをつけた。すると、そこにはW杯予選の代わりに、今風のラフなファッションに、なぜかちょんまげを結った男が画面に登場した。最近またテレビで見るようになった中田英寿であった。新聞を見た私は、その番組が「中田英寿 僕が見た、この地球。~旅、ときどきサッカー~」というタイトルであることを知った。2006年のドイツW杯でのブラジル戦完敗の後に、1人ピッチに不貞寝をしていた男は、直後に引退を発表して、約2年という長い間、1人の“旅人”として世界を巡る旅をしていたという。番組は70ヵ国にも及ぶという旅を通じて、ヒデが見たという地球の光と影に迫っていく。・・・何でも日本テレビ開局55周年記念番組とのこと、とにかく有名人ヒデだからこそ出来る凄い番組なのだ。


しかし、番組には大きな矛盾があった。どう観ても“一人旅”ではない。一人どころか、相当大勢のスタッフを引き連れた“大名旅行”である。ちょうど紹介されていたイースター島で、島唯一の“日本料理店”でコスモポリタン・ヒデが日本語で注文した料理の量を見れば、そのスタッフの人数も推し量れるというものだ。それもイースター島だけではない。行く先々でカメラに向かって笑顔でその土地を紹介しているわけだから、そのカメラの手前には日本人がいるのだ。どう見ても数日分の荷物しか入らない小さな旅行かばんをヒデは自分で運んでいたが、そう思うとわざとらしいことこの上ない。殆どの荷物はスタッフがまとめて運んでいたのだろうから。


まあ、スポンサーが付いてやっていることだから、彼にはそれだけの商品価値があるということで、そのこと自体に私も文句は無い。「どうぞ、ご自由に」という感じである。しかし、私が納得できなかったのは、ヒデが「この旅を通して、改めてサッカーの凄さが判った」という結論付けである。ヒデほどの選手が、こんな旅をしなければ、「サッカーの凄さ」が判らなかったのか。アジア予選を含めたフランス、日本、ドイツの3度のW杯、そしてペルージャ、ローマ、パルマ、ボローニャ、ロンドンのピッチを自分の力だけで旅してきた君は、存分に「サッカーの凄さ」を味わってきたはずだ。その「凄さ」をこんなちんけでお気楽な旅で「改めて知った」などと、並べて語ること自体がサッカー(私はFootballと呼ぶが)に対する冒涜ではないのか。大体、サッカー選手でなければ、ヒデはコミュニケーションが下手なただの生意気な若造である。彼の現在のステータス自体が「サッカーの凄さ」である。違うだろうか。


旅人・中田英寿。その旅はまだ始まったばかり。彼は今、その旅の方向を見失っているのではないだろうか。所属事務所、メディア、スポンサー・・・彼の周りには、金の臭いのする方に彼を導く旅先案内人が沢山存在する。彼が向かえばそこに金が集まるからである。その旅の途中、ヒデはサッカー選手ではなくて、元サッカー選手の肩書きをもつ芸能人に過ぎない。自分自身で旅の目的地を決めない限り、彼は当てのない放浪を続けることになる。マネージャー、テレビクルー、雑誌記者、カメラマン、スタイリストに囲まれて。


この番組、私が途中でチャンネルを変えたのは言うまでもない。そして、すぐに画面で見たヒデのように、私はPCに向かった。『Wikipediaウィキペディア』というのをご存知だろうか。ネット上のフリー百科事典で、情報量が多く更新頻度が高いため、当通信でも正しい情報を確認するため時々立ち寄るサイトである。私はそこで『旅番組』という言葉を検索してみた。定義は以下のとおりであった。

「テレビ番組(情報番組)のジャンルの1つで、芸能人がリポーターを務め各地の観光スポットを紹介する番組である。ただし一般人がリポーターを務めたり、リポーター自体が存在しない番組もたまにある。温泉レポートを素人レポーターが務める番組ではヌードを披露することもたまにある。」

芸能人・中田英寿。次はどういう旅を見せてくれるか、大変楽しみである。世界の名所は一通り回ったようだから、次は秘境探しかグルメ旅か。鍛えた肉体美を既に雑誌に披露している彼であるから、もしかしたら温泉レポートかも知れない。その時はもう本当の旅をする自由もないだろう。


ヒデよ。道を誤るな。前園真聖のように・・・


魂のフーリガン




EURO前の独り言

いよいよ6月。EURO(欧州選手権)である。各国リーグが終わり、欧州CLも終わった。日本はW杯3次予選なのだが、やはりEUROなのだ。


なぜEUROが面白いか。理由は簡単、ハズレがない。世界最大のサッカーの祭典は間違いなくW杯であるが、残念ながらW杯には全世界の地域からそれぞれの代表国が参加する大会であり、残念ながらアジア、アフリカ、北中米、オセアニアといった、お世辞にも世界のトップレベルと呼べない国、いわゆる“お客様”が参加する。従って純粋にレベルの高いサッカーを観たいと思う私のようなFootballファンにはどうでもよいゲームが存在する。


しかしながら、EUROは予選で強豪国を散らし、欧州の国々をシャッフルしてホーム&アウェイで戦うだけに、その予選を勝ち上がってくる参加国には、開催国以外で“お客様”は存在しない。その証拠に、1992年大会では大会直前に政治的理由で大会出場を辞退したユーゴスラビアの代わりとして急遽参加したデンマークが優勝したり、まだ記憶に新しい前回2004年大会では、殆ど無印のダークホースであったギリシャが優勝してしまった。ご存知の通り、ギリシャはその2年後のドイツW杯に出場すらしていない。欧州のレベルがいかに高いレベルで均衡しているかがわかるであろう。


そんなEUROであるが、今回は何かが足りない。多くの読者がそう感じているだろう。それはイングランドの不在である。DFファーディナンド、テリー、A.コール、W.ブラウン、MFランパード、スコールズ、ハーグリーブス、キャリック、J.コール、FWルーニー。GKは欠けているが、彼ら10人が何を意味しているか判るだろうか。彼らは5月21日、モスクワで行われた欧州CL決勝、マンチェスター・ユナイテッド対チェルシーのスターティング・メンバーに名を連ねたイングランド籍の選手たちである。既に代表引退をしているスコールズを引っ張り出す気は無いが、代わりには欧州CL準決勝でチェルシーに敗れたリバプールからジェラードを引っ張って、あとはどっかのクラブからGKを連れてくればよい。そんなイングランドが、世界一の国内リーグを持ち、世界最高峰のクラブを決める欧州CLのベスト4に3つのクラブを排出する国の代表が出場していないのである。


70年代始めにイングランド・フットボールの洗礼(当時は“三菱ダイヤモンド・サッカー”という番組しか海外のサッカーを紹介しておらず、イングランド・リーグを中心に放映していた)でFootballに魅せられていった私からすると、一時はワールドクラスと呼べない時期もあったが、今の“強いはず”のイングランドがEUROに名を連ねないのは寂しい限りである。しかし、一度観方を変えれば、そのイングランドを予選で破ったクロアチア、ロシアが今回のEUROを制さないと誰も言えない。それがEUROなのである。


私事ながら本業が一番忙しい6月を丸々使って開催される大会だけに、愛するイングランドが出場した前回大会ほどゲームを追っかける訳にはいかないが、グループリーグからイタリア、フランス、オランダ入ったグループCなどは、フットボール・フリークなら観るなという方が酷と言うもの。3強の直接対決はもちろん、それぞれが伏兵ルーマニアとどう闘うかも興味が尽きない。あと一週間、私の頭の中はクリスティアーノ・ロナウドが駆け上がり、シャビ、イニエスタ、セスク・ファブレカスの粋なパス交換に観客から“オレ!”の歓声があがり、アンドレア・ピルロのロング・フィードが飛び交うのだ。よいではないか、仕事は仕事、EUROはEURO、フットボールはフットボール、それぞれをリスペクトしようではないか。


そうそう、その前に我が日本代表のオマーン戦がありました。健闘をお祈り・・・とんでもない、“完勝”以外は許さない。


魂のフーリガン